オニキス・マクレーン
背後ではジャズピアノが落ち着いた音色を奏で、薄暗い店内であたりには微笑が溢れている。
だが、そのテーブルは別で、男はイライラとした様子でウォッカベースのスレッジ・ハンマーを喉に流し込んでいた。
「遅いぜ。オニキスって奴は、そんなに偉い野郎なのか? 四十五分ってのはお大尽でもちょいと許せん時間じゃないか、なあ?」
その男は、黒いスーツを着こなしたナイナスである。傍らにはグレーのテーラードジャケットを着たミーヤがいた。
「ナイナス、落ち着きなさいよ。先方にも都合ってあるでしょうに」
と言いつつ、彼女も半分ほど空けたグラスを見てぼうっとしていた。腹の内はそれほどナイナスと変わらないのだろう。それを表に出していない分だけ、ナイナスより人間が出来ている。
「すまないねえ。オニキスも居場所があんまり掴めないモンだから、あたしも連絡がなかなかねえ。直前には連絡付いてたんで安心してたんだけど」
と、言いつつ、コサージュ付きのグリーンのフォーマルジャケットを着た女性が、メンソールを吸いながらどうでも良さそうに呟いた。やや小太り気味で、四十代中盤と言ったところのその女性は、ふてくされた態度を見せながらも、堂々としたものだ。
それを聞いて、ナイナスは盛大に溜息を付いた。
「大体、テネスがどうしても、って言うから来たってのに。まったくどうしろってんだよ」
ナイナスの発言を受けて、テネスはメンソールに火を付け、深く吸い込んだ後に、天井からぶら下げられているテレビをメンソールで指差した。
「あんなのに頭押さえつけられるのは我慢ならんってあたしにこぼしてたのは、アンタじゃないの」
テレビのモニタに映っていたのは、真っ白で長めの髪を撫で付け、白くなった口ひげと、長く伸ばした顎ひげをコンチネンタルに整えた、眼光の鋭い男だった。
「クロヌス王か。確かに俺はそう言った。でもそうだろ? 奴は元からの絶対王制をより強め、軍にすら口を出し、揚句に何に使うんだか『ダモクレス』を建設した。バイオスフィアだ、宗教施設だという受け売りだが、俺たちにはさっぱり理由はわからんさ。結局、確かに俺たち軍の人間の金回りは良くなった。しかし、それ以外はどうだ。ジリ貧なのは明白じゃないか」
ナイナスがまくしたてると、テネスが続けた。
「あたしの夢は、この国で選挙を行って、あの王家の鼻を明かしてやることさ。誰もお前を支持なんざしてないってね。だがそれには金も、コネもいる。貴族院の連中を少しずつ説得できてはいるけれど、まだまだなんだよ。で、オニキスってわけさ」
そこにミーヤが口を挟む。
「オニキスさんは、お父さんが貴族院出身だったのに、今で自分の実力で民主化運動を進めていて、本当に素晴らしいと思うわ」
「謂われのない理由を付けられ、父親が王家に暗殺されたからね。でも司法も王家の味方だから、あからさまな不審死なのに捜査すらされなかった。それでも、オニキスは復讐ではなく、民主化運動に力を注いだ。えらい奴だよ」
ナイナスはそれでもふう、と溜息を吐いた。
「えらい奴なのはわかったが、少々時間も守って欲しいもんだね。まったく」
「それはすまなかったね。今度からは気を付けるよ」
そう言ってナイナスの隣にいつの間にか男が立っていた。
短く刈った黒髪に、オレンジ色の縁が太い丸メガネ、薄い口ひげを生やしており、ぎょろりとした目つきをしている。肌は浅黒く、ネクタイをせずに薄緑色のジャケットを着ていた。
「はじめまして。オニキス・マクレーンです。言い訳をするわけじゃないが、セイムスとの緊張が高まっていてね。ちょっと向こうの外務省の事務次官と非公式に話をしてきた」
テネスが溜息を付いた。
「なにもアンタがそんなことやらずとも……」
「非公式だから、単に情勢が知りたいんだと思うよ」
そう言いながら、オニキスは椅子に座り、ビールを注文した。
「王族の息がかかってない中立の意見としちゃ、私はそれなりに自負できると思ってるから、願ったりかなったりではあると思うよ。そういえば、ナイナスくんは軍の人間だったね」
「ええ。って言っても現場にはどういう状況かなんて降りてきませんよ。全部上というか、クロヌス王が勝手に決めている印象です。もっとも、セイムス併合はどうも本気みたいですがね」
オニキスは苦笑した。
「まあそこは世論と同じ意見だと思うよ。セイムス独立を認めた前王を糾弾し続けながら、クロヌス王は今の地位を築いた。老人たちは皆、強いディスファレトへの返り咲きを望んでいる。『ダモクレス』の建設が急ピッチで進んだのも、それが後押ししたからだろうね」
「『ダモクレス』が牽制で終わるなら良いんですがね。どうやってあんな巨大な建造物を金の成る木に仕立て上げるのか興味はありますが。宗教と観光施設、おまけにバイオスフィアって触れ込みですからね」
ナイナスの言葉にテネスが割り込む。
「ちょっと、アンタわかってるんでしょ。どっちかといえばあれは武力の象徴、強いディスファレトの象徴のつもりだって。世論の抵抗を完全に無視し、国家予算の実に四割も費やして、あんなものを作った原動力はクロヌス王の狂った野心だってことをさ」
ナイナスはちらり、とミーヤを見た。明らかに萎縮している。
テネスはそれを見て、メンソールに火を付け、黙った。
「さてと、オニキスさん、本題に入りましょうか。いったい、俺を呼んだ理由はなんです?」
「僕の親父は貴族院出身でね。そのあたりの話をしようかと思ったんだ。何故僕が民主化にこだわるのか、っていうあたりの話をね」
ナイナスにとって、オニキスの話はとても興味深いものだった。軍事色が強い上に、未だに絶対王制が敷かれるディスファレト王国において、男子の憧れる職業は軍人である。そんな風潮の中、さして疑問を持たずして軍に入った後に、今やや疑問を持ったナイナスにとって、オニキスが話す民主主義の話は世界が広がる思いだった。
テレビの中では相も変わらず、録画された内容を繰り返し、白髭のクロヌス王がそのぎらつく目をさらにぎらつかせ、プロパガンダをこれ見よがしに放送していた。