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02

翌日。


鈍く残る頭の重さに、アイリスは小さく眉を寄せた。


少し飲み過ぎたことを反省しながら、職場で水をひと口飲み、ゆっくり息をつく。

昨夜のことをぼんやりと思い返すと、不思議と嫌な感じはなく、ただ楽しかったという余韻だけが残っていた。


セドリックは相変わらず話がうまい。

どんなくだらない話でもきちんと耳を傾けてくれるし、その受け答えも絶妙だ。


くったくなく笑うあの顔が浮かんで、胸の奥で静かに好意が膨らむ。

その余韻を振り払うように首を軽く振ったところで、声がかけられた。


「おっはよー! ……なんか、顔色、酷くない?」


軽快な挨拶と共に、体調を気遣う言葉が飛んでくる。

振り向いた先にいたのは同僚のケイトだ。


溌剌とした小麦色の肌に、ホワイトグレーのボブカット。

はっきりとした物言いと裏表のない性格で、男女問わず信頼されている。

同性から嫌われやすいアイリスにとって、ケイトは数少ない女友達の一人だ。


アイリスは、自分の容姿が原因で男に言い寄られやすく、「誘っている」と誤解されることも多い。

実際、一夜限りの関係をもつこともある。

それを知れば、恋人を取られるかもしれないと警戒され、嫌悪されることも多い。


けれど、アイリスには自分なりのルールがある。


相手のいる男には手を出さない。

一夜限りで終わらせる。


それでも、理解されることは少ない。


そんな中、ケイトは、アイリスの事情や過去を知ってくれている。

性生活について苦言を呈することはあっても、軽蔑はしない。

心配してくれていることもわかっているが、アイリスの性格も理解しているから、無理にやめろとは言わない。


ケイトがアイリスの、精神的な部分を支えようとしてくれた時もある。


しかし、ケイトは既婚者だ。


アイリスばかりがケイトを独占するわけにはいかない。


こんな最低な女と友達でいてくれる、どこまでも底抜けに優しい親友。

アイリスは失いたくはないからこそ、彼女の家庭を壊すような真似だけは絶対にしたくない。

ケイトの夫であるエリオットも同僚で、二人ともアイリスに寛大だ。

だからといって、甘え切りになりたくはない。


アイリスの線引きをしっかりしているからこそ、こうして隣にいられるというのもある。


「また呑み過ぎ?」

「……ちょっと調子に乗った」


軽口を返しながらも、どこか気が緩む。

救護室に薬を貰いに行くかと軽く相談しながら、何気ない雑談の流れで、ケイトがポツリと例の話題を差し込んだ。


「ねぇ、聞いた?」


ケイトが少し声を落とす。


第三区(ここ)の隊長、今日から代わるらしいよ」


昨夜、セドリックが口にしていた言葉が頭をよぎる。

けれど、それをわざわざ言うことはしなかった。


「え? グレイソン隊長どうしたの?」

「結婚する相手の実家の家業、継ぐことになったんだって」

「でも急だね?」

「準備してたところで、向こうのお義父さんが倒れちゃったらしくてさ。急遽らしいよ」

「そっか……」


祝いと不運が同時に来たような話だ。


グレイソンは、剣の腕も立つし、現場のこともよく分かっている。

部下にも気を配る、やりやすい上司だった。


それだけに、少し惜しい気もする。


「で、新しく来るのがさ」


ケイトが眉をひそめる。


「レグナード男爵家の三男らしいよ」

「三男……」


貴族というのは平民にとってかなり厄介な存在だ。

平民にも人の良し悪しはあるが、そこに“貴族”という立場が加わると、話は一気にややこしくなる。


王都警備隊の管轄は王宮にある。


しかし、現場はほとんどが平民で、稀に貴族が紛れ込むことがあっても、今回のように爵位を継げない人達だ。

貴族位を継げない時点で、ほとんどの人が自分の身の振り方を考え、実力八割で王都警備隊に所属する。


あとの二割は――言わずもがな。


コネで入ってきた人間は大抵、自分の立場を理解していない。


三男といえば、嫡男が家を継げばいずれ平民になる立場だ。

けれど現時点では、まだ貴族に籍がある。


やはり平民と貴族の間には大きな隔たりが存在していて、赤いものでも貴族が青と言えば青になる。


今回の場合はどちらなのかと考えあぐねいていると、ケイトがソレを察したかのように小声で告げた。


「グレイソン隊長の退団が急だったじゃない? だから急遽、第六区の副隊長がこっちに来る予定だったんだけど……どうやら、ねじ込まれた人事みたい」


それを聞いた時点で嫌な予感しかしない。


ケイト曰く、実際に新しく来る隊長は剣の腕は立つらしい。


ただ、もともと王都警備隊に在籍していたわけでもない人物が、いきなり隊長に抜擢されるのはかなり異例のことだ。


(……ちょっと、やりづらそうだな)


そんな程度の認識だった――この時はまだ。



 ◇◆◇



それから、数日。


新しく着任したディラン・レグナードは、アイリスが覚悟していた以上に、遥かに厄介な存在だった。


挨拶もそこそこに、アイリスの姿を見たレグナードが、他の男と同じような視線を寄越したことに、アイリスは気づいていた。


がっしりとした体格で、自分の剣術に相当な自信があるのか、どの部下に対しても嫌味たらしい言い回ししかしない。

いつも口元にニタニタとした笑みを浮かべ、平民を見下すのが当然だと言わんばかりの口調で馬鹿にしてくる。

一方、女性隊員には、自分がどれだけ優れた人材かを熱弁する。

仕事に差し支えるほど、自慢話のためだけに引き止め、遠回しに断っても意に介さず食事に誘い、恋人になることを示唆する。


その最たる被害者が――アイリスだ。


ねっとりとした邪な視線に、最初は違和感を覚える程度だったが、次第に視線だけでは飽き足らず、態度までも伴うようになってきた。


一瞬で距離を詰められ、肩に手をかけられたまま耳元で囁かれる。


「いい身体してるじゃん」


自然な仕草のようでいて、逃げ場のない距離。

ぞわぞわと神経を逆撫でるようなねっとりとした言葉。


「……やめてください」


さりげなく外す。


最初は、それで済むと思っていた。


けれど。


「なに、照れてんの?」


笑いながら、また触れてくる。


今度は恋人のように距離を詰めて、腰を抱いてくる。


アイリスにだって選ぶ権利があることを、この男は分かっていない。


まるで、自分以外を選ぶはずがないと言いたげな態度に、徐々に神経がすり減っていく。


「よぉ、アイリス。今日もいい女だな」

「……レグナード隊長、名前を呼ばないでください」

「そんなこと言うなって。俺とお前の仲じゃねぇか」

「……存じ上げません。上司と部下です」

「ははっ、硬ぇなぁ。俺が揉みしだいてやろうか?」

「……っ!」


名前で呼び、身体の特徴をいやらしく指摘する。

最初は流していた。

適当にかわして、距離を取る。


そうしていれば、そのうち収まると思っていたから。


けれど、日を追うごとにその態度は悪化していった。


「そういうの、やめてください」


控えめに、けれどはっきりと伝えても。


「なに本気になってるの? 冗談だろ? コミュニケーションだよ、コミュニケーション!」


取り合わない。


今までの男なら、そこでひるむ。

アイリスに悪態を吐いて終わるのに、レグナードは違った。


むしろ、反応を楽しんでいるようですらある。


どこからか、アイリスが一夜の相手を求めることを知ってから、なおさら態度は悪化した。


「なぁ、噂、聞いてるぜ?」

「……っなにを」

「俺でもいいだろ? 一回抱かせろよ? 絶対満足させてやるからさ」

「すみません……職場の相手とはそういう関係になりたくないので」

「えー? だったら仕事辞めりゃあいいじゃん? 俺、養ってやるよ? アイリスみたいないい女なら大歓迎だぜ?」

「辞める気はありません」


(……コイツッ! 仕事を何だと思って!)


アイリスはそれなりに仕事に誇りを持っている。

彼女が必死で生きるために身に着けた術で、ようやくたどり着いた天職だ。

異性にだらしない面はあっても、仕事をしているからこそ保たれている部分もある。


そう簡単に、やすやすと手放せという時点で、この男は“ナシ”だ。


けれど今までの自分の行いが招いた結果かと思うと、酷くもどかしい。


当初こそ周囲も自業自得だと軽蔑の視線を向けていたが、職場で示すレグナードの態度があまりに度を越していて、今は同情の色が強くなっている。


ケイトがさりげなくフォローに入ることもあった。


けれど。


「俺、人妻には興味ないんだよねぇ。あ、でもそっちから来るなら、俺も別に相手してやってもいいけど?」


軽くあしらわれるだけだった。


助けにもならない。


止めにもならない。


アイリス自身、ケイトまでそんな目で見られるのは耐えられない。

エリオットにも申し訳なくて、フォローしてもらうのを止める。

ケイトだって悔しそうにしながら、「無理しないで」とアイリスに声をかける程度になっていた。


ただ、状況だけが悪くなっていく。


じわじわと、精神を削られていく感覚。


それでも、仕事だからと自分に言い聞かせて、耐えるしかなかった。



 ◇◆◇



そうして迎えた、水が咲く日。


アイリスは、いつもより明らかにぐったりとしていた。

今日も仕事に支障がでるほど付きまとわれて散々だった。


いつもは違うメンバーとバディを組んで王都を巡回しているのに、強制的に相手がレグナードに代わっていた。

二人きりで巡回中も、ひっきりなしにアイリスの肩や腰に手を回そうとするのを、頑張って回避する。

途中、裏路地に連れ込まれそうになった時は、流石にヤバいと慌てた。

大声で拒否反応を示したところ、周囲の視線が一斉に集まる。


流石にマズイと思ったのか、それ以降は不機嫌になりながらアイリスと巡回をするレグナードに、少しホッとしたのは内緒だ。


それでも言い寄り方がどんどん大胆になってきて、アイリスは限界だ。


カウンターに肘をついたまま、動かない。


「……どうか、した?」


低い声が、隣から落ちてくる。

いつの間にかやってきたセドリックが、酷く疲れた様子のアイリスに声をかけながら席に座る。


「……なんでもない」

「いや、なんでもなくはないだろ」


本当に心配そうなセドリックに覗き込まれて、思わず視線を逸らす。


(……言えない)


今まで自分の容姿を呪ったことは何度もあった。

でもそのたびに、生まれ持ったものだから仕方ないと繰り返し諦めていた。

どうせなら利用しようと思って今まで過ごしてきたのもある。


だから、尚更。


これまでの自分の振る舞いのせいで、こんなことになっているなんて知られたくない。


誤解されたくない。

嫌われたくない。

汚れた自分が一気に表面化して、お前が居る場所は“そこ”だと言われている気がして。


レグナード(アレ)が……鏡で自分を見ているみたいだなんて)


今更、他人から見える自分の姿に吐き気がした。


「……大丈夫」


お願いだから、これ以上は触れないでほしいと、そう言いかけた時。


「新しい上司?」


心臓が、跳ねた。

セドリックは新しい上司が来たことを知っているのだ。

自然とたどり着く答えだろう。

誤魔化しようもない事実に、アイリスは力なく笑って言った。


「……んー、まぁそんなとこ」

「虐められてる?」

「その方がまだマシかもなぁ……っと」


言い過ぎた、と口を噤む。


けれど。


「ああ」


セドリックは、すぐに察したようだった。


「気に入られ過ぎてんのか」


図星だった。


沈黙が、そのまま答えになる。


言葉にならない動揺が、アイリスの中を駆け巡る。


その時。


ぽん、と。


大きな手が、アイリスの頭に触れた。


「よく頑張ってるな」


軽く撫でる。


「えらいえらい」


責めることも、問い詰めることもなく。


ただ、労わるように。


隣にいるセドリックの顔が、今日は見られない。


そんな風に言われてしまったら。


(ずるい……)


胸が、ぎゅっと締まる。


頭に触れる優しさが、涙が出そうなほど嬉しい。


触れて欲しくないと思う時ほど、セドリックはあっけなくアイリスに触れる。


(無理……好きすぎる)


どうしようもなく惹かれていく自分を自覚して、

アイリスは顔を赤くして唇をきゅっと結んだ。


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