ダモクレスの剣
男は、激しくその腕を机に叩き付け、インカムを投げつけた。
「切りおった、だとぉ? 許せん、許せん! なんたる失態、なんたる勝手な振る舞い! 許せん! 実態を知られては困る以上、少数でしか攻められなかったというのにこの体たらく! 万死だ! 奴には絶対に死を与えてやる!」
真っ白で肩まで伸びる長い髪を掻き毟り、頭を机に打ち付ける。
そう、それはクロヌス王その人であった。そして、血走った目で虚空を睨み付ける。
「許せん……!」
その時、王が座る一室の扉が叩かれる。
「後にしろ! 今は無理だ!」
王は怒鳴りつける。扉の向こうの誰かをだ。白を黒と言い張れる、その絶大な権力が彼にはある。
だが、扉を叩く音は絶えなかった。
「後にしろと言っているではないか! 貴様!」
怒りのあまり、投げつけられたインカムを踏みつぶし、王は直接言ってやろうと思い、体重をかけながら一歩一歩歩む。そして、扉を開ける。
そこに立っていたのは、アルドヘルム大佐だった。
「クロヌス王。貴族院の招聘でございます」
そして、アルドヘルムは恭しく礼をした。
「ふん、貴様か。しょうがあるまい、行こう」
王は、怒りを忘れ、子供のような純朴な顔に変わり、用意をした。
そして、ゆっくりと歩む。
「アルドヘルム、貴様とは本当に長い付き合いになるな。貴様には世話になっている。他の臣下の者たちは、信頼できぬ。だが貴様は違う。真に信頼のできる忠臣だ」
「恐れ入ります」
そしてゆっくり、貴族院会館へと歩む。ディスファレト城は貴族院会館と繋がっており、豪奢な調度品で溢れる城内から、赤絨毯がまっすぐに貴族院へと延びている。
「しかし、今日貴族院の招聘とは、聞き及んでおらんぞ?」
「なんでも、貴族院側からの緊急とのこと。陛下にお手を煩わせ申し訳ありません」
「貴様が謝ることはあるまい。所詮連中は有象無象、何かあっても結局意見など纏められぬ凡庸な者達よ。貴様は違うがな」
そう言って、クロヌス王はにやりと笑ってみせる。
「恐れ入ります」
「貴様は父の代から、私に尽くしてくれた。私も、出来る限りのことは貴様には施そうと考えている。尽くしてくれたまえよ」
「は」
そして、貴族院会館へと辿り着く。アルドヘルムが一礼し、扉を開け放ち、クロヌス王はずかずかとそのまま中へ入っていった。
そして、驚愕した。
すでに、全員が揃っている。一様に扉から入ってきたクロヌス王を見、誰一人、何も表情を浮かべない。
いつもならば会釈や、おべんちゃらを言う和やかな雰囲気があるのだが、一切今日の会議場にそんな雰囲気はなかった。
厳粛極まりない、緊張がそこには渦巻いていた。
「陛下、ご着席を」
面喰らっていると、アルドヘルムに着席を促される。そのまま、最上部の特等席にクロヌス王はふんぞり返った。
そして、貴族院会館の中の雰囲気のおかしさに、さらに気付く。
建物は天井に豪華絢爛な壁画が刻まれ、建物の歴史こそ古いものの、清掃が行き届き、調度品は最新のものに換えられているため、古き良き雰囲気が漂いつつも、会議に何の支障もない。
そして、突如として巨大スクリーンが天井から下ろされる。壁画を隠す、とクロヌス王は抗議したが、スライドすることで隠さないと妥協点を見出して、渋々設置を許可した代物だ。文明の利器など、これ見よがしに使うのをクロヌス王は感心しない。
そして、次の瞬間、クロヌス王は驚愕した。
そのスクリーンに、もっともクロヌス王が嫌う人物と、もっとも彼が見たくないものが映し出されていたからだ。
「消せ! 今すぐあれを消せ!」
クロヌス王は怒鳴りつけた。だが、誰一人としてそれに応じるものはいない。頭を垂れ付き従ってきた数多くの臣下が、誰も動かない。
「どうした……?」
クロヌス王は驚いていた。子供の頃から、何不自由なく生きてきた。そしてこれからも死ぬまでその地位は確実だと、クロヌス王は考えている。
しかし、今はどうだろう。何が起きているというのだろう。
そして、王を取り残し、スクリーン上の人物は語り出す。
「ディスファレト王国の皆様。お騒がせをし、まことに申し訳ありません。私はオニキス・マクレーンと申します。今回、私たちは『ダモクレス』を強奪するという凶行を行いました。到底、社会的に許されざる行いであります。
しかしながら、私たちは警備に当たられていた兵の方々にも、それから居住フロアに住まわれていた方、研究フロアで日々研究に勤しまれている研究員の方々に一切手傷は負わせておりません。
まったく血が流れていないとは申しません。潜入された兵に対して、私どもも発砲をいたしました。しかし、最低限度の発砲であり、進んで兵を殺害する意図があったわけではございません。しかしながら、命を落とされた兵、ご遺族様におかれましては、まことに申し上げる言葉もございません」
クロヌス王は唖然としていた。何故、この中継が流れている。自ら、オニキス・マクレーンには何度も暗殺指令を出している。今回も抹殺命令を出している。テレビ局、ラジオ等公共放送、出版等のメディアはすべてオニキスを出さないよう圧力をかけている。
しかし、こうして顔を晒している。それも、自分の権力の及ぶ貴族院の中で。自らの目の前で。クロヌス王の腸は、今にも煮えくりかえりそうだった。
そして、腹立たしいことに、今このオニキスに、クロヌス王の手は届かないのだ。
血走った目で、クロヌス王はオニキスの顔を睨み付けた。
「ですが、私たちがこんな凶行に及んだのには、訳があります。こちらをごらんください」
そう言って、オニキスはカメラを動かすよう指示した。次にカメラが映し出したのは、ダモクレス内部の、核発射装置と核ミサイルだった。
ジラが困惑した顔を見せる。
「オニキスさん、これは?」
「核ミサイルです。いつでも発射できるよう、整備されたものです」
貴族院会館の中にもどよめきの声があがる。もう、クロヌス王に言い逃れの余地は無かった。
「ということは、もしかすると今回の軍事演習は」
「はい、こちらをセイムスに撃ち込む可能性が十分にあったと考えています」
「出鱈目だ! 憶測に過ぎん!」
空しくクロヌス王が叫ぶ。だが、それに耳を貸す人間はいない。誰もいない。
「すみません、次にこちらをごらんください」
そう言ってオニキスが指示すると、カメラは今度は植物プラントを映し出す。透明な箱に入れられ、中の液体の中でゆらゆらと蠢く植物。それが沢山ある。
「これは、フォエーナという植物とされています。ですが、実際には、高所でしか栽培できず、かつとても栽培が難しい、麻薬です」
「麻薬、ですか?」
ジラが焦った声で言葉を返す。
「はい。王国でこれを栽培し、密売することで莫大な利益を得ていた疑いがあります。レートを考えれば、それこそ一国が揺らぐほどのお金が動いていた可能性があります。それだけではありません」
そう言ってオニキスはまたもカメラを切り替えるよう指示を出した。
そこには、虚ろな目、何一つ表情を浮かべていない目をした人達がいた。
「彼らはフォエーナと偽った植物を服用し、脳内のA10神経群をブロックされた人達です。彼らは愛を感じることができません。言い伝え通りに、彼らは永遠に愛を感じることができなくなったのです。敬虔なジュネバル教信徒であるが故に。こんな目にあった信徒は、推定で千人前後いると言われています。そして、そのフォエーナを煎じて飲むという儀式は、実は二十数年前には廃れていました。しかし、今のクロヌス王が、古い教典を見つけ、これを蘇らせたのです。そして、その本ですが、こちらにあります」
そう言って、オニキスは一冊の古びた本をカメラに見せた。
「しかし、この本はとても古く見えますが、真っ赤な偽物です。薬品によって表面を加工し、古く見せていますが、専門の鑑定士に鑑定してもらったところ、二十数年前に作られたもので、古くもなんともありません。捏造されたものです。つまり、クロヌス王は私欲のためにジュネバル派の教義を改ざんしたのです」
「嘘だ! 口から出任せだ!」
だが誰も気にも止めない。さらにオニキスは続けた。
「これは、それよりもさらに前、四百年以上前に書かれた教典です。フォエーナの葉は、出て来ることはありません。つまり、今現在ジュネバル派が正派としているものこそ、新派に相違ないのです」
クロヌス王は慄然とした。そして、肩を落とし、席に座り込んだ。
オニキスは続ける。
「我々はこれらの事実、及び核ミサイルが発射間近という情報を元に、事前にそれを食い止めるため、このような凶行に及びました。テロと言われても、反論の余地はございません。しかし、私どもの決断が、薄氷を踏むようなギリギリのタイミングでの決断であったこと、そして何より重大な国民皆様に対する卑劣な行いがあったことを白日の下に晒したいと考えていたこと、どうかご理解ください」
クロヌス王に、何一つ反論の余地は残されていなかった。ただ、王は頭を抱えるしか、出来なかった。
そして、そこで巨大スクリーンは上へと上がっていく。もう、役目は終えたからである。
そして、そこでアルドヘルムが立ち上がり、正面の壇上に上がる。クロヌス王とも目が合うが、特に表情は変えない。
クロヌス王は、若干の期待を込めてアルドヘルムを見つめる。
だが、それに気付いたのかどうかは判らず、アルドヘルムは声をあげた。
「今日こちらにお集まりの貴族院の皆様方。今、報道であったことは、紛れもない事実であります。何より、動かぬ物的証拠がある以上、反論する余地はありません。よって、本件を私は重大な事と捉え、皆様方に提案致します」
クロヌス王は、目の前で起こっていることが信じられなかった。目を見開く。長年仕えてくれた最大の忠臣、いつでも心を砕いてくれ、どんなことでも応じて、最大限の結果を出してくれる有能な部下、クロヌス王はアルドヘルムをそう信じていた。
それが、今はじめて、飼い犬であるクロヌス王の手を噛んだのだ。それも、確実に噛み殺さんとばかりの猛烈な勢いで。
そしてアルドヘルムは告げる。事実上の死刑宣告。
「王は、これらの重大な事実を、我々の了承も得ず独断で進め、多大なる被害を齎し、我らが母国の権威、信用を失墜させました。これは、到底許されざる行いだと考えます。
よって、王を罷免し、公正なる選挙による次の指導者を選ぶべきだと判断する皆様方は、ご起立願います」
「貴様ァ! アルドヘルム! 貴様ァ!」
王は声を張り上げた。狂気にも似た怒号。
だが、それを聞き入れる者はいない。誰もいない。
貴族院会館において、全ての貴族達は、その時起立した。立っていない人間は、王ただ一人であった。
「認めん! 認めんぞ! 私は絶対に認めんぞ!」
そう言って、さらに声を張り上げようとした王の両脇を、押さえる者がいる。
「王、いや元王はお疲れのようだ。連行したまえ」
警察がいつのまにか、王を取り囲んで羽交い締めにしていた。
「やめろ、私は王だぞ、貴様らに君臨する、ただ一人の王なんだぞ! 離せ! 離さんか!」
空しく、王の言葉がこだまする。
しかし、それに反応するものはもはや、誰もいない。




