前編
その日もまた、セシリアの名前は、どこにもなかった。
話題の中心に君臨するのは、天才令嬢エルーナ・テブルック―――セシリアの妹だった。
◇ ◇ ◇
王宮中央に位置する大広間。
磨き込まれた床には陽光が反射し、石柱に掲げられた王国紋章は誇らしげにはためいている。
きらびやかな大広間に集った貴族たちの視線はひとりの美しい少女、エルーナが独り占めしていた。
今日は、我が家が制作を任されていた国家の一大事業、
その新作魔導循環炉の完成披露会、いまちょうど最初の魔力入れが無事終了したところだ。
エルーナの肩を抱き、父であるルドルフ・テオブリック伯爵は、得意げに声を張り上げた。
「今回の新作魔導循環炉は、我が家の次女エルーナにより、今、起動されました!」
父の言葉に、場がどっと沸く。
「さすが噂の天才令嬢だ!」
「あれほどの循環炉を一人で起動させるとは、エルーナ嬢の魔力量はやはり相当なものらしいな」
「あの若さで王宮の魔導局への就職も決まったらしいぞ!」
大賛辞の中心で、妹エルーナは頬を染め、恥じらうように笑った。
「いえ……そんな。お父様とお母様が支えてくださったからですわ。それに少しだけお姉様も・・・」
“少しだけ”。
その言葉が、静かに、確実に、セシリアの胸を刺す。
(設計図を書いたのは私。危険域を洗い出したのも、効率計算を詰めて抽出したのも……)
けれどセシリアは何も言わない。
ここで真実を語ることは、「家の誇りを汚すわがまま」として裁かれることを知っているからだ。
エルーナへの称賛に、父は満足そうに頷き、貴族たちへさらに声を張る。
「エルーナの成功により、この国の魔導循環は今後も末永く安定することでしょう!」
――そう。それは確実だ。
エルーナの魔力は、瞬間出力が異常に高い。
火花のように鋭く、雷のように強く放たれる。
だから魔法装置がまだ眠っている、“起動の瞬間”
――最も魔力を喰う段階である最初の動力入れは、エルーナでなければできない。
動力入れは、正直なところ、大変”映える”。
魔力が通った瞬間、キラキラと七色に光り輝く装置。
だから、お披露目会ではいつも、その場面を見せるのだ。
起動が成功し「天才」の名をほしいままにしている妹エルーナのもとには、
あらゆる貴族、そしてなんと他国の王族からも、お茶会への招待が舞い込んでいるとか・・・
一方、華やかな初期段階に反して、
長期使用の安定性やその検証の場に、視察は来ない。
大変、地味だからだ。
細かい不具合や回路の摩耗具合を測定し、修繕する。もちろんキラキラ光ったりなんかしない。
そういう調整を一手に引き受けているのが、”凡庸な”姉、セシリアの役目だった。
むしろ起動以外は全て、セシリアがやっているといっても過言ではない。
(動かしているのは私)
(安全に動き続けるのは当然よ、どれだけメンテナンスに苦労しているか)
テオブリック伯爵家は代々、王国の魔法装置を作り続けてきた名門貴族である。
魔法装置というのは、その大きさに関係なく、単に魔力を流せば動くものではない。
人の魔力には”癖”がある。
立ち上がりの波形、持続時間、最大量――同じ血を引く家族ですら微妙に違う。
魔力炉は例えるなら、心臓だ。
そこで駆動された魔力が、血管となる魔導回路を通って循環する。
そして、そうなるように脳となる制御核が指示を出している。
その流れのどこかにわずかな噛み合わせの悪さがあれば、装置は動くが「不安定」になる。
その状態を修繕せず、長く回せば回すほど歪みが積もり、やがて暴れ出す。
だから完成後に必要なのが――
”魔力適応調律”だ。
そして伯爵家の中で、いやおそらくこの国で、その力がもっとも高いのが――セシリアだった。
使用者の魔力の癖に合わせ、魔力を平均波形に慣らし、
魔導回路に負荷逃がしの“遊び”を入れたり、制御核に差異を吸収する余地を残したり。
一定のやり方はあるが、最後はどうしても微調整になる。
高いセンスと、それを実現させる高い技術が必要。
設計図には書かれない。数式にも残らないが、必ず必要な、職人の手仕事。
現在おそらく国一番の”調律師”であるセシリアのセンス。
それは、祖父譲りだった。
祖父はかつて天才の名をほしいままにした大陸一の調律師だった。
王宮の危険な装置が暴走しかけたときも、最後に押さえ込んだのは祖父の手作業だった。
――だが祖父の嫡子であった父ルドルフは、その能力を継がなかった。
幼い頃から何度も祖父に叱られたという。
『最後まで手元を見ろ』
『怖がって逃げるな』
『不器用なのだから人の十倍努力をしろ』
ルドルフは人よりも大きな魔力量をもっていた。
一方で、魔力適応調律は、大きな魔力量はほぼ役に立たない。
繊細な技術を習得。それが最重要だった。
ルドルフはある程度、時間をかけたが、その程度の努力で習得できるような技術ではなかった。
ルドルフは結局、祖父の認める域に達しなかった。
祖父が仕事の合間を縫って教えても、怠惰で集中力を欠く父は、祖父の強い言葉に反発し癇癪をおこすばかり。さらには次第に歪んだコンプレックスを抱えるようになり、腐った。
――祖父が亡くなった後も、その腐った内面、コンプレックスは消えなかった。
そして生まれた長女セシリアは、幼いころから明らかに祖父譲りの高い調律センスを発揮した。
自分がものできなかった技術を、一段飛ばしで習得していく娘。
自分を叱責した父も、初孫のセンスの良さを褒めちぎり、思う存分自分の技術を教え込んでいく。
乾いたスポンジのように難しい工程を学習し、吸収していくセシリア。
そんなセシリアを見るたび、ルドルフの中の何かが疼く。
蓋をした劣等感が顔をのぞかせ、
プライドを叩き壊された自分に最後は哀れみをむけた父親の視線が、今も、蘇る。
(父の技術が、なぜこいつの中にある)
(俺は受け継げなかったのに!なぜ、こいつは楽々と!)
コンプレックスを刺激され続けたルドルフは、セシリアを「裏方」に追いやった。
セシリアを表に出して自分の能力が否定されるのを恐れた。
セシリアを追いやることで、かつて自分を嗤った父に仕返しをしたような気になった。
セシリアの母エイダもまた、わかっていながら目を逸らした。
調律は大切。だが、伯爵家で蝶よ花よと育てられ、
政略結婚でテオブリック家に嫁いできたエイダは、技術職なんて全く関心がない。
理論も難しくて理解できないし、なにより調律は、”映えない”。
社交界は「わかりやすい才能」を好む。王宮の視察も同じ。
ならば、派手に起動できるエルーナを前に出すほうが、家として“栄える”だろう。
そんなふうに、都合のいい理屈で生きてきた。
その結果――セシリアの成果はいつも、妹の功績になっていった。
――それでも、セシリアは耐えた。
家のためだと、名門の誇りを守るためだと、自分に言い聞かせて。
まだ幼かった頃。
初めて魔導炉を調整した日のことを、彼女ははっきり覚えている。
灯りは最小限、薄暗い深夜の工房で、
魔導回路から漏れ出た淡い光だけが静かに脈打っていた。
回路の修繕に一心不乱に取り組むセシリアに、
「今日はここまででいいわ、もう屋敷に戻りますよ」
疲れた顔の母にそう言われても、セシリアは首を振った。
「もう少しだけ……もう少しでこの回路の癖をつかめる気がするんです」
誰に教わったわけでもない。
触れていれば、わかる。この回路の悲痛な声が。
妹エルーナは何時間も前にさっさと部屋へ戻っている。
起動以外は何もできないから。
エイダが呆れて帰った後も
セシリアは一人、装置の前に座り続けた。
魔導回路の節を指で丁寧になぞり、少しずつ魔力を流して反応を確かめ、制御核の応答を待つ。
ほんのわずかな違和感を何度も修正する。
負荷を逃がすための“遊び”を作り、暴れやすい場所を穏やかに慣らす。
(一生懸命やることで回路は答えてくれるの)
(おじいさまの誇りであったこの技術が、私の誇りにもなっている)
そう思いながら。
翌朝。
父は完成し、無事起動した魔導炉を見て満足そうに頷き、こう言った。
「よくできている。さすがだな、エルーナ」
名前を呼ばれた妹が、誇らしげに笑う。
セシリアは何も言わなかった。
(いいの、いいのよ。家の評価が上がるなら)
そうやって自分を納得させた。
いつもどおり派手な起動披露が終わり、貴族たちが帰っていく廊下で、エルーナが駆け寄ってきた。
「お姉様」
甘い声。
少し垂れた丸い目にツンとした小さい花、ピンク色の小さい唇に完璧な笑顔を浮かべている。
「今日の発表、どうでした? 皆様、私のことを褒めてくださって……お姉様も、誇らしいでしょう?」
「……よかったわね」
「でしょう? 私、これからもっと忙しくなるみたいなの、隣国の王女様からお手紙が来たのよ」
エルナは声を落とし、囁くように言った。
「お姉様って、本当に不思議。あんな地味な仕事に、一生懸命になって・・・」
愛らしい表情だが、そのピンク色の瞳には明らかな嘲笑があった。
「そんな努力なんかしても、意味ないんじゃないかしら」
セシリアは返事をしなかった。
「それに……」
エルナが指先で髪をくるりと遊ばせる。
「初期起動って、一番難しいんですって、お父様がおっしゃっていたわ。
まあ、お姉様には、できないものねえ?」
確かにセシリアは、あの瞬間出力を出せない。
でも、セシリアの書いた緻密な設計図や調律。それが無くては成り立たないのが魔導装置だ。
セシリアが口を開きかけると、エルーナは先回りした。
「ああ、調律、でしたっけ? 調律師なら、我が家の工房にはお姉様以外にも優秀な人がたくさんいるわ。でも、私の代わりはいないんですのよ、ふふふっ」
勝ち誇ったように微笑むエルーナ。
「お姉様程度のことはお父様もできるとおっしゃっているし・・・
お姉様もそんな地味な仕事はおやめになって、結婚でもなさったらどう?
お相手探しには少しお年を召しているけど・・・ふふっ、いい人がいらしたらいいわねえ」
エルーナは知らない。
難易度の高い設計図を引き、同時に難しい修繕もこなす実力があるのは、
この国では、セシリアだけであるということ。
エルーナはその重大さを理解していなかった。
◇ ◇ ◇
数日後。
めずらしく父に呼び出され執務室へ入った瞬間、セシリアは嫌な予感を覚えた。
室内には父と母、そしてエルーナが揃っている。
三人とも、すでに結論を知っている顔。
エルーナはにんまりと笑っていた。
「セシリア。話がある」
「……はい」
「お前を、辺境伯領にある魔導研究施設へ送ることにした」
一瞬、言葉が出てこなかった。
「……研究施設、それも辺境伯領、ですか」
「ああ。そうだ。人手不足らしい。
お前にはちょうどいいだろうともう依頼を受け取っている」
母も淡々と続けた。
「あなたが王都内にとどまっているとエルーナの婚約が決まらないの」
「研究施設へ行っていると言えば、先にエルーナの婚約を決まっても世間体がたつわ」
その言葉に、妹が一歩前に出る。
「お姉様……ごめんなさい。私のせいで」
そう言いながらも扇で隠した口元は弧を描いている。
「でも安心してくださいね。
お姉様がいなくなっても、私の魔力があればテオブリック家は安泰ですわ」
父が机の引き出しから、分厚い紙束を取り出して叩くように置いた。
「依頼を受けている設計図だ。完成版だけはすべて整理してある。
起動はエルーナができる。調律は……まあ、このレベルであればお前でなくても問題はないだろう」
父は“問題ない”と言った。
だがその声音には、妙な軽さがあった。
――父は調律の重要性を知っている。
知っているはずだ。だがセシリアを追い払おうとしている。
祖父に叱られ続けた言葉を、今でも、正面から認めることができていないのだ。
「お前のような地味な仕事は、エルーナに任せる必要もない。
工房や外部の職人を雇えば済む話だ。まあ難しければ私が出てもよい」
「そう。家のためよ、セシリア」
家のため。
(いや、エルーナのため・・・)
父がさらに続ける。
「今までのうちの成果がすべて、エルーナ名義で整理してあることを忘れるな」
つまりこの処遇は、体のいい口止めでもあるのだ。
セシリアがこの家で積み上げてきたものは、最初から存在しないのだ。
「……わかりました」
それだけ答えると、父は満足そうに頷いた。
「物分かりがいいところだけは評価しているぞ」
◇ ◇ ◇
執務室を出た廊下で、セシリアは足を止めた。
涙は出なかった。
胸の奥にあるのは、痛みよりも、乾いた静けさだった。
「お姉様」
振り返ると、エルーナがいた。
可憐な少女の仮面は剥がれ落ち、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「辺境なんてお姉さま、かわいそう」
彼女は、耳元で囁いた。
「でも、こちらに居場所はありませんものねえ」
扇をぱちりと閉めてエルーナは続けた。
「まったく、お姉様が仕事の虫でいつまでたっても結婚しないから!
お父様とお母様は、私の婚約が遅れることを心配してくださったのよ?」
夢見る少女のような潤んだ瞳がセシリアを嗤う。
「私ならちょっと練習すれば調律も簡単にできそうだと、お父様が言ってくださったのよ」
エルーナは微笑む。
「私はもっと輝くの!」
一方的に言い終えると、彼女は満足そうに踵を返していった。
残されたセシリアは、静かに息を吐く。
(……そう)
ならば。
(ここから先は、もう――あの人たちとかかわらなくていい場所へ)
エルーナはまだ知らない。
調律の技術は、短期間で習得できるものではないことを。
そして何より――
父が軽く扱ってみせているその技術こそが、テオブリック伯爵家を名門たらしめていたのだということを。




