13.終息と三人の絆
店内は、ほのかなジャズが流れていた。
カップの触れ合う音、窓の向こうに染まりゆくオレンジの空。現実感がどこか薄くて、夢の中にいるような気分だった。
マンションが崩れた。人が死ぬ夢を、何度も見た。
けれど現実は違った。誰も死ななかった。あの二人と一緒にいたおかげで。
祐希は、カフェの奥まった席で、ストロー越しにアイスミルクティーを啜った。氷が溶けかけて、音がした。小さくて、でも確かな、生きている音だった。
「なーんか、打ち上げって感じしないね」
春香がカウンターから戻ってきて、明るく笑いながら椅子にどかりと腰を下ろした。ポニーテールがくるりと舞う。
「でも、やってよかったよね、私たち。祐希ちゃんも超がんばったじゃん。現場指示、あれ完全にプロよ」
「……そんなことない。いつも……ゲームでやってて、慣れてるだけ」
祐希は目をそらした。春香の明るさは時々、眩しすぎる。けれど、悪い気はしなかった。
「普通はいきなりあんな動きはできない。自信を持っていい」
向かいに座る玲次が、静かな声で口を挟んだ。彼の前には、ブラックコーヒー。砂糖もミルクもなし。氷川玲次という男の印象そのままだ。
「未来が“見える”ってのは、お前にとってただの呪いかもしれない。けど今日、それで誰かが救われた。それはお前の力だ」
その言葉に、祐希は思わず顔を上げた。
玲次の瞳は、真っ直ぐに自分を射抜いていた。冷たいわけじゃない。ただ、熱を隠しているようなまなざしだった。
「でも、途中で集中しすぎて、……逃げ遅れて。危なかった」
「それは俺のミスだ」
玲次はすぐに言った。
「確認が甘かった。春香が言ってたろ、お前はまだ中学生なんだ。限界を越えて当然だよ」
「それでも、祐希ちゃんがいたから助かった子がいる。ね?」
春香が祐希の肩をぽんぽんと軽く叩く。祐希は少し肩をすくめたが、拒まなかった。
カフェの壁にかかったテレビでは、ニュースキャスターが緊迫した声で報じていた。
『――倒壊寸前の集合住宅から、奇跡的に全住人が無事避難。近隣住民によると、事前に避難を促す“何者か”の姿があったといいます――』
映像には、崩落したマンションの残骸と、警察の規制線。その外にいる自分たちの姿は、当然映っていない。
「……まるで、ヒーローだね」
祐希の声は、窓の外の夕日に吸い込まれるように静かだった。
玲次がわずかに口角を上げた。
「ヒーローは顔を出さねぇんだよ。出した瞬間に、狙われる」
「狙われる?」
「世の中には、“力”を危険視する連中がいる。あとは――利用しようとするやつもな」
玲次はコーヒーを一口すすり、春香と祐希を順に見た。
「俺の所属してる組織がある。GIFT HOLDERSって名前だ。能力者を保護して、場合によっては事件に対処する。お前らの力を、そこで活かしてみる気はあるか?」
祐希は思わず息をのんだ。
組織。自分が、必要とされる? たった今まで、部屋に引きこもって、ただモニターの中だけで生きてきた自分が。
「……それって、私みたいな普通の大学生でもいいの?」
春香が、ちょっとだけ声を落とした。さっきまでの弾むような明るさから一転して、どこか幼い不安が覗く。
「覚悟があるかどうかがすべてだ。お前はある。それだけで十分」
玲次のその言い方に、春香は思わず笑った。
「じゃあ、やってみようかな。蹴りしか取り柄ないけど、それでもいいなら!」
「いいさ」
玲次は頷いた。
そして、祐希の方を見た。
「祐希。お前は、どうする?」
祐希は、ミルクティーのストローを指で回しながら、目を伏せた。心臓が小さく跳ねる音が、耳の奥で響いていた。
前髪が視界に落ちてきて、世界を少しだけ薄暗くする。それでも、彼らの言葉は明るくて、遠くまで届いた。
あの母親のいる部屋から出たい。モニターだけの世界に引きこもるのも、もうたくさんだ。
けれど。
「……私、本当に……役に立てる?」
「今日、全員生きてた。それが答えだ」
玲次の言葉は、静かで、でも強かった。
祐希は、ゆっくりと顔を上げる。そして頷いた。
「……わかった。私も、行く。……呼んでくれるなら」
玲次は短く笑った。祐希はそれを見るのが初めてだった。
「よし。じゃあ、一度組織と話をつけてから、また迎えに来る。それまで、準備しとけ。二人とも」
「準備って、何を?」
春香が首を傾げる。
「心の準備だ。お前らがこれから踏み込むのは、普通の道じゃない。力のある人間は、同時に選ばれたってことでもある」
玲次はそう言いながら、席を立った。
「金は払っといた。……行くぞ」
店の入り口に立つ彼の後ろ姿が、なぜか大きく見えた。
春香がカップを手に、「行こうか、祐希ちゃん」と言う。
祐希は頷き、席を立った。
店を出ると、空はすっかり茜に染まりきっていた。
歩道には夜の気配がにじみはじめている。三人の影が、ぴたりと並んで落ちていた。
この人たちとなら、
祐希は思った。
未来を“見る”だけじゃなく、“歩いていける”気がした。
――歩いていく。もう、独りじゃない。