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不穏なる起床

 携帯電話が激しい咆吼を奏でた。それは、ハスキーな歌声と、激しいビートのハーモニーだ。しばらくは沈黙を保っていたが、窓から入ってくる涼しい風と、カーテンに日光を遮られた中で、純白のシーツとベッドの隙間から、観念したように毛むくじゃらの手が這い出る。

 だが、栗色の毛で覆われ、第一関節すら毛が覆った手は、惜しくも携帯電話を取ることは叶わず、携帯電話はロックのシャウトを響かせながら、ベッドの下へと転がり落ちる。

 コニャックとウイスキー、そして山ほどのハイネケンの空き瓶の傍ら、クリーム色の絨毯の上に着地。

 さすがに観念したのか、毛むくじゃらの腕の持ち主は、ベッドから起き上がる。

 その姿は、ボクサーパンツ一枚であり、鍛え上げられた体躯は、胸毛が臍下までびっしりと生えそろい、その上顎髭と口ひげが存在感を物語る。髪は栗色で、くせっ毛が波打っており、肩口まで無造作に伸ばされている。そして、ふわあと大きくあくびを漏らしたあと、カーテンを開けながら携帯電話に出た。

「はい、こちらナイナス。今日も良い天気だね。風が気持ちいい」

 そう言いつつ、ナイナスはテレビのチャンネルを探した。無造作に服が詰め込まれたケースの横、乱雑に書かれた手紙が乗った小物入れの上、飲み残してすっかり気が抜けた、コップに入ったビールの横にある。その横には半分だけ包装が解かれたチョコチップ入りのクッキーが入ったアルミの缶が置いてあった。

 左手で器用に探し当て、テレビを付けた。

「見てた見てた。もちろん。君の晴れ姿」

 と言いながらチャンネルを変える。どうやら電話の相手の出番は終わってしまったらしい。テレビの中は、違うニュースキャスターがニュース原稿を読み上げていた。まあ、だから、電話をかけてこられたのだろう。

「嘘ばっかり。寝てたでしょ、ナイナス」

 電話の相手は、呆れた声を漏らした。

「何言ってんだよ、そんなわけないって。ジラの晴れ舞台、見ないわけないだろ。冗談上手いなぁ。ったくホントもう」

 ジラはむっとした声で言葉を返した。

「じゃあ、私が読んだニュース言ってみなさいよ、一つでいいわよ」

 そうは言っても、高いびきをかいて寝ていたわけで、ただの一つも知らない。

「君の顔に見とれて聞こえなかったよ。原稿を読み上げている姿も素敵だ。くらくら来ちまうね。正直、惚れ直した」

「バーカ。あのねナイナス、今日のニュースは結構あなたにも重要なのよ」

「へえ、そうかい。しかし、この今やってるニュースも、俺にとっちゃ結構深刻だなあ。と言っても、今更飽き飽きする話題だがね」

 ナイナスは注意深くテレビを見た。ニュースキャスターは原稿を読み上げる。

「このたびのディスファレト王国軍の、国境線近くでの軍事演習はセイムスへの軍事侵攻を示唆するものと見られ、セイムスからは抗議声明が出されています」

 テレビには、ディスファレト王国とセイムスの国境線ギリギリまでにわざわざ寄った場所で、ディスファレト王国の軍が大規模な軍の武装を展開している様子が映し出されていた。戦車、ヘリ、歩兵。おおよそ一個中隊。とても軍事演習だという言い訳が通るような状況ではない。

 国境線の向こう側にはセイムス軍も展開し、にらみ合いの状態だ。緊迫した空気がこちらまで伝わってくるほどの緊張状態である。

「でも、ディスファレト王国の軍事演習なんて、何度もやってるじゃないの」

「そりゃ、そうだがね。しかし、何せ俺住んでるのがセイムスなんでね、無関係じゃないんだよ」

 次にテレビに映し出されたのは、真っ白で肩まで伸びる長い髪を撫で付け、白くなった口ひげと、長く伸ばした顎ひげをコンチネンタルに整えた眼光の鋭い男性だった。スーツを着込み、カメラに向けてその鋭い目線を向けている。

 ナイナスは歯噛みをした。

 ニュースキャスターは原稿を読み上げる。

「なお、この件に関してディスファレト王国のクロヌス王は、単なる軍事演習である事を強調し、セイムスへの侵攻の可能性はないとスポークスマンを通じてコメントしました」

 ナイナスは深い溜息を漏らした。

「イヤなツラ拝んじまった。で、何言いかけたんだったっけ、悪いな」

「窓の外、見てる?」

 窓の外は快晴だ。眼下には住宅街が広がっている。あまり美しく豊かな住宅街というわけではなく、薄汚く、無闇に大きい。色取り取りの屋根は老朽化が進み、塗装は剥げたまま放置されているが、たいして気になどする必要もない。

 その建物が並び立つ遙か向こう、うっすらと見える黒い影。国を隔てたディスファレト国の上空に、その影は浮いている。

「ああ勿論。『ダモクレス』が浮いてるな。今日はくっきりだ。しかし、何度見てもすごい。何しろ、山みたいに大きな城が浮いてるんだからね」

「ええ、凄いわ。技術の粋を極めた、飛行する城ですもの。ヒッグス粒子を撒き散らす事で重力制御し、その上それに必要な莫大なエネルギーすべてを、太陽光発電でまかなう夢の城よ。民間との共同出資で、バイオスフィアとしても機能する、未来に向けた希望の船」

 ナイナスは呆れた声をあげた。

「そのまんま宇宙空間に行けるような、宇宙移民を見越した技術革命、だっけ? 世界でも四機しか飛んでないってのに、鼻息の荒いことで。

 で、あれがどうかした? まさか、二人の愛の巣として買っちゃった、とか? それなら返事は聞くまでもなくOKだぜ」

 ジラは鼻で笑った。

「占拠されたわ。テロ組織に」

 ナイナスが握り締めていたテレビのチャンネルが、絨毯の上で飛び跳ねた。

「おいおいおいおい、冗談キツいぜ。ちょっと笑えないな、そりゃあ。今だって浮いてるように見えるがね。見たまんまじゃ、いたって正常運行って見立てだ」

「そりゃそうよ、乗っ取って何も要求せず落としたら、脅しの意味なんかないでしょ」

 ジラはため息をついた。

「で、そのテロ組織ってのは? アラブ系? どっかの新興宗教? それとも宇宙人か何か?」

「ハズレ。ディスファレト教新派の、エカテリオ派の連中よ」

 ナイナスはため息をついた。

「仲間割れって寸法か。軍事政権なんだからこう、パーッと盛大にだな、治安出動して終わりだろうに。何をゴタゴタやってるんだ?」

「知らないわよ。そっちの話はナイナスの方が詳しいでしょ」

 ナイナスは眉を顰めた。

「おいおい、勘弁してくれよ。ま、ちょいとばかり気になるっちゃ気になるが、俺が今どうにかできるって話でもないだろ。そういや、ディスファレトって言えば、オニキス・マクレーンはどうなったんだ? 今行方不明だろ?」

「民主化運動の第一人者と言われた彼が今この話を聞いたら、口をあんぐりじゃないかしら。知っていたら、の話だけど」

 ジラは苦笑した。

「その口振り、やっぱ死んでいるのか」

「音沙汰なくなってからもう九ヶ月よ。もうダメでしょ、さすがに」

「俺みたいな素人が憶測言う分には一向に構わんが、いいのか? 売れっ子キャスターがそんな個人的憶測言っちゃって」

 ジラが臍を曲げた気配が電話口から伝わる。

「……なにそれ。皮肉?」

「そんなわけないだろ。何言ってるんだよ」

 ジラはため息をついた。

「報道に身を置きながら、なんでスクープ探ししなきゃならないんだろ、私。報道とスクープって本来は別物じゃない?」

「上の方針って言ってただろう、経費削減とかのモロモロで。まあ、他の役割を局お抱えのキャスターに求めるなって感じだがね。ホント気の毒な話だ」

「勝手言っちゃって。こっちは死活問題なんだから、わかってんの?」

「了解、小耳に挟んだ話は逐次伝えるようにする、これで問題ないか?」

「よろしい。では報告を楽しみにしてるわよ」

「オーキードーキー」

 そう言って電話が切られた。そしてすぐさま、洗面所へと向かう。

 向かう途中にうっすら埃を被った写真立てと、勲章の前を通り過ぎる。

 今よりもっと痩せており、髪も短く髭もきれいに剃ってある昔のナイナスが、軍服に身を包み、隣の男と笑いながら肩を組み合っている写真。その横の写真には、ブロンド髪で、ウェーブがかかった女性が黒いドレス姿で微笑んでいた。

 そして、今でも鈍く輝く勲章が、大小様々、五つほど並んで飾られている。その勲章には、ディスファレト王国軍特殊部隊、ナイナス・オークという表記がなされていた。

 そしてナイナスは、備え付けの電話のボタンを押す。留守番電話のボタンが、点滅していたのだ。そして、聞く間もなく、ナイナスはタイル張りの浴室へ入り、鼻歌交じりでシャワーのノブを捻った。同時に歯ブラシも手に取る。

 シャワー越しに、留守番電話がメッセージを告げる。

「セリーナです。今月の分、振り込んでおいたから。早くお店に来て頂戴。待ってるんだから。それじゃあね」

「ちょっとナイナス! いい加減、デートしてよ! もう、一ヶ月もほったらかしって、ひどくない? ナンシーでした。いつでも返事待ってるから! 早くね!」

「ナイナース、グレースよ。会いたい、会いたい、会いたい、会いたい。早く会いたい!」

「フィオナです。わたし今ディスファレト王国に来てます! お土産、送るわね!」

 熱烈なラブコールにも、一切ナイナスは動じない。その後も、雨あられのように女性からの求愛、再び会いたいといったラブコールが二十件ほど立て続けに流れ続ける。

 だが、それをBGMに、ナイナスは泡まみれの全身を、鼻歌交じりにシャワーの熱湯で流すだけだ。

 そんな中に混じり、中年女性のだみ声が入る。

「テネス・パターソンです。ナイナス、あなたに『ユスティティア』の件でちょっと話があります。至急連絡をください。どうせヒモやってんだから暇してるんでしょ。早急にね」

 途端、歯ブラシを口に突っ込みながら、ナイナスは盛大にむせた。

「ったく、一体全体、なんだってんだテネスのババアは。まったく、何か用があるってんなら直接顔を差し向けるのが礼儀ってモンじゃないのか」

 と、ナイナスは居もしない相手に文句を叩いた。無論、相手がいないからこその発言だろう。

 そして、文句を言った途端、電話がかかってくる。無論、無視。そのための留守番電話だ。

「ナイナス、いないのか。あー、久しぶりだな。ディスファレト王国軍特殊部隊所属、ジョン・コスナーだ。すぐ近くにアルドヘルム大佐もおられる。お前に用があって至急電話をした。お願いだ、電話に気付いたらすぐに電話を返してくれ。一刻を争うんだ」

 ナイナスは、シャワーを止めた。そして、壁のタイルに頭と両腕を押し当てた。水滴がしたたり、タイルと肉体とが擦れ、キュッと音を立てた。

「おいおいおいおい、勘弁しろよ。何の用だってんだ、一体……」

 ナイナスの脳によぎるのは、つい先ほどジラから言われた一件、『ダモクレス』のことだ。だが、すでに自分には関係のない話だ。まったく過去のことである。証拠に、壁に飾られた写真の中で、ナイナスの横に立って笑っているジョンは、今では写真にプラスして10Kgも太ったと聞いている。そのくらい、過去の話なのである。

「俺には関係ない。少しも関係ない。そうだ、過去が俺に何をやらせようってんだ。俺は未来に生きてるんだぜ、過去ごときにどうこうさせてたまるかってんだよ」

 髪を振り乱しながら頭を左右に振る。努めて忘れようとしていた過去が、頭の中をよぎる。

 そのままナイナスはバスルームを出ると、バスタオルで無造作に頭を拭き、ガウンを着込んで、クリーム色のソファに腰掛ける。そして、ワインセラーからシャトー・ル・パンを取り出した。まだ日も高いというのに、濃厚な赤が彩るその液体をワイングラスになみなみと満たし、情緒も何もなしに、ぐっと呑み込んだ。二杯、三杯と飲む。酔えるはずがない。

 そして、ナイナスはガウン姿のまま、物置を探し始めた。すっかり埃を被った雑多な物の影に、昔懐かしいVHSのビデオテープが転がっていた。

 埃を手で払い、さっぱり使っていなかったビデオデッキに、そのテープを入れる。今ではすっかり見ることのなくなった磁気ノイズと共に、かつてのナイナスの姿がテレビモニタに映し出される。

 十一年前、彼がディスファレト王国軍特殊部隊に所属していた頃の映像だ。今と違って髪は短く刈られ、髭もない。そして、映像の中、今と違う点がもう一つある。それは、彼の横にもう一人、女性の影があること。ウェーブがかかった金髪を揺らしながら、微笑んでいる。

「ナイナス、お肉、もう焼けたと思うのだけれど」

 そう言って、女性はにっこり微笑んだ。あたりが森林ということもあり、緑に覆われ、より一層美しさが引き立っている。

「なんだそりゃ。俺に取ってくれと頼んでいるのか、それとも同意を求めてるのか、さもなくば独り言なのか、どれなんだ?」

「命令に決まってるじゃない、ナイナス」

 ナイナスはゆっくりと女性の顔を見直した。微笑みは天使のようだ。

「了解。ナイナス軍曹、これより食糧の補給任務に入ります!」

 敬礼と共に、バーベキューグリルの上に乗った色取り取りの野菜、ピーマンの脇にあった、熱々に焼けた肉を数切れ、ナイナスはフォークで刺して女性に手渡した。

「上出来よナイナス軍曹。だけど、できることなら玉ねぎも取るべきだったわね。戦闘の基本はバランスよ」

 そう言って女性は牛肉を頬張る。

「はっ! ナイナス軍曹、精進いたします!」

 敬礼を行う。それを、にやにやと笑う他の面子。

「ナイナスをあそこまで顎で使える奴は他にいないな」

「まったくよね。私もああいう上下関係を築きたいわ! 女が権力を握るのが自然よね!」

 髪を後ろに結んだ女性がガッツポーズを取る。

「勘弁しろよ、想像するだにゾッとするぜ。家でも軍仕込みの命令を要求されたら、魂すら燃え尽きちまう」

 メガネをかけた七三分けの男が肩を竦める。

「でも、案外楽しんでるんじゃないのか、アイツは」

 髪をオールバックにしてサングラスをかけた黒髪の男が、ナイナスの方に顎を向けにやにやと笑った。

 それを見たナイナスは、電光石火の勢いでフォークを動かした。本業のナイフ捌きも斯くやとばかりの猛烈な速度に、一同は舌を巻いた。一人の例外を除いて。

「ったく、ナイナス! 俺の肉取るんじゃねえよ!」

 先ほど余計なことを言ったサングラスの男が、ナイナスに怒声を浴びせた。

「おいおいジョン。バーベキューパーティーなんて言えば聞こえは良いが、その実ここは戦場だってのは先刻承知だろう? かすめ取られる奴が悪いんだよ」

 スペアリブを噛みながら、ナイナスは講釈を垂れた。

「横暴だぞナイナス! それなら、俺にだって考えがあるぜ」

 そう言って、ジョンはクーラーボックスをしまい始めた。

「ビールはお預けだ。おっと、抵抗はやめたまえよ、なんならこの程度のビール缶など、ものの五分で飲み干してしまうぞ?」

 ふん、とジョンは得意げに胸を張る。

 途端、他の人間から罵声が出る。

「横暴はお前だジョン!」

 メガネをかけた七三分けの男が声を荒げる。

「ビールもなしにバーベキューを食うなんて、ボールも持たずにフットボールやろうとするようなモンだろうが! 馬鹿にしてんのか!」

 角刈りの男が大声を張り上げる。

「あなた、額の真ん中にもう一つ目を作ってみたくない? ハンサムになれるわよ」

 髪を後ろに結んだ女性が叫ぶ。

 それを聞いてナイナスは笑い転げる。

「馬鹿だなジョン、多数を敵に回すのは戦略的にどうなんだ?」

 ジョンは首を振った。

「誰のせいだと思ってるんだ、誰の」

「そりゃ、お前さん自身のせいに違いない。強いて言えば、口は災いの元って奴だな」

 と、ナイナスはまたも笑った。

「ほらジョン、ビールよこせ!」

 と角刈りは、ウインナーを頬張りながらジョンに向けて手を出した。ジョンは舌打ちしながら、ビールを放った。

 角刈りは受け取るなり喉に流し込み、歓喜の声をあげた。

「かーっ、たまらんな、やっぱビールは。バーベキューにビール。これ以上に贅沢なことがあろうか。そしてミーヤ嬢もいて眼福しきりってもんだ。こたえられんね」

 そう言って、ナイナスの横に座る女性の方をちらりと見た。すると、ミーヤと呼ばれたその女性は、にこりと微笑むとこう言った。

「あら、マドックさん、お上手ね。でも残念、私の納車先は決まってるから」

「そりゃ残念」

 角刈りは大げさに首を振った。

「しっかし、何度見ても信じられないカップルだよな。そう思わないか?」

 七三分けが言うと、後ろで髪を結んだ女性が頷く。

「名家中の名家、ガウアー家の令嬢と、特殊部隊のたたき上げ、だものね。あり得ない組み合わせよ」

 そう言って肩を竦めると、ミーヤが反論した。

「バベットさんは失礼な方ね。私に見る目がないって、おっしゃってるのかしら?」

 そう言って、じっと女性を睨んだ。

「いや、我らがナイナスくんは、もちろん部隊の中でも凄腕だけれど、女性相手でもトップガンなんだな、と」

 七三分けが返す。ナイナスは首を振る。

「そんな、俺がまるでプレイボーイみたいな言い方、気に入らんね。俺とミーヤは実に清い、運命的な出会い方をしたもんさ。そうだろ、ミーヤ」

「ええそうね。飛行機に乗っていたら、盛大にゲーゲー吐く客がいたの。最低でしょ? で、そればかりか吐血までしたって言って、困ったフライトアテンダントは医療関係者を呼んだの」

 ナイナスはミーヤの言葉を遮ろうと彼女の肩を掴んだ。だが、ミーヤは止まらない。

「それで、研修医だった私しか医療関係者がいなくて、その患者を診たのよ。診断結果はマロリー・ワイス症候群。食道と胃の境目で出血した時に起こる、要は飲み過ぎによる吐きすぎが原因の症状ね。予後も良好で、よっぽどひどく出血しないと生命に別状はないんだけれど、患者はひどく興奮してね」

「ミーヤ、もういい、やめてくれ」

「死んでしまう、俺にはわかるんだ、俺はもう長くなあい、とか言うのよ。私は笑いを堪えながら症状を懇切丁寧に教えてあげたら、赤面しながら納得したの。どう? 清い出会いでしょう?」

 一同は腹を抱えて笑った。

 皆、笑いあっている。ナイナスも、ミーヤも、ジョンも、心底楽しそうだ。

 だが、それを見つめるナイナスの頬には、涙が伝っていた。

「もう……終わったことだ。終わったことなんだよ」

 ナイナスはビデオを止めた。そして頭を抱えた。瞼を閉じる。そして、浮かぶのはそれより後、ナイナスが忘れられないあの日。

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