タベ・タラ・ア・柑
「あなたにはこの新種のミカン、『タベ・タラ・ア・柑』の水やりをやっていただきます。虫にも病気にも強い、味も美味ということで高額で取引されていますが大変危険なフルーツです。水やりの手順を間違うと、全身から果汁を吹き出して死ぬことになるので気をつけてください」
アホみたいな名前から凶悪すぎる特性持ってない?
短時間高収入、闇バイトを覚悟して受けた仕事の説明に俺は思わずそうツッコんだ。
だがダサい農作業服に身を包んだそのオジサンは、そんな俺に構わず説明を続ける。
「その、死に際はというと……実際その場に居合わせたという摘果作業のパートさんによると、『何かしらの補完計画が始まったみたいだった』とのことです」
「あのアニメのあの劇場版を知っている人にしか伝わらない、しかもトラウマ描写じゃないですか……っていうか実際、破裂したのを見た人がいるんですか?」
この手の話は最終的に「そして誰もいなくなった」状態になるので、だいたい「そう噂されているが、本当に遭遇した人は誰もいない」というのがセオリーだと思うが。疑問に思えば、オジサンは「それがですね」と答える。
「そのパートさん、呪い殺したいほど嫌いな女が一人いて。『いいバイトがあるよ』って言って自分と同じ摘果の仕事に誘い、デタラメな水やり方法を教え「それも私たちの仕事」って言い含めたそうなんです。そしたらその、間違った水やりをやった女が相手が目の前でそうなったのだと。『ラッキーだったけど怖かった、甘き死がきた』って、言いましてね。そのパートさん、すっかり怯えてジョウロを持つ手がぶるぶる震えてましたよ」
「いや、そのパートさんが一番怖いじゃないですか」
しれっと完全犯罪だし。いや、しかしここでその真相を教えていいのか? だが警察に「ミカンの水のやり方をわざと間違えて教えて、意図的に死を誘発した」なんて言っても通じるわけないし……言ってて混乱してきた。この場合、殺人罪が成立するのか? ギリ「未必の故意」で済むか?
そもそも何だ、水やりの方法を間違えたら自分もオレンジ色になって爆発するミカンってそんなフルーツあってたまるか。
疑問が目に出てしまったのか、オジサンは「『タベ・タラ・ア・柑』は立派なフルーツですよ」と言い出す。
「美しい花には棘がある、という言葉があるのと一緒です。美味しいものを手に入れるには、多かれ少なかれリスクがあります。あの果物の王様であるドリアンですら、実が頭に落っこちて死んだり食べ方を間違えて死んだりすることもあるんですよ。この『タベ・タラ・ア・柑』もそれと同じです」
「いや、だからって果汁になって爆発する植物とかありえないでしょう。そんな殺意高すぎなミカンこの世に存在しますか?」
「残念ながら爆発する植物そのものはこの『タベ・タラ・ア・柑』だけじゃないんです。でも『タベ・タラ・ア・柑』の味と爆発力は随一。世界に誇る『タベ・タラ・ア・柑』の水やり、責任を持ってやってください」
「勤労意欲が削がれる情報しか入ってこないですよ。ってか『タベ・タラ・ア・柑』って名前長すぎじゃないですか? おかげで話のテンポめちゃくちゃ悪いじゃないですか」
万が一、実在するミカンと同じ名前になってはいけないのであえて長く馬鹿馬鹿しい名前にしております。ご了承ください。
なぜか目線を第四の壁の向こうに逸らしつつ、妙に丁寧にそう言ったオジサンは「まぁ、落ち着いて」とまた腑抜けた様子に戻る。
「でもね……悪いけどここまで『タベ・タラ・ア・柑』の話を聞いたからにはあなたはこの仕事をきちんとするしかないんですよ。なんてったって『タベ・タラ・ア・柑』は果物ですが、それと同時に『兵器』でもあるので」
「……へ?」
「『タベ・タラ・ア・柑』の育成に使う水は、水やりの方法を間違って果汁になった人間を何十倍かに希釈してできるもの……一部の人間が正しい水やり方法を知っておけば、後は大量殺人にも大量生産にも応用できるわけです。美味しい実が成り、その過程で出た犠牲者の遺体は栽培の課程で処分できるので一石二鳥。身近な殺人から、戦争まで幅広く使える代物なわけです」
オジサンは気だるげに、だがゆっくりと俺の方に詰め寄ってくる
「この求人に応募してきた時点で、あなたの個人情報は大まかに把握しています。実家は遠いし、一人暮らしだそうですから急に姿を消しても不審に思う人物は現れにくいようですね。「即日採用」に飛びついてきたあたり、お金にも困っていると見える。……ここまで言ったら、やらないという選択肢はないのでは?」
そこでオジサンがわざとらしく、いやらしい笑みを浮かべる。傷口にミカンの果汁をぶちまけられたみたいな不快感が俺を襲った。オジサンはそのまま、醜悪な笑みを浮かべながら俺に近づく。自分の言いなりになるしかない俺の反応を、わかっているからこその強気な態度だ。その手には既に、大きめのジョウロが握られている。
今の話が本当なら、この中に入っている水も元は人間だったってことだよな。
その可能性を考えたが、俺はすぐにその考えを振り払う。こんな運命を抱えることになったミカン、もとい「タベ・タラ・ア・柑」が気の毒になるが仕方ないだろう。
やっぱ闇バイトだったな、これ。そう思いながら俺はオジサンからジョウロを受け取り、恐怖の水やりに取り掛かるのだった。