第3話 ずるいなあ
美少女がひなの手を取って歩き出した。明るい夕日が差しこむ廊下をさっそうと歩いて校舎を出る。正門を出たところで、ひとりの不良青年が待っていた。スポーツ刈りで爽やかな顔立ち、けれど眉間には不機嫌そうな皺を寄せている。それから両耳にピアスだ。彼はひなに向かって舌打ちしたあと、美少女の横に並んで歩き出した。
いや、舌打ちは失礼すぎでしょうが。
……と、気軽に文句を言えればいいけれど。ひなは困惑したまま先を行く二人を見やる。この状況の意味はわからないけれど、この美少女と不良男が誰なのかは知っている。高校で一番有名なふたりだ。
美少女のほうはサクラ。ひなの学年で一番成績のいい機械人形だ。不良男のほうは青柳義清。同じくひなの学年で一番成績のいい人間。成績がいい同士のふたりだから、当然、仮想空間の授業ではいつもペアを組んでいる。そうするとこれまた当然、実戦の成績も一番だ。あとはえっと、なんだっけ。付き合ってるとか、付き合ってないとか、そんな噂があったりなかったり。
ひなたちは駅前の商店街にたどり着いた。美少女ことサクラはアーケードを突っきり、喫茶店の扉を開け、ボックス席に案内されるなりスラスラと注文する。
「アイスコーヒーをひとつ。いちごパフェをふたつ。パフェの片方はカスタード増し、ストロベリーソース追加、ホイップクリームは三絞りで」
……なんか、呪文みたいな頼み方してるんですけど。
いまのは心の声だ。断じて口にしたわけじゃない。なのに、向かいに座った青柳がひなをにらんでくる。
彼の隣で、サクラがにっこりと微笑んだ。ひと仕事を終えてやっと安心できたといったかんじだ。
「ひなさん、ありがとう。ついてきてくれて」
「……や、まぁ、手を握られてたし……」
「喜べよ、そこは」
「もう、青柳くんは静かにしてて」
サクラは小声で青柳をたしなめたあと、ひなのほうへ向きなおった。
「ごめんね、ひなさん。でもほら、機械人形は人間がいないと喫茶店に入れないから」
「謝らないで。知ってるわよ、それくらい」ただ、そういう付き合いのできる友達がいなかっただけだ。「それで、いったい何の用なの? 学年一位のあなたたちが、あたしに話すことなんてないはずだけど」
「繊月担当官のことなの」
ひなは顔を引きつらせた。やめてよ、いまその話をする必要ってある?
サクラが心配そうに首を傾けた。
「ひなさん、さっき会ってたでしょう? 大丈夫だった?」
浮気のこと? それとも浮気相手とのやりとりを見せつけられたこと? それだったらぜんぜん大丈夫じゃないけど。
「あのひと、有名よ。良くない意味で」サクラが声をひそめた。「保護機関の執行部隊に所属してることは知ってる? だから当然、仮想空間で戦うときは最前線に行くんだけど……繊月担当官は機械人形を使い捨てにしてるの」
ひなはぱちりと目をまたたかせ、盛大に息をついた。「よ、よかった……」
サクラが形の良い眉をきゅっとひそめる。
「よかった? どういうこと?」
「あっ、いや、えーっと……」
まさか浮気のことじゃなかったから、とは言えない。ひなが半笑いで視線を泳がせたさき、ちょうどいちごパフェが運ばれてくるのが見えた。パフェグラスにはサイコロ状にカットされたスポンジとルビーレッドのソース、それから真っ白な生クロームが重ねられている。てっぺんで輝くいちごは、つやつやとしていて宝石みたいだ。
うーん、美味しそう。
サクラが真剣な顔つきでテーブルから身を乗り出した。
「ひなさん、ちゃんと話を聞いて。今の話はあなただって無関係じゃないのよ」
「そ、そうかなー。あたしはもう無関係だと思うけど」
「そんなことない。いい? ひなさんの性能に欠陥があることは知ってるわ。でもあなたが機械人形である限り関係ないの。繊月担当官はどんな機械人形にだって自分のための武器を作らせることができるのよ。しかも彼の武器をつくったあとの機械人形はみんな、壊れてしまって、」
「ずるいなあ」
不満そうな青年の声が割りこんできてボックス席が静まり返った。なにもかもが気に食わないという顔つきだった不良少年こと青柳が、非難がましい視線をひなに送って呟く。「無関係とかじゃねーじゃん」
ひなは首を軋ませて振り返った。最悪だ。最悪すぎる。繊月ゼンだ。青柳に負けず劣らず不機嫌そうな顔つきで、ボックス席の背もたれに片肘をついている。相変わらず顔だけはよくて、ちょっと気だるげなのが逆に色気があった。ブランド物の腕時計が手首に斜めに引っかかってるのがまた……って違う。そうじゃなくて!
繊月ゼンがじろりとひなを見た。思わずひるみそうになり、いやいやそんな必要なんかないでしょと言い聞かせて、ひなは無理やり視線をあわせる。
「なによ」
「ひなちゃん、ずるくない? 俺が一生懸命仕事してるのに自分だけ甘いもの食べてるとか」
「はぁ? あんたの事情なんか知るわけない……あっ、ちょっと! それ、あたしのいちご!」
パフェの主役をひょいとつまみ食いするに飽き足らず、繊月ゼンはおしぼりを勝手に開けて指先を拭いた。もちろんひなの目の前にあった分だ。ほんとなんなの、こいつ。
ようやく衝撃が冷めたらしい。サクラがひなをちらっと見、それから繊月ゼンを見上げた。優等生らしい毅然とした眼差しだ。
「繊月担当官、私たちは大事な話をしてるんです。席をはずしていただけませんか」
「いやだね」
ストレートな否定に、サクラがぽかんと口を開けた。
「……いや?」
「だって君のはアドバイスじゃなくて、悪口だろ。自分の発言がどう見えるか、少しは考えたほうがいいよ。お嬢さん」
サクラがせわしなく瞬きした。我慢ならないと言わんばかりに、青柳がテーブルを叩いて口を開く。
「あんたのほうこそ自分の行いってやつを考えろよ。みんな言ってるぞ。一三七部隊の人間は保護機関の評判を悪くしてばっかりだ、って」
「へえ、保護機関に気にするような評判があったなんて驚きだな」
「あるに決まってんだろ。国の組織だぞ」
「じゃあ、君はちゃんと保護機関の人間を尊敬してるってわけだ。間宮室長のことも含めて」
青柳が目を見開いて沈黙した。驚いた。人間、怒りがすぎると言葉をなくすらしい。
繊月ゼンがひなの手をとった。えっ、ちょっとやめてよ。
「あんたの面倒事に巻きこまないで。あたしはパフェ食べたいんだから」ひなは自分の手を引っ張った。
「いやだよ。なんで俺が不愉快なときに、自分だけ楽しようとしてるのさ」繊月ゼンがひなの手を引っ張り返す。「ほら行くよ。さっさと用事をすませたいんだよね。これって時間外労働だし」
ひなは問答無用で喫茶店の外へ連れ出された。駅前の商店街のちょうど南端だ。平日のど真ん中だけれど年度末でもあるから、アーケードのあちらこちらに待ち合わせで盛り上がる集団が見える。それからどこからともなく漂ってくる、油が多めのコロッケの香り。
ひなの腹が寂しく鳴った。振り返った繊月ゼンが鼻先で笑う。
「ひなちゃん、相変わらず食い意地だけはあるよね」
「っ、誰のせいだと思ってんのよ!」
ひなは手を振りほどいた。そのままの勢いで文句を並べ立てようとすれば、まるでボールを投げるような気軽さで携帯端末を渡される。あたしのスマホだ。そのことに気づいて、ひなは苦い気持ちになった。
繊月ゼンがからかうように言う。
「お礼は?」
くそったれ。ひなは携帯端末を痛いほどに握った。
「……ありがと」
「ははっ、その悔しそうな顔! やっぱりひなちゃんはいじり甲斐があるよねえ」
「わざわざそんなこと言いに来たの?」
「違うよ。時間外労働だって言っただろ。それなのに君が呑気にお茶してるのが見えたから」
「あんたには関係ないでしょ」
「趣味の悪い友達だね」
ひなは顔をしかめた。
「あたしがあんたに言いたいことは三つよ。ひとつ、サクラも青柳も友達じゃない。ふたつ、本人がいないところで悪口を言うのはやめて。みっつ、あんたの趣味もどうかしてる」
「わお、ひなちゃんの最後のコメントも俺への悪口じゃない?」
「面と向かって言ってるからいいのよ」
というか、先に浮気したのはあんたのほうでしょ。そう思って、心臓のあたりが少しだけ苦しくなって、情けなくなる。今朝からずいぶん時間が経ったのにまだぜんぜん立ち直れてない。あたし、こんなに弱かったっけ。
ぽつんと落ちた沈黙をやぶったのは、繊月ゼンの「ふうん」という呟きだった。なによ、そのよく分かんない返事。くさくさした気持ちで見上げた瞬間だった。繊月ゼンがなぜかぱっと顔を輝かせる。
あっ、まずい。これは面倒事を思いついた顔だ。ひなは慌てて身をひこうとしたが、もう一度手を掴まれた。
「ゲーセンに行こ、ひなちゃん」
「嫌」
「えっ、なんで? 暇でしょ、この時間」
「忙しいわよ。夕飯食べたいし、ドラマだって見なきゃだし……」
「買い食いでいいじゃん。ドラマは配信されてるしさ。ほら」
「ちょっと!」
繊月ゼンは足取り軽く歩き始めた。商店街を進んで北側の端に向かう。
馴染みのあるゲームセンターは、記憶にあるとおり、ゲーム台の放つ光の洪水であふれていた。
寂れた雰囲気があるのはラインナップのせいだ。人形やお菓子の積まれたクレーンゲーム、レーシングカー、エアホッケーに、ひと昔前に流行ったキャクターのカードゲーム台がいくつか。
プリクラにかかった垂れ幕から、色褪せた美少女ふたりが決め顔でひなたちに視線を送っている。付き合いたての頃に、一度だけ使ったことがあった。たしか美白とデカ目の加工が強すぎて、あたしも繊月ゼンもおばけみたいな出来になったんだ。それで爆笑したことを覚えてる。あのあと写真はどうしたんだっけ。データはスマホに残ってたはずだけど。
照明のきれかかった自販機で調達したホットドックをかじりながら、繊月ゼンはお菓子の積まれたゲーム台に百円硬貨を投入した。ルーティンだ。まったく。
ひなはぼやいた。
「いっつも上手くいかないくせに」
「今日は攻略する」
「仕事はどうしたのよ」
「待ち時間なんだよね」
「また適当なことを、むぐ」
繊月ゼンがひなの口にホットドッグを押しつけてきた。芯のほうが冷めたソーセージにしんなりしすぎのピクルス。パン生地は少しだけ水っぽい。でもマスタードとケチャップの酸味は効いてるし、かなしいかな、ひなは空きっ腹で、空腹は最大のスパイスだ。
ひなは渋い顔のまま、もそもそと口を動かした。美味しい。それを見透かしたみたいに、繊月ゼンがひらりと手を振る。
「食べちゃっていいよ、それ」
あぁそう。それならお言葉に甘えるけど。
繊月ゼンは空いた右手をゲーム台に置いた。指先でリズムを刻みながらアームを真剣に見つめている。まったく、いつものデートみたいだった。別れたその日にデートとかウケるんですけど。
けど……まぁうん。ホットドッグひとつぶんくらいは、暇つぶしに付き合ってあげてもいい。
「ねぇ」
「なに、ひなちゃん」
「左下のポッキー箱から狙ったほうがいいんじゃないの」
「どこ?」
「ほらここ。箱の角が引っかかって動いてるでしょ」
ひなは膝をついてターンテーブルの右端を指した。テーブルにのせられたディスプレイ用の虹色の石が、やわらかな光の影を落としている。身をかがめた繊月ゼンは菓子箱の山をためつすがめつ眺めた。
「うーん、どうかな。あからさまじゃない?」
「ちょっと。前回もそうやって、あたしの言葉を信じなかったじゃん。で、結局とれなかった」
「失礼だな。ちゃんと取ったよ。千円かかっただけで」
「はいはい、キャラメルの箱ひとつに千円かけるなんてあんただけよ。というか、その前だって二千円くらいかけてたし……」
「あ」
「えっ」
繊月ゼンが立ち上がった。指先で素早くリズムを刻む。ととと。はじめて繊月ゼンと目があったときに、あたしの心臓が刻んだのと同じリズムだ。
ボタンが押された。アームが動いてポッキー箱の角をひっかける。ぐらっと山全体が動いた。うそ、まさか。そんなふうに思った一瞬のあと、ぽとりと山の頂上からひとつだけチェルシーの箱が落ちる。それだけだ。
お菓子のタワーをのせたターンテーブルが何事もなくまわる。ひなは思わず繊月ゼンと顔を見合わせ、互いに吹き出した。
「ちょっと、やめてよ。あんだけ期待させといて!」
「ひどいな、俺だけのせいにして! ひなちゃんの助言のとおりにやったんだから、共同責任だろ」
ティーンエイジャーみたいにクスクス笑いながら繊月ゼンが戦利品を商品口から引っ張り出した。これどうやって分ける? 分けなくてもいいでしょ、ただの飴なんだから。でもほら、ヨーグルトと桃で二種類味があるよ。あってもなくてもいいような会話を重ねて、ふと互いに口をつぐむ。
目があった。
もう二人とも笑ってない。
「……ねえ」
ぽつりと呟いて、ひなは唇を噛んだ。駄目だ。あふれそうになる言葉を全部ゴミ箱にまとめてて捨てて、空っぽのホットドッグの包み紙をぐしゃりと握りつぶす。ひなが顎をあげたところで繊月ゼンの携帯端末が鳴った。
「出れば」ひなはそっけなく言った。
「……分かってるよ」
繊月ゼンが不機嫌そうに返事をして画面をタップする。甘ったるい女の声が聞こえた。「もしもし、繊月くん? もう着いてる?」
ひなは背を向けて大股で歩き始めた。自動扉が開ききらない間に外へ出る。真っ赤な口紅が印象的な女が驚いたようにひなへ道を譲った。ううん、人じゃない。機械人形だ。首元にうっすらと型番が見えた。なによそれ。機械人形と浮気できるんなら、あたしと付き合ったままでも良かったじゃん。
なのに。
ひなは冷たい息を吐いて鼻をすすった。商店街を突っ切り、最初の角を右に曲がったところで乱暴に立ち止まる。違う、もうあのアパートには帰らないんでしょ。八つ当たり気味に地面を蹴って振り返った。
道の真ん中に一人の女が立っている。白雪みたいに真っ白な肌、シニヨンでまとめたアイスブルーの髪、グレーのパンツスーツにオフホワイトのブラウス。ハリウッド映画の敏腕エージェントをそのまま現実に呼び出してしまったみたいだ。とんでもない美人は、そこにいるだけで商店街のくたびれた大人たちをぜんぶ背景にしてしまう。
女のスーツの襟元で、金のバッジが光を弾いた。根を伸ばす大樹と深海を目指す鯨。保護機関《DIVER》の証だ。ひながそのことに気づくのを待っていたかのようだ。
女がうっすらと笑みを浮かべて唇を動かす。
「対象捕捉――起動:白波の留」




