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05

寝ぼけた思考が静かに覚醒していく。

――そして、再び思考が停止した。


寝ている自分の隣に、セドリックが寝ていた。


すよすよと穏やかな寝息を立て、アイリスの手を握ったまま眠るセドリックの寝顔に見惚れ――すぐに我に返る。


間近で見る好きな人の寝顔。


その無防備さに喜びを感じるとともに、互いに乱れのない服装に混乱する。


――昨晩、セドリックは本当にアイリスの傍にいてくれた。


ぐじぐじと泣き続けるアイリスをなだめながら、ベッドに横になれと言う。

離れたくないと駄々っ子のように首を横に振ると、セドリックは苦笑しながらアイリスの頭をポンと撫でた。


「ちゃんと傍にいるよ」


アイリスが納得するまで、何度もそう口にする。


やがて落ち着きを取り戻したアイリスが、ゆっくりとベッドに横になれば、セドリックも隣に並んで横になった。


手は――出されなかった。


時々優しくアイリスの頭を撫でる手と、アイリス自身が握りしめて離さない手だけが唯一の接触だ。


頭を撫でられて眠るなんて、両親が亡くなって以来だ。


やがて訪れた睡魔に、とろとろと身を任せ、瞼がまどろみ始める。


「セド……」


繋いだ手が、少しだけ強張った気がしたけれど。


「……ありが、と」

「……ん。おやすみ、アイリス」


まどろみの中、セドリックがどんな顔をしていたか、思い出せないけれど――。


(……本当に、なにも、なかった)


昨日の夜を反芻していたアイリスが、ようやく現実に戻ってきた。


夜に晒した自分の羞恥が、朝になった途端、さらに膨れ上がる。

――この現象は、なんと呼ぶのだろう。


弱り切っていたとは言え、好きな人に見せる失態として、最低最悪だったと思う。


悶え暴れたくなる感情を必死に堪えているのは、未だ繋がれた手を離したくないからだけれど。


寝起きのまま一人百面相を始めたアイリスの心情を、知ってか知らずか、セドリックが身じろぎする。


「……ん……あ?」


寝ぼけた様子でようやく目をうっすら開いたセドリックが、アイリスの姿を確認すると。


「……はよ、アイリス」


今までで一番、気の抜けたへらりとした笑顔を見せた。


アイリスの心臓が一気に鷲掴みにされた。


自分の鼓動が爆音を奏で、耳元まで心臓になったかのようにうるさい。


「お……は、よ……」


何とか絞り出して挨拶を返すも、セドリックは繋いでいた手をあっさり離すと、上半身を起こし、うんっと背伸びをする。

アイリスも釣られるように上半身を起こし、動揺しながらセドリックを見つめると。

アイリスに向き直ったセドリックは、まじまじと顔を見て、ほっとしたように笑った。


「うん、顔色良くなったな」


そう言われて、ようやくアイリスははっと理解する。


ここしばらく溜まっていた疲労が、嘘のようになくなっている。


全部とは言い切れないが、休んでも取れなかった疲れが明らかに軽減していることに自分自身で驚いて。

疲労困憊で、いつ倒れてもおかしくないと思っていたのに、一夜の睡眠だけでこれだけ改善されると思っていなかった。


ふとセドリックが時間を確認し、小さく「やべっ」と言って慌てて立ち上がった。


「悪い、仕事立て込んでるからもう行くわ! またな!」

「あ……え?」


アイリスの返答を待たず、セドリックはばたばたと部屋を後にした。


彼がいた余韻を感じながら、再び動き出したアイリスの思考が、最初に辿り着いたのは。


(……手を出されなかったってことは――)


「……対象外って、こと、だよね?」


ポツリと、自覚するように呟いた。


せっかく軽くなった体とは裏腹に、気持ちは真っ逆さまに落ちていく。


好きな人の優しさと引き換えに、手に入れたのが失恋の痛みだなんて。


ベッドの上で膝を抱えたアイリスの頬に、ポツリと。


昨日とは違う理由の涙が一筋流れた。



 ◇◆◇



恋というものは人を愚かにすると聞いたことはある。


しかし、恋という感情をそれほど優先してこなかったアイリスにとって、それは他人事のように感じていたはずだ。


だからこそ、初めて訪れた失恋の現実は、アイリスにとって生活に支障が出るほどつらい。

相変わらず、レグナードの接触は嫌だった。


しかし、それ以上にセドリックのことで頭がいっぱいになっているアイリスにとって、レグナードのことなどどうでもよかった。


実際、それは態度にも出ている。


相変わらず気持ち悪い言葉とボディタッチで距離を詰めてくるが、返事はおざなりで、心ここにあらずといった態度を無意識に取ってしまう。

何を言っても水を掴むような手応えのなさに、レグナードは当然面白くなさそうだが、それすら気にも留めない。


じくじくと蝕む失恋を胸に抱えたまま、アイリスはただ淡々と仕事をしていた。


それは、巡回の途中に再び起こった。


「よぉ、アイリス」


聞き覚えのある声に、反射的に肩が強張る。

振り向くまでもない。

バディを組んだ同僚は、この前、一緒に巡回していた人物だ。

フィンの姿を見て軽く会釈し、チラリとアイリスを見るだけで会話に割り入ることはない。


「……仕事中です」


それだけ返すのが、精一杯だった。

そのまま歩き続けるも、並ぶように歩く気配がやってくる。


「つれないな。久しぶりの再会だろ」


距離が近い。

離れたいのに、足が止まらない。


「最近、忙しそうじゃないか」

「関係ないでしょ」


即座に返す。それでもフィンは、気にした様子もなく笑った。


同僚が第三者に声を掛けられ、足を止めた。

どうやら王都に出てきたばかりの人が、道案内を求めて同僚に声をかけたらしい。


二人の会話を直立のまま見ていたアイリスに、またフィンは静かに話しかける。


「あの辺、最近人通り減ったよな」


一瞬、思考が止まる。


「……は?」

「ああ、ほら。西側の通り。昼でも妙に静かだ」


そこは、アイリスの住居がある地域だ。

フィンの言葉が何を意味しているのか分からない。

無言を貫くことでしか抵抗できないでいる。


「まぁいいや」


くつり、と喉の奥で笑う気配がやけに耳の奥に残った。


「またな」


それだけ言って、フィンは人混みに紛れるように消えていった。

同僚が口頭での道案内を終えてアイリスの元に駆け寄ってくる。


「あれ? ご家族の方は?」


何気ない問いかけに、アイリスは無意識に傷ついた。


アレが、家族の枠に入っていることが、酷く不愉快で。


――胸の奥に、嫌な感触だけが残った。



 ◇◆◇



次の接触は、仕事を終えた帰り道。


「遅かったな」


不意に声をかけられ、足が止まる。

道の端、街灯の影に、ソレはいた。


「……なんで」

「何が?」


とぼけた声。

一歩、距離を詰めてくる。

逃げたい。

でも、体が動かない。


「次の巡回、西側だろ」


息が止まる。


「今日は人、来ない時間帯だよな」


――知っている。


完全に。


「……なんで知ってるの」


ようやく絞り出した声は、ひどく掠れていた。

フィンは、ゆっくりと口角を上げる。


「さあな」


答える気はないらしい。

ただ、見下ろしている。


「困るだろ?」


低く、囁く。


「あのこと、知られたら」


心臓が、嫌な音を立てた。


「優しそうな男だよな」

「……っ」

「いい子にしてれば、黙っててやるよ」


指先が、アイリスの首筋に触れそうになる。

反射的に身を引いた。


一瞬、つまらなそうなフィンの顔が、すぐに歪んだ笑みに消える。


「じゃあな」


軽く手を振るような仕草で、フィンは去っていく。

その背を、追うこともできず。


――足が、動かない。


ようやく――と、感覚を取り戻した足が、踵を返す。


向かったのはいつもの呑み屋。


今日は金が鳴る日(金曜日)だ。


セドリックが来る日ではないと分かっていても、その存在に縋りつきたくなる。


いつものカウンターで、いつもの飲み物を頼む。

ちびちびと、舐めるように飲み物に口をつけては、隣に来る温もりをひたすら待ち続ける。


失恋をしたはずなのに、未だ忘れられずセドリックに縋ろうとする浅ましさに自嘲する。


いつもより長居したにも関わらず。


ドアのベルが来訪を告げることも。


隣の席が温もりに包まれることもなかった。


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