君に届けば
その娘を選んだことに、深い意味はなかった。
英語の勉強になればという軽い気持ちと、ただネイティブだと本格的過ぎて向こうのストレスになるんじゃないかという恐れ、そして可愛ければいいなという下心。
ネットのメル友募集、また対象が無国籍なサイトを利用しただけの話。
そしてロシア人の少女を選んだ理由がそれだった。
『カズヤはギターが弾けるのですね。作曲をしてるということで驚きました。私にはそんな才能ありません。一度聞いてみたいです』
『日本は四季が豊かだと聞いています。それで日本人は感性が豊かだって。何だか憧れます』
『私はこの国から出たことがありません。でも初めて外国に行くならカズヤの国がいいな』
少女は、オリガという16歳の学生だった。
25歳にもなって何やってんだ俺、と思わなくもなかったが、写真を見る限りは可愛かったし、こちらのメールひとつひとつに感動してくれて気分は悪くなかった。
お互い英語の勉強ついで。当然メールの内容は充実してなかったし、正直何が書いてあるかわからないこともあったけど、1年以上文通(?)が続いていることからみると俺たちの相性は別に悪くなかったと思う。
ただ、ときどきオリガからの返事に間が空くときだけは少し不安になったけど。
友人の光一から誘いがあったのは、オリガからの返事が1か月途絶えたときの話だった。
いつもなら3日と開けずに返事が来るのに、ちょっとその時は長かった。パソコンを開いてはメールが無いことに沈んでる自分がなんだか馬鹿馬鹿しくて、家と会社の往復以外で刺激を見つけようかと思ってたタイミングだった。
「なあ、バンド始めようと思うんだけど、和哉も入ってくれよ」
「どうした。急だな」
「最近ちょっと野望が出てきてな」
地元で少し有名になったバンドがあったらしくて、そいつが東京に進出した。ということで地元のトップバンドポジションに空きが出た状態らしい。
「本気のアマチュア」として活躍したいんだとか。
俺も実は大学のときプロを目指してた。まあ若気の至りと言うか。
上を知ってしまい、プロは無理だとさっさと諦めて実家に戻って就職したけど、音楽で注目されるっていうことへのあこがれは消えたわけじゃない。誘いは悪くないと思った。
正直言って地元のアマチュアミュージシャンレベルだったら、ちょっと本気を出して、ついでにツテがあればそれなりに活躍できる。
田舎だから少し有名になればラジオ出演やテレビCMへの音楽提供だってきっと難しくない。まあ俺や光一くらいのレベルがあれば、だけど。
「実はもうメンバーが揃ってて、あとギターだけなんだよ。やっぱり和哉がいいなって思ってさ。ちょっと遠いかもしれないけど頼むわ」
光一や他のメンバーの活動する地域まで車で1時間半。高速使って50分てとこ。
少し遠いけど、光一が集めたメンバーに興味があって参加することにした。
「初めまして」
初めてメンバー全員が揃ったのは、光一の家の近所のドーナッツ店。全国チェーンのあるあの店ね。
メンバーは、ギターの俺、ベースの光一、男性ドラム、女性ボーカル、女性ピアノ。
ドラムは俺も知ってるやつだった。
半年前に開催された、楽器メーカー主催の音楽交流会に参加したときに同じグループになった19歳。ひょろっとしてて女みたいな見た目なのに、ドラムのセンスと安定感がすごくて驚いた。
ちなみに光一とはこの教室で会って意気投合して今に至る訳だけど、バンドを組むにあたってこのドラムを引っ張ってきたのはいい判断だ。
女性2人は本気で初対面。
ボーカルは本格的なバンド経験はなし。光一が出したネットの掲示板の募集を見て連絡してきたらしい。俺の2つ下の23歳。見た目は悪くないけど、ちょっと堅そうな気がする。大丈夫か。
ピアノは19歳の看護学生だとか。彼女もバンドは初めて。地元は俺と同じ地域らしく、今住んでるこの土地に知り合いがいないので趣味友を作りたいのだとか言っていた。何だか天然の空気を感じる。
「で、バンドの方針は?」
とりあえず言いだしっぺでリーダーの光一に俺が聞く。
「活動方針としては、月1ライブ。曲は基本全部オリジナル。ジャンルはジャズとかボサノバとかR&Bとかそういうのが混ざったようなやつ」
迷うことなく光一が答えた。
それに対してバンド未経験の女性陣がちょっと顔を固くする。
一応あらかじめ聞いてはいたみたいだけど、全曲オリジナルとか活動頻度は彼女たちの経験から言うとちょっとハードだとは思う。
光一の面接?を通過して集まったメンバーだから大丈夫だとは思うけど、ちょっとフォローが必要かもなと感じる。
とりあえずその日は初対面ということで、雑談して交流を図り、次回の練習日を決めて解散した。
次回は2週間後。
オリジナル曲はまだないので、光一が選んだ既存曲を何曲かコピーして合わせることにした。
メンバーの癖も知りたいしそれは賛成。
コピー曲で感覚を掴んだら、俺と光一が曲を作るという方針で行くことになった。
『オリガ、元気?返事ないけど近状報告を送ります。バンドを組むことになりました。あと曲も作ることになったので、いいのができたら送ります』
返事が来る前に送るのって催促してるみたいで嫌だったけど、英語の練習、日記みたいなもん、と小さく言い訳をして短いメールを送信した。
オリガからの返事はその後も半月近くなかった。
バンドについては、結果から言うとなかなか悪くなかった。
全員社会人で忙しい中だったけど、好きで集まったメンバーだったから週イチの練習も充実してた。
完コピじゃつまらないっていうんでアレンジして遊んだり、休憩時間だって適当にセッションして遊んだり、最近聞いた曲をさくっと弾いて紹介したり。
性格も皆いいやつだったから、意見も忌憚なく言えた。
オリジナル曲だって意外に抵抗なく作れるんじゃないかって思った。
そんな様子をみて俄然やる気になったのはリーダーの光一。
「2か月後にライブ入れるぞ。カバー2曲にオリジナル2曲で」
とたんに俺も忙しくなった。
通勤時間にハミングで曲を作る。忘れないように携帯に録音する。
家に帰ればギター抱えて曲にコードを乗せる。気に入ったコードの流れが先にできたらそこにメロディーを乗せる。
とりあえずABCメロができれば、あとは作詞するボーカルに渡して、適当に組んでもらえばいい。
光一がボーカルを彼女に決めたのは、作詞ができるからだった。
イベントで企画バンドを組んで替え歌を作った経験もあるらしい。センスのほどは分からないが、頭は悪くなさそうだったのでとりあえずやってみてもらうことにした。
ダメなら俺がやればいいと思ってるし。
あと、ピアノの彼女も作曲をしてきた。
練習の時、俺が適当にメロディー弾くのに上手く合わせてくれるからセンスはあると思っていたけど、いきなり持ってくると思わなくて驚いた。
すごく恥ずかしそうに音源を出してきてちょっと笑えたけど、基本的に「その心意気や良し!」と受け入れられた。
俺も2曲作ってきたけど、曲の雰囲気的に俺の1曲、ピアノの彼女の1曲で進めることになりそうだ。
『バンドの初ライブが決まりました。最近ちょっと忙しいです。そちらも本格的に寒くなる頃だね。ロシアの冬の寒さは想像できないけど、身体に気を付けて』
いつも思うけど、俺のメールって端的だ。オリガみたいにもう少し感情込められないもんか。
これって語彙とかの問題じゃなくて俺の本質の問題な気がする。
オリガ、俺のメールがつまらなくて返事してくれないのかな。いや前々回に送った顔写真がまずかったか。
自慢じゃないが俺は目つきが悪い。多分すごく悪い。
一応工夫して自撮りして大丈夫そうな写真を送ったけど、元は誤魔化せなかったか…
撮影中に母親に目撃されて「あんた何やってんの」と冷たい目で見られても頑張ったのに。
落ち込んでコピー曲をむちゃくちゃ弾いてると、オリガから返事が来た!
『お久しぶり。忙しくて返事できなかったの。ごめんね。バンド始めたんだね!自分の事のように嬉しいです。ライブの日はきっと私もわくわくするわ。頑張ってね!』
一緒に添付されてたのは、オリガの笑顔のピース写真。
忙しかったっていうのは本当らしい。ちょっと痩せてた。でも彼女の可愛さにちょっとだけ儚さプラスで嫌いではなかった。
俺、見捨てられてなかった…
その日は嬉しくて、ビール開けました。
年末年始、仕事は忙しかったけれど、バンドが充実してて悪くない時間を過ごすことができた。
曲も年末に完成した。
ボーカルの作詞も悪くなかった。直前に全員でCDを聞いたプロのミュージシャンの影響が見えなくもなかったけど、世界観とか言葉のチョイスとか独特で面白い。
ちょっと倒錯的な雰囲気は光一もお気に召したようだった。
あとはとことん練習!
やり込まないと意外に忘れるんだよね。歌詞は飛ぶし、コード1周分多く弾いちゃうし、変更したのに前のアレンジで演奏しちゃうし。
だけど失敗しても悪い空気にならないのがこのバンドのいいところだった。まあアマチュアだからっていうのもあるだろうけど。
今間違えたの誰だ!と間違い探し的にメンバーが盛り上がる。俺じゃないよー、私も違うもーん。と知らぬふりで追及を逃れるのが流行りだった。
まあ、あまりしつこいと光一リーダーの鉄拳が飛んだけど。
『いよいよライブです。忙しくて録音はできなかったけれど、面白い曲ができました。
メンバーも雰囲気がいいので当日も期待できそうです。終わったらまた報告します。
そうそう。オリガが気にしていた、正月の"お雑煮"の写真を送ります。これは日本独特の食べ物です。
けれど地方によって調理の仕方が違います。共通しているのは餅が入っていること。
俺の地元では味噌に餅だけを入れて食べます。餅は食べすぎると苦しいです』
『オゾウニの写真ありがとう!シンプルだけど日本の雰囲気が出てて素敵ね。
お礼に我が家の正月料理の写真を送ります。ロシアでは1月7日に正月を祝うの。
食べきれないほど料理が並ぶのよ。今年は私も何品か任せてもらって作ったわ。
とても大変だったけど、家族には大好評だったの。私いいお嫁さんになれると思うわ!
ライブもうすぐね!私もロシアから応援しています。カズヤにとっていい日になりますように!』
添付されていた写真には、本当に大量の料理と笑顔のオリガが写っていた。
他にも両親らしい人と抱き合って笑うオリガ。
どの写真も笑顔だ。いい家族なんだろうと想像ができた。
ライブのことも応援してくれてる。俺も頑張れそうな気がした。
ライブは、まあミスもあったけど初回にしては満足できる出来だったと思う。
珍しいジャンルと世界観。あと全員スーツとドレスっていう出で立ちは他のバンドには無くて目立った様子。
ちなみに俺たちが参加するライブは、ライブハウス主催のもので、毎回5組程度のアマチュアバンドが持ち時間30分くらいでステージ演奏する形式。
チケット制で、出演バンドにノルマがあって、これが意外と大変なのだ。
でも今回は初ライブということもあって知人に簡単に売れた。次回以降の売り先も確保しないと。
で、終わってみれば。
次のライブはいつですかって聞かれました!とピアノの彼女がテンション高く報告してきた。
ドラムの彼は知り合いも多いみたいで、お客さんとか他バンドの人に捕まって話をしてた。ちゃんと宣伝しとけよ。
ということで総合的に見て、反応はよかったようだ。
「これなら早めにCD作ってもいいかもな!」
光一が俺の耳元で叫ぶ。
次のバンドの演奏が始まってるから自然に大きな声になっていた。
「前言ってた無料CDか?いいんじゃないか!さっそく作ろう!」
こちらも大声で答える。
以前からの光一の案。オリジナル1曲だけの無料CD。これをライブの客に配ったりライブハウスに置いてもらって宣伝に使う。CDなんて今は簡単に作れるから楽なもんだ。
将来的にはアルバムを作って売り、それを活動資金に回すって寸法だ。
ライブ後の打ち上げで会議をした結果、ピアノの彼女が作った曲を無料CDにすることにした。
俺の曲よりも勢いがある曲だし、雰囲気もウチっぽいので宣伝にはちょうどよいだろうということになった。
音源取れたらオリガに送ろう。俺の曲じゃないけど、こんな音楽やってるって早く教えたい。
CDの制作は早かった。
楽器は個別にスタジオに入ってパート録音。ボーカルだけは録音専用マイクと機械が必要だったので彼女の自宅で録音し(なんと離れがあった。録音環境は抜群だった)、ジャケットデザインは光一の知人が無料でやってくれた。
そしてあれよあれよという間に完成。
1か月程度でできるなんて大したもんだと思う。
オリガには、ジャケットデザインと音源をデータにして送った。
『面白い曲ね!あまり聞かない雰囲気が面白かったわ。歌詞は分からなかったけどサーカスをイメージしてるだけあってノリがいいわね!楽しくなっちゃった』
この曲のテーマは夜のサーカスだとボーカルが言っていた。
サビで高音域から低音まで流れるように落ちるメロディが特徴。妖艶だけどリズミカル。そんな雰囲気が夜のサーカスをイメージさせたらしい。
理論派に見える彼女は、意外にもメロディを聞きこんで浮かぶイメージから歌詞を作っているらしい。
ただ原曲は裏拍だったサビがいつの間にか表になっていたところは、彼女の素人感が出ている。面白かったから放っておいたけど。
しかし素人の作った曲を聞いて喜んでくれるオリガは優しいと思う。
正直、演奏技術も曲のレベルもプロには遠く及ばないのだ。
俺だったら酷評してると思うけど、それでも彼女なりに感想を書いてくれている。
俺の楽しみを受け止めてくれるのがとても嬉しかった。
仕事とバンドとオリガ。
この時期の俺はこの3つで満たされていた。
『そろそろ春ね。日本人は花見をするって聞いたわ。桜っていう木がきれいだって。
ネットで写真を見たけど、桜の並木道が特に素敵!
河原が桜でピンクになって、花弁が雪みたいに降っててとても幻想的で驚いた。
ロシアでは雪が降っても幻想的になんて見えないのに。春の季節をいっぱい感じられる景色があるっていいわね。憧れる!』
『桜は日本人が一番好きな花だよ。俺も好きです。
春は桜の開花情報がテレビのニュースになるくらい、日本は桜一色になるんだ。
オリガがもし日本に来るなら春をお勧めします。
一番いいスポットに案内するよ』
このメールを送ってから、またしばらくオリガからの返事が途絶えた。
…俺に会いに日本においでと案に含ませたから逃げられちゃったのか…
またちょっとだけ凹む日々が続いた。
そんなプライベートは全く無視して、バンドは相変わらず順調。
月1のライブで徐々に固定ファンも増え、オリジナル曲も順調に増えていった。
変わったことと言えば、ドラムとピアノが付き合いだしたことくらいか。
同じ年だから分からなくもないけど。まあお似合いですよ。ふん。
話を聞くと、付き合いだすきっかけにどうやらボーカルが一枚噛んでるようだった。
「3人で遊びにいったときに、ちょっと突いただけよ?」
何の気なしに言っていたけど、要はその気になりかけてる若人をけしかけたってことだ。
お見合いオバさんか、と言ったら彼女は爆笑した。
「みんな幸せなのが一番だよ」
本当にな。
オリガと俺にも縁があればいいのに。
などと無駄なことを考えた。
梅雨にさしかかる頃、またオリガからメールが来た。
見捨てられてなかったことに心からほっとする。
なんで俺、10歳近く年下の女の子からのメールに一喜一憂してんだろ。
『なかなかメールができずにごめんなさい。ちょっと体調が悪かったの。これからも時々メールできなくなるかもしれないです』
これまでにないテンションのメールに、少し焦った。
『どこか悪いの?あまり無理をしないで。返事は元気になってからでいいよ』
『カズヤからのメールは私の元気の素なの。できたら返事を書きたいし、もっといろいろ書いて送ってほしい。桜とかバンドしている写真とかも。私の知らない場所で生活しているカズヤをもっと知りたい』
『いくらでも送るから、元気出して。オリガが元気だったら俺も嬉しい』
こんなこと、口では言わない。
『ありがとう。またカズヤの作った曲も聞きたいな』
この時期はたくさんメールをやりとりした。
俺は何だか必死だった。彼女は何も書かないけど、なぜか手の届かないところに行ってしまいそうで。
『次作った曲は、必ず送るから』
あれからいくつか作曲はしていた。歌詞も乗ってライブで披露もしていた。
いつ送っても良かったんだけど、音源にすることもなかったので送り損ねてたんだ。
今までの曲はバンドの見栄えを気にして作ってた。
でも今のオリガに送るのはそんな曲じゃだめだと思った。ちゃんと俺が作った曲を贈りたい。
とは言え、思いを込めて曲を作るなんてしたことなくて。
この件に関しては軽くスランプ状態になって、ほんの少しの時期俺の曲作りは停滞した。
「ラジオ出演の依頼が来た!」
ある日、光一が言った。
何度かお世話になってるライブハウスのオーナー経由での依頼らしい。
ちょっと大きなライブの告知をラジオでするので、出演バンドの代表としてほしいとのことだった。最近ちょっと有名になってるので白羽の矢が当たったらしい。
告知中、バックで俺らのバンドの曲もちょっと流れるとのことで光一は二つ返事でOKしてきていた。
「ええっ、無理ー!」
ボーカルが及び腰になったが、光一が即座に答えた。
「馬鹿。ボーカルでなくて誰が出るんだよ。ライブのMCのつもりでやれって」
「み、みんな出るんだよね?」
「一応出るけど、メインは俺とお前だよ多分」
告知時間は短い。せいぜいリーダーの光一とボーカルくらいしか話せないだろう。
「諦めろ」
俺がぽんと肩を叩いたら、ボーカルはがっくりと脱力した。
『ちょっとずつ、俺たちのバンドが有名になってきました。来週ラジオに出ます。今回はお手伝いのライブ告知だけど、これまでの活動の手ごたえを感じています』
『カズヤってやっぱりすごかったんだね。もしかしてワールドツアーできるようになるかも?その時は特等席に呼んでね!』
メール文は元気だが、オリガの返信は少しだけ期間が開いていた。
『OK、ワールドツアー目指します。一番いい席用意するから期待してて』
この頃の俺はちょっと大きなことも言えるようになってた。
ラジオ放送の音源送れたらいいのにな、あ、だめだオリガ日本語分からねーや。
曲も送れてないことに少し引け目を感じてたが、オリガは催促してこなかった。
ちゃんとした曲を送りたかったのに相変わらず作れないまま、気付けば夏は過ぎていた。
***
オリガから、大きな告白をされたのは9月の終わり。
『実は、私はガンです。10歳の頃手術をして数年前に再発しました。時々入退院をしていましたが、今度大きな手術をすることになりました。しばらく返事ができないと思いますが心配しないで。また元気になってカズヤにメールをします。カズヤも頑張って』
いつもより端的な文章は、体調が辛くて書けないのか、気持ちを押さえて事実だけを書こうと努力した結果なのか。
俺はパソコンの前で固まった。
正直言うと、どこかで予感はあったんだ。けれどまさか本当にこんなことがあるなんて。
突然突きつけられた告白に俺は動揺してしまって、かと言って返事をしないという選択肢なんて勿論なくて。大きなけがも病気もしたことのない俺に気の利いた言葉なんて浮かぶはずもなかった。
だから、悩んだけどいつも通り返事をした。
『とても驚いた。オリガ、頑張って。応援してる。元気に戻ってきて』
やっぱり俺のメールって端的だ。
もっと元気にさせる言葉があるだろうに。
ボーカルの作詞みたいに、語彙とか表現力とか、オリガに届く何かが盛り込ませることができればいいのに。
推敲してもこれ以上書けなかった。
苦肉の策で、春に携帯で撮った桜の写真を添付した。これで応援する気持ちが少しでも表現できたらいい。
オリガが遠いロシアで頑張っている頃。
俺はいつもどおりに毎日を過ごした。
ライブして、仕事して、作曲して、仕事して、ライブして。
いつもの日常にオリガだけが居なかった。
オリガに聞かせたい曲は、まだできていなかった。
オリガの最後のメールから1か月経ち、2か月経った頃、俺はパソコンのメールチェックをやめた―――。
***
年明け。
ネットショッピングのメール確認をするため、俺は久しぶりにメールソフトを起動させた。
「500通とかないわー。ほとんど悪戯メールだし…」
げんなりしながらさくさくとメールを削除していく。
必要なメールを消さないよう、少しだけタイトルを注意して作業を進めた。
【Olga】To.Kazuya
ひとつのメールタイトルを見つけて、手が止まった。
受信日は、昨年末。
オリガからカズヤへ
マウスを握る手が、わずかに震える。
タイトルがいつもと違う気がして開きたくないと思ったが、手が勝手にクリックしてしまった。
『カズヤへ
元気ですか。これはいつ読んでいるのでしょうか。
このメールは私が母に頼んで送ってもらったものです。
私が送れなくなってしまったらよろしくとお願いしておきました。
私はたぶん死にました。
死んだらカズヤに知らせられなくなると思ったので、それは嫌だったのでお願いしておきました。
カズヤ。たくさんメールをありがとう。
カズヤのお蔭で私の世界は広がりました。
私ができなかったことをしてくれてると勝手に思っていました。
カズヤの人生が私を豊かにしました。
遠くでカズヤが生きていると思ったので私は頑張れました。
カズヤが頑張れと言うので私は頑張れました。
カズヤ、これからもたくさん生きてください。
曲もいっぱい作ってください。
私の分も楽しんでください。
そして私を忘れないでください。
私が行きたかった日本で、カズヤが幸せに生きてくれることが私の願いです。
本当に本当にありがとう。
Love,Olga オリガより愛をこめて』
これはいつ書かれたものだろう。手術の前だろうか。
ガンの末期だから、痛みがあったんじゃないだろうか。文が端的なのは痛みに耐えながら書いたからなのだろうか。
端的でも俺の文章よりずっと気持ちがこもってるのは流石オリガだ。
けど、「たぶん死んだ」って何だよ。
deadにmaybeっておかしいって。
「帰ってくるって言ってたのにな…」
俺は泣いた。
家族に気づかれるのが嫌で、パソコンの前で声を上げずに泣いた。
たくさん、後悔した。
***
「お、これ新しい曲の歌詞?」
光一がボーカルのノートをひょいと持ち上げた。
「ぎゃっ。取らないでよ。恥ずかしいでしょ!」
「ほー珍しいな。ラブソング?」
ボーカルは何度新曲を作っても初披露を恥ずかしがる。今回もそうみたいだが、初めてラブソングになったみたいでいつもより恥ずかしがる度合いが強い。
「ラブソングになっちゃったの!サビが先に浮かんで、それに合わせて前後作ったらそうなっちゃったの!返してー!」
「別にいいだろーどうせあとで歌うんだから」
言いながらも光一はボーカルにノートを返してやる。
いつもながら歌詞の初披露のときは騒々しい。
俺はチューニングを終えて声をかけた。
「俺は用意できたぞ。やるか」
いいよーとメンバーから声が上がる。
オリジナル曲は、音源ができたら全員に同時に渡している。
歌詞ができると一緒に、それぞれが考えてきたパートラインも同時にできる仕組みだ。
あとは直前に歌詞に合わせたコード進行を確認する。
そしてとりあえず全員で合わせてから微調整を行っていくが、音源のイメージをうまく拾ってくれるメンバーのお蔭で大抵大きな変更もなく曲が出来上がっていた。
今回の曲は俺のギターから始まる。
曲を作った時から、ギターソロは決めていた。
テンポの良い曲が多い中、このバンド初めてのオリジナルバラード。
高音が得意なボーカルだが、今回は敢えて高音域を入れずにしっとりと仕上げた。
いつになく神妙な顔で歌い始めるボーカル。
1コーラス終わったところで、俺の手が止まった。
2コーラス目を演奏しようとしてたメンバーの手もばらばらと止まる。
「どうした、和哉」
光一が珍しいなと言わんばかりの顔で聞いてきた。
俺は答えず、ボーカルに尋ねた。
信じられなかった。
「なあ、この曲のタイトル、なんてつけた?」
「え?"CHELLY BLOSSOMS"だよ」
「…桜…」
オリガに見せたいと思った。
彼女を想って作った。
桜並木がきれいだと言った彼女に。
日本を見たいと言った彼女に。
桜並木の下を歩いた、彼女を想像した。
もう会えない彼女を。
ボーカルはオリガの事をなにひとつ知らない。
俺も何も言わず音源を渡した。
なんで、桜なんてタイトルをつけた?
「なんで桜なんだ。まだ冬だぞ」
「え…だって仕方ないでしょ。浮かんだんだもん。桜が降ってるイメージが」
「桜…降ってたか」
「うん。サビには"舞い落ちる"ってフレーズしか嵌まらなかったよ」
は、と息を吐いた。
何か湧いた感情を抜きたかっただけだが、笑っているように見えたかもしれない。
「な、何か問題でもありましたか…」
おそるおそるボーカルが聞いてきた。
今度こそ俺は笑った。
「何でもない。悪くないと思う。もう一回初めから頼むわ」
さっきより強く、気持ちを込めて弦を弾いた。
この曲が、このバンドの一番の人気曲になるのはもう少しあと。
初めて聞いた客が泣いた。
アンコールを求められた。
オリガのことは誰も知らないのに、メンバーも熱を込めて演奏した。
オリガがくれた曲。
オリガに届いたらいい。
とおくとおく北の地へ。
俺の気持ちも、
春の暖かさも―――
【CHELLY BLOSSOMS ~春の雪~】
めぐりゆく 季節の 訪れ再び迎え
いつまでも引きずる想いに区切りをつけた
空写し湛える水面に二人で映り 肩寄せる
花弁よ 思い出埋めて
舞い落ちる 春の日の雨 桃の雪
風が吹く この一つだけ灯火 残したい
残したい
季節が流れる 身体を通り抜ける
この散る花が すべて手のひらに積もればいい
舞い上がる 桃のつむじ風 午後の雪
木漏れ日の 肌にそそいだ暖かさ 忘れない
忘れない 憶えていたい
散る花よ
忘れない