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広坂海人①


「おっ?」

 

 校門が視界に入ったところで、誰かの驚いたような声が聞こえてきた。聞き覚えのある、野太い声だった。


「もしかして、千莉?」

 

 名前を呼ばれると同時に肩を叩かれた。素早く振り向くと、碁石のような丸顔が目の前にあった。校門の傍にある街灯のおかげで、顔の輪郭だけではなく少し驚いたような表情もはっきりと見える。

 広坂海人。

 僕と白瀬のクラスメイトであり、僕のあまり多くはない友人の一人だった。

 今から帰るというタイミングで出くわさなくてもいいのに、と僕は胸の中で舌打ちをした。


「広坂、どうして学校にいるんだ?」

「俺は忘れ物を取りに、ちょっとな」

「忘れ物? 明日の朝一で教室に行って、回収すればいいじゃないか。こんな夜中に来なくても」

「明日の朝は用事があるんだよ。下手すると一限目の授業休むことになる。その間に、俺の机に入っている例のあれがクラスメイトの目に触れてしまうかもしれない。そうなったら、俺は終わりだ。だから、今あれを回収しに来たってわけ」

「へえ、そうなんだ」

 

 そんなものを学校に持ってくるなよと呆れつつ、僕はおざなりな返事をした。


「校舎の中には入れないと思うけど、まあ頑張って。僕はもう帰るから」

「ちょっと待て」

 

 背を向けようとしたところで、僕は広坂に肩を掴まれた。今日は白瀬といい広坂といい、よく引き止められる日だなと思った。

「なんだよ」

「いや、千莉こそどうして一人で学校にいるんだ?」

 

 どうして一人で学校にいるのか。

 僕の右斜め後ろに白瀬がいるのに、広坂はごく自然にそう訊いてきた。

 それが当たり前の反応だと分かっているので、白瀬も僕も何も言わなかった。

 白瀬朱鷺という存在は誰にも認識することができない。鬼と鬼が見えるものを除けば、だけど。

 僕は広坂に聞かれないように、白瀬の耳元に口を近づける。


「白瀬、頼みがあるんだけど」

「何?」

「広坂の首に刃を突き付けてくれない? もちろん、うっかり切らないように気をつけて」

 

 友人に小銭を貸してと頼むぐらいの気軽さで、僕はそんなことを言った。


「……どうして?」

「いや、ただ本当に白瀬が見えていないのか確かめてみようと思って」

「私を実験材料にしないで」

「そう言わないでよ。何かおごるから」

「何かって?」

「いちご牛乳とかはどう? いつもお昼に飲んでるし」

「それだけ?」

「うん、それだけ」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ダメかな?」

「……まあ、それでいい」

 

 睨み合いの末にようやく折れてくれた白瀬は、僕が瞬きする間もなく銀貨をナイフに変える。そのナイフの刃を静かに広坂の首元に向けた。


「さっきから何ぼそぼそと言ってるんだ?」

「いや、何でもないよ。広坂には関係ないことだから」

「んだよ、その冷たい言い方」

「気にするなよ。水島のほうがよっぽど口が悪いだろ?」

「それもそうだが……」

 

 首にナイフを当てられているというのに、広坂の声どころか顔にすら少しの動揺を窺うことができない。本当に白瀬も、白瀬の持つナイフも見えていないことは明らかだった。

 鬼を殺してきた僕たちの帰りを狙ったようなタイミングで広坂が現れたものだから、てっきり広坂は一般人ではないかもしれないと思ったけど、さっきの反応を見る限り僕の読みは的外れだったみたいだ。


「もういい?」

 

 白瀬の問いに、僕は小さく頷いた。


「おーい、千莉さーん? 俺の声、聞こえてるー?」

 

 広坂が僕の顔の前で手を振る。うっとうしい。


「…………」

「おーい」

「……聞こえてないよ」

「聞こえてんじゃん!」

「やかましいな。大きな声出すなよ」

「誰のせいだ、誰の!」

「だから、大きな声を出すなよ。学校とは言っても、一応僕らは不法侵入してるんだから」

 

 僕の耳も痛いし。


「ああ、悪い。でも、無視するのは止めよう。無視はよくない」

「それについては謝るよ。ごめん」

 

 僕は片手を上げて、少しだけ頭を下げた。


「分かってくれたならいいや。で、さっきの話の続きになるけど、どうして一人でここにいたんだ?」

「…………」

「謝られてさっそく無視されてるよ、俺。やばい、心が折れる」

 

 さてと、どうしようか。

 広坂と心の底からどうでもいい話をしながら僕は考える。

 夜の学校にいたところを見られたのはまだいい。いくらでも誤魔化すことができる。しかし、確実にそのことを話しのネタにされて、下手したらクラス中に広まる。ただでさえ広坂は口が堅いタイプではないから、口止めをしても意味ないだろう。

 それはできる限り避けたかった。

 となると、だ。


「仕方ないよね」

 

 僕はそう呟くと、コートのポケットから小ビンを取り出した。


「ごめん」

 

 僕はまた謝って、不思議そうに僕のことを見ていた広坂の首を腕で軽く絞めた。躊躇いは一切なかった。下手に手加減した方がかえって危ない。

 酸素を求めて広坂の口が大きく開いた瞬間に、小ビンの中身の白い錠剤を二つ放り込む。顎を抑えてそれを無理やり飲ませると、苦しそうに暴れていた広坂の身体がすぐにおとなしくなった。

 頬をつねっても何の反応がないことを確認して、広坂の首をロックしていた腕を解いてやる。どさり、と広坂が地面に倒れた。たぶん一時間くらいすれば目を覚ますだろう。


「何を飲ましたの?」

 

 一連の出来事を静観していた白瀬が口を開いた。


「睡眠薬。一時間ぐらいで目を覚ましたとき、僕と今日会ったことは忘れているはず。もしものときのために常に持ち歩いていたけど、初めて役に立ったよ」

「睡眠薬にそんな効能なかったと思うんだけど」

「僕の特製のやつだからね」

「……本当にこの人、須賀の友だち?」

 

 白瀬はアスファルトの上に仰向けになっている広坂を指差す。


「うん、そうだよ。広坂海人。僕の数少ない友人。それがどうかした?」

「いや、別に。ただ友人に記憶を失わせるような薬を無理やり飲ませるなんて、外道だなって思っただけ」

「安心して。自覚はあるから」

 

 そして、自覚のある方が自覚のないよりも性質が悪いということもちゃんと分かっている。


「ちょっと自分を擁護すると、僕が夜の学校にいるってことをあまり知られたくなかったんだよ」

「その人のこと、須賀は信用してないの?」

「基本的には信用してる」

「とてもそうは思えないけど」

 

 どうやら語弊があったみたいだ。


「僕は広坂の口の軽さを全面的に信用してるよ?」

「嫌な信用」

 

 白瀬は微かに笑った。


「ところで、前から気になっていたことがあるけど、訊いてもいい?」

「いいよ。訊かれたとしても僕が答えるかどうかは別だけど」

 

 真剣な空気を感じ取った僕は、白瀬の言葉にあえて軽い調子で返す。


「本当に、ひねくれた人」

 

 ひねくれた人、か。

 それは僕にとっては褒め言葉だ。

 平凡なんてつまらない。僕はその言葉とそれに類似する言葉が、広辞苑から消してしまいたいくらいに嫌いだった。


「須賀は、どうして私の日課に付き合ってくれているの?」

 

 その質問は白瀬にとって、とりとめのないことであるかのように装うとしている。でも、いつもと違う余裕のない声音から、そうではないことはすぐに分かった。

 僕は白瀬が望んでいる答えを薄らと理解しながらも、それとは正反対のことを言った。

 白瀬に何度も嘘を吐くのは嫌だったから。


「もちろん、白瀬のためじゃないよ。白瀬が自分のために鬼を殺しているように、僕も僕のためだけに鬼を殺している」

 

 鬼殺し。

 それが僕の日課になったのは、二か月前に僕が夜の学校に足を踏み入れ、鬼と殺し合う白瀬に出会ったことがきっかけだ。

 鬼は基本的に人にとって無害だ。

 鬼の姿は、鬼という存在を知っている者しか見ることができないし、見える、見えないに関わらず、鬼が能動的に人を襲うことなんて本来はない。僕と白瀬みたいに武器をチラつかせて挑発でもしない限りは。

 それなら、どうして僕たちは鬼を殺すのか?

 僕にはその理由があると言えばあるし、ないと言えばない。

 僕とは違い、白瀬には明確な理由があるみたいだけど、本人に訊いてみたことはない。ただし、白瀬が抱えている問題、存在感の欠落が関係していることは間違いないだろう。


「……本当に優しくない」

「嘘でも、白瀬を守るためって言ってほしかった?」

「そんなこと言う須賀は、ちょっと気持ち悪い」

「そんなこと言われたら、ちょっと傷つく」

 

 自分でもそう思うけど。

 僕は自分以外の誰かのために、何の見返りもなく施しをしてあげるような善人じゃない。僕は、僕のことしか考えていない。そんな僕はひどい人間なのだろう。でも、僕だけではない。みんなそうだ。みんな自分のことしか考えていない。きっと白瀬だってそうだ。

 僕はわざとらしく咳払いをして、横道に逸れていた会話の流れを引き戻す。


「訊きたいことはそれだけ?」

「それだけ」

「それなら僕も一つ訊かせてもらうけど、白瀬の持っている銀貨、どこで手に入れたの?」

「数年前にもらった」

 

 白瀬はどこか憂いを帯びた声でそう言った。

 何の変哲もないあの銀貨は先ほど鬼との殺し合いで分かるように、粒子への分解から槍や鎖、それからナイフなどといった様々な物質への構築を自由自在に繰り返すことができる。それを目の前で何度も見ているというのに、僕は未だに銀貨の仕組みを解明するどころか、そのための手がかりすらつかめないでいた。

 だからこそ、僕には分かってしまう。白瀬の持つ銀貨を作ったのが、そしてそれを白瀬に手渡したのが、あの人しかありえないことに。

 それでも僕は尋ねずにはいられなかった。


「誰からもらったの?」

「それは、秘密」

 

 薄桃色の唇にそっと人差し指を添える。時折、白瀬はこういうあざとい仕草を無意識にする。その仕草を見るたびに、たいていのことでは動じない僕でさえ心を動かされてしまう。


「秘密なら仕方ないか」

 

 そんな胸の内を悟られないように、僕はさっさと話を切り上げる。


「じゃあ、また明日の学校で」

「さようなら」

 

 互いに短い別れの言葉を交わすと、僕たちは広坂を放置したまま夜の学校を後にした。


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