依頼
それからのナイナスは荒れた。大いに荒れた。酒に溺れ、暴力に溺れ、ギャンブルに溺れた。そこに優秀で、将来を嘱望され、若くして特殊部隊のエースと称された男の姿はどこにもなかった。生きていることが彼にとって罰だった。全身がふやけるほどに酒をかっ喰らっても、彼の根幹が癒されることはなかった。今、目の前に突きつけられている自分の女を奪われた惨めな自分の姿は、消えはしなかった。酒が作るまやかしのまどろみの力を借りなければ、生きていけなかった。睡眠薬を限度まで飲んでも、彼は眠ることすら許されなかった。
そんな折、酒と怠惰にすっかり錆び付いた彼に、ある種の朗報が齎された。電話でアルドヘルム中佐に呼び出され、ナイナスはあの基地へと赴いた。時折は顔を見せるが、ほとんど足を運ばなくなった、あの場所。
酒臭い匂いをぷうんとさせながら、ナイナスは歩く。髪はだらしなく伸び、櫛すら通されていないのでボサボサと伸ばされたままになり、無精髭を生やし、不眠症のためか目の下は隈で真っ暗、頬はげっそりとこけ、瞳はアルコール焼けでもしたのか、ぼんやりとして、唇に薄笑いを浮かべながら歩く。
そして、アルドヘルム中佐の眼前に立った。中佐は、豹変したナイナスを見て、深い溜息を漏らした。
「嘆かわしい……。三年という月日とあの事件は、君ほどの男すらも壊してしまうのだな。まあいい。君に、任務を与える」
「そりゃ光栄ですね。俺に任務を下さるとは、実にありがたい。今夜の酒がVSOからVSOPになりますよ。で、任務とは? なんだってやりますよ、酒のためならね」
ナイナスは酒で上気し、緩みきった頬で下品な笑みを見せる。正視に耐えない、と中佐はまたも溜息を付いた。
「君は、ハーバート・ディスファレトという名前に聞き覚えは?」
途端、緩みきったナイナスの顔に、険が走る。淀んだ瞳に、怒りと憎悪の炎がちらつく。
「忘れやしませんよ。我が国の皇太子様、そして、ミーヤを無理矢理奪っていった張本人だ。たとえ、顔が潰されてても、奴のツラだけは見間違えやしませんよ」
「そうだ。そのハーバートだが、王家から抹殺指令が下っている」
ナイナスの瞳が爛々と輝いた。半ば狂気すら孕んでいそうな、どす黒い憎しみと殺意に彩られたその瞳は、酒にどっぷりと浸かった霧を晴らし、ギラギラと燃えるような光をナイナスに取り戻していた。
「伺いましょう」
アルドヘルム中佐は頷いた。
「元々、ハーバートは現在王位に就いているクロヌス王とは反りが合わなかった。根本的な原因、それは国教である、ディスファレト教に対するスタンスの違いだ。知っての通りディスファレト王国は、はるか昔からディスファレト教を国教としてきた。その本来の教派、ジュネバル派に対し、ハーバートが突如として興した教派が存在する。それが、エカテリオ派と呼ばれる教派だ。勿論、エカテリオ派は歴史が浅い。
ジュネバル派の教義には、神へ愛を捧げ、それを永遠にするという項目があり、それを達成するために、フォエーナという植物を煎じ、それを飲むという儀式がある。だが、エカテリオ派にはそれがない。
この儀式は長らく廃れていたが、今のクロヌス王が古い教典に書かれていたものを独自の研究で発見し、ジュネバル派に復活させたものなのだ。それを敢えてエカテリオ派は無視したため、ただでさえも教義の行き違いから諍いが絶えなかったようだ」
「くだらん話だな。それで?」
「元々、ジュネバル派を国教とするか、もしくはエカテリオ派を国教とするかで親子はかなり揉めていたようだ。だが、それが決定的になったのは、娘のコーデリアの件だ」
ナイナスの顔が曇った。勿論、アルドヘルム中佐にも関係のある話だ。何故なら、孫にあたるのだから。だが、ナイナスにとっては、コーデリアの存在は複雑な思いを抱かせるものだった。
「続けてくれ」
「コーデリアも三歳になり、クロヌス王は、彼女もジュネバル派の教義に基づき、永遠の愛の儀式、つまりフォエーナを煎じて飲ませようとした。すると、ハーバートが激しく抗議した。結果として、諍いは単なる不和でなく、被害者を出した。ハーバートが発砲したのだ」
ナイナスは息を呑んだ。
「その一発の銃声で、従者の一人が死傷。駆けつけた警護兵と、ハーバート側の信者との間で、銃弾の撃ち合いになった。結果、死傷者、重軽傷者合わせて十三名。ハーバートは、ミーヤを連れて南トレファナ湖のほとりの古いホテルに立て籠もった。そして、王家は我々に、ハーバートの抹殺命令をくだした」
「敵構成メンバーは?」
ナイナスは往年の目を取り戻している。長年の不摂生とブランクがあったとしても、目は少なくとも、抜き身の刀の様に冴えきっている。
「おおよそ信者が二十名前後いる。もちろん、フル武装した状態だ。ホテルは三階建て。そして、ハーバートは三階の一番奥に立て籠もっていると見られている」
「なるほど、わかりました。アルドヘルム中佐、その件私もどうか加えて下さい。お願いします」
アルドヘルム中佐は頷いた。
「もちろん。そのために君を呼んだのだ」