監視塔Ⅰ
その頃、ナイナスはどうにか管理フロアの最初の扉を抜け、どうにか追っ手を振り切っていた。そして、ジョンと通信する。
「まあったく、人使いが荒いな。でもどうにか撒いたぜ。で、ここからはさっきの指紋と網膜照合が使えなくなるんだよな?」
「ああ。先ほどまで使っていたのは研究者レベル。それ以上となると今度は実際に警備に当たっている兵の中でも限られてくる」
ナイナスは薄く溜息をついた。
「結構だ。それで、どうやれば通れるってんだ? こちとら生憎と、そんな全部が揃えられるような状況にはいないぜ?」
「それはこちらでも理解している。その最後に控えた警備フロアの警備体制は厳重だ。そこまでよくぞ無傷で行けたものだと逆に感心する」
ナイナスは、あたりを見回す。監視カメラが上から一帯を監視しており、到底動きが自由に取れる状態ではない。一つ手前の警備フロアでは真っ先に物陰に隠れ、その後発見されなかったが、ここでは少しでも動けば、恐らくすぐに発見されるだろう。
フロア全体は無機質な打放しコンクリートで覆われており、生活感などは皆無である。中央に監視塔があり、そこから全ての位置が見渡せ、かつ一切の遮蔽物はない。ではナイナスはどこに隠れたのか。
咄嗟にあの黒いワイヤーを使い、剥き出しの照明の横、梁に上がったのだ。監視カメラも監視員も、そんな場所を見たりはしない。しかし、事実上それ以上の動きは取れない。ジョンからの次の手を教えて貰えなければ、ナイナスはこの不安定な場所に居続けなければならない。
「感心されてもな。正直な話、次に打つ手はないんだ」
「そうだな。そこでナイナスにプレゼントだ」
「さっきも言ってたよな、それ。で、ここまでデリバリーでもしてくれるってのか? ピザなら、たっぷりアンチョビの乗った奴が食べたいね」
ジョンは苦笑した。
「作戦が終わればいくらでも喰わせてやる。ナイナス、コンタクトレンズとマスク、かつらと手袋を、元のようにケースに入れてくれ」
ナイナスはジョンが何を言っているのかわからなかった。
「なんだ? 綺麗に畳んで返せって話か? 折り目正しくケースに入れろなんて、小学生にでも説教するつもりかよ」
「聞いてくれナイナス。実はその変装機材は、かなりの高性能なんだ。言っていなかったか?」
ナイナスは溜息を付いた。
「聞いたが、お前が話をしなかったんだ」
「そりゃ失礼。実はそのケースに入れることで、その機材全体をアップデートすることができるんだ」
「なに? アップデート? 何がどうなるってんだ。殺菌消毒されて清潔に再利用できる、とかそんなところか?」
ジョンは苦笑を漏らした。
「さすがに敵地の真ん中でひげ剃り機の新機能を体験みたいな真似はさせんさ。ケースに入れ、今話している小型の通信機をセットすると、データを機材全体にダウンロードする。すると機材自体が、まったく別人の変身用機材に早変わりってわけだ」
「そりゃ本当かよ! じゃあとっととやっちまってくれ。どうにも、顔だけ美人ってのは下手な不細工より困るってのがよーくわかった。ところで、その次の奴ってのは男だよな?」
「ああ。そうだ。警備主任様だよ」
「そいつぁ結構。ケースにしまって、通信機もセットすりゃいいんだな」
「ああ」
ナイナスはケースにしまい、通信機もセットし、しばし待った。
そして薄ぼんやりと監視塔のあたりを見る。すると、なんと監視員がその場を立ち去った。チャンスである。
ケースを見れば、プログレスバーが横にあり、それが少しずつ動いているのがわかる。全てが点灯しきれば100%を示すのであれば、今はまだ一割程度。できれば急いでアップデートを終え、すぐさま変装し、怪しまれぬ内に下に降りて、次のフロアに行きたい。しかし、それには時間が間に合うのだろうか。
突如としてナイナスはやきもきし始めた。どうにかアップデートの完了が早まらないだろうか。しかし場所も天井の柱の上だし、何よりバランスが悪い。ケースの重さをギリギリ保っていられるような状態である。他に荷物らしき荷物もないので、荷物面の重さでの心配はないものの、いかんせんこんな不安定な場所というのはどうにもならない。
両手で若干重いケースを必死に支え、下にある監視塔をじっと見る。汗が溢れ出る。
焦っても仕方がない。なるようにしかならない。だが、ナイナスの目は監視塔から離れなかった。
トーマスの動向も気になる。彼は一体今どこにいるのだろう。
そうは言いつつも、ナイナスは黙ってそのまま、不安定な状態を保つしかなかった。




