第1話 新時代の戦争‐湾岸危機と第7軍団‐②
今回は英語での表現が幾つかありますが、演出の都合上、軍隊ならではの特殊な言い回しと通常の英文が混在しているので日本語訳と文法が合っていなかったとしてもミスではありません。
また、日本語訳がない箇所もありますが、そこは識別コードみたいなものなので原文のまま読んで下さい。
イラクによるクウェート全域の電撃的な占領と一方的な併合宣言は到底、国際社会が黙認できるような事態ではなく、主要各国の代表者は直ちにニューヨークの国連本部で安全保障理事会を開いて今後の対応を協議するのだった。
もっとも、ここまでの暴挙となると何かと対立の多い安保理の常任理事国も軍事介入をする事については拒否権を発動せず、大義名分としての国連のお墨付きを得てからの各国は湾岸地域に大規模な部隊を集結させるべく最初の行動を開始した。
しかし、いつもと違って軍事介入という提案に対して拒否権の発動が無かった背景にはソ連崩壊でロシアは発言力が低下し、天安門事件で国際的に立場の悪くなった中国が慎重になった為、軍事介入に前向きなアメリカ・イギリス・フランスの3カ国の意見が通ったとの見方も存在する。
ただ、軍事介入が承認された最大の要因は上記のような政治的な配慮があったからでは無く、クウェートに続いてサウジアラビアまで占領されてしまったら危険な独裁者の手に世界の原油埋蔵量の45%が握られてしまうからだ。
そんな訳で1990年8月7日には『Operation Desert Shield:砂漠の盾作戦』が発動され、翌8日には早くも派遣部隊の先陣を切ってアメリカ空軍第1戦術戦闘航空団所属の24機の『F-15Cイーグル』戦闘機がサウジアラビアを守護するというアメリカの政治的メッセージも込めて同国のダーラン空軍基地に空路で進出している。
さらに、作戦発動の2日後となる9日には緊急即応部隊(命令を受けてから18時間以内に出撃可能な状態に保たれている部隊)に指定されているアメリカ陸軍第82空挺師団第2旅団の兵士達も『C-141Bスターリフター』輸送機でダーラン空軍基地へと到着した。
それもあって作戦開始から1週間が経過した時点で4500人以上のアメリカ軍地上部隊がサウジアラビア国内のクウェートとの国境付近に展開する事となったが、肝心な主力戦車を始めとする重装備は海路による輸送が基本なので彼らは満足な対戦車装備を持たない状況で生きた心地のしない日々を砂漠に作った簡易陣地の中で過ごしていた。
なにせ、緊急即応部隊が空輸して持ち込む事の出来た対戦車兵器と言えば『M551シェリダン』空挺戦車(状況次第で主力戦車を撃破可能な152mmガンランチャーを装備しているものの、防御力の低いアルミ防弾合金製の車体で重量を16tに抑えた軽量戦闘車両)が18両と、56基の『BGM-71TOW』対戦車ミサイル(大部分は『M1036 HMMWV:高機動多目的装輪車両』、ハンヴィーの通称で知られる軽量戦闘車両のルーフトップに発射機を搭載する形で展開)、後は15機の『AH-64Aアパッチ』攻撃ヘリぐらいだったからだ。
それに対して同時期にクウェートに展開していたイラク軍は、クウェート侵攻でも活躍した精鋭の共和国防衛隊を中心に約2000両の戦車と20万人規模の兵力を誇る大部隊に膨れ上がっている。
一応、アメリカ空軍の誇る大型輸送機『C-5Bギャラクシー』を使えば対戦車戦闘に欠かせない主力戦車の空輸も可能になるのだが、その120tを超える輸送能力をもってしても60t以上の重量に達する『M1A1』だと現実には1機につき1両しか輸送できず、また同輸送機が必要不可欠な輸送任務は他にも無数に存在しているので『C-5B』を戦車の空輸に割り当てるのは非効率的だった。
しかし、8月16日にサウジアラビアの首都リヤドにアメリカ軍の中東地域における軍事作戦を統括する中央軍の前方総司令部が開設されると、すぐさま国境沿いにいる前線の兵士達が最も派遣を望んでいた機甲部隊の増派に向けて動き出した。
この時、増派される事となったのが同じく緊急即応部隊に指定されていた第18空挺軍団隷下の第24歩兵師団第2旅団である。
こう表現すると現地では戦車が必要とされているのに戦車を保有していない歩兵師団を送っても意味が無いのではないかと思うかもしれないが、名称とは裏腹に同師団の実態は235両もの『M1エイブラムス』MBT(主力戦車)を筆頭に、2車種の合計で約220両に達する『M2ブラッドレー』IFV(歩兵戦闘車)と『M3ブラッドレー』CFV(騎兵戦闘車:強行偵察仕様の装甲戦闘車両)を中核とする純粋な機械化師団なので、師団全体の戦力としてはイラク軍機甲師団と正面から撃ち合うのに充分なものを有している。
しかも、こうなる事を予測していたらしく、輸送を担当するMSC(海軍軍事海上輸送コマンド)は僅か48時間弱という早業で装備や物資の積み込みを完了させると直ちにアメリカ本土の港を出港させ、なんと8月16日の時点で既に88両の『M1エイブラムス』MBTを積載した高速海上輸送艦が駆逐艦に匹敵する33kt(約61km/h)で航行しており、2週間後の8月27日にはアメリカ東海岸から16000kmも離れたサウジアラビアのダンマン港に到着させている。
もっとも、最終的には7隻の高速海上輸送艦と3隻の車両輸送船が第24歩兵師団の保有する装備の海上輸送に従事したものの重装備主体の機械化師団ゆえに相応の時間が掛かり、一連の輸送任務が完了した時には最初の輸送艦が本土を出港してから1ヶ月以上も経過した9月25日になっていた。
ただ、装備の輸送に手間取ったアメリカにとって最も幸いだったのは、イラク側も軍事物資の集積の問題からサウジアラビアとの国境沿いに大部隊を集結させただけで実際には侵攻しなかった為、アメリカ陸軍の第7軍団を始めとする多国籍軍の大規模な地上部隊を集結させる時間的余裕が生まれた事だった。
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ここで物語は1990年11月8日まで進む。この日の午後、首都であるワシントンDCのホワイトハウス西棟にあるプレスルームに集まった記者団を前にアメリカ大統領は、湾岸地域に展開するアメリカ四軍(陸海空と海兵隊)の大規模な増強を行う事を公式に宣言した。
ただし、この宣言にはアメリカの戦略方針をサウジアラビアの防衛からイラク軍の撃破を目的とした軍事攻勢に転換したという意味があり、これは事実上の戦争に向けた動きと同義であった。
そして、大統領の宣言にあった戦力増強に向けた具体的な動きというのが8月から10月にかけてサウジアラビアに派遣された第18空挺軍団(第82空挺師団・第101空挺師団・第24歩兵師団・第1騎兵師団・第3機甲騎兵連隊)と第1海兵師団に加え、新たにドイツ駐留のアメリカ第7軍団を主力に再編成された機甲軍団(第1機甲師団・第3機甲師団・第1歩兵師団・第2機甲騎兵連隊)と第2海兵師団を増派するというものである。
ただ、新たに増派が決定された軍団の中でも特に重装備の多い第1機甲師団の保有する大量の戦車や各種装甲車両、さらには軍事物資といったものまで輸送する作業は困難を極め、陸上では貨物列車とトラック、海上では44隻もの輸送艦船が使われたのに同師団が展開を完了したのは1991年1月27日で1月17日の開戦には間に合わなかった。
しかも、苦労の末にサウジアラビアに展開したアメリカ軍地上部隊は無視するのが難しい厄介な問題を抱えており、それを巡って現場の中央軍総司令部とアメリカ本土の陸軍参謀本部との間で激しい意見の対立まで起きてしまった。
「この期に及んで装備を変更するなど正気の沙汰ではない!」
「君の指摘する危険性は理解できるが、それでも交換する価値があるのだ」
その際に装備変更に強く反対したのは中央軍総司令部で、彼らの言葉を意訳するなら実際に扱う兵士達が訓練不足で装備に不慣れなまま戦闘に突入する可能性がある以上、それは無駄なリスク以外の何者でもないという考えを経験則から持っていたからだろう。
確かに、慣熟訓練が不充分なままで戦闘に突入するのは本来の力を発揮できないばかりでなく、状況によっては部隊全体を危険に晒すかもしれないので直前になっての装備変更を危惧するのは理解できる。
だが、陸軍参謀本部の考えは中央軍総司令部とは異なり、彼らは訓練不足で戦闘に突入する危険性を冒してでも装備の変更を行う事には戦略的価値(技術面での優位性)があると判断していたのだ。
そして、最終的には訓練や装備品の調達といった陸軍部隊が戦争に勝つ為の準備に関する全権を持っていた(但し、中央軍に対する直接の指揮権は持っていない)陸軍参謀本部が苦心の末に中央軍総司令部の方を説き伏せると、彼らが戦車隊の総合戦闘力が2倍に跳ね上がるとまで豪語する地上部隊の主要装備を最新の物に変更する計画を承服させた。
ところで、これは重要な事なので先へ進む前にアメリカ軍上層部が対立する要因となった主要装備の問題についても具体的な話をしておきたい。
ちなみに、これから取り上げる問題は機甲部隊の中核を為す『M1エイブラムス』MBTの開発初期における設計に起因したものなのだが、兵器開発には付き物と言える少々特殊な事情も絡んでいる。
まず、1つ目の問題点は攻撃力の要となる主砲に関する事なのだが、どういう訳か莫大な費用と時間を掛けて開発した筈の『M1エイブラムス』には同世代の他国の戦車と比べても明らかに見劣りのする105mmライフル砲が搭載された点だ。
当時、『M1エイブラムス』の主砲には既に実績のあったドイツ製の120mm滑腔砲が有力候補に挙がっていたのだが、これにアメリカ軍仕様に変更する改修(改修の目的は重要兵器の供給権を他国に握らせない為の国策)を施すには多大な時間が掛かり、ドイツ製の主砲を採用した場合には更なる開発期間の延長と開発費の高騰が避けられなかったと言われている。
そうなると議会が開発計画の遅れを理由に開発中止の決定を下すのは必至で、新型主力戦車計画を何度も失敗している陸軍としては開発が順調に進んでいるのをアピールする事を何よりも優先するような雰囲気になっていた。
2つ目の問題点は現代戦における重要度が高いにも関わらず、新方式だと言いつつも実際には予算の掛かる対NBC(核・生物・化学)兵器防護システムを戦車に搭載するのを諦め、NBC兵器による汚染に対しては個人装備の防護システムで対応するようにした点だ。
これだと汚染地域に入った乗員は狭い戦車内で全身を覆う防護服を着て顔に装着したマスクから濾過した空気を吸いながら活動しなければならず、どんなに暑くて不便でも脱いだら死に直結するという明らかに非現実的で馬鹿げた代物だった。
そもそも、汚染された空気に晒された車載電子機器も最終的には特殊な方法で洗浄するか交換しなければ使えないので、それなら最初から車内を与圧して汚染された空気の流入を防いだ方が安全で効率的に決まっている。
なのに、これらの問題点が解決されないまま1979年には工場での本格的な製造がスタートし、いつまでも量産を続けた事で戦車兵が心の底より待ち望んだ重装甲・120mm滑腔砲・統合NBC防護システムを搭載した改良型の『M1A1エイブラムス』の製造は1985年にまでずれ込んでしまった。
ちなみに、1988年10月より製造がスタートした劣化ウラン(核燃料の燃えカスで重金属)製の装甲を砲塔正面に組み込んだ『M1A1』を『M1A1(HA)』として区別する場合もあるが、この2つの違いを外見から判別するのは極めて難しい上に最終的には多くの戦車が『M1A1(HA)』に準じた性能に引き上げる改修を施されているので、以降は性能面で大きな違いのある『M1』と『M1A1』だけを区別しておく。
ただ、そんな事情から最新型の『M1A1エイブラムス』は冷戦時代の名残もあってヨーロッパ駐留のアメリカ軍部隊に優先的に配備され、アメリカ本土駐留の部隊(第1騎兵師団や第24歩兵師団など)は後回しとなった事が前述の参謀本部と中央軍総司令部の対立に繋がっている。
ここで話を元に戻すと、湾岸地域へ派遣された部隊の中で最新型の『M1A1』への変更が必要な隷下部隊を抱えるのは3個師団(第1騎兵師団・第1歩兵師団・第24歩兵師団)に達し、合計で800両を超える戦車が交換対象になっている事が判明した。
しかし、方針さえ明確に決まってしまえばアメリカ軍の動きは早く、積荷の陸揚げに使っていたサウジアラビアのダンマン港に臨時の戦車改修工場を建設して現地で作業を実施するという驚くべき方法で問題を解決してしまった。
さらに、現地での改修効率を上げる為にワルシャワ条約機構軍との大規模軍事衝突に備えてドイツなどに大量保管(交換対象とほぼ同数)していた初期型の『M1A1』を丸ごとサウジアラビアに発送する事で短時間での大量調達にも対応している。
なお、サウジアラビアに建設した改修工場では担当者が最初に1両ずつ製造年式を調べて必要な近代化や補修の程度を決めると(集められた『M1A1』の製造期間には6年もの幅があり、同じに見えても実際は個々の規格が違う。また、保管されていたとは言っても様々な演習が行われるたびに酷使され、ところどころ痛んでいる車両もあるからだ)、それと併せて総合現地パッケージと呼ばれる5つの大規模な改修(砲塔の正面装甲への劣化ウラン装甲の組み込み・高温の砂漠地帯での活動を前提としたエンジン部分の耐熱と防塵対策・ハロン自動消化システムやNBC防護システムの点検と洗浄・車長用と砲手用の照準装置のアップグレード・砂漠仕様への再塗装)が実施された。
そして、改修を終えて最終検査に合格した戦車は乗員へと引き渡され、工場に併設された訓練エリアで本国から派遣されてきた専門チームの下で新装備を使いこなす転換訓練を経て完了となる。
もっとも、第1歩兵師団はサウジアラビアへの到着が遅れた為に転換訓練を行う時間が無くなり、やむを得ず2個大隊が旧式の『M1エイブラムス』を装備したままで地上戦に突入している。
また、近代化改修の対象には『M1A1エイブラムス』MBTと共に師団の中核を為す『M2ブラッドレー』IFVや『M3ブラッドレー』CFVといった装甲車両も含まれており、これらの車両の改修作業も同じ敷地内に建設された別の専用工場で実施して総合的な戦力強化を果たしている。
その結果、アメリカ海兵隊の各戦車部隊が主要装備として多数を運用する一世代前(『M1』シリーズの製造ペースの関係から海兵隊への配備は陸軍よりも後回しにされていた影響)の『M60A1』MBTや空挺師団の持ち込んだ『M551シェリダン』空挺戦車を含めると3500両を超えるアメリカ軍戦車が湾岸地域に集結する形となり、さらに戦争の長期化による損耗に備えた予備として総数の1/3近くに当たる車両を砂漠の各所にある集結地やダンマン港に停泊する輸送船内にストックしておく事まで可能となった。
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こうして戦争への準備は着々と進行している訳なのだが、この機会に地上戦における多国籍軍の中核となる事を期待された第7軍団の編成についても少し触れておきたい。
先にも述べた通り、元々のアメリカ陸軍第7軍団は第1機甲師団と第3歩兵師団を有する冷戦時代の面影を残したドイツ駐留の部隊だったのだが、今回の湾岸危機では精鋭のイラク軍共和国防衛隊の殲滅を託された事で大きく指揮下の師団を入れ替えている。
具体的には第1機甲師団のみを残し、同じ在欧アメリカ陸軍の第5軍団からは第3機甲師団、アメリカ本土の第3軍団からは第1騎兵師団と第1歩兵師団、ドイツ駐留イギリス陸軍ライン軍団からはイギリス第1機甲師団を編入して5個重師団を主力とする大部隊へと再編成された。
さらに、先鋒として軍団主力の進撃ルートを切り開くのと同時に側面を警戒するなどの援護任務を担う第2機甲騎兵連隊も加わっている。
そして、これらの地上部隊に対する直接的な火力支援を担当するのが軍団直轄の第7軍団砲兵と第11航空旅団の2つで、他にも第43防空砲兵任務部隊が軍団直属の戦闘部隊として配属されていた。
ただし、こういった直接的な戦闘行動を専門とする戦闘部隊が強力かつ大規模であっても彼らだけで戦争に臨む事などあり得ず、敵と砲火を交えなくても決して欠かす事の出来ない支援任務で力を発揮する第7工兵旅団・第93通信旅団・第207軍事情報旅団・第14憲兵旅団が戦闘支援部隊として第7軍団の指揮下にあった。
それと、もう1つ忘れてはならないのが軍団全体だと約5万両もの車両を保有する事になる第7軍団が毎日消費する大量の物資を補給する部隊で、これには第2軍団支援団が4000両近い数のトラックやトレーラーを引き連れて参加している。
なお、こうした異なる役割を持つ部隊を1つに纏めて自己完結型の戦闘集団を形成する事を専門用語では諸兵科連合と呼ぶ。
その結果として第7軍団(部隊の愛称:ジェイホーク)は兵力の60%が他部隊からの増強部隊で占められる戦闘集団となり、例えるなら選りすぐりの精鋭部隊を第7軍団司令部という頭に繋ぎ合わせた“鋼鉄のフランケンシュタイン”と言っても過言ではない怪物戦争マシーンになっていた。
さて、ここまでに紹介してきた部分では湾岸危機を前にして第7軍団の指揮下に入った部隊を単純に列挙しただけなので、軍事に関する一定の知識が無ければ師団内の編成や配備されている兵器といったものまでは分からないだろう。
もっとも、5個の主力師団を筆頭に支援部隊に至るまでの全部隊を詳細に解説していては物語が一向に進まない上に退屈だろうから、今回は軍団の中核となる現代機甲部隊の特徴をよく表している第1機甲師団(部隊の愛称:オールド・アイアンサイド)を代表例として取り上げる。
しかし、中身が機甲師団であっても編成の基本となるのは戦闘部隊と支援部隊をバランス良く組み合わせた諸兵科連合だという事を理解していれば、それほど難しく考える必要も無く全体像は把握できる筈だ。
まず、指揮中枢の師団司令部(師団直属の本部中隊を含む)と師団司令部直轄の大隊(工兵・防空・通信・軍事情報が各1個)と中隊(憲兵・化学防護が各1個)があり、次に攻撃の主軸を担う主力の機動旅団が3個と航空旅団が1個、さらに火力支援を提供する師団砲兵と後方支援担当の師団支援群が合わさって第1機甲師団は編成されている。
その中で3個ある機動旅団は、各旅団司令部(旅団直属の本部中隊を含む)以外の戦力として3個旅団全体で6個機甲大隊(1個大隊に『M1A1エイブラムス』MBTは58両)と4個機械化歩兵大隊(1個大隊に『M2A2ブラッドレー』IFVは54両)を指揮下に置き、それら10個の大隊を敢えて偏った組み合わせで各旅団に配備する事で特定の任務に最適化した部隊を編成している。
具体的には、第1ファントム旅団は1個機甲大隊と2個機械化歩兵大隊という歩兵重視の編成で塹壕線や陣地帯の突破・掃討・占領に威力を発揮すると共に、他の2つの旅団と比べて軽量な事から機動力を生かして偵察部隊を伴った索敵活動も行う役目が与えられた。
それとは対照的に第2アイアン旅団は3個機甲大隊と1個機械化歩兵大隊という戦車偏重の編成で敵戦車部隊を殲滅する機動打撃部隊に位置付けられ、第3ブルドッグ旅団は2個機甲大隊と1個機械化歩兵大隊のバランス編成で敵主力との決戦時には第2アイアン旅団の脇を固める事になっていた。
ちなみに、第1ファントム旅団は本来の第1機甲師団所属の第1旅団が旧式の『M113』APC(装甲兵員輸送車)装備だった為、最新装備が配備されていた第3歩兵師団から旅団ごと交代する形で編入された部隊である。
だが、これらの機動旅団よりも遥かに個性的で強力な装備を有するのが他国の軍隊では経済的に真似の出来ない第4航空旅団アイアン・イーグルで、攻撃の要となる2個航空大隊(1個大隊に『AH-64Aアパッチ』攻撃ヘリが18機)を始めとして航空支援大隊とフェニックス任務部隊(全てヘリ部隊で『UH-60Aブラックホーク』汎用ヘリや『OH-58Dカイオワ・ウォリア』偵察ヘリなどを装備)が1個ずつ、それと第1機甲師団にとっての偵察部隊の役目も担う1個騎兵大隊(40両の『M3A1ブラッドレー』CFVと8機の『AH-1Sコブラ』攻撃ヘリ)から編成されている。
そして、部隊の名称が示す通り遠距離から味方地上部隊に対して直接的な火力支援を行うのが師団砲兵で、内訳を見ると3個砲兵大隊(1個大隊に『M109A2』、もしくは『M109A3』155mm自走榴弾砲が24両)と1個MLRS(多連装ロケット砲システム)中隊(9両の自走ロケット砲車両『M270MLRS』)によって構成されており、それぞれの機動旅団に配属されて旅団の指揮下で火力支援を実施するのが各砲兵大隊でMLRS中隊は師団全体の攻勢を援護する事になっていた。
しかし、第1機甲師団が装備する自走榴弾砲は射程距離の点で約10kmもイラク軍砲兵より短かった所為もあって湾岸地域に到着後、最大射程30kmの『M110A2』203mm自走榴弾砲や最大射程165kmで500m四方を瞬時に制圧する能力を有する強力な兵器『ATACMS(陸軍戦術ミサイルシステム:発射機そのものは『M270MLRS』と全く同じ)』を多数装備する第75野戦砲兵旅団の増強を第7軍団砲兵より受けている。
それから、師団支援群には各機動旅団の後方から進撃して前線で直接支援する3個前方支援大隊と機動旅団以外の部隊に対して総合的な支援を行う1個全般支援大隊、129機ものヘリを運用するがゆえに各種ヘリの整備などを担当する1個航空整備中隊が編成され、2500gal(約9464L)の燃料を積載する『M978』重機動タンカーの200両を筆頭に様々なトラックが合計で500両以上も配備されて補給・輸送・整備・医療といった戦闘以外の支援任務に就いている。
また、工兵大隊は複数の『M60AVLM』地雷処理車両・『M728CEV』戦闘工兵車・『M9ACE』装甲戦闘ドーザーを装備して最前線で戦いながら敵の地雷原や障害物を除去し、防空大隊は『M163』自走対空砲を装備する3個中隊と『M48チャパラル』自走SAM(地対空ミサイル)を装備する1個中隊で編成されて各機動旅団を空の脅威から護る近接防空支援を担っていた。
なお、軍団直轄の防空砲兵任務部隊には広大な戦域全体を空の脅威より守護する広域防空が任務に含まれていた事から『MIM-104パトリオット』や改良型『MIM-23ホーク』といった長射程のSAMが配備されている。
さらに、通信大隊は多数の味方部隊が素早く情報を共有して効率的な連携戦闘を実施できるように大量の通信機材を戦場に持ち込んで通信網を確立し、軍事情報大隊は敵の通信傍受と妨害・捕虜の尋問・UAV(無人航空機)の運用などを行って情報収集と分析に当たる事になっていた。
最後に憲兵中隊は大量発生が予想される捕虜の管理と警察業務(後方地域での交通整理や自軍の兵士に軍規を遵守させる事など)が主任務となっており、化学防護中隊の方は6両の『M93フォックス』化学防護車両を装備して化学兵器での攻撃(イラクには前科があるから)に備えている。
ちなみに、その戦いぶりと併せて後述するイギリス第1機甲師団の編成や保有する兵器がアメリカ軍とは異なるのは流石に予想がつくと思うが、他の3つのアメリカ軍師団では戦時編成による増強や入れ替えなどがあったものの第3機甲師団は3個機動旅団(6個機甲大隊と4個機械化歩兵大隊)、第1歩兵師団は3個機動旅団(6個機甲大隊と3個機械化歩兵大隊)、第1騎兵師団は2個機動旅団(4個機甲大隊と2個機械化歩兵大隊)で旅団ごとに各大隊を任務に応じて組み合わせた編成を取り、それぞれの部隊が可能な限り最新兵器の配備を受けたところで地上戦の開始を迎えるのだった。
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1990年11月14日、盗聴防止の為にサウジアラビアのダーランにある警戒こそ厳重なものの外観は古ぼけた小さな建物にしか見えない場所で行われた多国籍軍(1枚岩では無い38カ国)の作戦会議で1つの方針が決まった。
「私が諸君に欲するのは共和国防衛隊の殲滅のみ! たとえ、敵が国境の向こう側に逃げ込んでも追撃を弛める事なく殲滅し、この戦争が終わった時には軍事組織として絶滅させてしまうのだ!」
長時間に及ぶ作戦会議の場でヨーロッパとアメリカ本土から参集した22人の将軍達を前に総司令官が執拗なまでに繰り返し発言して強調したのは純軍事的に最も重要な攻撃目標と作戦方針だけで、現場には必要の無い政治的な話も一言で済ませると士気を下げる曖昧な表現すら一切使わずに共和国防衛隊の殲滅のみを訴え続けたのだ。
そして、年が明けた1991年1月15日には戦争を回避する最後のチャンスとも言える国連がイラクに求めたクウェートからの撤退期限を迎えるのだが、この段階になってもクウェート領内に居座るイラク軍に撤退に繋がるような動きは見受けられなかったので1月17日の開戦が決定的なものとなる。
「世界中が我々の行動を支持している! ゆえに、我々は今こそ砂漠の嵐と雷鳴と稲妻にならねばならない! 神のご加護が諸君と故郷の愛する人々、そして祖国にあらん事を! オペレーション・デザートストーム、発動!」
1991年1月17日の午前0時を過ぎた頃、作戦室へと姿を現した多国籍軍総司令官は指揮下の全軍に対して『砂漠の嵐』作戦の発動を高らかに宣言し、ここに湾岸戦争が勃発した。
それを受けて総攻撃開始時刻に当たる同日午前3時の21分前に多国籍軍としてイラク軍へ攻撃開始を告げる一撃を放ったのは、ある重要な任務の遂行を目的として臨時編成されたアメリカ空軍と陸軍の混成ヘリ部隊『ノルマンディー襲撃隊』に所属する9機の『AH-64Aアパッチ』攻撃ヘリ(陸軍第101空挺師団所属)である。
ここで言う重要な任務とは、サウジアラビアとの国境沿いに複数あるイラク軍の早期警戒レーダー施設の一部を破壊して早期警戒レーダー網に穴を空け、後続の大規模な多国籍軍航空部隊が安全にイラク領内へ侵入できる空の回廊を作る事だった。
なので、襲撃部隊は早期警戒レーダーを始めとする対空監視網による探知を避ける為にCF(地形追随飛行:高度50ft以下で地上の障害物を回避しながら地形に沿って飛行する事)で総攻撃が開始される1時間も前に国境を越えようとしたのだが、国境を越える際に運悪く付近を警戒していたイラク兵に見付かった事から銃撃を受けてしまう。
だが、その直後に起きた出来事を考えれば、本当の意味で不幸だったのはヘリ部隊を発見して銃撃を行ったイラク兵達の方かもしれない。
「Gunner1,10o′clock,enemy infantry,kill!」
(ガナー1、10時方向、敵歩兵、始末しろ!)
「I sir!」
(了解!)
なぜなら、視野が少しだけ狭くなるのと引き換えに僅かな光でも増幅してモノクロ画像を緑色で置き換えたように表示するNVG(暗視装置)を装備したヘリクルーからは、マズルフラッシュ(発砲炎)を閃かせながら銃撃を行うイラク兵の姿は丸見えだったからだ。
しかも、GPSや地形追随レーダーなどのハイテク装備によって低空での夜間精密飛行も可能な能力を買われて3機が編隊の先導役となっていた空軍の『MH-53JペイヴロウⅢ』特殊作戦ヘリの1機は、ちょうど銃撃を行っているイラク兵達の背後を通過できる絶好のポジションにいた事から機体側面のドア部分に設置された『GAU-2B/A』(アメリカ空軍における『M134ミニガン』の正式名称)による敵兵の掃討を即座に実行に移した。
この時、機体左側に位置するガナー(射手)がインターコム(機内用通信装置)を通した機長からの命令で銃口を敵兵に向けて手元のスイッチを入れると、『GAU-2B/A』に組み込まれた電動モーターが作動して6本のバレル(銃身)が独特な甲高い音と共に高速回転を始め、その状態でトリガーを引く事によって毎分2000発以上という驚異的な発射速度で『7.62mm×51NATO弾』が発射される。
なお、ヘリの機内はエンジンやメインローターの音がうるさくて目の前にいても声が聞こえ難いので、命令や報告などは基本的にヘルメットと一体になっているインターコムを通じて行う。
話を戻すと、ここまで強力な攻撃を受けた生身の人間が生き残る事は絶対に不可能であり、標的となった2人の憐れなイラク兵は音速を超えて降り注ぐ無数の銃弾によって全身を引き裂かれて苦痛を感じる暇もなく一瞬で絶命して血塗れの肉塊へと成り果てた。
もっとも、小火器による攻撃を想定して機体各部の重要区画を中心に複合材を使った装甲まで施した『AH-64A』や『MH-53J』からすれば、彼らの持っている『AK-47』アサルトライフル程度の武器では明らかに火力不足で本来なら脅威にすら感じず、また暗闇の中を飛行するヘリを相手に満足な夜間戦闘用の装備も無しに射撃を開始したものだから狙いも適当で結局は1発の命中弾も与えていない。
つまり、イラク兵を無視して飛び去ってもノルマンディー襲撃隊に被害が出る事は無かったのだが、このタイミングで国境を越えたのを報告されると折角の奇襲が台無しになってしまうどころか、最悪の場合は逆に迎撃を受けて出さなくてもいい損害を被る危険性があったので敢えて非情な決断を下したのだった。
その後、襲撃隊は予定通りのポイントで二手に分かれて攻撃目標であるそれぞれのレーダー施設へと向かい、攻撃ヘリの搭載するミサイルの発射地点が近付くと更に高度を下げて最終的にはNOE(匍匐飛行:低速で地上を這うような飛行)に移行して接近を続けた。
ただし、ほとんど地上にいるのと変わらない高度を夜間に時速32kt(約60km)以下で飛行するのはパイロットにも想像を絶する程の負担を掛ける為、NOEは敵に探知される危険性の極めて高い地域にまで進出した時に限って行う飛行方法である。
「Target lock!」
そうやって超低空を低速でレーダー施設へ接近していると、タンデム複座(乗員が前後に並んで座るようになっているコクピット配置)の前席に座るガナーから目標を捕捉した事を告げるコールがインターコムを通じて後席のパイロットの耳にも届く。
事実、ガナー席にあるコンソール(計器盤)中央の照準用ディスプレイには機体の機首下部にあるFLIR(赤外線前方監視装置)が捉えたレーダー施設の赤外線映像が投影され、ディスプレイ中心にあるクロスラインはターゲットの赤外線映像と重なって照準が定まっている事を示すのと同時に、TADS(ガナー用の目標捕捉・照準兼用レーザー照射装置)は現時点で既にターゲットまでの距離がミサイルの有効射程距離内である2.7nm(約5000m)に達していると報せてきていた。
しかし、レーダー施設への攻撃は前線作戦司令部からの許可が下りるまでは禁止されていたので彼らは直ぐに発射せず、その瞬間が訪れるまで各機は現状を維持したまま微速で接近を続けていた。
すると、総攻撃開始時刻の21分前となる午前2時39分頃になってEMCON(電波封止)を破り、各機の無線に前線作戦司令部から10秒以内の一斉攻撃を命じる短いコールが聞こえてくる。
「Party in 10.Party in 10」
「Yeah,open fire!」
(よし、攻撃開始!)
「I sir! This missile is a present to you」
(了解! こいつは、アンタへのプレゼントだ)
こうして前線作戦司令部からの攻撃命令を受領した『AH-64Aアパッチ』攻撃ヘリのコクピット内では、即座に機長が前席のガナーに命令を出すのと同時に左手で握るコレクティブ・レバー(レバーでメインローターのブレードのピッチ角を変更し、先端にあるスロットルでエンジン推力の調整を行って機体の上昇や下降をコントロールする操縦装置)を少しだけ引き上げ、機首をターゲットに向けたまま攻撃を行い易い高度50ft(約15m)付近まで上昇したところで機体をホバリングさせる。
その間にガナーはコンソールを見てFCS(火器管制装置)がターゲットを正確に捕捉しているのと正しい兵装を選択しているのを再確認すると、最後にイラクの独裁者に対する個人的なメッセージを呟きながら最終セーフティを解除して右の人差し指でトリガーを連続で2回引いて2発の『AGM-114Aヘルファイア』対戦車ミサイルを発射した。
ちなみに、このミサイルは『BGM-71TOW』対戦車ミサイルの後継として制式採用されたので対戦車ミサイルに分類されているが、実際には戦車を始めとする装甲車両を含む様々な地上目標に対して使用する事が可能である。
そんな訳で、最終的には9機の『AH-64A』から計32発もの『AGM-114A』対戦車ミサイルが2箇所しかないレーダー施設に対して一斉に発射され、各ミサイルは『AH-64A』の胴体側面にあるスタブ・ウイング(小翼)の左右に搭載された4連装発射機から1発ずつ飛び出した直後に闇夜にロケットモーター(推進装置)の吐き出す炎を一瞬だけ煌かせて最高速まで一気に加速するとロケットモーターそのものは短時間で燃焼を終え、ターゲットまでの残りの距離は薄い煙の帯を曳きながら惰性で飛翔して吸い込まれるように次々に着弾するのと同時に幾つもの爆発を引き起こした。
ただ、同ミサイルは誘導方式がセミアクティブ・レーザー方式なのでミサイルがターゲットに命中するまで発射母機がレーザーを照射し続けるか、レーザー照射装置を装備した他のヘリや地上の誘導員が代わりにレーザーを照射し続けて誘導する必要があった。
しかし、今回の攻撃は少数精鋭のヘリ部隊のみによる奇襲攻撃だった事から自機がレーザーを照射し続けてミサイルを誘導するしかなく、回避機動の制限される状況下に置かれた各機の乗員は短時間であったとしても生きた心地がしなかっただろう。
もっとも、実際には奇襲攻撃が完璧に成功した事もあって部隊が危険に晒されるような反撃は最後まで行われず、発射された32発のミサイルは全弾がほぼ理想的な形でターゲットに命中して2つのレーダー施設の主要区画を完全に破壊している。
「I confirmed the impact of the missile! All units charge, and destroy it!」
(ミサイルの着弾を確認! 全機、突撃して殲滅しろ!)
「I sir!」
(了解!)
上記のように襲撃部隊は初撃だけでレーダー施設の主要区画を破壊して早期警戒レーダーとしての機能を完全に奪ったのだが、全機がFARP(前方展開地:簡単な補給や整備を行う場所)へと引き上げるどころか追撃を仕掛ける為に一斉に突撃を開始した。
なお、派手な爆発を伴う攻撃を実行した時点で襲撃隊の存在を秘匿する必要性も無くなった事からEMCONは解除され、以降は各機が自由に無線を使って仲間の機や前線作戦司令部と通信を行いながら任務に当たっている。
それを受けて9機の『AH-64Aアパッチ』攻撃ヘリのパイロット達は、通信に応答するのと同時に右手で握るサイクリック・スティック(機体の水平方向の動きをコントロールする操縦装置)を少しだけ前方へ倒しつつ左手で握るコレクティブ・レバーを操作してエンジン推力と高度を上げ、ホバリング状態から速度90kt(約167km/h)で高度100ft(約30m)以下を維持した飛行に移行すると黒煙を噴き上げながら炎上する全壊したレーダー施設に向かって突撃していく。
「Target lock!」
その途上で攻撃ヘリの1機が施設脇に停車する『BTR-60』APCをTADSで捉え、徹底的な破壊を命じられていた彼らがAPCを新たなターゲットとしてロック・オンする事で機体に搭載されたFCSは攻撃に必要な情報を即座に導き出して攻撃態勢を整える。
そして、先程とほとんど同じ要領で前席のガナーが選択してある兵装を最後に再確認すると右手の人差し指でトリガーを引き、1発の『AGM-114Aヘルファイア』対戦車ミサイルを右側のスタブ・ウイングに搭載された4連装発射機から撃ち込んだ。
勿論、今回も理想的な攻撃態勢からの発射だった為にミサイルは狙い通りの軌道を描いてイラク軍APCへと向かい、MBTの正面装甲すら貫通して破壊する程の威力のあるHEAT弾頭がAPCの薄い側面装甲に垂直に近い角度で突き刺さり、その直後に圧倒的な破壊力を如何なく発揮して内部から車両を完全に破壊して鉄屑に変えてしまう。
また、別の『AH-64A』は左右のスタブ・ウイングに1基ずつ搭載した『M261』ロケット弾ポッド(1基につきロケット弾を19発装填)から『ハイドラ70』2.75inch(約70mm)ロケット弾を大量の白煙と共に断続的に発射し、あれ程の攻撃の後でも多少なりとも原型を留めていたコンクリート製のレーダー施設の一部を盛大に吹き飛ばして大量の粉塵と瓦礫を周囲に撒き散らした。
「1o′clock,enemy infantry! The number is 3! Execute!」
(1時方向に敵歩兵! 数は3! 殺れ!)
「Affirmative!」
(了解です!)
それら2機とは別に高度50ft(約15m)まで降下してゆっくりと前進しながら残敵の捜索と掃討に当たっていた『AH-64A』では、パイロットが逃走を図って夜の砂漠を全力で駆ける3人の敵兵の姿を機首下のTADSの近くに搭載されたPNVS(パイロット用暗視装置)によって捉えると、何の躊躇いも無く条件反射でインターコムを通じて前席のガナーに攻撃の指示を出した。
当然、命令には即座に従う事が常識だと考えているガナーも迷わず手元のスイッチを素早く操作して使用兵装を『M230E1』30mmチェーンガン(発砲時に発生するガスや反動を利用するのとは違い、外部動力と鎖で機関部を作動させる方式の機関砲)へと切り替え、それと同時にパイロットから伝えられた1時の方角に顔を向けて敵兵の姿を機体に搭載されたセンサーを通して捜す。
なぜなら、この攻撃ヘリが採用するIHADSS(統合ヘルメット表示照準システム)の機能には飛行に必要な情報を搭乗員用ヘルメットのバイザー上に投影するだけでなく、機体下部に搭載した固定武装の『M230E1』30mmチェーンガンと連動した照準システムも組み込まれており、砲塔をガナーやパイロットの視線の方向(左右110度、上下+11度から-60度までの範囲)へ指向できるようにする事で即応性と自由度の高い機関砲の照準を可能にしていたからだ。
「Fire」
しかも、IHADSSにはTADSが捉えた映像を表示する機能もあるので、ガナーは右眼でTADSの捉えた映像を見ながら視線を向けるだけで簡単に逃走中の敵兵の1人に照準を合わせると、どこか機械的な声音で射撃時のコールを呟くのと同時にトリガーを弾くように一瞬だけ引いた。
その途端、機体下面に搭載された『M230E1』が独特の重低音を響かせて毎分650発という発射速度で30mm弾を吐き出し、動き回る敵兵の周囲に立て続けに着弾させて無数の土煙を上げたものの肝心なターゲットには1発も命中しなかった。
しかし、ガナーは落ち着いた様子で同じ動作を繰り返して再び30mm弾の短い連射を敵兵に対して浴びせ、今度は自分が何処から攻撃されているのかさえ理解できずに混乱して動きの鈍くなったところを完璧に捉えて命中させる。
そして、軽装甲車両に施された装甲ぐらいなら楽に貫通できる30mm弾の威力は対人攻撃に使用するには過剰とも言える程の効果を発揮し、撃たれた敵兵は文字通り全身をバラバラに引き裂かれて生暖かい鮮血を辺りに撒き散らしながら瞬時に絶命した。
それ以前に、逃げるのに必死で最低限の装備さえ持っていなかったイラク兵にハイテク攻撃ヘリを攻撃したり追撃から逃れたりする手段は無く、残った2人の敵兵も同じように30mmチェーンガンの射撃を受けてあっという間に殺されて全滅してしまった。
結局、攻撃を受けた2箇所のレーダー施設に合わせて約150人がいたと推測される基地要員の内、ヘリ部隊の奇襲攻撃を生き延びる事ができたのは最終的に10~20人に過ぎないとされており、その大半は標的となったレーダー施設から充分に離れた場所を少人数の部隊で警戒に当たっていた兵士だったというのも皮肉な話である。
なお、襲撃部隊の『AH-64Aアパッチ』攻撃ヘリは搭載する弾薬を使い果たすような勢いでイラク兵もろとも2箇所の早期警戒レーダー施設を僅か4分ほどの攻撃時間で徹底的に破壊し尽くすと、飛来した時と同じように『MH-53JペイヴロウⅢ』特殊作戦ヘリを先頭に高度50ft(約15m)で綺麗な編隊を組んでサウジアラビア領内に設営したFARPへと全機が引き上げていった。
もっとも、ここまでくると軍事的な攻撃というよりは一方的な殺戮としか思えない気もするのだが、当時のイラク軍は世界有数の防空体制を誇っていたので後続する多国籍軍の大規模編隊の安全を確保する為にも中途半端な事は出来ないというのが攻撃した側の言い分であり、それにも一定の説得力はあるのが戦争における現実だった。
◆
開戦直後に実施された多国籍軍の大規模編隊による空爆は攻撃ヘリ部隊による早期警戒レーダー網の破壊から始まったのだが、ステルス攻撃機である『F-117Aナイトホーク』の編隊だけはレーダー施設が破壊される前に自力でイラク領空へ侵入すると探知されずに目標地域へと向かっていた。
ちなみに、よくある勘違いとしてはステルス機を“見えない航空機”と表現したり認識したりしているケースを見掛けるが、実際には正面からレーダー照射を受けた際に発信源へと反射するレーダー波を最小限に抑えた“電子的に探知され難い航空機”である。
なので、ステルス機の任務は発見されるリスクを減らす為に肉眼でも捕捉され難い夜間に少数で敵の警戒網の隙間を縫うように実行するのが常識だった。
そして、湾岸戦争における『F-117A』の最初の一撃は午前2時51分にイラク南部のヌハイブにある迎撃作戦センターに対するレーザー誘導爆弾を使った爆撃で、続いて爆撃されたのがイラク西部にあった防空戦区作戦センターで共にイラク軍の防空体制を支える指揮中枢みたいな施設だ。
なお、後に伝説となる初日の空爆に参加した『F-117A』ステルス攻撃機はイラク軍のクウェート侵攻後の1990年8月20日にサウジアラビアにあるカミス・ムシャイト航空基地へアメリカ本土のトノパ空軍基地から展開し、そこを拠点として作戦行動に当たっていた第37戦術戦闘航空団より選抜された30機の機体と30人の空軍パイロットであり、さらに細かく3波(10機・12機・8機)に分かれる編成を取ったもののイラク各地のターゲットを爆撃する為に午前0時22分には全機が基地を離陸している。
ただ、初陣となった1989年のパナマ侵攻作戦では良いところの無かったステルス機が湾岸戦争の開戦劈頭に実施した爆撃ミッションの中で最も衝撃的なものを挙げるとすれば、やはり無数の対空兵器に護られたイラクの首都バグダッド中心部にあった幾つかの戦略目標に対するピンポイント爆撃だろう。
なぜなら、バグダッドのあるエリアは6箇所の迎撃作戦センターが380箇所もある対空陣地に据え付けられた1267基の対空火器と552基のSAMシステムを統制する世界一濃密な都市防空体制によって空の脅威から防衛されていたからだ。
はっきり言って、ここまで防空兵器の密度が濃いと、いくら防空レーダーが旧式で電子妨害に弱かったとしても非ステルス機による爆撃では攻撃部隊の規模が大きくなり過ぎる上に、撃墜されるリスクも高くて非現実的な作戦になってしまう。
一応、水上戦闘艦などに搭載した『RGM-109Cトマホーク』に代表される巡航ミサイル(一般的なミサイルがロケットモーターを使用するのに対し、航空機と同様のジェットエンジンで長距離を飛翔するミサイル)を使用すれば少なくとも自軍の人的損失は気にせずにピンポイント攻撃を行えるが、構造上の観点からバンカーバスター(貫通爆弾:地下施設やコンクリートで強化された目標を破壊する為の爆弾)での爆撃が必要と判断された目標が幾つか含まれていた事もあり、バグダッド中心部への攻撃は『F-117Aナイトホーク』ステルス攻撃機に託された。
さらに付け加えるなら、カミス・ムシャイト航空基地からバグダッドまでは片道だけで1400km以上もあるので空中給油機による支援は不可欠なのだが、そこでも彼らは離陸前から続いているEMCONを徹底する為に2回あった『KC-135R』との空中給油を無線でのやり取りの代わりに互いに機体各所のライトを点滅させるだけで完遂するという高等技術を披露している。
「Engines,oil pressure,and flight control system all green.Flight course,clear.Antennas,off.I was able to invade it without being detected first of all to here……」
(エンジン・油圧・フライトコントロールシステム、全て正常。飛行コース、問題なし。各種アンテナも格納済み。とりあえず、ここまでは探知されずに侵入できたが……)
第37戦術戦闘航空団隷下の第415戦術戦闘飛行隊所属機で編成されたバグダッド爆撃の第1波となる攻撃隊の1機として夜のイラク領空を飛行していた『F-117A』攻撃機のコクピット内では、両脚の間から伸びる操縦桿を右手で握るパイロットが遠くにバグダッド市街のまばらな灯りを現代の航空機にしては珍しくフレームの目立つキャノピー越しに眺めながら酸素マスクの下で独り言を呟いていた。
なにせ、この機体は当時の最先端技術を駆使して実戦で通用するレベルのステルス性を確保する事を追求した末に生み出されたので、あらゆる箇所がレーダー波の反射方向を発信源とは異なる一定方向に限定する平面形で構成されて航空機らしくない外見になっただけでなく、自分から電波を発するタイプのレーダーも逆探知によって存在が知られるのを避ける為に搭載しないと設計当初より決まっていた。
それに加えて訓練・実戦を問わずにEMCONが徹底されるので無線は滅多に使わないし、攻撃においても精密誘導兵器の運用を前提としたが故にステルス機は編隊を組まずに単独で任務を遂行するのが基本となり、機体に乗り込んだ瞬間からパイロットには孤独感が付き纏う所為で無意識の内に任務とは関係ない心情まで声に出してしまう傾向にある。
もっとも、『F-117A』は通常の飛行でさえ機体の姿勢を制御するコンピューターのサポート無しでは不可能なぐらい空力的に不安定な形状をしているのでシステム任せになる部分が多く、どうしても自分の意思で操縦しているという実感が得難くてパイロットすら機体を構成する部品の1つになってしまったのではないかと錯覚させてしまうところも独り言が増える原因なのかもしれない。
「Target,visual in sight.I invade the bombing course」
(ターゲットを確認。爆撃コースに侵入する)
そう声に出して宣言すると彼はマニュアル通りにコクピット内の左コンソールにあるスイッチを動かして機体の制御を爆撃時の基本である自動操縦(飛行コースなどの情報は全て離陸前の段階で入力済み)へと切り替え、次に使用兵装として『GBU-27ペイブウェイⅢ』2000ポンド(約907kg)級バンカーバスターが選択されている事を改めて確認し、最後に正面コンソールにあるIRADS(赤外線目標捕捉装置)の作動スイッチを入れてステルス性を少しでも高く保つ為に今まで切っていたシステムを立ち上げてから照準作業へと移行する。
それによって機体はパイロットが自動操縦に切り替える直前の速度360kt(約667km/h)と高度20000ft(約6100m)を1つの基準とし、一定の速度での水平飛行を維持すると共に機載コンピューターに事前入力した飛行コース上を正確に飛行していく。
なお、最初にバグダッド上空へと侵入した『F-117Aナイトホーク』に与えられた爆撃目標は中心街にそびえ立つ鉄筋コンクリート製の見るからに頑丈そうな14階建てのビルなのだが、このビルは通信網の要たる国際電話通信センターとして使われている関係から多数の通信アンテナが屋上に林立しており、その特徴的な外観が正面コンソール右側にあるモノクロのMFD(多機能ディスプレイ)にもFLIRやDLIR(赤外線下方監視装置)の捉えた赤外線映像として表示されていた。
そして、レーダーを主体とした既存の対空監視システムでは探知が困難な事から反撃を受ける心配の無いステルス機は最適な爆撃コースを維持するのに自動操縦を作動させれば充分なのでパイロット自身は照準を合わせる事に集中でき、正面コンソール中央のIRADS専用ディスプレイ(モノクロ画像)を見ながらスロットル・レバーに付いているスイッチ類でIRADSの倍率や照射する赤外線量などを必要に応じて調整しつつ、操縦桿に付いている小さなレバーを右手の親指で細かく動かして爆弾の着弾予測地点を示すディスプレイ上のクロスラインをターゲットに重ねるだけでロックオン完了となった。
「Target lock.Night46,weapon release」
こうしてパイロットが爆弾投下を意味するコールを発するのと同時に操縦桿に付いている兵装発射用トリガーを右手の人差し指で引くと、機体下部にあるウエポンベイ(爆弾倉)の観音開き式の扉の片側だけが開いて内部に格納されていた『GBU-27ペイブウェイⅢ』バンカーバスターの1発が投下される。
ちなみに、ステルス機である『F-117A』ではステルス性確保のため全ての兵装はウエポンベイ内部に格納するのが原則になっているのだが、そういった方法を用いているが故に形状や搭載数には制約も多くあって大型の『GBU-27』だと最大でも2発しか搭載できない。
また、戦闘機や攻撃機のカテゴリーに分類される機体には必ずと言っていいほど装備されている固定武装の機関砲も搭載しておらず、たとえ自衛用であってもAAM(空対空ミサイル)を搭載すれば貴重なウエポンベイのスペースが半減してしまうのでカタログ上はAAMを搭載できる事になっていても実際の出撃では搭載しないため敵機に対する攻撃能力は無い。
少し話が脇道へと逸れてしまったが、こうして『F-117A』特有の投下方法で水平方向に直線距離でターゲットより2.2nm(約4.1km)遠方を水平飛行する機体から投下された爆弾は、重力加速度と機体の飛行速度の合力で緩やかに加速しながら自由落下を続けている間も投下母機から照射されている不可視の赤外線レーザーを弾体先端のシーカー(誘導に必要な情報を得るセンサー)部分で受け、それに従って弾体後部のフィンを小刻みに動かして軌道を修正すると共に最適な突入角(今回のケースでは垂直)で着弾できるように目標へと向かっていく。
そして、『GBU-27』は投下から約5.7秒後にはターゲットの種類に応じて予め設定しておいた通りに垂直で国際電話通信センターの入居するビルの屋上に着弾するが、厚さ約1.8mのコンクリートを貫通する能力と尾部に遅延信管(着弾から一定時間が経過した後で作動する信管)を備えたバンカーバスターなので直ぐには起爆せず、上空から落下する間も増加し続けた運動エネルギーと弾頭部分を覆う硬い外殻によって爆弾は屋上だけでなく2つ下のフロアの天井まで貫通し、そこでようやく起爆した為に直径が5mはありそうな大穴が吹き抜けみたいな形で出来上がって建物内部から夜空を拝めるようになる。
しかし、このバンカーバスターを使った一撃は国際電話通信センターを確実に破壊して機能を奪う事を目的とした攻撃の第1段階であり、最初の爆撃による煙が収まってから僅か12秒後には別の方角より接近していた2機目の『F-117Aナイトホーク』が同様の手順で先行する機体よりも少し低い高度19000ft(約5791m)を水平飛行しつつ2発の『GBU-10ペイブウェイⅡ』2000ポンド級レーザー誘導爆弾を投下していた。
「Night43,weapon release」
そうやってパイロットが爆弾投下を意味するコールを発した直後には、2発のレーザー誘導爆弾は機体下部のウエポンベイを飛び出して投下母機が照射する赤外線レーザーの誘導に従って軌道を微妙に修正しながら落下していき、最後は初めの爆撃が作り出した大穴の中へ立て続けに吸い込まれるようにして突入すると着弾と同時に信管が作動して弾体内部に大量に詰まった炸薬を一気に爆発させ、それによって生じた高熱と衝撃波が瞬く間に建物内部へと広がって高価な通信機材を1つ残らず完全に破壊してしまう。
こうして高高度から投下しても狙った箇所に正確に着弾させられる驚異的な命中精度こそレーザー誘導爆弾が持つ最大の特性で、しかも単純な命中精度だけで言えば湾岸戦争終結後に本格運用されるようになったGPS誘導爆弾をも凌ぐ程なのだが、特に分厚い雲や砂嵐などの気象条件が赤外線透過に大きな影響を与える為に状況次第では命中精度の低下や攻撃中止といった事態も充分にあり得るのが欠点だった。
ただ、バグダッド爆撃の第1波を構成する攻撃隊が侵入した時には気象条件に大きな問題は無く、加えてイラク軍からの反撃も皆無だったので国際電話通信センターに対する爆撃は基礎訓練の時みたいに理想的な状態で行われている。
「Night41,weapon release」
さらに、国際電話通信センターに2機目のステルス攻撃機による爆撃が実施されたのとほぼ同じタイミングでチグリス河を挟んだ対岸の少し内陸寄りにあるイラク空軍司令部に対しても精密誘導兵器を用いた攻撃が行われており、パイロットのコールに合わせて『F-117A』から投下されたレーザー誘導の『GBU-27ペイブウェイⅢ』バンカーバスターを使った正確無比なピンポイント爆撃がハイテク戦争を象徴するような戦果を上げていた。
なぜなら、投下母機のパイロットは高度22000ft(約6706m)付近を飛行していたにも関わらず、操縦桿に付いている小さなレバーを動かしてIRADS専用ディスプレイ上のクロスラインを空軍司令部ビルの屋上にある換気ダクトに合わせたところで兵装発射用トリガーを引いていたからだ。
しかも、そうやって投下されたレーザー誘導爆弾は自由落下を続けながら軌道を修正して最後は狙い通りに空軍司令部ビルの屋上にあった換気ダクトの中央から建物内部へと垂直に突入し、その後は絶妙なタイミングで遅延信管が作動したので爆発によって生じた熱エネルギーと衝撃波は皮肉にも軍事施設特有の頑丈な構造もあって内部へと大部分が閉じ込められ、結果として司令部機能に一撃で致命的な損害を与えて作戦の成功に大きく貢献している。
確かに、ここの換気ダクトは一辺が2m以上もある大型のものだったが、それでも夜間に20000ftを超える高高度から目標へ爆弾を正確に命中させた事実は純粋に驚異としか言いようがない。
また、これらの施設の他にも同じ地区にあった防空作戦センターや大統領宮殿を始めとする軍事的・政治的に重要な役割を持つ戦略目標に対しては最終的に3波に渡ってステルス機とレーザー誘導爆弾の組み合わせによる爆撃が実施され、開戦からの短い時間で戦争を遂行する上で欠かせないイラク軍の指揮系統の中枢に多大な打撃を与えて麻痺状態へと追い込んでいる。
もっとも、完璧な奇襲攻撃となった第1波の編隊とは違い、第2波と第3波の『F-117Aナイトホーク』編隊は無数の対空砲火が撃ち上げられている状態でバグダッド上空に侵入していた。
しかし、イラク軍防空部隊は戦略目標を爆撃されるまでは多国籍軍機の侵入にすら気付いておらず、それどころか爆撃を受けた後の反撃も相手がステルス機だったので、各部隊が上空に存在しているのにレーダーで探知できない敵に向かって勘を頼りに闇雲に攻撃していたに過ぎない。
一応、その様子を離れた場所から撮影した映像では夜空に向かって無数の対空砲火が撃ち上がっているのを等間隔に並んで進む光点として捉えていた事もあり、いかにも空襲を受けているといった雰囲気を醸し出す幻想的とさえ思える映像に仕上がっていた所為か大衆メディアを通じて繰り返し世界中に配信され、新時代のハイテク戦争を象徴する1シーンとしてアメリカの宣伝戦略にも大いに貢献している。
ただ、そんな中へ飛び込んで任務を遂行した現場の『F-117A』攻撃機のパイロットからすれば、機体に施されたステルス能力のお陰で探知そのものが困難な以上、幾ら攻撃されても命中する筈が無いと頭では理解していても良い気分はしなかっただろう。
ところが、第3波の編隊が侵入した頃には運悪く低空に厚い雲が立ち込めていた為にIRADSによる目標の捕捉が困難になっており、それが原因で投下母機からの誘導に依存せざるを得なかった各種レーザー誘導爆弾の命中率は著しく低下してしまった。
そういった事情もあって初日のバグダッド爆撃に参加したステルス機全体での命中率は世間一般の人々がイメージするような百発百中には程遠かった(計算方法にもよるが、57%という数字がある)ものの、湾岸戦争の全期間を通じて1発も被弾する事なく強固な防空システムに護られた地区へ侵入を繰り返して複数の戦略目標を必要最小限の攻撃編隊で破壊してみせた『F-117Aナイトホーク』ステルス攻撃機の能力は高く評価できる。
なにせ、同じように多数の防空兵器に護られた施設を非ステルス機が攻撃して損害を出さなかったケースは幾つもあるが、そういった場合は必ず攻撃編隊に先行してSEAD(敵防空網制圧)任務を専門とする編隊がARM(対レーダーミサイル:電波の発信源へ向かって飛翔するミサイル)やクラスター爆弾(弾体内部に多数の小型爆弾を収めた爆弾)で防空システムを物理的に制圧したり、同行する電子戦機(電波妨害や電子偵察といった電子戦を専門に行う機体)が万全の態勢で支援を実行していたりしたのに対し、ステルス機は小規模の編隊で空中給油機による支援のみで同様の任務を遂行可能だった事が既存の軍事常識を覆す程の意味をもたらしたからだ。
そして、この湾岸戦争時のバグダッド爆撃は後に“ファーストデイ・ステルス”と名付けられる戦術の典型として瞬く間にアメリカの軍事常識となり、以降の戦争では必ずと言っていいほど開戦劈頭にステルス機による戦略目標へのピンポイント攻撃が実施されるようになった。
相変わらず、前半の説明部分が長くてテンポが悪いかもしれませんが、今後の展開と物語内の時間軸を考えると省けませんでした。
しかも、サブタイトルにもなっている第7軍団は未だに集結しただけ……。
その代わりと言ってはなんですが、今回もリアルな戦闘シーンを用意したので、そちらを楽しんでいただけたのなら幸いです。
ちなみに、これで第1話は終了して次回からは第2話に突入し、いよいよ本格的な地上戦が始まる予定です。