決裂
CDが一周終え、さらに二、三曲流し終わった頃に、ナイナスは肩を叩かれるのを感じた。アイマスクをめくると、トーマスがヘッドホンを外せ、とジェスチャーを送ってくる。
それに従い、アイマスクとヘッドホンを外すと、トーマスが口を開いた。
「まもなく『ダモクレス』上空だ。降下準備をしてくれ」
はっきり言って気分的には完全の蚊帳の外に追いやられていたナイナスとして、唐突にそう言われても、どう反応していいかわからなかった。
「そうかい。快適極まりない空の旅も終わりってわけか」
言った途端、サソリの入墨の入った男がナイナスをじろりと睨み付けた。おちおち冗談も言えやしない。
そして、睨まれた途端、ナイナスはトーマス含め、部隊員の装備が、完全に戦闘装備に切り替わっているのを見て少し驚いた。
連中が着ているベストは恐らく新型の防弾タイプだし、そこら中に積まれた弾薬箱の数はかなりの量に見える。ベストに詰められた弾薬もそれなりの量だろうと類推できるし、装備から見れば、それらは長期の戦闘を見越してのものだろう。極めつけは、機銃の点検を念入りに行っていたことだった。単なる警備でそんなことをするだろうか。アルドヘルム大佐の話を鵜呑みにするならば、そこまでの武装は必要ない筈だろう。それは、既に部外者として煙たがられるナイナスでも、一目でわかるほどの重装備だった。
どうにもナイナスには作戦が飲み込めない。いったい彼らは何をするつもりなのだろう。背筋にうっすら寒いものを感じつつ、ナイナスは一人だけやけに貧弱な装備に恐れを抱いた。
「ちょっと確認しても、構わないか?」
ナイナスは、愛想笑いを浮かべながら話しかけた。硬い表情を浮かべた隊員たちからは、強烈な圧迫感を受ける。だが、それにひるんではいられない。ナイナスは真意をここではっきりさせておかねばならない。
「ずいぶんと重装備だが、どういう作戦の意図なんだ? イマイチ俺には理解できなくて」
トーマスが苦笑する。
「テロリスト相手に丸腰は無茶ってもんだろう、ナイナス。突入後、お前は俺たちの後ろを付いてきてくれ。それだけだ」
「そうだぜ。命張るのは俺たちなんだから、黙って付いてこいよ、オッサン」
赤坊主がまたも迷惑そうに語る。これ以上は聞き出せそうにもない。
ナイナスはすっかり諦めて、連中の動向を黙って見ることにした。いずれにせよ、じたばたと足掻いたところで状況に変化はない。
そして、飛行機は目的地、『ダモクレス』上空へと到達した。
常なら、太陽光を取り入れるため、上空は透明な特殊素材に覆われ、日光を浴びながら生活ができるようになっている。だから上空から見れば、都市がそのままガラス張りに見えるようになっているわけで、夜になれば都市からは明かりが漏れ、それはそれは夢のような光景が上空四千メートルで広がるのだ。そして、透明になっている箇所以外は太陽光発電用のパネルが大きく取られ、電力のほぼ全てを賄っている。宙に浮き続けるために必要な莫大なエネルギーの殆どを石油燃料に頼らず、太陽光発電で捻出しているために、半恒久的に浮遊し続けることが可能になっているのだ。
だが、今ナイナスが目にしているのはそれとは余りにもかけ離れた風景だった。『ダモクレス』の上部は、その全てが黒いパネルで覆われ、丁度甲殻類が殻を被ったように見える。そして、ちらちらと何かが光っている。
傍らに置いてあったスコープで何が光っているかを覗くと、それは明らかに対空射撃用の砲門だった。明らかに、今の我々は招かれざる客である。砲門の数はかなりの数であり、上空からそのまま突入すれば、あっと言う間に餌食にされるのは目に見えている。
両者共に平和的解決を望んでいるなら、あんなものが稼働しているわけがない。部隊員たちの重装備といい、ただごとではない。
そうこう言っている間に、みるみると『ダモクレス』は迫り、降下準備に入ろうとしていた。遠くから見れば豆粒だったが、近くに寄ればこれほど大きなものもない。全長五キロにも及ぼうというのだから、それはすでに都市そのものだった。
「ナイナス、降下準備をしてくれ」
トーマスに声をかけられ、ナイナスははっとした。見れば、皆一様にエカテリオ派が付けるフードを身につけている。あのフル装備の上からでは何の意味もなさそうだが、何かの理由があるのだろう。
「なんでフードを被っているんだ? 緊急の時に紛れるためと聞いていたが?」
「作戦上の都合だ。お前も被れ」
トーマスにそう言われ、仕方無くナイナスはフードを被った。
ナイナスは混乱の中にいた。一体、この部隊はどうやって潜入するつもりなのだろうか。
疑いつつも、飛行機はゆっくりと進路を変え、『ダモクレス』の真上から、横にぽっかりと空いた大穴へと向かう。緩やかなドーム状で、現在黒いシールドの降りた上部から少し下に行くと、飛行機などを受け入れる入り口がある。つまり、空の正面口だ。いつもは頻繁に飛行機が物資を搬入したりと出入りが激しい。エネルギー面をカバーしたところで、物資がなければ完全に空の孤島なため、到底その中で人が暮らしていくのは難しい。基本的には自給自足できるような体勢は整えられているものの、別荘として利用するような連中もいる以上、それだけで賄えるわけでもないのである。
だが、その中にこんな武装で入っていこうとは、かなり危険に思える。
しかしナイナスの考えとは裏腹に、飛行機はすんなりと正面ゲートへと入っていく。
そして、施設内部の職員と話をする段になると、トーマスが出て行き、何かを話している。何かは聞き取れない。
だが、数度の会釈と笑い声が漏れ、すんなりと飛行機はそのまま内部に着陸した。
「ナイナス、『ダモクレス』だ」
トーマスは手招きをする。後ろからは部隊員がぴったりと付いてくる。とても気分が悪い。
だが、ゆっくりと外に出ると、そこは僅かの蛍光灯が灯るだけの、非常に暗い場所だった。
そして、飛行機から降りた瞬間、ナイナスは背中にサブマシンガンをぴったり付けられた。
「黙って歩け」
「おいおい、何の冗談だ?」
赤坊主が、凄絶な笑みを漏らす。
「冗談でやってるように思うか? オッサン。早く、俺たちをオニキス・マクレーンのいる所へ案内するんだ」
しばらく行方がわからなくなっている、民主化運動の第一人者、オニキス・マクレーン。ナイナスはもちろん、彼の居場所を知るわけもない。
「何かの間違いじゃないのか? 落ち着けよ」
肩を竦めた途端、赤坊主は上に向けて威嚇射撃をした。
「脅しは一回きりだ。次は外さないぞ」
そして、ピタリと銃を突きつける。
完全に、彼らの動向はおかしい。異常にも思える重武装といい、自分に対する扱いといい、どう考えても友好的な交渉をしに来た人間とその護衛という関係ではない。頼みの綱のトーマスも、ろくにこちらを見ようともしない。
誤解を解くような時間も、機会も恐らくはない。武装から見ても、彼らは何故か、ここにオニキス・マクレーンがいることを知っていて、かつ、それにナイナスが絡んでいると思っている。そして、オニキスもろともここを正面から攻撃するつもりだろう。
確証はない。だが、大佐の発言とあまりにもズレすぎている。作戦内容も、目的も何もかも。そして、このままでは確実に、自分の身に危険が及ぶ。
敵地の真ん中で、逃げ場もないが、どうにもナイナスは黙って従える状況ではないことをようやく理解した。
「おい」
ナイナスは低い声で喋った。
「あ?」
赤坊主は怒りを覚えつつ返答する。
「オッサン、オッサン、ってあまり言い過ぎると、堪忍袋の緒が……」
ナイナスは俊敏な動きでサブマシンガンを掏り取った。そればかりか、そのまま顎目掛けてマシンガンを叩き付けた。
「キレちまうぜ?」
赤坊主は昏倒する。
「ナイナス!?」
驚くトーマス。他の三人は仲間を殴りつけられ、いきり立った。勿論、銃を構えている以上、やることは一つだ。ためらいもない。
「野郎ッ!」
「撃つな! 撃つな!」
だがトーマスが制止する。そのまま、ナイナスは全力疾走し、手当たり次第に扉に入った。
「畜生、構造も何も知りやしないのに、さすがに性急すぎたってところか?」
どうにか扉には入ったものの、ここがどこで、どこに行けばいいかはまったく見当も付かない。
扉の向こうは、恐らく整備に使うであろう備品を入れておく倉庫で、たまたま鍵がかかっていなかっただけだった。
「落ち着け、落ち着け……」
独り言を言って気を落ち着かせる。どこかに入り口がなければ、再度扉から出なければならない。恐らく、連中も自分がどこに行ったかはまだ把握できているはずだ。今この場で銃撃戦などすれば、まったく逃げたことが無駄になってしまう。
まず、ナイナスは傍らにあったバールを使って、扉をがっちりと固定した。その上で、鉄製の机や、タイヤ、ドラム缶を並べ、簡易的なバリケードを築き上げる。そして、ジャッキやオイル缶、交換用のタイヤなどが所狭しと並べられている山を掻き分け、奥へ奥へと進んでいく。倉庫と言えど、かなりの広さらしく、それもまたナイナスに好都合だと言えた。
所狭しと並べられた廃材や修理機材などの奥には、通用口があった。
「ビンゴ! 日頃の行いが良いから、こういう時に役に立つってワケだな!」
そして、ナイナスはその扉から、本当の『ダモクレス』内部へと足を踏み入れた。