9.重なり始める光
照明がやたら白く、昼間だというのに妙に落ち着かない――ファストフード店に入った瞬間、玲次はそんな印象を受けた。店内は制服姿の学生と、近所の主婦らしき二人組、それに配送アプリのライダーが一人。土曜の昼にしては空いていた。
「よっ。早かったじゃん、玲次」
窓際の席に春香がいた。赤いショートジャケットを羽織り、トレイの上に山盛りのポテトとハンバーガーを並べている。髪をきゅっと後ろでまとめ、どこか懐かしい笑みを浮かべていた。
「そっちこそ、先に来てるなんて珍しいな」
「ふふん、気合い入れて来たの。報告あるって言ったでしょ?」
玲次は春香の向かいに座り、アイスコーヒーのフタを外した。春香の言葉はいつも少し大袈裟だが、今日は違った。表情に、ほんのわずかだが緊張の陰が混じっている。
「あの“セクション・セブン”ってとこ行ってきた」
「……で、どうだった?」
「……うん。正直に言うと、スカッとした。誰も傷つけなくていい相手だってわかってたから、本気で蹴れたし。壁に思い切り回し蹴り入れたらさ、ベコッてへこんで……中の鉄骨まで曲がったんだよ?」
言いながら、春香は少しだけ笑って見せた。誇らしげなようでいて、その瞳には戸惑いが滲んでいた。
「すごいよね、もう。普通じゃないって自分でもわかる。……でもさ、もしこれ、人にやっちゃってたらって考えたら……ほんとに、殺しかねないじゃん。私、格闘技やってるから余計に思うんだ。下手に怒らせたらどうなるか、自分でも怖い」
玲次は黙ってその言葉を受け止めた。冗談めかして話しているようで、春香は本気で怯えている――自分の“力”に、そしてその先にある“責任”に。
しばらく迷ってから、玲次はコーヒーに口をつけ、意を決して口を開いた。
「……春香」
「ん?」
「……お前がその普通じゃない力を持ったなら、話しておかないとならない」
春香が手を止める。口元から少し微笑みが消える。
「力を得るってことは、それだけで生き方が変わる。俺たちは、普通の人間とは違う選択を迫られる。……お前にも、その道を示すべきだと思った」
一瞬だけ、玲次は言葉を選ぶ手を止めた。本当に話していいのか。春香が今の暮らしを続けたいと願っているのなら、これは迷惑になるかもしれない。でも——
(いや、今の春香は、どう生きるべきか悩んでいる)
自分にそう言い聞かせ、玲次は続けた。
「俺たちみたいな能力者が集まって動いてる組織がある。力をただ隠すんじゃなくて、使うべき場所で、正しく扱うために。お前が、その一歩を踏み出す覚悟があるなら——」
「え、なにそれ……!」
その時だった。玲次のスマートフォンが震えた。
胸ポケットから取り出し、画面をちらと見る。差出人は「Alice」。
(来たか……)
春香の視線をかわしながら、玲次は膝の上で画面を確認する。
『……はい。見えてます。
今朝、初めて……人がたくさん死ぬ夢を見ました。
どうしていいかわかんなくて、でも止めたいんです。
信じてくれますか?』
予想以上に、率直な文面だった。Aliceは、完全に怯えている。けれど、その不安を押し殺してでも助けたいと訴えている。
玲次は短く返信を打った。
『見た夢の詳細、聞かせてほしい。
直接会えないか?』
「……ねえ、ちょっと」
春香の声がしたが、玲次はスマホを握ったまま、そっけなく相槌を打った。
「ん……悪い、ちょっと確認してることがあって」
「話の途中でどうしたの? 誰かと連絡とってるの?」
「仕事の関係だ」
即座に答えたが、春香の目は鋭く細められた。嘘に敏感な性格だった。
スマホが再び振動した。Aliceからの新しい返信だ。
『高層マンションです。たぶん今日の夕方。
一角が崩れて、上の階が潰れて……たくさんの人が死んじゃうんです。
本当に信じてくれるなら、駅の西口にある小さな公園、来てください』
玲次は即座に了承のメッセージを返す。時間はまだ間に合う。必要なのは状況確認と、現場への即応。
(……間違いない。これは未来を視る能力者だ)
「……あのさ」
春香の手が、玲次のスマホに伸びた。玲次が反射的に引こうとしたその一瞬で、春香は俊敏に指先を絡ませ、すばやく画面を奪い取った。
「あんた何隠してんのよ」
「返せ、春香!」
「は? なにこれ……“人がたくさん死ぬ夢”……? え、なに? なにそれ。マンション崩れるって、どゆこと?」
春香の目が急速に真剣さを帯びていく。
「……あんた、今からそこ行くつもりだったでしょ。私に黙って?」
「これはお前には関係ない話だ。危険が伴う」
「なにそれ、上から目線。さっき話聞いてくれたくせに」
「だからこそだ」
「はぁ? ちょっと待ってよ、私のこの足は飾り? あんたが言ったんだよ、“自分が何者か。どこまでやれるのか。試せ”って」
玲次は、しばし黙った。春香は身を乗り出し、スマホをテーブルに叩きつけるように置いた。
「もしホントにマンションが崩れるなら、私、行く。行って助ける。それでダメなら、そのときに自分の力の限界わかるだけじゃん」
「無茶を言うな」
「玲次。私、もうただの空手少女じゃないんだよ。あんたが“そういう世界”にいるなら、連れてけ。私にも、その責任がある。それとも私じゃ不満?」
その言葉に、玲次の胸の奥が一瞬、疼いた。責任。あの日、炎の中で妹を助けられなかった記憶。あのとき、自分に“もっと力があれば”と願った、その悔しさ。
目の前の春香は、あのときの自分に似ていた。
「……わかった。だが、俺の指示には絶対に従え」
「りょーかい! なんかチームっぽくて燃える~!」
春香が豪快に笑い、勢いよくポテトを口に放り込んだ。
玲次はスマホを再び手に取り、Aliceに短く連絡を入れた。
『すぐに向かう。安心して待っていてくれ』
春香と二人、急ぎ足でファストフード店を出る。日差しがまぶしく、アスファルトの照り返しが強い。けれど心の奥には、確かに新しい何かが芽生えていた。
三つの点が、今まさに一つの形になろうとしている。
少女が見た“未来”は、確かにすぐそこにある――。