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07

※女性に対する暴行シーンがあります。ご注意ください

アイリスは、一つの決断を下した。


何度も悩んで、何度も考えて、何度も涙して。

後悔して、懺悔して――震える夜を、一人で過ごしてきた。


ずっと一人の夜が嫌いだった。


静寂が怖くて耳を塞いだ。


今まではそれを誰かの温もりで誤魔化してきた。


でも、今のアイリスを支えているのは、誰でもない――セドリックただ一人。


――何日もかけて行われた聞き取り調査。


王宮の文官と交流する機会など、どんな形であれ簡単に得られるものではない。


一部の隊員が、男女問わず文官達に熱を上げていたのを遠巻きに見ていた。


隊員は体を資本としている脳筋が大半だ。


だからこそ、頭を使って働く文官に憧れを抱く者が多い。


文官と仲良くなった隊員たちから広がった噂は、アイリスにとって優しいものではなかった。


「初日にしか来られなかった宰相補佐官様、ホント素敵な人よねぇ!」

「知的な雰囲気がにじみ出ていたものね!」

「子爵家の次男様らしいわよ?」

「ってことは、将来は平民になられるのかしら?」

「それが、近年、結構難しい外交をまとめられたとかなんとかで、今度、陞爵されるって噂よ」

「えぇっ! 残念! じゃあやっぱり手の届かない人だったかぁ」

「高望みし過ぎよぉ。文官の中には平民もいるから、その辺で手を打っておきなさいよ」

「だぁってぇ、宰相補佐官様くらいだと超高給取りってことでしょ? なんか、諦めきれなぁい!」


きゃらきゃらとした女子トークが、やけにアイリスの心に響いた。


(子爵の次男……そりゃあ、品がいいなと思っていたけれど)


後出しされるセドリックの情報に、過去のことを思い出しては“そういうことか”と納得し、少しずつ落胆と諦めを繰り返す。


あの後、何度も水の咲く日に呑み屋に足を運んでも、セドリックが来ることはなく――次第にアイリスの足も遠のいていた。


――そんな代わり映えのない日々の中で、レグナードがいなくなり、職場の雰囲気も各段によくなった。

嫌われ者の上司が一人いなくなっただけで、随分過ごしやすい空気が出来上がっている。


ようやく休暇が取れるようになったある日。

ケイト夫妻と休みが重なり、アイリスは二人の家を訪れていた。


相談がある、と。そう伝えて。


「それで? 話って何?」


テーブルに並べられた紅茶は、すでに湯気を失ってその水面にアイリスの浮かない表情を移している。

いつまでも切り出さないアイリスに、ケイトが痺れを切らせる。

隣では、エリオットが苦笑していた。


急かす妻を軽く宥めながらも、内心では同じ気持ちだ。

アイリスがわざわざ時間を作ってまで頼ってきたことなど、これまで一度もなかったのだから。

二人の視線が優しく見守る中、ようやくアイリスがゆっくりと口を開いた。


「……すきな、ひとがいるの」


ぽつりと落とされた言葉に、二人は顔を見合わせる。


次の瞬間、ケイトが勢いよく身を乗り出した。

誰なの、と問い詰めようとするのを、エリオットが慌てて引き止める。


不満げに頬を膨らませながらも、ケイトは改めてアイリスを見た。


――その表情に、言葉を飲み込む。


今まで見たことのないほど張り詰めた顔。

けれど同時に、どこまでも真剣な眼差し。


浮ついていた気持ちが、すっと静まっていく。


静寂の中、アイリスはゆっくりと口を開いた。


「ずっと知り合いだった人」

「すごく優しくて、誠実で」

「自分なんかじゃ、勿体ないくらい――素敵で」


言葉は、途切れずに続く。


「だからこそ、一歩を踏み出せなかった」

「今更になって、自分がしてきたことを後悔した」

「ケイトにもエリオットにも言われ続けてたのに」


少しだけ、息を吸う。


「好きって自覚した途端――全部、遅かったって思い知って」

「……ほんと、馬鹿だなって」


それは、誰に向けた言葉でもない。


ただの独白だった。


「二人のことを蔑ろにしたわけじゃない」

「でも、結果的にそうなったことが――どうしても許せなくて」


ぎゅっと、指先に力がこもる。


「ずっと心配かけて、ごめんなさい」

「ずっと大切にしてくれたのに……同じくらい大切に思っていたのに」


言葉が、わずかに揺れる。


「大切に、できてなかった」

「――そんなこと、ない!」


堪えきれずに、ケイトが声を上げる。

けれど、アイリスは小さく首を振った。


「それでも」


静かに、言葉を重ねる。


「ずっと友達でいてくれて、ありがとう」

「ずっと大切にしてくれて、ありがとう」


一度、目を閉じて。


そして、まっすぐに二人を見た。


「だからこれは――自分の中の、けじめ」


「お願い」


迷いのない声だった。


「どうか、私に力を貸して」



 ◇◆◇



数日後――巡回中のアイリスの前に、フィンが現れた。


生憎、バディを組んでいる同僚は、道案内を買って出て少し席を外している。

直ぐそこだから、とアイリスはその場に留まっていたが、人通りが少ない裏路地である。


接触してくるなら最高のタイミングだろう。


「来ると思ってた」


今までの態度とは違い、まっすぐに見つめ返してくるその態度に、フィンは舌打ちをした。


「……随分と強気になったじゃねぇか」


余裕を見せてにやりと笑う。


「明日の巡回はどこだ?」

「……聞いてどうするの?」

「その時間は――その場所を空けとけ」


さも当然のように命令するフィンに、アイリスは訝し気に眉を寄せる。


「何を、言ってるの?」


見るからに警戒するアイリスに、フィンはにやにやとしたまま静かに近づく。


「誰も通らないようにしろ、って言ってるわけじゃねぇんだ」


フィンはまだアイリスを幼い子供だと思っているらしい。

幼子に言い聞かせるような口調で続ける。


「見て見ぬふりをしろ、って言ってるだけだって」


そう言ってアイリスの肩にぽんっと手を置いて。


「お前も、余計なこと考えなくて済むだろ?」


子供をあやすように脅す――正真正銘のクズだ。


「なぁ? わかるだろ? いい子なアイリスなら――」

「そうね。わかるわ」


言葉を遮る。

肩に置かれた手をゆっくりと払い退けると、静かに瞼を瞬いて、真正面から見据える。


「だって貴方――昔から、頭悪かったものね」


ニィと笑ったアイリスは、フィンの笑い方に“似せた”。


「っ貴様!」


一気に沸点まで沸き上がった怒りに身を任せ、フィンに胸倉をつかまれる。


「そうやって力でねじ伏せればいいと思ってる浅ましさ、変わらないわね」

「黙れ!」

「頭で考えないから、そんな三下みたいなことしかできないのよ」

「黙れって言ってんだろうが!」


拳が振り下ろされる。


衝撃と共に、視界が揺れた。


地面に叩きつけられる。


女だからと容赦しない――本当に三下(・・)だ。


すぐに覆い被さるように、再び胸倉を掴まれた。


「お前は今も昔も変わらず、下劣な女だよ」


吐き捨てるような声。


「誰かに足開いて縋ることしかできねぇ、弱くて惨めな女だ」

「……そう、だね」


否定しない。

まっすぐに見返す。


「だから、ちゃんと決めたのよ」

「あぁ?」

「もう、やめるって」


一瞬、フィンの顔が歪む。


「はぁ?」

「過去を――ちゃんと清算しなきゃね」


その言葉を合図に。

潜んでいた気配が、一斉に動いた。

何十人の隊員たちが、抜刀して剣先を二人に――フィンに向ける。


「フィン・カーター。連続女性失踪事件の参考人として、同行願おう」


代表して告げたのはエリオットだ。


班長として頼もしい限りの親友に、アイリスは笑みが止まらない。


囲まれたフィンは、胸倉をつかんだままアイリスを睨みつける。


「テメェ……謀ったな!」


その瞬間。


視界が反転する。


フィンの体が宙を舞い、次の瞬間には床に叩きつけられていた。


息が詰まる音。


入れ替わるように、アイリスがその上に乗る。


抜き放たれた刃が、首元へと押し当てられた。


「悪いわね」


ニッと笑う。


「私、剣術より体術の方が得意なの」



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