乗り込んだ戦場
ナイナスは手早く着替えた。ツイードのジャケットに、ツイードのフェドーラ、それにお気に入りの黒縁眼鏡をかける。口ひげとあごひげはもじゃもじゃと生やしたままで、栗色で伸ばし放題のくせっ毛を、フェドーラの中に押し込む。そして、風で飛んだ古びた手紙を、大事そうに懐に押し込んだ。
その足で、草原に着陸したヘリへと乗り込む。入るなり、一人の七三分けをし、戦闘服に身を包む男と目があった。
「ナイナス。久しぶりだな」
トーマスだった。長い歳月は、彼も年相応に老けさせていた。だが、長年の鍛錬の成果か、実年齢よりもかなり若く見える。
「ああ、マドックの葬儀以来だ。バベットは元気か?」
「今じゃ二人の子供専属の鬼教官だ。とても敵わんよ」
トーマスは苦笑した。
「尻に敷かれっぱなし、って奴か。それもお前たちらしいな」
「放っておけ。さて、俺以外にも四名、今回の作戦に同行してくれる。歴戦の猛者たちだ」
ヘリの中、トーマスの横に腰掛けている男達。いずれも屈強で、冗談も通じなさそうな硬い表情をしている。
「ウーゴです。よろしく」
トーマスのすぐ横に腰掛けていた男は、浅黒い肌の男だった。眼光は鋭く、ナイナスの方を一瞥すると、すぐに目線を逸らしてライフルの手入れをし始めた。
さらに一つ横に座る男は、顔にサソリを模った入墨を入れている。黒髪を短く刈り、あごひげを生やし、太い眉をしている。彼はナイナスに礼をしただけで、それ以上声も出さなかった。
「彼はブルーノ。ナイフ捌きにはとても定評があるんだ」
トーマスが代わりに紹介する。そして、次に向かい、ナイナスが座るすぐ横に座るのは、赤い髪を坊主頭になるまで刈り込んだ男だった。唇にピアスが開けられており、ぎょろりとした目をナイナスに向けると、口を開いた。
「アンタさ、前に部隊にいたって聞いたけど、ホント?」
「本当さ。もう十年近く前の話になるがね」
だが、ナイナスの言葉を赤坊主は鼻で笑った。
「あ、そう。でも今のアンタからは、かつての面影まったくないね。迷惑だから余計な真似しないでくれよ。任務失敗したら不味いからさ。出しゃばんなよ、オッサン」
「おい! エヴァルト! 失礼だろ」
トーマスがすかさず怒鳴った。だが、赤坊主のエヴァルトはへらりと笑う。
「トーマス隊長、俺は思ったこと口に出しただけですよ。こんな訓練もしばらくやってないようなロートルに、知った風な顔されちゃあこっちが迷惑だ。そうでしょ?」
そして最後、さらに横に座る男。彫りが深く、アラブ系の顔立ちをしており、口ひげを長く伸ばしている。髪は短く刈られていて、ニット帽をかぶっていた。
「俺も同感だ。余計なことしないでくれ」
険悪な雰囲気。だが、これもナイナスにとって予想の範囲内だった。それこそ、彼らの言う通り、かつて在籍していた人間が知った顔で武勇伝を語ったり、何かをやらかすのは、一番しゃくに障る話だ。
「了解。君たちの足を引っ張らないように、せいぜい頑張るとするよ」
「さて、ナイナス。今回の件はだいたい、アルドヘルム大佐から聞いてるか?」
ナイナスはトーマスの言葉に苦笑する。
「ま、だいたいはな。平和的解決をしたいから、俺を呼んだとは聞いている」
一瞬、空気が変わり、隊員達は顔を見合わせ、苦笑が漏れる。トーマスがその中で口を開く。
「ま、部分的にはそうだな。この作戦は、クロヌス王直々に考えられたものだ」
ナイナスは驚いた。
「軍に直接口出ししてきた、だと? そりゃ、奴は昔から口出しはしてきたが、作戦の立案までってのは……」
「ちょっと」
エヴァルトがイライラした様子で声を上げた。
「そういう先輩面、やめてくんないですかね。すげえイラつくんですけど」
その上舌打ちしてみせる。トーマスは一瞬戸惑うが、事務的な口調でナイナスに話しかける。
「あー、すまんなナイナス。それでだな、先に装備だけ渡しておくよ」
そう言って、バックパックを渡す。
「その中には通信機が入っている。もし、単独行動をしなければならない状態に陥った場合、それで本部と直接通信をしてくれ。まあ、基本的には俺たちに従って貰うがね。それと、これは緊急時用のパラシュート。場所が場所だけに、何かあった場合には使うことになるかもしれないからな。あと一つ、エカテリオ派の連中が身につけるフード。もしもの時にはこれを身につければ、連中もすぐには部外者だと気付かない。いずれも、必要にはならないと思うがとりあえずは渡しておく」
「ありがたく受け取っておくよ。てっきり物騒な代物を渡されるかと冷や冷やしたぜ」
トーマスは首を振った。
「君はもう部外者だよ。そこの連中が神経を尖らせるのも無理ないさ」
ナイナスは苦笑した。もはや、トーマスでさえも昔なじみよりは部下の方が可愛いのだろう。
「あ、それで俺からも一つ、あるんだ」
そう言って、ナイナスは傍らからチョコチップのクッキーが入った缶を取り出した。
「すまん、食べてくれよ」
ナイナスが差し出し、一瞬空気が重くなるが、気を使ってトーマスが手を伸ばした。
「じゃ、貰うぞ一個。お、イケるじゃないか。お前たちも食べろよ」
トーマスが一枚囓ってそう言ったので、他の隊員も渋渋とチョコチップのクッキーに手を伸ばした。
「なんだ、結構旨いな。それより隊長、そろそろブリーフィングやりたいんですけど」
浅黒い肌の男が言う。
「そうだな。ナイナス、すまないが、これから我々はブリーフィングを行う」
「ああ、構わんよ。もちろん口出しはしない。部外者だからな」
トーマスは首を振る。
「違うんだナイナス。部外者だから、聞いて欲しくないんだ」
ナイナスはすっかり疲れてしまった。先程から再三連呼され、行動に現れる部外者扱い。そして、極めつけが自分が参加する作戦についての一切の情報を聞くな、という無茶な注文。
「わかった。じゃあどうすりゃいいんだ? 生憎とそれじゃあ一階のダイニングルームでコーラとナチョス食べながらDVD観賞して待つぜ、という話にはならんぜ?」
何しろヘリの中なのである。身を寄せ合ってもまだ狭いという状況の中で、どこに行けと言うのか。
「心配ない。これを使ってくれ」
何が心配ないのかはわからないが、トーマスが取り出したのはアイマスクとヘッドホン。それもやけにがっちりとした、高めのヘッドホンだ。
「ノイズキャンセリング機能付きって奴か。で、どんな音楽を聴けるんだ?」
「この中から選んでくれ」
そう言って、バックパックを開けてみせると、少々偏りのあるラインナップのCDがずらりと顔を見せた。
「ニルヴァーナにUK、ボン・ジョヴィにアイアン・メイデンか。じゃ、ボン・ジョヴィでいいや。囚人にもこれを選ぶ権利くらいはあるんだな」
ナイナスが苦い顔を見せたが、トーマスは特に反応せずに、黙ってCDを手渡した。
ナイナスは溜息を軽く付きながら、CDプレイヤーにCDを入れ、大音響で奏で始めた。そして、アイマスクをし、背もたれに体を預けた。
まったく、何もかもが目茶苦茶である。アルドヘルム大佐の口車に乗ったことは間違いだったかと少し後悔しながら、ナイナスは『ダモクレス』へと向かう飛行機の中で、場違いなサウンドを聴きながら時間を過ごす。