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7 安弘編 おやつ





 自転車の後ろにまひるを乗せて、家路へ急ぐ。年長のまひるには、少し座席が狭くなったようだ。もう自分で子供用自転車にも乗れるしな。


 漕ぐたびに感じる重さを嬉しく思いながら、夕焼けが終わったばかりの遠くに星を見つけた。空気は夏に近い。

「蒼太のお家、楽しかった?」

「うん。お父さん、そうたのお母さんがね」

 俺とまひるが住むマンションから左程遠くはない、最近仲良くなったというまひるの友人宅からの帰りだった。この頃はこうして、隔週で仕事がある土曜は預かってくれる友人ができたのも、うちの事情を知っていてくれる人が増えたのも、心強かった。そして月に一度は実家の母と、朋美のお母さんが交代で様子を見に来てくれているのも、今では心から有難い。

「あのね、クッキー作ってくれたの。すごくおいしかったよ」

「へーえ、そりゃあ良かったなあ」

「くまとうさぎとお星さまとお花と、お家と車と……いろんな形があったよ」

「すごいな」

「まひるも作りたい」

「え」

「ねえ、明日一緒に作ろうよ。お父さん日曜日でお休みでしょ?」

「う、うーん。そうだなあ。お父さんクッキー作ったことないんだけども」

「大丈夫だよ。まひる覚えてきたから。ね?」

「そうなのか。じゃあやってみるか」

「やったー」

 まひるは滅多に我儘を言わない。

「お父さん、ひゃっきん行こうよ」

「百均? 何で?」

「クッキーの型だよ。ハートも売ってるんだって」

「今から行くの?」

「うん。……だめかなあ」

 遠慮がちな声だった。

 まひるは普段からとても聞き分けが言い。だからこそ、余計にこういう時は言うことを聞いてあげたくなってしまう。

 仕方ない、今夜もレトルトか。

「百均に寄ると時間がなくなるから、夕飯は、またカレーの王子様だぞ。それでもいいか?」

「いい、いい! まひる、あのカレー好きだもん」

「よし、じゃあ百均へレッツゴーだ!」

「ゴー!」

 無邪気な笑い声が背中に響く。


 子どもは、面倒だ。

 こんなに小さくても意志があり、自分で考え、俺の知らないところでたくさんの知識を得て行動している。大人の思い通りになんて動かせやしない。でも、その面倒が嬉しかった。成長していくまひるの傍にいれることが、今の俺にはこの上ない幸せだった。



 よく晴れた翌朝、まひるはやる気満々で早起きをしていた。

 保育園で使っている小さなエプロンをつけたまひるの髪を二つに縛ってやる。リビングのダイニングテーブルに材料を広げている間、まひるは子供用の台を運んできて傍に置き、乗った。

 小麦粉、砂糖、卵、バター。まひるの言った材料は全部揃っていたけど分量がわからない。

「うんとね、粉はカップに一杯だったよ」

「おお、そうなのか」

「それから卵はえむサイズが一個」

「まひる、よく覚えてるな。お父さん本気で感心してるわ」

 まひるが教えてくれる手順通りに進めていく。これはもしかしてもしかすると、今流行りのパティシエにでもなれる才能が、あるのかもしれないのでは? ……なんてな。俺も親バカだからすぐこんなことを考えてしまう。

 卵に砂糖、バターを混ぜ、粉を入れた。すると、まひるが不安そうな声を出した。

「なんか柔らかいみたい。そうたの家で作ったのは、もう少しぽろぽろしてた」

「そうか。じゃあもっと粉入れてみよう」

「平気かなあ」

「大丈夫だよ。多分」

 ボウルに入ったクッキーの生地に、さっき使った小麦粉をどさっと混ぜる。しばらく混ぜると、まひるが眉根を寄せた。

「今度は硬いみたい」

「冷蔵庫に牛乳があったぞ。ちょっと混ぜてみるか」

「ねえお父さん、変になっちゃうよ」

「大丈夫だって。塩入れたり醤油入れたりするわけじゃないんだから」

「そう、かなあ……」

 結局牛乳を入れ過ぎてしまい、また粉をさらに入れて、何とか生地をまとめて、二人で型抜きをした。夕べ買った、ハートと花と星の型だ。そこでようやく、緊張していたまひるの顔に笑みが浮かんだ。

 オーブンレンジで、まひるが教えてくれた180℃の温度で焼く。しばらくするといい匂いが漂ってきた。


 指定の時間が経ってレンジの扉を開け、焼き上がったものを覗く。さっきのいい匂いの期待とは逆に、どう見ても綺麗に出来たとは言い難い。

「なんか、失敗しちゃったな。お菓子って難しいんだな」

 分量を変えるのは駄目なのか。料理と違うから適当でも何とかなるもんだと思ってた。まひるは皿の上にのせた、焦げて黒っぽくなった硬そうなクッキーを無言で見つめていた。

「まひるの言うこと聞かないお父さんが悪かった。ごめん」

 ひとつひとつの焦げ目がバラバラだ。生地を伸ばした時の厚みが薄すぎたらしい。

「捨てようか」

「だめだよ」

 俺の問いかけに頭を横に振り、まだ温かいクッキーを小さな手でつまんだまひるは、その端っこを口に入れた。

「おいしいよ、お父さん。まひる、これも好きだよ」

 両手でいびつなクッキーを持ち、硬そうに齧ってボリボリとかみ砕いている。俺に気を遣う健気なまひるを、ぎゅっと抱き締めた。きっと、朋美だってこうしたよな? なんか、泣きそうだ。

「お父さん痛い」

「あ、ああごめん。なんだか嬉しくてさ」

「お父さんも食べてみなよ。ちょっと硬いけど、あったかくて美味しいよ」

 手渡されたクッキーを齧る。硬いけど確かに味はいい。

「今度はちゃんと本買って、また作ってみよう。いや、まひるの言う通りにすればいいんだよな」

「あー! お父さん!!」

「どした? 急に大声出して」

「は、歯が抜けた……!」

 まひるは小さな舌をぺろっと出し、指でその上にあるものを摘まんだ。

「血が出てるよ、どうしよう」

「おおー、大人になったな。血はすぐに止まるから大丈夫だよ」

「大人?」

「赤ちゃんの歯は抜けて、大人の歯が生えて来るんだ。大事に取っておこうな」

「取っておくの? このまま?」

「いいものがあるんだ。まひるのお母さんが買っておいたのが。お父さんそれを出してくるから、まひるは洗面所でうがいして、抜けた歯も洗っておいで」

「はーい」


 寝室に入り、思い出の品が入っている段ボール箱からそれを取り出してリビングへ戻る。きっと、喜んでくれるはずだ。

 目を輝かせて窓際で待つまひるの前に、手のひらへ乗せたものを差し出した。

「この中に入れるんだよ」

「わあ、かわいい!」

 直径5cmくらいの丸い木製の入れ物。その蓋を、くるりと回して開けた。水で洗った抜けたばかりの白い歯を、まひるがそこへぽとりと落とした。二人で小さな円形の入れ物を覗き込む。窓から入った日差しを受けて、小さな歯がきらりと光った。

「お父さん、抜けたの全部ここに入れるの?」

「そうだな。ぎゅうぎゅうになっちゃうかな?」

「まだいっぱいあるもんね」

 その笑顔に愛しさが込み上げる。

「お母さんも、まひるみたいに甘いもの好きだったよ。クッキーも」

「そうなの?」

「まひるはお母さんに似てるな」

「ほんと?」

「うん。笑うとそっくりだよ」

 へえ、と言ってまひるは再び洗面所へ向かった。自分の顔を鏡で見ているんだろう。


 まひるは朋美のことを、あまり聞かない。幼いくせに俺に気を遣っているのではと思えてならなかった。

 だからこそ、なるべく俺の方から朋美のことをまひるに話してやらなくてはと思う。彼女の性格、彼女が好きだったもの、好きだったこと、楽しく過ごせたこと、何より、まひるを本当に大切に思っていたことを、全部。

 そして朋美にも彼女の写真の前で、まひるのことを報告していた。


 朋美。今日みたいな失敗を繰り返してきた自分は、いつまでたってもいい父親だなんて胸を張って言えることはできない。今この時だって朋美がいてくれたらどんなにいいかと、何年経ってもお前が傍にいないことに、慣れることの出来ない自分がいるんだ。

 でも、これだけは安心してくれていい。

 俺たちの子どもは朋美に似た優しい子に育ってる。まひるは、いい子だよ。





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