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須賀千莉②

 僕の携帯はとても気が利く。

 いつも僕が設定した時間よりも一時間ほど早く、甲高い声で朝の訪れを告げてくれる。しかも二度寝を防止するためなのか、五秒おきに声をかけてくれる。僕が起きるまで永遠に。

 これだけ好き勝手やられれば温厚な僕でも我慢できない。

 何度か本気でこのキウイ色の折り畳み式携帯を、二つに分裂させようとしたけど、壊して修理するお金も買い替えるお金もないので断念せざるを得なかった。自分の身が保障されているから、あいつは臆することなく僕にちょっかいをかけてくるのだろう。

 つまり、僕は舐められているということだ。

 携帯ごときに。

 自分の情けない境遇を嘆いていても仕方ないので、話し合いによる解決を試みた。要求はただ一つ。僕に迷惑をかけないことである。

 あいつは精密電子機器とは思えないほどに融通が利かず、説得は容易にいかなかった。最初から素直に僕の要求が通るとは思っていないので、当然、交渉のためのカードは用意してある。

 バッテリーの交換と充電の回数を減らすこと。この二つを条件に、あいつと和平条約を結ぶことに成功した。昨日の朝のことだ。これで明日は、明日こそは、健やかな睡眠を満喫できるはず。  

 しかし、そんな淡い期待を抱くことさえ許されていなかったらしい。


「朝ですよー」

「…………」

「朝ですってばー」

「……………………」

「あ、さ、で、す、よぉー」

「どやかましい!」

 

 今日も今日とて僕の安眠を妨害する携帯を手でベッドから払い落とす。


「痛いなー。何するんですか、もー。私の精密ボディに傷がついちゃったらどう責任とってくれるんですか?」

「お金で解決するから問題ないよ」

「治療費高いですよ?」

「一万円でお釣りが返ってくる程度のくせに」

「またまたぁ、強がっちゃってぇ。一万円でお釣りが返ってくる程度の修理代すら払えない人が何か言っていますねえ」

 

 ぶぶぶぶ、と笑い声のようにバイブ音を鳴らす。器用なやつだ。ハイテク機能の無駄遣いにも程がある。

 前はこんな性格の悪い奴ではなかった。僕の言うことをよく聞く素直な携帯、というか何の変哲もない、普通の携帯だった。

 おかしくなったのはつい最近のこと。

 いきなり人の言葉をぺらぺらと喋りだし、頼んでもいないことを勝手にやっては、僕の困っている様子を見て楽しんでいる。まるで悪戯好きのガキのようであった。

 僕はケータイを拾い上げると、直角に開いて枕の上に置いた。

 液晶に表示されている時刻は五時半。余裕で後一時間は眠れる。


「お前、昨日僕と話したこと覚えてる?」

「もちろん覚えてますよ。昨日の今日で忘れるわけがないじゃないですか」

「へえ。それなら何で、いつものようにアラームの設定時間より一時間も早く僕を起こしてくれやがったんだ? 迷惑かけないって約束したよな? スクラップにされたいのか、お前は」

「別に迷惑かけてるつもりなんてないですよ。早起きは三文の徳って言うじゃないですか。ていうか、わざわざ起こしてあげてるんだからむしろ感謝してほしいぐらいですよって…………痛い痛い痛い痛いですって!」

 

 携帯が苦痛の声を上げて初めて、こいつを握りしめていたことに気づいた。でも、手の力は緩めない。暴力はいけないことだけど、それは人と人との関係に限った話。映らないテレビやラジオを叩いて直したりするように、人と物との関係において時には手を出す必要もある。


「これ以上握ったら割れちゃいます、割れちゃいますって!」

「何が?」

「大事なところがですよ!」

「安心しろ。こういうときのために液晶画面には保護シールを張ってある」

「こういうときのためって、どんな場合を想定してるんですか?! あと、保護シールごときでは、この万力のように締め上げてくる圧力には対抗できません。だから、離してくださいってば!」

「ん? ……ちょっと静かにして」

 

 携帯に肉体的教育を施していたら、唐突に部屋の扉が開いた。僕は慌てて携帯を枕の下に隠す。

 携帯と喋っているところを母さんか妹に見られていたのだろうか。もしそうなら僕の家での立場が危うくなる。

 携帯と肉体言語を交えながら会話する、頭の可哀想な我が子。もしくは兄。

 そんなレッテルを張られたまま一つ屋根の下で家族と生活する未来を想像して、今すぐ首を吊りたくなった。

 友だちと話していただけ、友だちと話していただけだから、って言えば何の問題もない。そう自分に何度も言い聞かせて精神の安定を図っていると、開いた扉の隙間からコナツがひょっこり顔をのぞかせた。


「なんだ、コナツか……」

 

 よかった、母さんや茉莉じゃなくて。

 コナツは赤茶色の毛並みをしたスコティッシュフォールドという耳が犬耳のように折れ曲がった品種の猫だ。

 コナツは人に媚びず、人に媚びらず、それでも人に媚びらせるという女王様みたいな性格をしていたのだけど、最近はそのウニの生まれ変わりかと思うくらいとげとげしかった性格がだいぶ丸くなったようで、時折部屋に訪れたりする。しかも聞いた話によると、母さんの布団にもぐりこんだりすることもあるそうなのだ。母さんに嫉妬するくらい羨ましい。

 コナツはつぶらな瞳で見つめてきた。何を訴えたいのかはわかる。


「お腹減ったの?」

 

 返事は当然ないけど、ぴくりと耳がわずかに動いた。くるり、と反転し、尻尾を僕に向けて部屋から出ていく。私の後についてこい、ということだろう。


「仕方ないな、うちのお姫様は。自分勝手なんだから」

 

 言葉とは裏腹に、頬が緩んでいるのが自分でも分かった。


「君って本当に猫に甘いですねえ。その甘さ、少しくらい私に分けても罰は当たりませんよ」

 

 枕の下からくぐもった声で非難してくる携帯に、僕はため息交じりに言う。


「そうしてほしいなら、もう少し自分の言動を省みてくれ」

「省みたら優しくしてくれます?」

「多少は」

 

 携帯として適切な扱いをしてあげるつもりだ。


「分かりました。努力します」


 昨日、交渉したときも返事だけはしっかりしていたな、と苦笑する。僕の言っていることを本当に理解しているのかどうかは怪しいものだ。

 それにしても、自分の言動を省みてくれ、か。

 今さらだけど、携帯に言うことではない。

 いつからだろうか。この携帯を人のように扱うことに違和感を覚えなくなったのは。

 分からない。

 いつからだろうか。この携帯がしゃべることに違和感を覚えなくなったのは。

 この問いには、即答できる。

 最初からだ。

 最初から携帯がしゃべることに疑問を抱かなかった。

 携帯が人の言葉を話すことが些細だと思うくらい、とびっきり不思議で衝撃的な経験をしているせいで、感覚が麻痺しているのかもしれない。

 僕は携帯をポケットに突っ込むと、階段を静かに降りた。



 とりあえず最初に台所にいるコナツにマグロ味のキャットフードを与えた。一瞬、またこれかよ、と言いたげな顔を浮かべたように見えたのは僕の気のせいだろう。疲れているのかもしれない。

 お姫様の食事の用意の次は、ここ最近の日課となっている朝食作りに取り掛かった。

 鮭を特殊なプレートの上に乗せて電子レンジの中に入れ電源を押す。昨日作った味噌汁を温めている横で、白だしを入れた卵を四角いフライパンに少しずつ流しこむ。料理を始めてから十分程度で焼き鮭の切り身、ご飯、味噌汁、だし巻き卵というテンプレートな朝食ができあがった。

 時間に余裕があったので、弁当のおかず用に市販のたれを使い、お手軽な豚の生姜焼きを大量に作った。必要な分以外は切り分けて冷凍庫に保存。僕と母さんと茉莉の分の弁当はだし巻き卵、生姜焼き、ミニトマトのほかに冷凍のおかずを詰めて炊飯器の横に置いておく。


「いただきます」


 洗い物を終え、ぼんやりと地方のニュース番組を見ながら朝食に箸をつける。

 最近地縛霊の数が減少していることとか、誰かの予言通り数年後に世界は滅びるとか、幽霊が店員の喫茶店の特集とかくだらない情報ばかりが流されていた。

 総理大臣の辞職よりも幽霊喫茶の紹介の方に時間を多く割いた番組構成に、これでいいのか日本のマスコミは、と思ってしまう。

 ……まあこれでいいのだろう、視聴率的には。

 僕が気にすることではない。

 今、僕が見ているニュース番組は半年くらい前から巷で話題になっていた。その理由は新人の女子アナの背後に寄り添っている五十代ぐらいの女性の霊である。その女性の霊は半年前に病気で亡くなった新人の女子アナの母親なのだという。

 僕はその女子アナの母親の幽霊を見ることができないので、その話は全て母さんから聞いただけである。

 死んでも尚、残された子どものことを想ってそばから離れず、しかも個性の強い母親。注目を浴びないわけがない。

 死んだ人と出会うことは、今の世の中では当たり前のことになっていた。そのことに違和を感じているのは、恐らくごく少数だろう。

 早起きをしたのをいいことに、だらだらと無駄に長い食事を終えた僕は居間で眠る母さんを起こしに行く。

 リビングと居間を仕切る襖と障子を全開にして、布団をはぎ取った。照明と太陽の光が母さんの身体に四方八方から突き刺さる。

 闇を、闇を私にくれえ、と意味不明なことを呟きながら、僕の手から布団を奪い返そうとしてくるので、携帯のフラッシュを直接目に浴びせた。

 目を押さえてベッドの上をのた打ち回る母さんの全身からは、瘴気のようなものがにじみ出ている気がする。


「仕事に遅れるよ、母さん」

 

 とどめに母さんを完全に起動させる魔法の言葉をささやくと、母さんは亀のような動きで畳の上を這って脱衣所へ向かった。



「おはよう」


 ストーブに当たりながら制服に着替えていると、ばっちり化粧をした母さんがリビングに戻ってきた。先ほどとは別人のように体中が気力で満ちている。

 うん。化粧ってすごい。改めてそう思わせてくれる母である。


「何か失礼なこと考えてる?」

「いいえ、まったく。おはようございます」

 

 さすが敏腕弁護士というべき勘の鋭さを発揮する母さん。

 なるべく母さんと顔を合わせないように背を向けて、電気ストーブで無意味に手を温めていたら、こぽこぽ、とケトルが沸いている音が聞こえてくる。


「母さん、コーヒー飲む?」

「もちろん」

 

 僕は棚からマグカップを二つ取り出し、その中にインスタントコーヒーと沸騰したばかりのお湯を注ぐ。

 僕も母さんもコーヒーにおいしさなんて求めてはいない。ただ朝の眠気を吹き飛ばしてくれればよかった。酸味が強かろうが苦味が強かろうが何でもありだ。

 ただ、残念なことに毎日飲んでカフェインに耐性でもついてきたのか、最近ではコーヒーを飲んだって授業中眠くなるようになっていた。人は薬物なんかには負けないということの証明なのかもしれない。


「はい」

「どうも」

 

 僕が差し出したマグカップを受け取り、母さんはすぐにコーヒーを飲んだ。飲むというか胃に流し込んでいると言った方が正しい。

 僕は母さんとは違い猫舌なので、息を吹きかけて冷ましてからコーヒーを口に運ぶ。まだちょっと熱くて、舌がひりひりした。

 母さんはマグカップの中身を空にすると、鮭の切り身の骨をきれいに取り除いて、皿の端に置いていく。几帳面な人だ。


「はあ」

 

 珍しく母さんがため息をついた。


「どうしたの?」

「いや、ちょっと今日の仕事のことを考えたら気分が重くなって」

 

 僕は自分の耳を疑った。


「仕事が生きがいの母さんが、仕事のことを考えて憂鬱な気分になるなんて……。今日は学校に行かない方がいいかな。外から何が降ってくるか分からないし」

「怒られたいの? それとも殴られたいの?」

「どっちも嫌です」

 

 母さんが握りこぶしに力をこめるのを見て、僕は慌ててふざけるのをやめる。母さんはやると言ったらやる。なんなら言わなくてもやる。


「母さんが弁護士の仕事を辛いなんて言ったこと、今まで一度もなかったのに」

「別に辛いということではないの。気が重いっていうのは、今日の裁判で検察側が今日の証人尋問のときに幽霊を証人として立たせてくるらしいのよ。事件の目撃者だとか言ってね。幽霊相手に証人尋問をしなくてはいけないかと思うと、馬鹿馬鹿しすぎてね……」

「幽霊が証人にねえ」

 

 数年前に幽霊にも一定程度の権利が適用されるといった内容の法案が可決されてから、日本の社会システムにオカルトが積極的に組み込まれるようになった。その例が幽霊をバイトとして雇うというものや、母さんの言っているように幽霊を証人として認めるというものである。

 実際、裁判を効率的に、しかも正確に進めるうえで悪くない制度だと思う。殺された人に犯人が誰だったのか、どういう風に殺されたのかを聞いて答えてもらえば殺人事件なんて一瞬で解決するのだから。もしかしたら犯罪の抑止につながるかもしれない。

 今までだって非公認でも幽霊から事件の情報を集めていた警察や弁護士はいただろうから、裁判に関わっている人たちも幽霊証人制度に戸惑いはしても反対をする人たちはあまりいないはずだ。

 でも、母さんは幽霊が見えない、ごく少数派の息子を持っていたからなのか、普通の人よりも幽霊という存在に複雑な感情を抱いている。そのため法の場というか社会全体にオカルトが入り込むことにあまり乗り気ではないのだろう。


「まあ、しょうがないわね。変わらないものなんてないんだし」

 

 母さんは椅子にもたれかかって、ぺきぺきと小気味いい音を鳴らしながら大きく背筋を伸ばした。

 変わらないものなんてない。

 何気ない母さんの一言がやけに耳に響いた。


「相手が幽霊だろうと人であることには変わりないよね? それならいつも通りやればいいんじゃない」

「それもそうね」

 

 母さんを応援するかのように、炬燵の毛布の上で丸くなっていたコナツが、にゃあ、と可愛らしい鳴き声を上げた。普段はエサをねだるときぐらいしか鳴かないというのに、珍しいこともあるものだ。


「ああ、そうだ。茉莉、起こしてきてくれる?」

「……あいよ」

 

 階段を上り、僕は自分の部屋の隣にある妹の部屋の前に立った。


「おーい、起きろー」

 

 そう声をかけながら扉を数回ノックする。

 少しして、いかにも眠たそうな声が返ってくる。


「朝めしー?」

「ああ」

「分かったー」

 

 今度はさっきより覇気のある声がした。けど、一向に部屋から出てくる気配はない。食欲よりも睡眠欲のほうが勝ったのだろう。

 それならそれでいいと思う。僕はちゃんと母さんの言う通りに妹を起こした。一度起きてからどうするかは妹の自由だ。


「起こしてくれた?」

「起こしたよ」

 

 起こしただけだけど。

 ちらりと時計を見る。そろそろ家を出る頃合いだった。

 母さんと朝の時間に話をできることなんて週にそう何回もないので、この機会に一つの懸念事項を払拭しておこう。


「母さん」

「何よ、急に真剣な声出しちゃって」

「いや、大したことじゃないんだけどさ。最近、変わったことってない?」

 

 怪訝そうな顔をした母さんはマグカップをテーブルの上に置いて、きっぱりと僕に告げる。


「別に変わってないと思うわよ」

 

 母さんの答えは予想通りのものだった。


「ふうん。そっか」

「何かあったの?」

「何もないよ」


 そう、何もない。母さんの主観では。

 母さんは茉莉が二年前に死んだことを覚えていなかった。それどころか母さんの反応を見ている限り、茉莉は二年前からずっとこの家にいたかのようだった。

 僕は立ち上がり、コーヒーを飲み終えたマグカップを流しに置いて水にさらすと、弁当箱をスカーフで包み鞄の中に入れる。


「もう学校行くの?」

「うん。ああ、あと、母さんの分の弁当、炊飯器の横に置いてあるから」

「ありがと」

 

 短いお礼に、僕は軽く手を上げて応じる。


「いってきます」

「いってらっしゃい」

 

 家を出て学校に向かいながら僕は思う。

 もしかしておかしいのは僕の方なのかと。


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