壱
SF(ちょっと不思議)の方向です。
何故あの時、あそこまでの執着を見せたのか…。
多分俺は一生思い出せないと思う。
だが、あの日あの時俺と店、もしくはアイツとは縁があり繋がりがあり、関わらなければならない、何かしらの必要性が有ったということは、代えようもない事実である。と、確信している。
そうでなければ、やってられない…。
ふと、何か見たような気がして颯太は目を凝らした。
三月も半ばを過ぎると、大分春らしくなるものだなぁと、6畳ほどの自分の部屋から窓の外を眺め、颯太は思った。
目の前の座卓には、真っ白のレポート用紙と、メモ程度の走り書きがちょこちょこ書かれたノートが1冊。そして、筆記用具が乱雑に散らばった状態で載っている。あとは、資料用にと図書館から借りてきた本が数冊、机の上だけに収まらず床にも置かれていた。
この、窓の外を見ながら呆けている男。此処の部屋の住人で、20歳の学生。名を阪崎颯太という。
背はひょろ長く、180cmは優に超えるが、全体に地味な印象を与える容姿をしていて、背の割には存在感が無い。長身以外はこれといって外見的特徴が無く、友人が紹介に困るタイプの人間だ。この部屋で事実上一人暮らし(名義上では、本当は3人暮らしとなっているのだが…)をしていて、最近は学年末が近いということもあり、各教科の提出物が重なっていて、大わらわになっていた。
颯太はふと、のどが渇いたような気分になり、レポートに零さない様に用心して、少し離れた場所に置いていた、マグカップに手を伸ばす。
飲みかけの珈琲は冷めてしまっていて、ただでさえ安物で美味くないインスタント珈琲が、更に不味くなっていたのだが、かまわず一気に飲み干した。砂糖は入れず、牛乳だけを少量入れた珈琲は、特有の甘みしてそれが舌に残る。
こんなものじゃ眠気覚ましにもならないと、働かない頭で考える。頭の中は、カビが生えているのか、それとも花が沸いているのかというほどの飽和状態だ。今誰かに、頭の上に土筆が生えているぞといわれても、きっと驚かないだろう。
今日は特に筆が進まず、朝から外ばかり眺めている気がする。外は、流石に霞がかって見えるほどほんわかとはしていないが、やわらかい日差しや、なんとなく優しく見える空の色に、春めいたものを感じる。
ぼやっと眺めていること数十分。暖かい陽気に誘われて、颯太は外出することにした。
このところ数日間、家に缶詰状態でレポート三昧だった。期日の迫った課題に行き詰っていて、嫌気が差し始めていたし、外はちょうどよい過ごし易い陽気で、窓からは柔らかな日差しが差し込んでいる。遠くのほうから、楽しげな子供たちの声も聞こえる。何故自分だけが、家の中に引きこもっていなければならんのかと、無関係な誰かに八つ当たりがしたくなってくる。
(ええい、悩んでいても先には進まん。気分転換でもしてこようか)
その時、颯太は自分が今、とてもいいことを思いついた気がして、嬉しくなった。うんうん。そうするべきだ。と、開き直り、勢いをつけて立ち上がった。
さて、どうしようか。出掛ける支度をしつつ、今後の行動について考えてみる。遊びに行くにしても、繁華街に出れば金がかかる。財布の中身を確認して、先立つものもないしなぁと少し悩んだが、結局近所を歩き回ってみることにした。
花も盛りのころだ。庭仕事の好きな母の影響で、颯太も草木を好む。人様の庭先をいろいろ見て回るもの楽しかろうと思い、顔をほころばせた。それに、この辺に引っ越してきてそろそろ1年。しかしながら、家と学校の往復、そして買い物という単調な日々でこの辺を散策したことも無かった。いい機会だ。何か開拓してみるもの一興と勇みこんで、玄関に向かった。
いつもの通学路を辿り、家々の草木を見て歩く。咲き終わりの梅や早咲きの桜があちらこちらに咲き誇り、目を楽しませてくれる。道端に生えている名も知らぬ雑草たちも、かわいらしい花を咲かせ、陽気だけでなく春を感じさせた。
それだけでなく、颯太の『何かを探し出してやろう』という意気込んだ冒険心も手伝って、路地を見つけるごとに覗き込んだり、横道にそれたりしながら歩き続け、大層有意義な散歩になっていった。
頻繁に利用する小規模スーパーを過ぎ、いくつかの商店が並ぶ通りが終わりにさしかかった頃、ふと目の端に掠めた何かに対し、反射的に振り返った。何か懐かしい、子供のころに大切にしていた宝物がそこに見えた気がしたのだ。颯太が振り向いたそこには、古びた小さな店があった。
この通りは、いつも通る道だ。
駅に行く際の近道として通学時もちろん、通常近辺のスーパーや小売店で、食料品を購入していたので、かなり頻繁に行き来しているといってもいい。
よって颯太がこの店に、初めて気がついたわけでもない。以前から存在自体は知っていたし、別段店らしからぬ店構えをしていて、店という認識をしていなかったということでもない。
ただ、何の店かは知らなかったが…。
だから(何度も言うようだが)今日初めてこんな店があることに、気がついたのではないのだ。だが、この店に対し、自分が懐かしさなど覚えたことは無かったし、何か気に留まるようなものを見かけたことも無い。それどころか颯太自身、何故かつい今さっき目の端を掠めた『何か』が、さっぱり思い出せないのだ。
だが、一度うちにわきあがった感情は静まることが無く、逆に焦燥感が増してゆく。何を見たのかわからないせいなのか、それとも、わからないが故に心を囚われてしまったのか。はたまた、一瞬見た記憶にも残らなかった『ソレ』が、颯太にとって、とても大事なものであったか。地面に縫いとめられたかのように立ち尽くしてしまい、何かの見間違いと立ち去ることが、どうしても出来なかった。
(今見たものは…何だったのだろうか………?)
頭に疑問を流すと、思考も身体も動き出す。颯太は吸い寄せられるように、少しずつ店に向かって進んでいった。近づけば近づくほど、胡散臭さく思える店だ。全体の雰囲気が陰気で、中がよく見えないのも、近寄りがたさを増長している気がする。ざっと全体を見渡してみたが、やはり記憶に引っかかるような印象は感じない。
次に、店構え正面の右端にある、ガラス張りで展示されているものを中心に、注意深く視線を動かす。しかし、今さっき確かに目の端を捉え、颯太を店のほうに振り向かせたほどの、心を動かす『何か』は見当たらなかった。
遠い昔、宝物にしていたような『何か』。きっと、とても大事にしていた『モノ』。瞬間に見たであろうと思われる『ソレ』に対して、颯太は何故か、異様なまでの執着を覚えていた。
気を取り直し、改めて店をよく見てみる。店は全体的にこじんまりとしていて、少し時代を感じさせる建物だ。少し煤茶けた外壁。展示用にはめ込まれた大きなガラスと、その奥に飾ってある古めかしそうなモノたち。その隣には、曇りガラスを挟み込んだ大きな扉があり、そこには『営業中』と達筆な字で書いてある木札がかけられていた。
はっと、店の名前がわからないことに気がついた。どこかに看板でもないものかときょろきょろ見渡してみると、正面、店の入り口と思われる扉の上の方、屋根のところに、曲線をかたどった横長の看板がかけられており、そこに毛筆ひらがなで『ねこや』と書かれていた。
(何の店だろう?)
今更ながら、疑問が浮かぶ。骨董屋か古本屋の類だろうか。
食品など生活必需品を扱う店が多いこの商店街(というには、少々小規模だが)では、少し異質な気がする。しかし何故か、街中の雰囲気になじんでいるように見える。不思議な印象を覚える店だ。
颯太は、もう一度展示ガラスのほうに目をやると、置物たちの脇に『各種修復・修繕承ります。お気軽にご相談ください。』などと書かれた、これもまたいつの時代かと問いただしてみたくなるような黄ばんだ和紙に、達筆な毛筆で書かれた張り紙が小型なイーゼルに立てかけられていた。
修復修繕?なんだ。此処は工房か修理屋か。勝手に骨董屋だと思い込んでいた。工房なんて、この外観にはそぐわない気がする。勝手な話であるとは思うのだが、イメージに合わないと思う。なんというか、けだるい感じがするというか。此処だけ時の流れが違うというか。メカニカル・テクニカルの印象が無い。
そんなことを思いつつ店を眺めていると、展示ガラスの向こうに、かすかに人の姿が見えた。顔は判別できないが、雰囲気からかなり若い印象を受ける。颯太が、ガラスに向かい覗き込んだとき、その人はかすかに口角をあげ、笑みを浮かべたように見えた。
瞬間、目を見張り、驚きとともに体を仰け反った。その拍子、身体のバランスを崩してしまい、店の扉に向かってよろけてしまった。案の定、扉に寄りかかるように押す形になり、身体がぶつかるのと同時に、ちりりんっとかわいらしい鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいマセー」
鈴の音で客の来店だと思ったのか、中から声をかけられた。聞こえた感じからして、先程笑みを浮かべたのが見えたあの青年のようだ。
どうしよう。この状況からして、中に入らざるを得なくなった気がする…。緊張しているのか、背中にイヤな汗が流れた。だが、ここで退く訳にはいくまい。『退く』ということは即ち、散々気になって仕方が無い『アレ』の正体が、わからないままということなのだ。
(それは困る!!)
最悪の事態を想定して、颯太は思いっきり頭を振った。こんな気がかりなことが残るなど、冗談じゃない。課題に手がつかなくなるし、眠れなくなるではないか。数日前からようやく、考えるより手を動かすほうに進み、そのおかげか睡眠が確保されてきたのだ。課題がこれから追い上げるにはいるということを考えても、今は体力維持のために、睡眠は確実にしておきたい。
颯太は昔から、気がかりなことがあると何より先に、睡眠に影響が出るタイプだった。しかも、悩み事を抱えると集中力が衰え、作業効率が極端に下がる。よって、幾つかの課題を抱えている現状では、期限内の課題提出が危うくなる。提出物は期日厳守が基本なので、それが出来ないということは、同時にその単位がもらえないということになる。そうなると当然ながら、進級にも陰りがかかってくる。つまり、先ほどの謎を明らかにしないと、課題も睡眠も進級さえも、保障されないということだ。瞬時にそんな計算をしてしまい、諦め交じりのため息が、口をついて出た。
結局、颯太は腹をくくり、店の扉を押し開いた。
店の中はなんとなく薄暗く感じたが、仄かに淡く光を放つ明かりがそこかしこに置かれていて、視覚的な不自由さは無かった。それは、ランプのような形状をしていて、それを蓮想させたのだが、颯太には見たことがないような形をしていて、一概にランプと称すのは憚られる気がした。
壁沿いには、括りつけたれた棚が並んでいる。店中央部は、人が通れる通路として、大きめにスペースをとってある以外には、颯太の腰の高さほどの展示机が、綺麗に並べられていた。机の上には、見るからに古そうなもの、しかし、いくらくらいのものか、それどころか価値があるのか?と問いたくなるようなものばかりが、所狭しと置かれていた。
その奥に店主席らしき机。上に、レジ代わりであろう金属の箱と小さな木製の棚。卓上カレンダーに置時計。机に付属された椅子には、従業員らしき青年が座っていた。
青年と呼ぶには、些か幼く見え、高校生くらいだろかと颯太は思った。椅子に座っているので背の高さはわからないが、少し低く感じられる。長めの髪が邪魔しているが、整った容姿をしているようだ。麗しいとまではいかないが、人目を引き、少し見惚れる。
「いらっしゃい」
二度目の来客を歓迎する声がかかる。青年は、颯太を客として視覚で捉え、顔を上げてにこやかな笑みを見せていた。それは、先程颯太が店の外から聞いたものと、同じ声であり、同じ(様な気がする)笑みであった。
「あ…」
彼の外見に見入っていて、反応が遅れる。話し掛けられていると気がつくのに、数瞬の間が空いた。姿を見た上で聞く彼の声は、高すぎず低すぎず耳に心地良い。
惚けている颯太に追い討ちをかけるように、青年は声をかけてきた。
「ゴヨーケンハ?」
「え?」
少し強い口調で話しかけられる。そしてようやく、颯太は彼の呼びかけに気がついた。が、瞬間その言葉が外国語、もしくは謎の言葉のように聞こえ、頭の中で反芻する。
しかし、颯太が対応する前に、また同じ言葉を繰り返された。
「御用件は?…って聞いたんですけど、オキャクサマ」
彼を凝視していたせいか、店そのものよりも、店員(もしくは自分)に用があるのかと思われたようだ。慌てて彼から視線をそらし、片手を顔の前で仰ぐように振る。
自分の失敗を隠すように、変な笑いを浮かべた颯太に対し、青年は先程とはまったく違う、訝しげな視線を投げてきた。拙い。何か話し掛けなければと、フル回転で思考をまわし、取り繕うように慌てて質問を投げかけた。
「あ…ああ。あのさ、失礼なこと聞くようだけれど…此処何のお店なんですか」
思いっきり失礼である。発した瞬間、やばいと思った。確かに、ものすごく気になっていたのだが、流石に聞くべきことではないと承知していたはずだ。聞きたいことは、他にもあるだろう!!と、自分にツッコミを入れたい。が、発してしまった言葉は元には戻らない。
しかし相手は一向に構わない様子で、平然と質問に答えてくれた。
「見ての通り、表向き骨董屋。あまり価値のあるようなものは無いけど、古いものはいっぱいありますよ。何かお探しですか?」
「いや…そういうわけじゃな………いわけでもなのか…な?」
颯太はただ、先ほど見たものの正体が知りたいだけだ。何か探しものがあって、骨董屋をめぐっているわけではない。
だが、彼の言う『探しモノ』が、先程見た『颯太を惹きつけてやまないもの』がなんであったかということ、気がかりな謎の答えを探しているということでならば、何かを探しているということになる。違うとも言い切れない。
どう答えていいのか、颯太は迷ってしまった。どうせならあのことのついて、店員に聞いてみるのも一興なのだろうが、あまりにもおかしな質問である気がして、聞くにも躊躇してしまう。変なところで生真面目な常識人になってしまうのだが、こういうとき情けなく感じる。
店員の青年は、先程の頓珍漢な返答と、うんうん唸るように考え込んでしまった颯太を見て「なにそれ?」とくすくす笑っていた。苦笑交じりの笑いかと思いきや、思いのほか楽しそうに見え、逆に颯太のほうが不思議そうな顔になる。笑いの止まらない様子の青年と見ていたら、颯太もつられておかしくなってきて、少し笑みがこぼれた。
そのおかげか、ようやく少し本来の自分を取り戻し、冷静になって考えられるようになってきた。
「少し見せてもらってもいいかな」
とりあえず、店のものをちゃんと見てみれば、何か思い出せるかもしれないし、わかるかもしれない。もしかしたら、たまたま目に入ったものすごく小さいものかもしれないのだ。ざっと見ただけでは見つからないかもしれない。店員に聞くにはまだ早い。
「どうぞご自由に、オキャクサマ。冷やかしでも気にしないから、思う存分見て行ってくれてかまわないよ」
「……ありがとう」
冷やかしでも云々というところに、多少引っ掛かりを覚えなくも無いが、敢えて何も問うまいと視線を他に移す。
店の中は、なんともいえないノスタルジックな雰囲気が漂っていて、普段あまり骨董には興味がない颯太も、不思議と懐かしい感じがした。
店に展示販売されているものは、ランプや煙管入れ、ガラス製品や陶器といった普段生活に根付いている、もしくは以前は根付いていたように思われる生活必需品類が多く、甲冑や刀といった、一部の収集家のみに購買意欲を訴えるような、見ていて不可思議なものはあまり無かった。
颯太は店の中で、ガラス製品…主にランプの類に殊のほか興味を示し、しげしげと眺めていた。が、それはこの場で興味をひいただけで、やはり強烈に自分に訴えかけてくるようなものは見あたらない。思い出せない『何か』は、何故か見えるところに無いようだ。消沈し、軽くため息が洩れる。
店全体を見回してみる。店外から颯太が覗き見た展示用の大きなガラス窓は、中から見ると薄くスモークのようなフィルムが張っているらしく、日の光はあまり入ってこないようだ。そのせいで、更に店の中が薄暗く見えるのかと、しょうも無いところに合点がいった。
店内から見る街中は、硝子越しに昼下がりの、長閑な風景を映し出している。あまりにも現実味のない店内にいると、まるで内外で次元が違うような感じがして、少し現実から切り離されているような気になってくる。フィルムが張られているせいで、景色があまりクリアに見えないことも、多少影響しているのではないかと思う。今まで自分がいた世界から、弾き飛ばされた気分だ。またあの、元の世界に戻れるのだろうかと、馬鹿馬鹿しい事を考えてしまい、颯太は自らの後ろ向きな思考に対し、苦笑いを浮かべた。
やはり、見当たらなければ聞いてみるしかないだろうか。あんな感覚だけのものに対して、他人が答えられるようなものだろうか。それ以前に、自分がちゃんと相手に質問を投げかけることが出来るのだろうか。いや、無理だろう。颯太は俯き頭を振る。
だからといって、ありませんでした。ああそうですか。じゃぁ仕様がないですね。で諦められるようなものならば、店内に入る前に放り出した。今更退く気にはなれない。
(ここまできたんだ。もっとちゃんと腹括れよ、俺!!)
心の中で自分に檄を飛ばしてみるが、いまいち及び腰になるのは否めない。情けないとは思うが、いかんせん性格によるものだろう。諦めるしかない。
とりあえず、何か他に話題を持ち出し、会話を始めてから本題に入るのはどうだろうと策を練る。少し狡い気もするが、他には思いつかなかった。
(話題、話題っと………)
策を実行すべく、きょろきょろと辺りを見回す。展示用ガラス窓のほうに視線を向けていたとき、小さなイーゼルの影が見えた。そういえば、店に入る前に疑問に思ったことが、もうひとつあったことを思い出した。
ガラス窓の傍に出されていた張り紙。根本的な答えは、先程思いがけず(というか、颯太の失態で)店員の青年に聞いた。此処は骨董屋だと言っていた。では、修復・修繕と書かれていたアレは何なのだろうか。
(よし!!話題発見)
嬉しくなって軽く手を握り込み、笑みを浮かべた。
彼に話しかけようかと視線を向けたが、何か別のことに没頭しているようで、こちらのほうは見向きもしない。こんな小さい個人商店で、ここまで客をほおっておく店もないだろうと、呆れてしまった。それとも、骨董屋というもの総じてそういうものなのだろうか。それとも、颯太が何かを購入するなどとは、微塵も思っていないのだろうか。
後者である可能性の高さに、確かに貧乏学生ではあるが…と考え、ちょっと気が凹む。
颯太は少しの間、こちらの視線に気が付いてくれないものかと見つめていたが、全くそのような気配が無いので、観念してこちらから向かっていくことにした。
目の前まで進みでて、声をかける。するとようやく、存在に気が付いたように顔を上げた。瞬間、客の存在を忘れていたという顔をしたが、そこはそれ、若くても商売人なのだろう。直ぐに営業用の笑顔に代わり、如何しましたか?と返された。
「表の張り紙なんだけれど、『修復』って…」
「張り紙?」
颯太は単刀直入に疑問をぶつける。その質問は予想していなかったのか、鸚鵡返しされた。ほんの少し、顔をしかめた様に見えたが、直ぐに内容を消化したらしく、ああ、アレねと小さい声でつぶやいた後、にこやかに返答がきた。
「修復ご希望ですか?」
「いや…違うんだ。えっとさ、ちょっと気になったのだけれど…あの、あんまり使わない言葉じゃない?どうして『修復』なのかなぁって思って、さ」
「まぁ…そのまんま。その言葉の通りです、オキャクサマ。読んで字の如く、元に戻すこと。骨董なんかは、修理よりも修繕を好むお客さまのほうが多いですから。そういうものが専門の工房も少ないしね。間を取り持つのも骨董屋として必要なんですよ」
なにやら中間業者のようだと、颯太は思った。が、辛うじて声には出さずに済んだようだ。
続けざまに質問をぶつける。
「修理と修繕って違うの?同じだと思っていたんだけれど」
「同じように思えるし、思っている人も多いんだけれど、一応違うんですよね」
「どのへんが、どんな風に?」
「う…ん、説明聞きたいですが?」
素直にうんとうなずく。すると目の前の青年は、ちょっと待てと言って、机の上を軽く片付け、何やら準備のようなことを始めた。
思惑通り、何とか会話が続いてゆく。彼は、颯太の素人染みた質問にも、嫌な顔をせず答えてくれるようだ。外見年齢から確実に颯太よりも年下であろうに、多方面に博識である感じが垣間見える。客商売や接客には手馴れた様子で、口調や態度が多少ぞんざいな割に、接客は親切で丁寧だ。
颯太に待てと告げた後、彼は自分がいる机の下を漁り始めた。がたがたと色々なものをかき回す音がする。そして、頭は机の下を探りつつ、少しづつ細々したものを机の上に置いていった。
置かれていったものは、木で出来た10cm程度の何か。玩具の様に見える。金属製の螺子・釘。木製の螺子。手のひらサイズの、大小幾つかの木片。
彼は体を起こし、机の上のものを確認する。その後、机の上に置いた玩具の様なものを片方の手に、もう片方に金属製の螺子と釘を乗せた。
「まぁこれは、簡単な例えなんだけれど…此処に、壊れて動かなくなってしまった玩具があるとする。これは木製、金属を使わず全て杉の木だけで出来ている。もし、これを直すのに金属の釘や螺子を使った、としたら…それは修理という。いかなる手段を用いても、機能を戻すことだ」
一呼吸置き、金属部品を机に置く。今度は木片たちを手に乗せ、話を続ける。
「逆に、極力元々の部品を駆使し、新たな部品を用いるにしても、同じ素材…コレの場合であれば杉材を使う。そうして直すこと、それを修復・修繕という。それは製品を元の状態に戻すことを指す。骨董は部品一つ一つも、それにあった時代のものでなければ価値が下がる。修繕にしても、下手なやつがやると原型を損ね価値は下がる。熟練の技が必要なんで、専門の、しかも有能な工房に任せるべきものだが、探すのは大変だ」
ふんふんと、颯太はしたり顔で頷いている。
「そこで、だ。店の性質上、そういった業界とも縁が強いから、本業の傍ら紹介もしているわけです。だから、あの張り紙。違い共々判っていただけた?」
「はい、アリガトウゴザイマシタ」
少し抑揚の無い声で、礼を言う。彼の説明は的確でわかりやすく、しかも簡単な付加価値までついていた。申し分無い。しかし、颯太は少しうわの空で返礼をしてしまった。それもそうだ。ひとつの話題が終わった。疑問は解けた。だがこれが本題ではないのだ。もっと重要かつ難題が残っている。会話を続けなければならない。
さて、次はどのように切り出すべきか。本題をどういう風に説明すればいいのかが、最大の悩みところだ。
会話が途切れてしまい、少し気まずい。目の前で、彼は先ほどの説明で使っていた道具類を片付けている。それが終わってしまう前に、何とか再開させたいと頭をフル回転させるが、いかんせんこういうとき、とっさにうまい話題が出てこない。現に一度、入店時に失敗しているのだ。それを思い出して、更に頭の中が混乱してしまった。
そんな風に颯太がぐるぐる悩んでいるのを、蓮は横目で確認しつつ眺めていた。
秋津島蓮は、幼い頃から祖父のこの店で育ち、高校入学とともに全権を任された。店主として3年、未熟ながらも人を見る目は確かだと自負している。
いったいどういう客なのだろうか。悪意のある人物には見えない。というか、どちらかといえば抜けている。こういう職業上、裏がある人物を見抜くことは案外得意なのだが、この客はどうにも読めない。
探しものがある。これは間違い無いと思う。態度や行動、そして自分の勘がそういっている。では、『ソレ』は何なのだろうか。店の中は舐めるように…とまではいかないが、結構しっかりと見渡していた。よって、置いてあるものに用はなさそうだ。ならば、探しているものがあると、店員である自分に聞けばよさそうなのに、ようやく何か聞きにきたかと思えば、店の張り紙のことだとは。呆れていいのか侮っていいのか…。
もしかして、稀なあのタイプの客なのだろうか。思いついた可能性に、若干顔をしかめてしまった。だとしたら厄介だなと思う。客の種類としては、蓮が好む部類なのだが、面倒な客が多いのもこのタイプだ。
だがしかしと、直に自分の思考に首を振る。だって、ソレはソレでおかしい。あのタイプの客ならば、直にでも目的のものを探し出し、店主に交渉をはじめるものではないか。探しものが見つからないだなんて、そんなことは無いはずだ。過去、決して多くは無いがそれでも何人かいた今までのパターンは、全てそうだった。金に糸目をつけない客はいいが、執着はあるが金は出し渋るようなタイプだと、こちらがかなり苦労する。
蓮が机の上を片付け終わっても、目の前の客は所在なさげにたたずんでいた。去るつもりは無いらしい。会話をどう切り出すのか、悩んでいるのが手にとるように見える。
窺うのではなく、完全に視線を向けたが、気が付いていないようだ。
ぐるぐるしている思考に心の中で溜息をつき、ふと顔をあげると目の青年と目が合ってしまった。自分に余裕が無かったからか、その視線に気付くのに少し遅れたようだ。しかし視線が合ってしまったら、たやすく逸らせない、逸らさせない力がある。いつから見られていたのだろうか。さっきとは別に新たな焦りが生まれた。手ににじんでくる嫌な汗を、握りこんで無理矢理抑える。
颯太に対して、身体も顔も横を向いてはいるが、視線はまっすぐ目を捉えていてはずさない。まるで、獲物を狙う猫か何かのようだ。相手は座っているので、颯太のほうを見上げる形になっているのだが、視線が鋭すぎて睨み付けられている気分だ。なにやら、叱られている様な気になり、落ち着かない。
「で、本当は何の用なの?オキャクサマ」
「本当はって…」
唐突に、鋭い口調で質問が投げかけられた。嘘やごまかしを許さない凄みを感じる。強い視線を向けられ、いきなりそんな言い方をされても、何がなにやら訳が判らない。視線だけで、確実に颯太はショートしてしまっていて、考えが追いついていかない。しかし、相手は悠長に待ってはくれず、畳み掛けるように質問が続く。
「聞きたいことは、別なんじゃないですか?」
「え?」
いきなり本心を言い当てられると、咄嗟には対応出来ないものだ。目を見開き、固まってしまった。目の前で苦笑気味に軽い溜息が漏れる。
「わかるでしょ、普通。あからさまに怪しかったし」
怪しかったのか。
はっきりいわれると、多少傷つく。容姿の良い相手であると、更にだ。
「外から店の中窺っているし、やっと中に入ってきて、入る気があったのかと思ったら、どう見ても買い物をする素振りには見えない。骨董なんて元々は興味が無いって風に見える」
見ていないような振りをして良く見ているものだ。話し掛ける前は、知らん顔をしていたくせに。颯太はどうでもいいところに感心してしまった。それが顔に出ていたのだろう。相手は呆れたような顔をする。
「どちらかというと、そうだな。目的がある感じ。でもアンタ、探しものは無いって言ってましたよね」
「いやっ、無いとは言っていないよ。ただ、アレを探しものと言っていいのかどうか、わからなかった…ダケで……」
慌てて否定をするも、後半にいくにつれ、勢いを欠いてしまった。やましいところがあるわけではないが、目の前の問い詰められるような視線に、たじろいでしまっている。自分のほうが年上なのに情けない。
恐る恐る相手の顔を見ると、やはり信じては貰えていないようだ。いぶかしげな表情が窺える。まぁ仕方が無いかと思う。明らかに自分の態度に非があるのだから。今度こそ本当に腹を括らねばならぬと、唇を強く結ぶ。
「店の前で、強烈に引き寄せられるものを見たんだ」
かたくなな表情を浮かべていた客は、とうとう話す気になったのか、少しずつ言葉を紡ぎはじめた。何と説明すればいいのかと、考えながら話しているようで、要所要所で言葉が詰まっている。
「どういう言葉で表現すればいいのかわからないのだけれど、昔とても大事にしていた宝物を見つけたような気がしたんだ」
やはりそういう客か、と蓮は自分の勘が正しかったことに満足したが、違和感が拭えない。
昔から時々、決して少なくは無い数で、ある特定の条件にはまる客が訪れることがある。骨董対しての興味有無関係は無く、しかし物に対しての執着心は凄まじい。それらの客とは、物に呼ばれ、しかも縁が有る者達だ。
主なタイプとしては、その物とはぐれてしまった人達。以前の所有者で、何らかの理由が有り、手放さなければならなかったり、何かの拍子に紛失してしまった彼らは、古い友人との数十年来の再会の如く、時に涙を流して喜ぶ場合もある。蓮はそういう客を好んでいる。骨董屋をやっていて良かったと思うときはそういう客に出会ったときだ。
他にも、物に呼ばれてしまう客もいる。わかりやすい言い方をすれば、気が合うとでも言うのだろうか。そういう客は、一目惚れのような状態で、しかも血気盛んに来店する場合が多い。しかし、この客はそれらどのパターンにも当てはまらない行動をする。なにやら嫌な予感がしてきた。厄介ごとに巻き込まれる雰囲気を、目の前の客のそこかしこから感じるのだ。
そんなことを考えているときは、まだ冷静だったのだが、次に発された言葉を聞いて、蓮は唖然とした。
「でも、ソレがなんだかわからなくって………」
「はぁ?!」
裏返ったような、間抜けな叫び声がでる。有りえない。前代未門の珍客だ、こいつは。自分と惹かれあった品物がわからないだなんて、そんな客聞いたことも無い。
唖然としている蓮を他所に、なおも彼の話は続く。
「外から覗いてみても見当たらないし、意気込んで店内にも入ってみたけれど、あれほど気になったはずなのに、何でか全く見つからないんだ。かといって、気のせいだったって思うには、あまりにも気になりすぎてしまって…」
こんな客は初めてだ。蓮は笑い顔(周囲からは、底意地が悪そうな笑みだといわれるが)が張り付いていて、普段あまり感情が顔に出ないタイプなのだが、あっけにとられてしまって、ぽかんと口が開いてしまっている。
ようやく相手にもそれがわかったらしく、恥ずかしそうに赤い顔をしてうつむいきながら、言葉を続ける。
「・・・見つかる方法とかってあるかな?」
そんなこと言われても困る。すぐさま非難の言葉が口をついて出そうになったら、寸でのところで、思いとどまれた。本当に、『途方にくれる』とは、正にこのことだ。
「間違い無く、この店で見たものなんですか」
最後の望みをつないで聞いてみる。大事なことだ。店の外なら範囲外だ。縁が切れる。実は外だったなんて言ったら、店の中いくら探しても見つかりようも無いし、第一時間の無駄だ。確認しておかなければと思って聞いた見た。が…
「この店ということは、確かだ。周囲も見てみたけれど、気を惹くものは無かったし、第一、見つけた瞬間振り向いたら、店が在ったんだ。そこだけは、間違いようは無い」
かすかな淡い期待は、見事に崩れ去った。店が関係している限り、目の前の厄介なやつは、お客様であるということだ。つまり、蔑ろにすることは出来ない。丁重に扱って諦めて頂く様薦めるか、もしくは協力するかしなければならない。
「心当たりは?」
「え?」
「心当たり、ありませんか?昔持っていたアレっぽいとか、無くしちゃったコレじゃないかとか。そういう感じの何か、ありませんか?」
というか、何かしら手がかりがなければ、どうしようもない。協力する事は元より、諦めさせるにも、ある一定の手段を踏まなければ、怨恨や因縁が残る。それは本人だけでなく周囲、そして、本人が惹き寄せてしまったその物にも悪影響が出る場合がある。
「無い…かなぁ。頭の中で霞がかったように、霧のようなものでそれが包まれている感じがする。それくらい思い出せなくて、しかも気になる状態なんだ」
(ソラ、気にもなるだろうさ!!)
心の中で突っ込みをいれる。相手が客で無かったら、今ごろは裸足で逃げ出しているだろう。
「唯一言い切れるのは、子供の頃の物だっていうことなんだ。小学生か…もしかしたらもっと小さい時かもしれない。それくらい小さいときのものだから、記憶が曖昧だということも、思い出せない理由かもしれないな」
お手上げだ。そんなんでどうにかしようだなんて、無謀にもほどがある。
どうすればいいだろう。彼の気がすむまで、店内をひっくり返して探してくれれば、見つかるかもしれないし、もし見つからない場合でも、諦めがつくのだろうか。そこまでする義理など無いのだが、そのときの蓮は、協力する以外の選択肢を思考の中から消し去っていた。
「…働きます?この店で」
「え?」
目の前の人物も、何を聞いたのかというほど驚いているが、少なからず蓮も、自分の発言に驚いていた。口をついて出てしまった言葉は、もう、元には戻らない。軽く息を吐き出し、気持ちが落ち着くように促すと、いつもの自分の思考能力が戻ってきた気がした。
「骨董には持ち主がいるんだって」
「は?」
驚く彼を他所に、話を続ける。蓮が幼少の頃から繰り返し先々代店主、蓮の祖父から聞かされた話。
「じいさんの言葉なんだけれど。それは、売っぱらった人間のことじゃなくって、人に愛された物は意志を持つんだそうだ。そして、自分の主人たるに相応しい人物を引き寄せる 。以前愛してくれた主人や、自分を大事にしてくれそうな人間を。だから、そのモノに誘われた奴がたまに店に来る。それを引き合わせるのが、この店の仕事だって」
なんだかわけのわからない話を始めた相手に対し、まじめに耳を傾けてくれている。生真面目で人が良く、信用できそうなタイプだ。少々間が抜けているが、憎めない。初対面なのに、妙に興味を惹く。もしかしたら、乗りかかった船とはこういうことかもしれない。
蓮はこの宝探しに協力する気になっていた。
「そういう人間は珍しくはないんだ。けどねぇ、アンタみたいなのは初めてだよ」
蓮は、にやりと音がしそうな笑みを浮かべた。
物と人との縁を繋げ。そのためにこの店は存在する。




