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女ですもの

 一方、ナイナスはトーマスたちの惨状を知らず、ゆっくりと警備フロアを抜け終えていた。無骨な金属そのもの、といった質感の狭く長い廊下を抜けると、カードリーダーの付いた重厚なドアが見える。手前には関係者以外の立ち入りを拒否する警告が書かれ、ドアの向こう側を覗くと、明らかに研究施設らしい様子が見える。

「ジョン。ナイナスだ。やっとの思いで研究フロアに辿り着いた。銃撃戦になったらたまったもんじゃないと思ったぜ」

 ナイナスはその声に安堵感を滲ませながら通信した。

「上出来だナイナス。どうだ、原隊復帰も視野に入れてみないか? 知っていると思うが、慢性的な人手不足でな」

 ナイナスはジョンの言葉に首を振った。

「冗談。こんなことがなけりゃ、銃だって握りたかないぜ。握るのは女の手とコニャックの瓶だけで沢山だ」

 ジョンは苦笑した。

「そうか。残念だ。さてナイナス、ここで一つお使いを頼まれてくれないか」

「おいおい、三十またぎの男にお使いってことはないだろ。で、なんだってんだ? よもやフィッシュ&チップスの材料でも買ってこいってのか? 冗談言いなさんなよ」

「それはない。安心してくれ。お使いというのは、実はその研究フロアの一角に、ナイナスの役に立つものがある」

 ナイナスは顎に手をやって髭を触った。

「ほう。そりゃなんだ。プレイメイトでもロッカーに入ってるってのか」

「そいつはやけに猟奇的な光景だな。実は、軍で使用していた最新鋭の変装用機材があるんだ。入り用だと思うが、どうだ?」

「大歓迎だ。正直なところ、ここから先に侵入するのに、必需品だと思っていたところだ。ところで、何だって研究フロアにそんな代物が? 前もって支給されるべきものだろう?」

 ジョンは溜息をついた。

「……元々研究施設に潜入していた軍の人間が、ご丁寧にテロリストに捕まったからだ。わかったか?」

「そりゃどうも。残っていただけめっけもんってことか。そんじゃま、ナビしてくれ」

「了解。研究フロアに入りまっすぐ行くと、大きな吹き抜けがある。そこから二階下に降り、階段から下りてすぐ、右手のロッカールームに入ってくれ」

「吹き抜けがあるとは豪勢な作りだな。ここがどこなのか忘れちまうね。その後の行動は追って指示してくれ」

「ああ。幸運を祈る」

 ナイナスは通信を切った。しかし、とナイナスは思考する。先ほどのタチアナは上手く誤魔化せたが、ここから先は研究員で芋洗いという状態だ。誰にも発見されることなく通り抜ける術などナイナスにはない上、仮に遭遇した時、誤魔化せるものだろうか。そして、ちらりとナイナスはサブマシンガンに目をやる。隠し持てるサイズではない。

(拳銃なら隠せるからいいとしてもだ、こんなもん持ち歩いて不審者じゃないなんて理屈、通りっこないよな)

 ナイナスはこれから先戦闘になるリスクよりも、とりあえず研究フロアをどうにかやり過ごす安全の方を取ろうと考えた。

 だだっ広い廊下に、サブマシンガンを放り投げる。あまり派手な音を立てず、サブマシンガンは滑るように向こう側へと転がっていった。

 意を決すると、ナイナスは分厚い研究フロアへの扉をカードでこじ開けた。

 完全な丸腰だが、逆に言ってしまえば研究フロアに武器携行の連中はいないはずだ。逆に、あった方が怪しまれる。テロリストたちの警備意識の低さが、ナイナスに有利に働いていた。

 そして足を踏み入れる。例の如くツイードのジャケットにツイードのフェドーラという格好なので、まあ不審には思われても、テロリストだという誤解もないだろう。

 変にうろたえた方が明らかに不審なため、ナイナスは堂々と歩いた。研究フロアは警備フロアと打って変わり、人が住めそうな雰囲気を持っている。白い陶器のような表面加工をされた壁、ぴかぴかに磨き抜かれた淡いクリーム色の床。

 蛍光灯が一面に取付けられ、左右に開ける鉄枠で覆われ、強化ガラスを填め込まれたドアの向こう側、部屋の内部では、数人の白衣を着た研究者たちが右往左往していた。研究に夢中で、ナイナスがどうしていようと見てすらいない様子だ。実に好都合だ。

 ナイナスはゆっくりと廊下を歩いた。フロア自体がそれなりに広いため、五分ほど延々と歩き、そして吹き抜けへと到着した。

 途中の部屋の数も、両手に余るほどあり、それらは全てびっしり研究者が埋まっていた。それでも足りずに警備フロアまで使うとは、一体何を研究しているのだろうか。とても不思議だ。

(こりゃまた、本当にこんなところによく作ったもんだな、たまげたぜ)

 ナイナスは手摺りから下を見下ろすなり唖然とした。おおよそ下には五、六階下まで吹き抜けがあり、その脇に階段があるという構図だ。フロア全体には赤い絨毯が敷かれ、絨毯以外は白一色の清潔感溢れる感じに整えられており、まるで高級ホテルと見紛うほどだ。居住フロアに殆どの場所を割いたという話だったが、研究フロアの設置面積も相当な広さだろう。さらにここから警備フロア、管理フロアに続くというのだから、『ダモクレス』の広大さにナイナスは舌を巻いた。

 不審に思われない程度の速度で、ナイナスは歩く。途中、数人の研究者とすれ違ったが、まったく何とも思わないようだ。それと言うのも、ドアの中を覗けばどうやら白衣を着ない私服の研究者もいるようで、服装に頓着しない研究者にしてみれば、ナイナスは逆にかえって小綺麗にすら見えるような状態だった。実際、すれ違った研究者の中には、眠気覚ましと見えるコーヒーをあおりながら、垢じみたトレーナーとジーンズを着て、頭を掻き毟っていたりする研究者すらいる始末で、それよりは不審ですらないのだろう。

 サブマシンガンを捨ててきて良かった、とナイナスは自分の判断の正しさを認識した。

 そして、ナイナスは勝手知った様子で、赤絨毯を踏み越え、吹き抜けの階段を下へと降りていった。二階分と聞いているため、落ち着いた足取りで歩んでいく。途中、やはり研究員とすれ違うが、お互いに意にも介さない。問題なく、二階を降り終える。

 まあ、二階階段を降りることで失敗などしようはずもないのだが。

 そして、左手のロッカールーム、とやらに行く。降りてすぐさま左手に曲がり、突き当たりのロッカールームの扉を目にする。

 だがナイナスはドアの表示を見て面喰らった。ジョンに向かって通信を行う。

「おいジョン! どういうことだ! お前は左手のロッカールームと言っていたが、ここは女子更衣室だろうが!」

 ナイナスの怒声に対して、ジョンは極めて冷静だった。

「落ち着けナイナス。どうやら文字は読めるようだな。その通りだ。間違いなく、そこは女子更衣室だ」

「ちょいと待てよジョン。いくら何でも、土足で女子更衣室に上がり込むなんざ、正気の沙汰じゃないだろ」

 ジョンは鼻で笑った。

「それじゃあ靴でも靴下でも脱げばいい。いいかナイナス、非常時なんだ。多少のことには目をつぶる柔軟さも必要だ。参考までに、君がロッカールームを開け、その内部に女性がいる確率は10%ほどだ」

「なぜそう言える?」

「そのフロアにいる研究者のうち、女性研究者は七名。仮にその階だけを取れば、全体が六十名以上いるのに対し、たったの七名なので、11%ほどしかそのロッカールームは利用しない。だから安心したまえ」

 ナイナスは呆れかえった。

「七名しかいないから安心して入れる? ここで騒ぎを起こした場合のリスクをお前は考えていないだろう。万が一ということもある」

「なら大丈夫だナイナス。お前は先ほどもどうにか切り抜けた。全幅の信頼をお前には寄せている。何とかしろ」

「何とかしろだと? おい、そんな投げやりな!」

「切るぞナイナス。幸運を祈る」

 そう言うとジョンは実際に通信を切った。薄情な男だ。

 中に人がいるかいないかは音を聴けばどうにかなるし、新たな侵入者の中に入ってから鍵をかければ済む。確かにそうだ。しかし、それでも女子更衣室に上がり込むのはなんとも気が引けるのは事実だ。

 ナイナスはやれやれと軽く溜息を吐きながら、いささか無茶にも思える変装用機材を取りに行く。

 足音を立てないようにロッカールームの前に立ち、鉄で作られたドアに耳をそっと付け、音を聴く。数秒経つが、物音一つしない。

 意を決して、ナイナスはドアを開けた。そして、内部に誰もいないことにほっと胸をなで下ろすと、すぐに鍵を掛けた。最悪の事態は免れたようだ。

 そして、そのままロッカーを一つずつ空けていく。ダイヤル式のロッカーであるため、無理矢理にこじ開けるわけにもいかない。舌打ちしつつ、ナイナスは再度通信を行った。

「ナイナスだ。誰も部屋にはいなかった。それで、一体その貴重な貴重な機材はどこのロッカーに入っているんだ?」

「ドアと反対側の、右から七番目のロッカーだ」

 ロッカールームは左右に十個ロッカーが並び、中央にベンチがあるだけの非常に簡単な作りになっている。

 右から七番目のロッカーを開けようとすると、やはり鍵がかかっている。

「で、番号は?」

「4284。どうだ、開いたか?」

 ナイナスは言われたとおりの番号をダイヤル式の鍵に入れた。非常に昔懐かしい鍵と言えよう。

「開いたさ。オープンセサミー、って奴だな。で、バックパックが一つか。良くバレたのに取上げられなかったな」

「別にロッカーの割り当てはなかったことが幸いしたのだろう。ただ、こちらでは場所は把握していたからな。不幸中の幸いだった」

 そして、ナイナスは何気なく入っていた物を取り出す。カード数枚と、質感が奇妙に人間の皮膚に酷似したマスク、手袋、コンタクトレンズのケースに、かつらだった。

「らしくなってきたじゃないの。で、これはどう使うんだ?」

「マスクもかつらも被ればいい。以上だ。手袋とコンタクトレンズはそれぞれ指紋と網膜照合用だ」

 ナイナスは溜息を漏らした。

「おいおい、やっつけな説明だな。何かこう、特色みたいなものはないのかよ。独自仕様だとか」

「説明すると長くなる上、お前に使いこなせるとも思えん。今のところ、変装用の道具としての活用法は最低限がお互いのためだ。ああ、ところでそのマスクな、かぶるなよ。絶対にだ」

 ナイナスはジョンの発言に顔をしかめた。かつらは明らかに長髪用だ。ナイナスも髪は伸ばし放題だが、栗色のくせっ毛なのでまったく髪質が違う。ダークブラウンでストレートの長髪という、ナイナスとは合わないかつらだ。マスクの方はわからない。それこそ、つけてみないことにはわかりようがない。

「どういう意味だ? なんでお前は要りもしないものを俺に押しつけたんだ?」

「たまにそういうものがあってもいいだろう? だから被るなよ、絶対に! 今はな!」

 どうもジョンの言い方には引っかかりを感じる。百聞は一見にしかずだ、ナイナスはためしに被ってみることにした。

 渋渋ナイナスは自分とまったく不釣り合いなマスクとかつらを付けた。とりわけマスクは顔に着けた瞬間、一体化するかのように動き始め、元あった形からかなり変化し、顔の形を変えた。そして手触りからきちんと被れたことを確認すると、鏡の前に立った。

 そして、絶句した。顔だけが美女で、体はいつものナイナスという、非常に気色の悪い生きものがそこにはいた。

 身長が180cm以上ある上、体躯もたくましいため、より一層おぞましい絵になっている。顔はプレイメイトで、体は毛むくじゃらの大男。明らかにモンスターの類いである。ただ、それが変装ではなく、元からそうだったものであるかのように、見事なまでにマスクはナイナスを女性に見せていた。その点では感心したが、ナイナスは内心、気色悪かった。

「おいおい、これは盛大に吐きそうなんだが、ジョン。どうしてまた俺にこんな格好させたがるんだ? おい」

 そして、話してからナイナスは違和感を覚えた。声が変わっている。

「被るなと言っただろうナイナス、まったく、しょうがない奴だな。確かに今は役に立たないかもしれんな。ああ、ここに映像を映せず実に残念だ! とりあえずコンタクトレンズと手袋は重要だ、そのマスクは……まあ、そのうちにきっと役立つから、大切にしまっておけ!」

 ナイナスは立腹した。明らかにジョンに引っかけられたからだ。見れば見るほどに不気味で、カメラがもしあってもその場で壊す程度には傷ついた。

「さて、ナイナスそれを剥がして、その場を離れろ。そんな様子を見られたらおしまいだ」

「ああ」

 通信機にそう告げた途端、ロッカールームのドアノブが音を立てた。鍵が填め込まれ、回された音だ。

 ナイナスは焦った。だが、一瞬にしてできる行動は限られている。通信機を仕舞い、カードを取り出し、他の荷物をロッカーに入れる。それが精一杯だった。そして、いくら気色の悪い状態であったとしても、マスクを剥がすわけにはいかなかった。トラブルはすべて避けなければならない。特に、女子更衣室に男性が入っていたなら、誰がどう見てもそれはアウト。いくらその状態があり得ない状況であろうとも、言い繕う必要がある。ナイナスはジャケットの上に、咄嗟に白衣を纏い、闖入者を出迎える。

 心臓はまさに早鐘。いったい誰が来ると言うのか。まあ、誰が来ても言いくるめなければならないわけで、状況はさして変わらないのだが。

 そして、いざ入ってきたのはなんと、警備にあたっていたテロリストだった。証拠は、彼がサブマシンガンを構えていたところ。服装自体は実にラフなもので、飴色の革ジャンにジーンズ、髭を蓄え、禿頭にバンダナをくくりつけていた。どう見ても信者という服装ではない。

 服装に疑問を抱きつつ、ナイナスはこの最悪の状況を乗り切る必要性に追われた。

 まず隠れる場所はない。

 不自然極まりないが、不自然に体と顔のミスマッチに話を移させないため、ナイナスはベンチに座った。座れば、身長の高さはすぐにはわからない。勿論、座高の高さは判ってしまうが、180cm以上ということを如実に現すよりはマシだ。そして、体の向きをドアとは逆側に向けた。これでスーツと白衣とのミスマッチも一瞬は気付かない。

 そして、それだけの計算を敷いた上で、男は話しかけてきた。

「おい姉ちゃん、ここで何してんだ?」

 がたいが良いのは無視してくれたようである。これは好都合だ。

 ナイナスは振り返ると、やや大げさに驚いて見せた。

「え、あ、すいません」

 そして、急いでその場を離れようとする。男性が更衣室に銃を構えて入ってきて、驚かない女性はいないからだ。

「ちょっとちょっと、何も取って喰うつもりはないからさ。ただこんな時間にここで何やってたんだ、って思っただけさ。俺たちはそりゃあ、こんな騒ぎを起こしたけどよ、別にお前さんたちの研究の邪魔はしたかねえわけだ」

 そう言われ、ナイナスはロッカールームに手を伸ばし、バックパックの中から一つのケースだけを取り出す。他のものが目に触れたら、最悪だ。

「ちょっとコンタクトの調子が悪くて。洗浄し直していたんです」

 そう言って、ナイナスはコンタクトレンズのケースを見せた。

「へえ。研究者さんでもそういうのに拘るのかい。なんでだい?」

 それに対し、ナイナスは口から出任せながら、それらしいことを言ってみせる。

「薬品が目に入らないように、防護用の眼鏡をかけるんですが、あれが眼鏡の上からかけると、痛くって」

「なるほどなあ。研究者さんなりの苦労ってわけだな。しっかしあんた、ガタイいいなあ。なんか学生時代やってたの?」

 研究者だと思わせたのに、この扱い。しかも座っていてもこれである。しかし、これさえまともに切り抜ければ、どうにかなる。

「バレーをやっていました。でも、今では全然動けませんね」

「まあ確かにそのガタイを活かせばバレーでも相当強かったんだろうな。悪いな踏み込んだこと言っちまってよ。まあ、あと少しすれば解放できるからよ、安心してくれ」

「はい、そちらもお気を付けて」

 そう言ってにっこり微笑んだ。

 自分で言っていて気色悪くなる上、何故これから潜入する先の兵士にエールを送らなければならないかわからない。

 だが、これでどうにか警備の兵はその場を立ち去った。

 自己嫌悪で死にたくなりながら、ナイナスはどうにか切り抜けたことを安堵するのだった。

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