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飲んではならぬ

「お久しぶりですわね、オルタンス様、いえ聖女様」

「こちらこそですわ、ブレーク伯爵令嬢様、わざわざお越しいただきありがとうございます。

 それで何かわたくしに話したい事があって、あのような事を仰ったと理解しておりますが」


 オルタンスは聡い。聡いがゆえに揉め事を起こさないために言葉に慎重になる。かつてはその態度が勿体つけているだとか、傲慢だと批判されたりもしたが、自分を貶めるその言葉は、誰かが誘導しているのだろうと見当をつけていた。その誰かについても想像はつく。おそらくは目の前の娘。


 ケイト・ブレークのやり方というのは、相手に推測させるという手法だ。例えば学院の制服が汚れていたとしよう。何かあったのかを尋ねると、それは自分の口からは言えない、高位貴族の方を敵に回せませんと怯えながら答えるのだ。

 誰に何をされたか、はっきりとは言わない。言わないが美しい令嬢が怯えていれば、高位貴族に何かをされたと周囲は思い込む。初めは令嬢への同情から、次に親しげに振る舞うその態度に騙されてしまうのだ。

 令嬢を虐めた家門が伯爵家以上となると数が限られてくるし、王太子を巡って婚約者候補の令嬢達が争っているからさらに絞られる。

 その悪質な誤解の全てをオルタンスへ押し付けるのだ。そして、元々近寄り難い雰囲気を持つオルタンスならばやりかねないと言い出したのは王太子だった。


 じわじわと追い詰められてオルタンスの周りには人が居なくなった。オルタンスを見かけると怯えたふりをするケイトと話をしたくても、あちらが逃げるのでどうにもならない。そのうちオルタンスは無意味な事はやめようと決めた。既に卒業資格は取ったから学院に通うのも辞めた。父から叱責されてもひたすら耐えた。辺境へ嫁ぐ話が出た時に、この現状から逃げ出せるチャンスだと考えていたが正にその夜夢を見たのだ。


『聖女選定の儀式を受けなさい。女神の力を信じなさい』



 にこやかに対峙するふたりから離れた入り口側にエイプリルとケイトの侍女が控えていた。マーティンからは聖女を守れと命じられている。ぱっと見はただの若い修道女で外見も素朴、まさか護衛だとは思いもよらない筈。

 お茶を淹れてそっと壁際に立つ。修道女が淹れるお茶なんて飲めたものじゃないわねと、ケイトは嫌な顔をした。一方オルタンスは、心を穏やかにしてまるで力がみなぎってくる様なお茶にほっとひと息ついた。ケイトと対面する事で少なからず心に小波が立っていたのだ。


「それで何をお望みなのでしょう?ブレーク伯爵令嬢は、殿下の寵愛を受けた婚約者で、既に多くのものを手にしてらっしゃるかと。今さらわたくしに執着なさるのは何故でしょうか」


 思わぬオルタンスの反応にケイトは一瞬睨みつけたが、


「わたくしは全て水に流しましたのよ。学院でオルタンス様から受けた虐めは許して差し上げますわ」

「そうですか。そもそも虐めなどした記憶がございませんから許すと言われましても困ります」


 オルタンスは首をこてんと傾けて、頬を少し膨らませた。それはケイトがよくしている仕草である。意識的に真似をしたのだ。


「オルタンス様は聖女に選ばれたにも関わらず、都合の悪い事は忘れたふりをなさいますのね。 ええ、宜しいわ、わたくしの許しを拒絶されたという事実のみが残りますから。

 それより貴女、この不味いお茶をよく飲めますことね。ご実家ではまともなお茶を出してもらえなかったのかしら」

「そう仰らずブレーク様もお飲みになっては如何。頭がすっきり致しますよ?」

「わたくしの口には下々の飲み物は合わないようですわ。オルタンス様は、お茶ひとつとっても大聖堂で不自由なさっているのですね。

 ああそうだわ!本日はオルタンス様の為にわざわざ取り寄せたお茶を持って参りましたのよ」


 そう言うと侍女に命じて茶葉と茶器を準備させた。オルタンスは、まあありがとうございますと喜んでいる様子で、エイプリルはそれを静観していた。

 やがて香り高い茶が2人の前に置かれた。茶器も持ち込むくらいだからこだわりがあるのだろう。

「さぁ、どうぞ。東方から取り寄せた珍しいお茶ですのよ」


 オルタンスが口をつけるのを見て、ケイトもカップに手を伸ばした。

 カップの内側に即効性の幻覚剤を溶かして塗りつけてあるから、そろそろ効き始める頃だ。

「これはまた変わった味わいのお茶ですわね」

「ええ、茶葉を発酵させていないのですわ。緑が美しいでしょう」

「ええ、なんだか落ち着きますね」


 じっとオルタンスの様子を見ているが、彼女に変化はない。

「オルタンス様、美味しいですか?」

「ええとても。何しろブレーク様が自らわたくしの為にお選び下さったのですものね。侍女の方はただ命じられて淹れただけ、ですわね?」


 おかしい。幻覚剤は即効性がある強力なもので、たったひとくちでも飲めば錯乱する筈だった。そしてオルタンスが取り乱したら、聖女様に何かが取り憑いていると叫び、混乱に紛れて証拠のカップを叩き割るつもりだった。

 お茶を淹れたのは侍女で、自分も同じお茶を飲んでいるから、茶そのものに何かが入っていたとは思わないだろう。それに毒ではなく幻覚剤で命に別条はない。

 ケイトの作戦は、錯乱するオルタンスに難癖をつけて聖女から引き摺り下ろし、聖夜まで日がないから経験者の自分が代わりに祈りの儀式を務めると宣言して、離れかけている王太子の心を繋ぎ止めるといったものだったのだが。

 オルタンスは平然としている。

「あら、ブレーク様、どうかなさいましたの?」

「いえ、あの、オルタンス様、カップを拝借して宜しいかしら?」

「何故ですか?」

「いえ、あの、」

「まさか、カップの内側に何か残っているか確認したいのかしら?」


 ケイトは息を呑んだ。


「ふふ、冗談です。確かに変わった味だなと思いましたが、何ともありませんわ。信じられないのならそのカップで試されますか?」

「まるでわたくしが何事が企んだかのように仰るのね、人聞きが悪いですわ。

 ああ、お前、そこの修道女、お前が飲んで、何も問題がない事を聖女様に納得していただきなさい」


 エイプリルが口にして何も起こらなければ、カップに塗ったはずの幻覚剤が偽物だという事になる。お父様に知らせて、取引先に文句を言わなければならないわとケイトは思った。

 そして、怯えたふりをしてカップに残った茶を口にしたエイプリルだったが、平然としていた。


「珍しい茶葉でございますね。これは東方から取り寄せた緑茶というものでしょうか」


「ブレーク様が何を懸念されているのかわかりませんが、そこまで不安でしたらご自身が確かめられては如何でしょう?わたくしもそこの修道女も何ともありませんでしたわ。

 それともそのカップに仕掛けがあって、貴女は何かが起こるのを期待してらっしゃったのかしら」


 オルタンスの言葉に顔をあげたケイトの様子はおかしかった。瞳孔が開き口はぽかんと開いている。


「そんなわけ……ないわ。わたくしは負け犬のあ、あなたなど相手にしてないから。ただ、あなたが聖女面をして嘘の演技で、民衆の人気があるのが許せない。

 そうよ!あんたが聖女に選ばれたのだって、どうせ家の力なのでしょ?公爵家で冷遇されてるあんたによくまあ、公爵がお金を出してくれわね。あの方はあんたの事が大嫌いなんだって!

 亡くなったあんたの母親に似ているから罪悪感があるんだって!サフィークの小母さまが言ってたわよ」


 ケイトの瞳は焦点が合わず、どこを見ているかわからない。憎々しげに歪んだ顔でその美貌は台無しだった。


「小母様が言ってたわ!あんたなんか死んでしまえばいいのにって。そしたら、アーテルがサフィーク家を継げるからって。あははは!」


 オルタンスは憐憫を込めてケイトを見た。

「あらあら、どうやらブレーク様は策に溺れたみたいですわね。かなり効き目の強い毒ですね。

 エイプリル様、カップはふたつともマーティン司祭に渡して調べてもらいましょう。侍女の方もそれでよろしくて?」

「何勝手な事ほざいてるのよ!

 あんたはさっさと聖女から降りるのよ、今年の聖女もわたくしがやるんだから」


 あのぅ、止めた方がいいですよ?と言うエイプリルの声はケイトには届かない。オルタンスの持つカップに手を伸ばそうとした。


「殿下にいまさら色目なんか使って本当に嫌な女、あんたなんかこの国に居られないようにしてやるんだから!」


 ケイトが叫んだその時、ドアの外で待機していたルドルフと、ケイトの護衛が飛び込んできた。ルドルフはオルタンスを守る壁となり、ケイトの護衛騎士は戸惑っている。触れて良いのかためらっているのだ。


「あーはっは!おかしい事!公爵家に生まれただけの生意気な馬鹿女、あんたなんて実の父親に嫌われてるばかりか、殿下はあんたの事を本気で嫌いなのよ。頭の良さをひけらかす生意気な女だと言ってたわよ!

 殿下はねぇ、わたしに首っ丈なのよ。だってぇ、お父様の薬、ほんとに良く効くのよ。殿下は早く抱きたいって言うのよ、ふふふ、あはは!」


「……ケイト、やめないか」


 王太子はケイトの言動に衝撃を受けた。愛しいと思った娘は、目を釣り上げて口角泡を飛ばす勢いで聖女を罵倒しているのだ。


「ああ、殿下!この女をどうか罰してくださいな。聖女だなんてとんでもないわ!この女は阿婆擦れなのです。その上、わたくしを貶めようとしました。

 この女には国外追放でも物足りませんわっ!民衆の前で処刑しましょう!生きていても仕方ない女、誰からも愛されない女、早く死んでちょうだい!」


 ケイトは手当たり次第に物を投げつけたが、それらはルドルフによって叩き落とされた。


「殿下、令嬢を拘束させていただきます」


 本来ならケイトを守るべき護衛騎士は何も出来なかった。彼女が見せた本来の姿が余りにも醜悪だった事にショックを受けていたのだ。



「ケイト、薬とはどういう事だ?」

「おかしいの。あの女に幻覚剤を飲ませたのに効かないのよぅ、殿下の薬の効果も切れてない?ねぇ、なんでよ?」


 王太子は覚醒した面持ちで、ケイト・ブレークを取り調べるから連れて行けと指図し、オルタンスに一礼するとそのまま帰って行った。

 

「一体何だったのでしょうね」

 エイプリルの問いかけに

「女神様がカップを入れ替えたからって、声が聞こえたのです。

 ええ、はっきりと聞こえたのですよ、エイプリル様?」






 



お読みいただきありがとうございます。


ケイト嬢、自爆退場。王太子は呆然自失です。

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