後編
1週間馬車に乗り、辿り着いた辺境伯領の研究施設は、
王都の工房よりずっと静かだった。
派手な拍手も、きらびやかな賛辞もない。
けれど、ここには“必要なもの”があった。
きちんと実力を見てくれる目―――
到着した日、セシリアは、辺境伯領魔導装置研究所の主任として採用された。
◇ ◇ ◇
「セシリア・テブルック様。こちらが第三実験炉の波形記録です」
研究主任補佐のレオン・グライフェンが、水晶板を差し出した。
さらりとした黒髪を肩まで流し、アーモンド形の紫の眼差しは鋭く、
丁寧で、無駄がないスムーズな所作が美しい。
波形記録を見たセシリアは一瞬で分かった。
(とても癖が強い魔力に回路が適応できていない)
その証拠に回路に流す魔力を増やすほど、波形が荒れている。
このまま運用すれば、いつか必ず暴走してしまうだろう。
「今すぐ止めて調律が必要です」
セシリアの即答に、周囲の研究員が息を呑んだ。
「あの複雑な回路を、一瞬で理解したのか・・・?」
主任補佐のレオンだけがすぐに反応した。
「わかりました。止めましょう……セシリア様、ご指示を」
「いいえ。このくらいなら私が調律します」
セシリアはゆっくりと炉の前に座り、魔導回路の節に指を当てた。
回路は、怯えるように震えている。
(……慎重に)
自分の魔力をゆっくり流し込みながら、原因を探る。
(あ、この角に負荷が逃げる場所が足りないな)
目をつぶり回路の前に座り込んで微動だにしないセシリアの背中をたくさんの研究員が見つめている。
(あ、制御核は応答遅延を起こしてる。この短縮経路は開放してあげよう)
セシリアは息を整え、調律を始める。
“調律”は派手な魔法ではない。
ただ、対象がしっかり起動し続けるための、最後のアレンジャーなのだ。
「……回路の節に遊びを作ります。制御核のほうは、ここに余剰吸収層を一段増やして開放します」
淡々と口にすると、研究員たちが目を丸くした。
「触っただけで、そこまでわかるのですか……?」
「我々には原因が特定できなかったのに……」
一方レオンは確信したような目で、セシリアを見つめていた。
「……やはり。あなただったんですね」
小さく呟かれたその言葉は、手放しの称賛だった。
◇ ◇ ◇
数刻後。
炉が再起動した。
静かな循環が順調を知らせる。
研究員の一人がぽつりと呟いた。
「……すごい。こんなに静かなのに、魔力の脈動がこんなにも!」
レオンはセシリアに向き直り、低く言った。
「セシリア様。
この施設は、あなたを必要としています。……正式に、特別主任調律師として迎えたい」
セシリアは瞬きをした。
「……私が、特別主任に?」
「はい。実は……伯爵家でのあなたの待遇や王都での評判も知らないわけではありません。」
レオンは少しだけ、視線を落とした。
「ですが、ここではあなたの名前を消させない」
胸が熱くなる。
(私の技術を認めてくれる人が、ここに、いた・・・!)
セシリアはなんとか声を絞り出す。
「……ありがとうございます」
「礼は、仕事でお願いします。……あなたの腕が必要です」
レオンの冗談めかした態度が、なぜだか嬉しかった。
実力に見合った評価を得られる場所。
セシリアは初めて、息を吸いやすい場所に来たのだと知った。
一方、その頃―――
王都のテオブリック伯爵邸では、笑い声が漂っていた。
「ねえ、お父様。今日も起動を完璧に成功させたわ。
もうお姉様がいなくても、うちは安泰ね」
エルーナは扇で口元を隠し、得意げだ。
父ルドルフは満足げに頷く。
「当然だ。初期起動ができるのはお前だけ。
地味な仕上げなぞ、工房の職人にまかせておけばよいのだ」
ルドルフ自身に言い聞かせた。
(あの老人が正しかったなど、認めてたまるか)
「セシリアの代わりなどいくらでもいる」
エルーナは嬉しそうに笑う。
「そうよね。じゃあ、次の依頼も私が主導するわ。
王族の視察の前に、私の名声をもっと固めたいの」
七色の光と拍手の中で、エルーナの慢心は育っていく。
◇ ◇ ◇
三日後。
新造炉の試験運転。
エルーナの初期起動は、相変わらず鮮やかだった。
魔力が通った瞬間、装置が七色に輝き、工房の者たちが思わず息を呑む。
「ふふふっ、これが私の力よ!」
エルーナは誇らしげに笑った。
だが――魔力のギアを上げた途端、七色の明滅が、ガタガタと揺れた。
「……え?」
制御核の応答が遅れ、回路の一部が異常発熱を起こす。
複数の箇所で煙が出始めた
職人が慌てて叫んだ。
「お嬢様お止めください! 回路温度が――!」
「そんなはずはないわ! 私の魔力をもっと足して抑え込めば……!」
忠告を聞かずエルーナは魔力を叩き込む。
けれど、足せば足すほど波形が荒れていく。次々に発煙箇所が増える。
適応していない魔力を無理やり押し込み、逃げ場のない歪みが、回路を暴れさせ・・・
――バンッ。
乾いた破裂音。
職人の一人が腕を押さえて倒れ、焦げた匂いが工房に広がった。
父ルドルフの顔から血の気が引いた。
「エルーナ、止めろ!!」
その叫びで工房の空気が、決定的に変わった。
負傷した職人の介抱にあたる他の職人たちの目には――疑い。
(……エルーナお嬢様は起動はできる。だが・・・)
エルーナは唇を噛む。
「……た、たまたまよ。次は絶対うまくやるわ」
そう言い切った声は、震えていた。
事故の報告は、翌日には王宮へ届き、
王宮魔導局の監査官が伯爵家を訪れたのは、その翌々日だった。
「事故原因の確認に来ました。
……まず、調律担当はどなたが?」
父ルドルフが笑ってみせる。
「些細な不具合です。調律は、工房の職人が――」
監査官は淡々と首を振った。
「“誰”の調律かは重要です。今回の新造炉も前回同様に、国の重要設備ですから」
ルドルフの喉がゴクリと鳴る。
これまでは――
“調律はセシリアがやって当然”だった。
わざと”裏方”に追いやり、ついには辺境へ追いだした。
管理帖をめくっていた監査官の視線が、父とエルーナを交互に刺す。
「最近の調律記録が曖昧ですね。
……おかしい、最近まではきちんと調律されていたと思うのですが?」
ルドルフは必死に言い返す。
「調律など、家の技術の一部です。署名をいちいち――」
「いいえ」
監査官は冷たく言った。
「調律は装置の安全性そのものです。
御存じでしょう、調律できていない炉は危険なのです」
監査官の言葉はルドルフを追い詰める。
「あなた方は、起動者であるエルーナ嬢を“天才”と称えておられた。
ですが起動は、設備の寿命を保証しません」
そして、淡々と告げた。
「御当家の主任調律師は、いえ、セシリア嬢は一体、どこにいるんですか?」
いるだけでコンプレックスが刺激される長女。
祖父が褒めちぎり、技術を教え込んだ孫。
父の唇が歪む。
(……違う。あいつなんかいなくても、回るはずだった)
だが現実はどうだ―――
言い淀むルドルフに監査官は最後通牒を突きつけた。
「伯爵家の設備制作資格は、一時停止とします。
調律の責任者が確認できるまで、国からの依頼もその一切を凍結します」
凍結。資格停止。
それはつまり。
名門伯爵家の名声は、今日ここに潰えた。
エルーナは青ざめる。
「ま、待ってください。私が……!」
「起動者は重要です」
監査官は淡々と頷いた。
「ですが“起動だけ”では、魔導炉は動きません。
エルーナ嬢、自らの驕りに足をすくわれましたね」
その言葉にエルーナはがっくりと膝をついた。
◇ ◇ ◇
その夜。
ルドルフは、ひとり執務室に籠っていた。
(あいつさえいなければ、俺は……)
言い訳が、喉に詰まる。
本当は違う。蓋をしていた向き合いたくない現実がルドルフに牙をむいていた。
(あいつがいると、俺ができないことが、はっきりしてしまうではないか!)
だから追い払った。それなのに。
拳を握り、机を叩く。
「……セシリアを呼び戻す。それしかない」
母が顔色を変えた。
「呼び戻して、どうするの? 今さら――」
「黙れ!お前に何がわかる!」
名門が潰える。
(なんとかして立て直さねば・・・!)
ルドルフはとうとう使者を出した。
遠い遠い辺境伯領の、研究施設へ。
◇ ◇ ◇
手紙を携えた使者が早馬で辺境研究施設に到着したのは、3日後だった。
レオンは封書を受け取り、内容を読み、眉を寄せた。
「……伯爵家があなたに戻るように、と。そう指示してきています。
王都で何かしらの事故が起きたとのことです」
セシリアは静かに封書を見た。
そこに書かれているのは、命令文だった。
謝罪はない。
ただ、“戻れ”、と。
セシリアは、封書を机の上に置いた。
心が、驚くほど凪いでいる。
「……私、戻りません」
レオンが小さく目を見開く。
セシリアは淡々と言葉を紡ぐ。
「私の功績は、あの家では存在しないことになっていましたもの。
それを今更、なんだというのかしらね?」
レオンは静かに頷いた。
「そうですね。セシリア様は現在は当研究所の所属。
……返答は私が正式文書で出しておきます。あなたの立場を守るためにも」
“守る”。
その言葉が、セシリアの心を温かくした。
セシリアはほんの少しだけ、目を伏せる。
「……ありがとうございます。レオン様」
「礼はいりません。
あなたの技術は、あなたのものです。誰かの道具ではない」
レオンは優しく、セシリアの涙をぬぐった。
◇ ◇ ◇
王都へ返答が届く。
伯爵家の執務室で、ルドルフは封書を破るように開いた。
そこには簡潔に、こうあった。
『セシリア・テブルックは、現在、辺境伯領研究施設の主任調律師として国務に従事している。
よって、私的理由による帰還命令には応じることはできない』
父の手が震える。
「……国務だと!?」
つまり。
自分が“不要”と切り捨てた娘は、国にとって必要だと認められたのだ。
父の胸に、祖父の声が響く。
『最後まで見ろ』
『目を逸らすな』
父は、目を逸らし続けてきた。
そして今、その代償を払うときだった。
エルーナが泣きそうな顔で言った。
「お父様、なんとかしてよ!私の婚約がかかっているのよ!どうするのよ!」
「うるさいうるさいうるさい!」
歪んだプライドのために、正しい努力を捨て、謙虚さを捨て、娘まで追い出した。
その結果が、これだ。
テオブリック伯爵家は”名門”から転落し、その影響はルドルフ自身にも広がるだろう。
因果は、きっちりと巡ってきたのだ。
数日後。
王宮魔導局は正式に発表した。
テオブリック伯爵家は国家依頼受理資格の停止。
再開条件は「調律責任者の明確化」と「第三者監督」
社交界は手のひらを返すのが早かった。
「天才令嬢?ああ、はりぼてだったみたいね」
「名門も地に落ちたもんだ」
エルーナに、お茶会の招待は届かなくなり、
よりどりみどりだった婚約者候補からは、続々と断りの手紙が届いた。
現実を受け入れられず、
「私は悪くない! 私は天才なのよ!調律なんて・・・!」
と連日癇癪をおこししては物を投げたりと、手に負えない。
テオブリック伯爵家は男爵家に降格、領地も半分に割譲された。
◇ ◇ ◇
そして、一方辺境。
セシリアは静かな工房で、今日も魔導装置と向き合っていた。
レオンがそっと、温かい茶を置く。
「……王都の件は、いったん区切りのようです。
あなたはもう、あの家の影で生きる必要はありません」
セシリアは頷いた。
「はい。……私はここで、私の名前で仕事をしてゆきます」
レオンは少しだけ口元を緩めた。
「それでいい。
……あなたの技術を、あなた自身が誇れるように」
セシリアはふと、祖父の言葉を思い出す。
『調律は、誇りだ』
『派手ではないが、最後に残る』
胸の奥が、あたたかく満ちる。
そして初めて、セシリアは思った。
(私の人生を、生きる)
こちらを見つめてほほ笑んでいるレオンの横顔に、ほんの少しだけ心が揺れたことには、
気づかないふりをした。
けれど確かに、もう、ひとりではなくなったのだ。
恋愛要素が微、になってしまった・・・




