03
セドリックに慰められたからといって、レグナードの猛攻が止まるわけではない。
それどころか、アイリスを取り巻く状況は、内にも外にも悪化していった。
巷では、女性の失踪が相次いでいる。
夜に消息を絶ち、そのまま行方が分からなくなることから、当初は個別の事件と見られていたが、次第に誤魔化しきれない件数となり、現在は事件として捜査されている。
夜間巡回を増員してもなお、失踪が絶えないことから、背後に大きな犯罪組織が関与しているのではないか、という疑いまで浮上している。
アイリスも夜勤が増え、とうとういつもの呑み屋に顔を出すことすらままならなくなっていた。
今日、唯一の救いと言えるのは、その事件に関する会議のため、レグナードが王都警備隊本部に呼ばれており、不在にしていることだった。
夜勤明けで疲れ切ったまま退社しようとしていたアイリスに、交代のケイトが声をかけた。
「アイリス、顔が真っ青よ? 休暇申請して、休んでよ。倒れたら元も子もないわ」
「それが……」
顔色の悪いまま告げたアイリスの言葉に、ケイトは憤慨した。
「何それっ!? 休暇申請却下されてる!? しかも、休むなら一緒にって!? 職権乱用じゃん!」
力なく頷くアイリスに、ケイトは思わず声を荒げた。
アイリスに言っても仕方ないとわかっているのに、ケイトの怒りは収まらない。
「もう21連勤してる……」
「あり得ない! もういいよアイリス! アンタ耐えたって! 本部に言って訴えてこよう!」
「でも……相手はレグナード隊長だし」
「貴族もへったくれもあるか! 爵位継ぐわけでもないのに偉そうにし過ぎよ!」
ケイトが怒ってくれることが、今のアイリスにとって唯一の救いだった。
今は怒る気力すら残っておらず、心が折れて流されそうになるのを、どうにか必死に踏みとどまっている状態だった。
このまま続けばレグナードの思うつぼだ。
疲れ切った体と鈍った思考では、意識が鈍り、レグナードの言葉に支配されそうになる。
自業自得だと、自分も周囲も思っていた反面、ここまであからさまにアイリスへ執着するレグナードの態度には、誰もが反感を覚えていた。
けれど、平民と貴族という壁はあまりに大きく、抗議がまともに通ることはなかった。
一度、しびれを切らせた誰かが本部に連絡を入れ、口頭注意が入ったらしい。
けれどレグナードがおとなしかったのはその日だけで、翌日からは、より陰湿で粘つくような態度を取るようになっていた。
今のアイリスは、対策を考えるより先に、ただ帰って休みたかった。
本来であれば、日勤から夜勤に切り替わる際には、体を慣らすために一日休みを挟むものだ。
けれどアイリスにはそれすら与えられず、体内時計はすでに狂い始めていた。
割れそうなほど頭が痛く、ふらつく足取りで朝の陽ざしの中を歩いていると――
「おはようございます、アイリスさん」
ゾワリ、と不快な感覚がアイリスの全身を駆け巡った。
恐る恐る振り返ると、満面の笑みを浮かべた好青年が、アイリスの姿を見つけて嬉しそうに駆け寄ってくる。
「今仕事帰りですか? よかったら家までお送りしますよ」
「いいえ、結構です」
そう言いながらアイリスが足早に去ろうとするが、青年はニコニコと笑みを絶やさず、そのあとをついてくる。
この好青年に見えて、実際はひどく粘着質な男――トマスは、アイリスが過去に関係を持った男性の一人だ。
王都のはずれにある食料品店の息子で、親の店を手伝いながら、そろそろ店を継ぐ準備をしているらしい。
本人は自身を堅実でいい男だと思っているようだが、アイリスにとっては一夜の関係だ。
最初はトマスが誘ってきたのだが、アイリスは自分のルールを明確に伝えていた。
それでもいいと言ったのはトマスだ。
だからこそアイリスも応じたのに、蓋を開けてみれば恋人のように接してくる。
約束と違うと苦言を呈したところで、一度は引いたものの、いまだに未練がましくアイリスを追いかけ回す。
レグナードとはまた違った意味で、アイリスの頭痛の種となっている人物だ。
ここ最近は現れなかったのに、レグナードが赴任してきたとほぼ同時期に付きまといが再開した。
どうやらレグナードの噂を聞きつけ、「自分こそがアイリスに相応しい」と思い込んでの暴走らしい。
夜勤明けで疲れ切った体に、好青年の皮を被ったトマスがあれやこれやと話しかけてくるが、アイリスには応じる余裕はない。
「いい加減にしてください。約束を破るのであれば、もう二度と貴方にお会いしません」
はっきりと告げるも、トマスは笑って言った。
「まぁまぁ、アイリスさんと僕の仲じゃないですか」
「ですから、それをやめてほしいと言っているんです」
頭痛が増してきたアイリスは、髪をくしゃりとかき上げ、眉間に皺を寄せて告げるも、トマスは意に介さず距離を詰めてきて――。
「今、大変なんでしょう? 女性なんだから、危険な仕事なんてやめて、結婚を考えてはどうです?」
「……は?」
「もう、ああいう遊びもやめて、一人の男に尽くす喜びを知った方がいい」
言いようもない嫌悪感が、アイリスを覆い込んだ。
目の前のトマスはアイリスを見ているようで見ていない。
空想と理想を並べ立てて、その女性像にアイリスをはめ込もうとしている。
自業自得が一気に押し寄せてきたのは仕方ないと思う。
でも、これほどまでに“女”であることを理由に、“アイリス自身”を軽く見られる筋合いはない。
(どいつもこいつも好き勝手っ!!)
爆発しそうな感情を押し殺しながら、アイリスが口を開きかけた、その時――割って入ってきたのは第三者の声だった。
「あれぇ? アイリス、今仕事帰りか?」
緊迫した感情とは裏腹に、軽い口調で声をかけてきた人物を視界に捉え、アイリスはふっと肩の力を抜いた。
「エリオット」
歩み寄ってきたケイトの夫であり同僚のエリオットは、目の前にいるトマスを完全に無視して、アイリスに声をかけた。
「俺も夜勤明けなんだけど、飯いかね? 酒はいらんけど、家帰って飯作るの面倒でさ」
あくび混じりにやってきたエリオットに、トマスは張り付いた笑みをわずかに崩して口を挟む。
「おい、アンタ。今、アイリスさんは俺と話をして――」
「迷惑がってんのわかんねぇの?」
被せるように告げたエリオットの言葉に、トマスは一瞬ひるむ。
エリオットは同僚の中でも体格が大きく、大人であるはずのトマスが小さく見えるほどの圧を放っていた。
一度は黙ったトマスだったが、諦めきれないのか、ちらりとアイリスを盗み見るも――。
「本当に迷惑です。いい加減にしてください」
「で、でも、僕はアイリスさんに“普通の幸せ”を知ってほしくてっ!」
それでも、と言い募るトマスの言葉に、先にキレたのはエリオットだった。
「何が“普通の幸せ”だ! お・ま・え・がっ! 望んだ“幸せ”に、コイツを勝手に当てはめんな!」
ぐっと言葉を詰まらせるトマスの姿に、アイリスは溜飲が下がる。
純粋な男友達として付き合っているエリオットだが、実はケイトより付き合いが長い。
出身が一緒の村で、いわゆる幼馴染みというやつだ。
アイリスが両親を亡くして、心ない親戚にたらいまわしにされ、挙句、従兄に性的な対象に見られ、逃げ出したことを間近で見てきた唯一の人物だ。
王都で偶然再会し、アイリスが並大抵ならない努力で現在の職に就いたのかを一番理解してくれている。
配属先は違うが、同じ仕事のしている仲間としても心強い。
「私は――今の仕事を辞めるつもりはないし、貴方の理想にはなれない。軽率に貴方と関係を持って悪かったと思うけれど、他を当たって」
「……で、でもっ」
「しつこいぞお前。付きまとい行為で今から屯所行くか?」
付きまとい自体は罪に問われないが、屯所で事情聴取を受けるとなれば、王都で働く身としては避けたいはずだ。
トマスは最初の好青年ぶりなどどこへやら――歪んだ、悔しげな顔を浮かべながらも「し、失礼しました」と小さく零してトボトボと去っていく。
途中、未練がましくアイリスの方を振り向いたが、目を合わせぬよう視線を伏せられていることにガックリとうなだれて去っていった。
「……ありがとうエリオ――いったぁ!?」
ため息交じりに感謝の言葉を述べようとした途端、エリオットの軽い手刀が、容赦なくアイリスの頭に落ちた。
「自業自得が服着て歩いてるってこと自覚しろよな」
「……うん、ごめん」
心配かけてしまったことに対する謝罪を述べてから、エリオットも深く息を吐き、気を取り直したように言う。
「飯行く?」
「……ううん、今日はやめとく」
「じゃ、送ってくわ。最近物騒だし」
一応、アイリスも剣の腕には自信があるが、体調の悪さを加味するとそうしてもらった方がいい。
エリオットのありがたい申し出に頷きながら隣に並んで歩けば、彼は苦笑交じりに告げた。
「ホント、お前ってダメ男ばっかりひっかけるのな」
それはさっきのトマスにしろ、レグナードにしろ――ということだろうが、ひっかけた覚えのない男まで勝手についてくるのだから不可抗力だ。
ただ、エリオットの言い分も一理あるため、強く言い返すことはできない。
「ツケが回ってきたのは感じてるし猛省中」
「そのまま反省して、気軽に男誘うのやめろ」
「それが出来たら苦労しないわよ」
ぽつりと愚痴のように零れた本音に、エリオットはため息を漏らす。
幼少期にあれだけ親族からお荷物扱いされ、さらにはまだ性知識もないうちから性的対象に見られていたのだ。
これだけ歪んでも仕方がないと思う反面、可哀想だとも思う。
そういう行為でしか人との距離感を測れないモンスターを産んだのは、アイリスを取り巻く環境だ。
それでもエリオットとそういう関係にならなかったのは、彼自身が客観的にアイリスの人生を見てきたからだろう。
最初から、手のかかる妹のような存在として見ていたからか、アイリスもエリオットも自然と二人の関係が安全圏だと認識している。
ケイトやエリオットのように、アイリスは人を大切にすることを知っているのに。
彼女に圧倒的に足りないのは“自分を大切にする気持ち”である、とエリオットは認識している。
でも、それをエリオットが伝えたところで届くことはないだろう。
「お前も、早く見つかるといいな」
ぽつりと零れたエリオットの言葉に、アイリスは隣に並ぶエリオットを見上げる。
こちらを意識していないエリオットを見て、気が付いた。
多分、今の呟きは無意識に零れたものだ。
だからこそ本音だろうとも思う。
再び前を向いたアイリスは、気づかれないように息を小さく吐いた。
エリオットが言いたいことは何となくわかる。
けれど、きっとアイリスには一生見つからないだろう。
(……会いたいな)
無邪気に笑うセドリックの顔を思い浮かべた時点で、それはもう見つかっているのと同じことだと――アイリスはまだ、理解していない。




