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過去からの報復

 瞼を開ける。いくら酒で押し流そうとしても、あの過去はもう帰ってこない。そのまま、ワインをあおる。そして、ぼうっと過ごしていると、電話が鳴る。先ほどやり過ごした電話だ。

 ナイナスは思わず溢れ出た涙を拭い、電話に出た。

「はい、ナイナス」

 出てからナイナスは、しまったと思った。

「久しぶりだなナイナス。ジョンだ」

 十一年経ち、随分と肥えたとは聞くものの、声にそれほど変わりはない。そればかりか、声には威厳が感じられ、なまじ肥えただけではないのだろう。

「おお、ジョン、元気だったか? なんだこんな朝っぱらから。釣りの誘いか?」

「ナイナス、悪いが我々も急いでいるんだ。お前の御託に付き合う暇はない。一刻を争う事態が起きてるんだ。ナイナス、『ダモクレス』が占拠されたのは知っているか?」

 ナイナスは表情を曇らせた。

「仮にそうだとして、一体俺に何の関係がある? 俺には何も関係がない」

 ナイナスはそう言い切ったが、ジョンはため息を付いた。

「そうもいかない。ナイナス、もし君が出頭しない場合、ディスファレト王国は君に対する特赦を解くと言っている」

 ナイナスは刹那黙った。そして、怒りで手をぶるぶると震わせた。

「……ふざけるなよ。ふざけるんじゃない! いいだろう、結構だ。いつでも俺をガス室にでも、ギロチンにでも、電気椅子にでも送ればいい。特赦? 頼んでないね。交換条件がそれなら、俺は梃子でも動かんぞ。だいたい、王国が俺に、今更一体何の権利がある? 人を人とも思わず、土足で俺の人生を踏み躙った連中が、また俺の人生にさらに足を踏み入れようたってそうはいくか。クロヌスのクソ野郎にこう言っておいてくれ。いつでも待ってる、早く殺しに来てみろ、とな」

 ジョンは終始無言で受け答えをした。

「ナイナス、確かにお前の言う通りだ。王国のやり方は横暴だ。まあ、今も与している俺が言えた口じゃあないが。しかし、お前にしか出来ない。お前だけが、このミッションを成功に導けるんだ」

 だが、ナイナスはジョンが説き伏せても、聞く耳など持たなかった。

「ふざけなさんな! 俺にしかできない? 仮にそれが事実だとして、俺が何故それを受ける理由がある? あいにくと、俺にはお前たちがどんな理由を持ってこようと、絶対に関係がない自信がある。一昨日来るんだな」

 ジョンはナイナスの剣幕に黙った。そして、電話を別の相手に渡した。

「ナイナスくん。私だ。アルドヘルム・ガウアー大佐だ。すまないな、君に頼るような真似をして」

 ナイナスは口ごもった。

「君とは、様々な遺恨がある。それに関して私はこの場で何も言うことはない。だが、王国のやり方に関しては目をつぶってもらっても、今回の件、少々耳を貸してもらった方が、お互いのためになる、私はそう考えている」

 ナイナスは、おずおずと口を開いた。

「……何があったかは知りませんが、一応聞きましょう。確かに王国のやり口は気に入りませんが、他ならぬあなたの言葉なら、俺は真摯に受け止める必要があります」

「ありがとう。事件は六時間前、空中都市、『ダモクレス』で発生した。全長五キロメートルの巨大な都市は、ディスファレト王国の上空四千メートルに浮かんでいる。我がディスファレト王国の国教、ディスファレト教の大規模な宗教施設も兼ねており、観光客の数も莫大な規模にのぼるあの施設だ。太陽光を取り入れ、莫大なエネルギーをディスファレト自体にも供給している。その『ダモクレス』に、五十名ほどのテロリストが侵入、警備兵を突破し、メインコントロールルームを占拠した。そして、連中は二千人の住人、そして『ダモクレス』自身を人質に、あるものを要求してきた」

 ナイナスは尋ねた。

「そのあるものとは?」

「『愛』だ。連中は『愛』を要求してきた」

 ナイナスは一旦止まった後、吹き出した。

「馬鹿なこと言っちゃいけない。『愛』を要求するテロリストだって? まったく、お笑いぐさですね。そんなのは、牧師でも送りつけてやれば済む話だ、何故俺が行く必要があるんです? こう見えても俺は商売仲間からは、『愛のわからない男』と言われているもんでね、適役は他にゴマンといる筈だ。そうでしょ?」

 アルドヘルムはため息を付いた。

「知っているよ。百八十人もの女性と自由交際を行い、それで生活をしている。言ってしまえば、ヒモ、だものな君は」

「おかげ様で。たまに詐欺師と罵られたりもしますがね。大抵は円満がモットーです。さておき、それを承知ならば何故俺を? 知っていれば尚の事、俺にお鉢が回るなんてことは、到底あり得ないと思いますがね」

 ううむ、とアルドヘルムは呻いた。

「それでも君でしか、この件は解決できない。テロ組織名は、ディスファレト教新派、エカテリオ派。知っての通りディスファレト王国は、はるか昔からディスファレト教を国教としてきた。その本来の教派、ジュネバル派に対し、エカテリオ派は歴史が浅く、かつてディスファレト王国の皇太子だったハーバートが興したとされている。そして、今回のテロの首謀者は、その娘とされている十一歳の少女、コーデリアだ」

 ナイナスの顔が曇り、額を押さえた。

「なんてことだ……」

 ミーヤを奪われ、そして失い、そしてその娘が首謀者。ナイナスにとって、関係ないで済ませられる話ではない。

 そして何より、コーデリア自体、彼と無関係ではない。

「知っていると思うが、コーデリアは……」

「ええ、知ってますよ。俺の実の娘だってことは。でもね、それをダシに俺を担ぎ出す理由も、何を目的としているかもまったく見えて来やしない」

 アルドヘルムの言葉を途中で遮り、ナイナスは明らかに不機嫌な様子で言葉を吐いた。

「どういうことだね?」

「一つには、王家や軍にとって、俺を使うことは百害あって一利なし、ってことですよ。いいですか? 俺はすでに軍を辞めて久しい、しがないヒモ野郎だ。ブランクをこれだけ抱えて、突然現場復帰なんてあり得ない。まあ、端からその線はない、と俺は思ってますが。そして、公式にはコーデリアは俺の娘じゃない。ハーバートのクソ野郎とミーヤの娘ですよね? その事実関係をねじ曲げてまで俺を担ぎ出す目的が、俺にはさっぱり見えて来ませんね。一体、俺に何をやらせたがってます?」

 ナイナスが不審に思うのももっともな話である。もっと若くて現役の兵、もしくは従軍歴の長い兵を任務に就かせるのが当然だというのに、血縁という実によくわからないものを理由に、突然何かをしてくれ、と言われても到底納得できるものではない。

「ナイナスくん、実は君への依頼は、そのまさか、という奴だ。君の任務は、コーデリア嬢に愛を教え、この件を円満に解決することだ」

 ナイナスは受話器から顔を外し、笑った。大笑いだ。腹を抱えて笑った。

「おいおいおい、まさか連中が掲げてきた要求、それを叶えればすんなりこの件が解決するなんてこと、本気で考えてるってワケか? 冗談じゃないぜ、それこそ牧師の方が適任だろうよ。それにだ、あの『ダモクレス』を占拠しておいて、そんなお行儀のいい要求だけしてくるなんて、そっちの方がどうかしてるぜ。一体、連中の目的は何なんだ?」

 それに、アルドヘルムは溜息をついた。

「だからこそ、なのだ。連中の要求も目的も不明確であるからこそ、君に白羽の矢が立った。君の言うように牧師を送るという案も検討した。だが、奴らが信仰している宗教はなんだ?」

「ディスファレト教の新派、エカテリオ派だろ」

「そうだ。そして、エカテリオ派を信仰する牧師が我々の説得に応じて、連中に愛を説くだろうか。答えはノーだ。言うまでもなく、連中が一世一代の賭けに出ている中で、さらに仲間に対して説教を説くような愚か者はいない。ジュネバル派は元より論外。さらなる混乱を巻き起こす可能性しかない。となれば、藁にもすがる思いで君に望みを託したというわけだ。一旦は連中の不可思議な要求に応じ、出方を見る。その後、手を打つという流れだ」

 ナイナスはしばし沈黙した。

 脳裏に浮かぶのはあの見事なまでに失敗した作戦。ハーバートを取り逃がし、仲間であるマドックを、そして、一番大切で、失いたくない人、ミーヤをナイナスは失った。救えなかった。武器を手にとっても助けられなかった。

 歯ぎしりする。同じような状況を、またも目にするとは。だが手は震えている。紛れもない、恐怖に震えている。コーデリアを担ぎ出したのはハーバートだろう。あの下衆野郎ならやりかねないことだ。

 それでもナイナスは恐怖した。失敗することに、そして何よりコーデリアと会うことに。今更どんな顔をすれば? 父親であることも恐らくコーデリアは知らない。生まれてきてからずっと今までハーバートを父親と慕い、生きてきたはずだ。自分にとって仇であり、憎むべき敵である男の手で育てられた、自分の娘。

 脂汗が溢れる。目を閉じ、しばらく考えた後ナイナスは口を開いた。

「……俺はあの作戦の失敗以来、戦うことが怖い。心底。だから軍を辞めた。その手に銃を取って、王家のために戦うのも、仲間を救うために命を賭けるのも、俺には出来なくなってしまった。この臆病者と罵ってくれていい。俺は、正直なところ恐れている。この事態を解決できる自信が、ない」

 ナイナスは深く目を閉じた。それは、偽らざるナイナスの真実の言葉だった。怯え、震える情けない今のナイナスが言える真実の言葉だった。

 しばらく沈黙したあと、アルドヘルムは口を開いた。

「では罵らせて貰おう。

 甘ったれるな! 私は君が何を思い、何を感じ、何をしようとも干渉するつもりはない。それは君を信頼しているからだ。娘が夫として迎えようとした君を、信頼していたからだ。

 ナイナスくん、確かに今の君に荷は重いかもしれない。その手に銃を取り、戦いに赴くのはあまりにも辛い。だが、それでもコーデリアに愛を教えられるのは君しかいない。一度も話したことも、会ったこともなくとも、君は彼女の父親だ。他のことなどどうでもいい。彼女を救えるのは、君しかいないのだ。

 これは軍人としての頼みではない。同じ父親として、君が愛してくれたミーヤの父親として、君に頼ませてくれ。頼む。コーデリアを、救ってくれ」

 ナイナスは涙を流した。ここまで恩人であるアルドヘルムに言わせてしまった自分を恥じた。そう、娘を救うことにためらう必要がどこにあるのだろう。ミーヤを救えず、本来ならば口汚く罵ってもおかしくないナイナスを、それでもアルドヘルムは手を差し伸べてくれていた。血縁でもなければ、姻族ですらないナイナスに。

 だがその手をナイナスは振り払い、軍を辞めた。それからも何度となくアルドヘルムは彼に手を差し伸べてきたが、それすらもナイナスは振り払ってきた。

 不義理に不義理を重ね、それでも手を差し伸べてくれた恩人の言葉を、ナイナスは何よりも重いものとして受け止めた。

「すまなかったアルドヘルムさん。この件、受けましょう。俺自身にも、もちろん命の保証などないでしょうがね」

「無論、その保証はどこにもない。だが、君以上の適任も、いない。もし君が断れば、我々は強行突入以外に手段を持たない。その場合双方に甚大な犠牲が出るだろう。無論、コーデリアの無事も保証できない。そして最悪の場合、『ダモクレス』は墜落し、ディスファレトは壊滅する。何百万という人間を犠牲にすることになる。君にそこまでの覚悟があるのか」

 ナイナスは苦笑した。

「つまり、被害を最小に食い止める最後のカードが俺だ、とこう言いたいわけか。相変わらずズルいな、真実、誰の子にせよ、どう転んでもアルドヘルムさんは実の孫を天秤に掛けて俺にその質問を投げかけているわけだ。そんな大事なカードを切っておきながら、俺が降りられるわけなんか、ないさ」

 本当なら、ナイナスを使う必要はアルドヘルムが言うほどではないだろう。そして、回りくどい口実を使わず、高圧的にナイナスに命令をくだすことも出来たはずだ。それでも、アルドヘルム大佐はそれをしなかった。その時点で、ナイナスはこのゲームに乗らざるを得なかった。彼の複雑な胸の内がわかるナイナスだからこそ、それを無視などできるわけもない。

「作戦を説明しよう。護衛役として、トーマスをリーダーとした特殊部隊隊員を付ける。総勢五名。かつての君のようにあらゆる面で鍛え抜かれたスペシャリストたちだ。彼らと共にヘリで『ダモクレス』に上陸し、テロリストたちと接触、以降は彼らの指示の下、首謀者に愛を教え、『ダモクレス』を解放するよう説得してくれ」

「了解。ちなみに帰りは?」

「通信で我々に知らせてくれれば、いつでも飛行機を向かわせる。また、パラシュートも渡すので、最悪の場合はその場から飛び降りることも考慮に入れてくれ」

 ナイナスは苦笑した。

「そりゃぞっとしないぜ」

 ジョンが返す。

「そうはならんように、我々も万全の対策でバックアップする。安心してくれ」

「そうかよ。とりあえず、ディスファレトまではどうすればいい?」

 ジョンが微笑む。

「すでに、便を送ってるよ」

 受話器を持つナイナスの頬を撫でていた微風は、窓を通してカーテンを揺らしていたが、唐突にそれが強くなる。そして、爆音と共に、突風へと変わる。

 風にあおられ、古びた手紙が、風に乗って飛んでいった。驚いたナイナスが身を乗り出すと、窓の外、すぐ側に近づいてきていたヘリのパイロットと目があった。

「こりゃ、楽しい空の旅になりそうだ」

 ナイナスは苦笑した。

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