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5.玲次の探索と思索

 静けさが、部屋を満たしていた。

 壁掛け時計の秒針が、時を刻む。冷蔵庫の低いうなり声が、かすかに鳴っている。だがそのどれも、氷川玲次の耳には届いていなかった。


 部屋の明かりはつけず、机上のモニターだけが冷たい光を放っている。キーボードに置かれた手は微動だにせず、玲次は、画面に映る検索結果をただ睨んでいた。

 検索ワードは「予知」「未来視」「事故の予言」「都市伝説 能力者」——いずれも、GIFT HOLDERSの正規情報網にはまず上がってこない、いわば“泡沫情報”だ。組織内の情報班が、まず相手にしないジャンル。まともな隊員であれば、クリックすらしないような検索履歴。

 だが、玲次は今日だけで既に数十のリンクを開いていた。


 背後のラックには制圧班の任務記録や作戦書が整然と並び、冷気系能力の使用に関する実地データも自ら綴じてある。だが、それらを幾度読み返そうと、彼の胸にこびりついた疑念は晴れなかった。

 本当にこれが、限界なのか?

 今のやり方、今の組織、今の情報の掬い方。それだけで、人を救えると、本当に言えるのか?


 あの火事の日、もし——もっと早く、もっと別の角度から危機を察知できていたら。

 妹を救えなかったあの夜を、何度夢で繰り返しても、結論は同じだった。力だけでは届かない場所がある。

 だからこそ、俺は情報を追う。

 そう思って制圧班にいながら裏で独自のルートを模索してきたが、今にして思えば、それすら組織の枠内に収まっていたのかもしれない。型通りの連携、定型のパターン分析——どれも“常識の範囲”だ。だが非常識な敵と戦うには、非常識を理解せねばならない。


 玲次は目を細め、画面をスクロールした。

 不確かな予言系の書き込みが並ぶ匿名掲示板、膨大な閲覧数だけが目立つまとめサイト、真偽不明のオカルトYouTuberのチャンネル——その多くは無意味だった。根拠も証拠もない、感情の断片。

 それでも、ふとした瞬間に目を止めたのは、一つの短文投稿だった。


「明日、交差点で白いトラックが子どもを跳ねる。止められる人、いないかな。 #湾岸南」


 玲次は眉をひそめる。

 三日前の投稿。

 添付された日付、場所。調べると——ニュース記事が一件ヒットした。

 《湾岸南区、白いトラックによる交通事故。小学生が負傷》


 ……マジか。

 胸の奥が、不意に冷えた。

 ネット上の投稿など、デマも山ほどある。だが、これは妙に具体的だ。そして日付は事故の前日。

 再び投稿者名を確認する。


投稿者:Alice


 ハンドルネームは軽薄な印象だが、プロフィールは何も書かれていない。投稿の内容も、決して大仰ではなかった。叫ぶような予言でもなければ、世界の終わりを語るような戯言でもない。

 淡々と、日常のように、“明日”の出来事がそこに記されていた。


「これは……違う」


 玲次の口から、思わず声が漏れた。

 どこがどう、と説明できるわけではない。ただ、感覚が告げている。

 他の予言系の投稿とは“熱”が違う。興味を引こうとする意図が見えない。むしろ、それを見せまいとしているような——あるいは、本当に“知ってしまっている”だけの者の、苦しげな沈黙のような。


 震える指で、玲次はAliceの過去投稿を遡った。

 五日前のもの。


「団地のベランダ、五階。子ども、落ちるかも。柵、壊れてる」

→ 三日後、「団地、子どもが転落寸前で母親が抱きかかえて救出」のニュース


 さらに遡る。


「夕方、青いランドセルの子が線路に降りる。誰か止めて」

→ 実際にその日の夕方、「ホームを降りた小学生が保護された」との速報記事。


 数十件を追いかけるうちに、玲次は言葉を失っていた。

 これが偶然である確率は——低すぎる。

 投稿のすべてが完全に的中しているわけではない。だが、事故や事件の“前”に書き込まれたと思しき内容が、確かにいくつもある。そしてそれらは、警察やマスコミ、そしてGIFT HOLDERSのどの情報網にも引っかかっていなかった。


 なぜ、こんなものが拾われていない?


 玲次は苛立ち混じりに呟いた。いや、違う——これは“拾えない”のだ。常識のフィルターを通した瞬間に、こうした情報は「ゴミ」と分類されてしまう。

 だが、氷川玲次の直感は、それを“情報”として感じ取っていた。


「……見てるな、こいつは」


 未来を。

 ほんの少し先の未来を。

 偶然でも、遊びでも、ネタでもない。

 予知。未来視。

 GIFT HOLDERSの登録能力者にもいない、極めて希少なそれ。


 玲次の背中に、静かな汗が流れた。

 これが本物なら、俺たちのやり方は根底から変わる。

 火事、事故、犯罪——“事前”に手を打てる力を持つ者がいるなら、それはどんな戦力よりも強力だ。


 手元のメモ帳に、AliceのIDと投稿傾向を書き留めながら、玲次は無意識に口元を引き締めていた。

 まだ確証はない。だが、放っておけない。いや、放っておくべきではない。

 この人物は、組織の網の外側にいる“異物”だ。そしてそれは、玲次にとって、何よりも意味を持っていた。


 網をすり抜ける者——それが妹を救ってくれたかもしれないという、可能性の象徴。


 時計は深夜一時を回っていた。

 玲次は椅子を離れ、部屋のカーテンをわずかに開ける。

 窓の外に、月が出ていた。半月。まだ欠けている光。だが、それでも確かに、夜を照らしていた。


「……名前も、顔も、何もわからねぇ」


 モニターに映るAliceの投稿ページを見据えたまま、玲次は静かに呟いた。

 それでも、惹かれていた。理屈じゃない。

 なぜか——「あの時届かなかった何か」が、この画面の向こうにある気がした。


 そして玲次は、ゆっくりとタイピングを始めた。


「おまえ、未来が見えてるのか?」


 Enter。

 画面が更新される。

 まるで深い森の奥へ、一歩、踏み込んだような感覚だった。

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