幕間の二人
頬を叩く乾いた音が部屋に響く。
大股で部屋まで歩んで来た少女が、必死の形相で振りかぶった一撃。遥かに身長の高い男が座っているのを見計らい、少女が頬を叩いたのだ。
叩かれた男は椅子の上から、冷めた表情で、仁王立ちする少女を見上げた。
一方で少女はじっと椅子に足を組んで腰掛ける男を睨み付け、抑揚のこもらない声でこう怒鳴った。
「どういうことですか。なぜ、あんなに人が死ぬ必要があるのです」
明らかにその様子は怒りに満ちていた。ただし、その表情は相変わらず沈着冷静そのもので、怒りの表情を読みとれたのは長年少女の傍らにいた目の前の男くらいのものだろう。
しかし、それを知っても男は一切動揺を見せなかった。
鋭い目。威嚇するためでも、怒っているわけでもない。ただ、平静にしているだけでも威圧感を覚える、修羅場を潜った目。
顎ひげと口ひげを綺麗に整え、高級なスーツに指輪、時計を身につけており、ただそこにいるだけで凄みが感じられる。
そして、悪びれることもなく男は口を開いた。
「なるほど、あれは死にすぎだ、とお前はそう言うのだな」
そして立ち上がり、男は続ける。
「自分の失策は棚に上げ、随分な言い分だな。だが、あの行動はお前も作戦検討時に提案はしていたではないか。作戦意図はなんだった?」
少女は口ごもりながらも、返答した。
「顔なじみ相手ならば、おとなしくなるだろう、という意図でした」
男は人の悪い笑みを浮かべた。
「その通り。敢えて顔なじみをぶつけたのは、戦闘を回避してくれないかと期待したからだ」
少女は懐からハンカチを取り出し、ぎゅっと握り締めながら、消え入りそうな声で答えた。
「私の失策です……」
男は口を開く。
「火が付いてしまったのなら、消すしかない。だから、私は最良の手段を取ったまでだ」
少女は怒りにまかせ、さらに言葉を紡ごうとした。しかし、多数の犠牲者を生んだ結果は、すでに自分が立案しかけた作戦を流用した結果であることは突きつけられている。これ以上、男を責めることはできない。
少女は無表情で、そのまま男を黙って睨み付けた。少女の表情筋は微塵も動かず、良く出来た陶器の様な面にしか見えない。少女は力を入れすぎて白くなった手で、ちぎれそうなほどに古びたハンカチを握り締めた。
そして、そのまま黙って、目から涙をこぼした。一筋だけ、涙が頬を伝う。
男はそれを見て、唖然とした表情を浮かべた。心底驚いたのだ。それ以上男は何も言わなかった。
そして、少女は無表情のまま直立不動の姿勢を取り、空を睨み付けた。
男はそのままジッポを取り出し、タバコに火を付けた。そして、紅茶が入っていた空のグラスを手に取ると、片手で二つを持った。
「コーヒーを取ってくる。いいか、その場を動くなよ。砂糖とミルクは?」
「いらない」
抑揚のない返答。
だが男はろくに気にもせず部屋を後にした。コーヒーメーカーは部屋を出たところにあるのだ。
自分用に一杯、少女用に一杯注ぐ。ついでに警備兵と目があったので、一礼する。
すると、男の元に電話がかかってくる。男は、コーヒーを台に再び置くと、電話を取った。
「ああ。こちらの状況はそれほど芳しくはないな。だが一刻を争うような状況じゃない。それで、そちらの状況はどうなんだ? ほう、あと少しで話が纏まりそうか。これで過半数にはあと僅か、か。
まったく、流石に甘やかされて育った連中だ、こういう時の踏ん切りが甘くて困るな。しっかりやってくれ、お前たちの働きがそのまま、俺たちの運命を左右する。切るぞ」
男は珍しく唇を歪めた。微笑んでいるのだ。そしてコーヒーを再び手に取り、男が部屋に戻ると、少女はまだこちらを黙って見つめていた。
男は少女の目の前にコーヒーを置き、じっとその目を見た。
「言いたい事があるのだろう。言えばいい」
だが、少女は口を開かない。意固地になっているのだろう。
男は薄々と少女が何を考えているかはわかっていた。だからこそ、代わりに男が口を開いた。
「悔しいのだろう? お前の望みが、お前以外の人間に迷惑をかけるのが、悔しいのだろう」
少女はそれでも、口を開かない。
「お前の望みは、人間誰もが望むものだ。それを望んでも、本来何一つ罰なんか当たりはしない。本来ならな。
しかし、お前にはそれも許されはしない。それを理解しているが故に、お前は必死に考えただろう。その小さな頭で。それは評価に値すると判断している。だから私はお前にその作戦の実行を許した。だがな、もうこれ以降の作戦は私のものだ」
少女は目を大きく見開いた。今回も責任を問われる、そう考えていたからだ。
「お前は、お前の望みを叶えるため全力を尽くせ。私は、私の戦いを行う」
男は灰皿に、まだ吸える長さのタバコを押しつけ、部屋を後にした。




