婚約者の企み事
聖夜、それは一年の終わりの日に聖女が祈りを捧げる日である。
今年の聖女は早くから大聖堂で過ごし、女神様へ祈る日々を送っている。たとえ聖女が形だけだとしても、何の力もなくただの儀式だとしても、我が国に聖女がいる、それだけで心強いのだ。しかも今年の聖女は、巷に流れる悪い噂を自らの行動で払拭しその身には金色のオーラを纏っていると専らの評判で、彼女こそは本物の聖女様ではないかという民衆の声が漣のように広がっていた。
そんな中、王太子が大聖堂に乗り込んできた。従えているのは近衛の若手の精鋭数名である。彼らは王太子の婚約者のケイト・ブレーク伯爵令嬢を真ん中にして守るように立っていた。
「今代の聖女にまずは目通りしたい」
さも当然のように言う王太子に、今は大切な祈りの時間ですとマーティン司祭は表情も変えず拒絶した。
「私の言う事がきけないと申すのか?」
「聖協会の大司教は王家と対等でありますれば、我らは『何者からも聖女を守るべし』という大司教の言葉に従うのみでございます。また、聖女様におかれましては、その御身は女神様に捧げられしものでありますれば」
「ああ、御託は良い。先代聖女である我が婚約者が、当代の聖女に助言がしたいと言うのだ。女神様ならばその申し出を無下になさる事はないだろう」
王太子の言葉にマーティンは眉を顰めた。
「先代の聖女様は一体何を助言されるおつもりで?
助言できるような何かをお持ちだと殿下は仰るのでしょうか」
丁寧ではあるが無礼な口ぶりに、近衛騎士が無礼者!と剣に手をかけた。
「待て、控えろ。大聖堂での刃傷沙汰は困る。無理を言って済まなかった。聖女殿のお勤めが終わるまで待つ事としよう」
「でもっ、殿下!わたくしは先代の聖女として見事にお役目を果たしました。そのわたくしの言葉には重みがある筈です」
「大聖堂には大聖堂のやり方がある。先代の聖女であるケイトにはそれくらいわかるだろう。ここは司祭の言う通りにすべきだ」
納得がいかず文句を言おうとした伯爵令嬢を諌めたのは、まさかの王太子だった。
(バカだと思ってたけど弁えてるんだね)
エイプリルの心の中で、王太子の評価が少しだけ上がった。
「殿下、そちらの近衛騎士達と大聖堂の聖騎士達との連携が必要ですから、まずは打ち合わせでございましょう。司教、司祭ともに既に待機しております」
促されて大聖堂の広い接待室へと向かう王太子一行だったが、ケイトは思い通りに進まない事に苛立っていた。
*
午後の勤めを終えた聖女オルタンスは、王族を待たせていたと知って慌ててやってきた。不敬だと、大聖堂の関係者達が罰を受けないかと心配になったのだ。修道女服から着替える間もなくやってきた聖女を、王太子は喜色満面で迎えた。
オルタンスと王太子との対面は、何事もなく無事終わった。聖女の務めをつつがなく執り行いますと綺麗な礼をするオルタンスの姿に喜ぶ王太子に、聖騎士ルドルフはなんだか釈然としない。
そもそも婚約者候補筆頭の公爵令嬢を全く相手にせず、蔓延る悪意に満ちた噂の真偽を確かめてようともしなかったのは殿下ではないのかと、心の中で不敬なことを考えた。
王太子を厳しい目つきで睨みつけていたルドルフは、隣に座る婚約者の令嬢が刺すような視線で聖女を睨み付けているのに気がついた。王太子は婚約者に目もくれずオルタンスに質問をしたりするので、さらにルドルフは苛だった。
何なのだ?殿下はブレーク伯爵令嬢にぞっこんで、昨年の聖女選定の儀式で堂々と婚約を宣言したというのに、一体どういうつもりだ。
しかも殿下が連れてきた近衛騎士3名もまた、聖女オルタンスに熱い視線を注いでいるではないか、全く許し難い。
ルドルフは、自分だって噂を信じて初めはオルタンスを厭っていたのに、今は彼女を必ず守り抜く決意をしている。その自分の心変わりと同じだなと、人の心の移ろいやすさに苦笑いするしかなかった。
修道女エイプリルは、それは恋だと言った。これが恋であってもそうでなくても、王太子一行が聖女に向ける視線には嫌悪感しかなかった。
*
おかしい、どうして薬の効果が効かなくなってしまったのだろうか。殿下はわたしの淹れるお茶を美味しいといって今朝も口にしたはずなのに。
ケイト・ブレークは焦っていた。父から渡されたのは飲んだ人を虜にする効き目がある魅了の薬。決して強い効果のあるものではないが、長期間に亘って摂取させることによって依存性が生まれるというものだ。
あれこれ策を練って王太子に近付き、魅了効果がある薬を口にさせることに成功した後は実に簡単だった。素直な王太子はケイトが聖女に選ばれたことに感動し、その場で婚約者にすると宣言した。
それまでは王太子の毛色の変わった女友達に過ぎず、婚約者候補の令嬢達からの嫌がらせを受けてきた。成り上がりの貴族で品位も身分も足りないと蔑まれてきた。しかし『聖女』という地位は誰にも文句を言わさない大きな影響力があったのだ。たとえそれが財力で買ったものだとしても、聖協会が選んだ聖女には違いない。
父親のブレーク伯爵は、娘を聖女にするために相当の金を積んだ。そして最大のライバルになる公爵令嬢については、悪い噂を流し続け貶めて蹴落としたのだ。
ケイトはオルタンス個人への恨みがあったわけではないが、彼女が目障りだった。自分が生まれついたのは男爵家、それが伯爵にまで上り詰めても、言われるのは成金の成り上がり者だと言う事。同じ立場であるはずの伯爵家の子女たちからも見下される始末で、プライドの高いケイトは我慢ならなかった。
もし公爵家に生まれていれば、尊敬され尊重される存在であるはずだ。王太子とも子どもの頃からの縁があって、誰からも祝福される婚約者になって、将来は王妃になるのだとケイトは夢想した。
自分の能力が足りない事など全く気にはしていない。なぜなら補って余りある美貌がある。そもそも王太子に近付けたのも、その評判の美貌に惹かれた王太子から、お茶会に誘われた事がきっかけだったのだから。
王太子には高位貴族の婚約者候補が数名いたが、そのうちの誰とも特別親しくはなかった。あくまで彼女らは候補であり、王太子は将来の伴侶を慎重に見極めている様だった。美しさと聡明さが求められていても、王太子より目立っていたり優秀であってはならない。一番の本命と目されるサフィーク公爵令嬢は完璧すぎる。
サフィーク公爵令嬢への対応から、王太子が彼女を苦手としている事を感じ取ったケイトは、公爵家でも学校でもオルタンスが嫌われる様に追い込んでいった。サフィーク公爵夫人はブレーク伯爵に恩があるので実によく働いてくれた。
夫人の息子が公爵家を継承するためには、前妻との間に生まれた血筋正しい娘が邪魔な存在となる。双方の利害が一致した。
*
サフィーク夫人は夫が病死した後、薬の取引相手のブレーク商会を頼って我が国へ移住してきた。ブレーク伯爵の後押しもあり社交界に出る様になると、その華やかな美貌が評判を呼び、多くの有力貴族から言い寄られる事となったが、求めているのは愛人ではなく正妻の立場。ターゲットにしたのサフィーク公爵だった。妻を亡くし娘は一人で嫡男はいない、願ってもない好物件だ。
その年齢を感じさせない豪奢な美貌に陥落した公爵は、周囲の反対を押し切って彼女を後妻に迎えて、その連れ子のアーテルと養子縁組をした。
そうやってサフィーク公爵家に入り込んだ夫人は、公爵を操りオルタンスとの仲を割き、義弟になったアーテルは義姉オルタンスの悪口を貴族学院で言いふらす様になった。オルタンスは家族という味方を無くし追い詰められていくのだ。
*
それはさておき、魅了の薬の効果が薄れている事に気がついたケイトが考え込んでいると、王太子に話しかけられた。護衛体制についての話し合いは終わったらしい。
「ケイト嬢、君から見てオルタンス嬢の聖女としての資質や実力はどんなものかな。何か助言をする事はないだろうか?
聖夜まであと少ししかないのだ。気がついた事があれば今伝えておかないと」
とっさに美しい笑みを作ったケイトは、そうですわねと小首を傾げた。
「オルタンス様は理想的な聖女かと。美しく賢く何より尊い血筋でいらっしゃいます。
ただ、わたくしは心配ですの。オルタンス様は早くから大聖堂でお過ごしになり、俗世を捨てるお覚悟だと聞きました。そこには並々ならぬ決意があったかと存じますわ。
でも……」
「でも、何だね?」
「公爵令嬢として何不自由なくお過ごしになられていて、いきなり修道女のごとく清貧な生活を送るとなると、ご不便やお辛い事もあるかと思います。そのお辛さ、わたくしが少しでもお力になればと」
王太子はじめ、司教やマーティン司祭は、どういう事か?としんと静まりかえった。
「同じ立場の者として、貴族に生まれた女性しか分かり合えない事もございましょう。
できますればオルタンス様と二人きりでお話ししたいと考えております。殿方はご遠慮願って」
「ふむ。ケイト嬢の言葉に一理ある。流石は我が婚約者だ。聖女の行く末の過ごし方を心配しているのだな。
オルタンス嬢、如何だろうか。何か困った事不安な事があれば、我が婚約者が力になれる筈。我々は立ち合わないので心ゆくまで話してみては?」
困ったオルタンスは司教ではなく、マーティンの方をちらりと見た。
「司教様のお許しが出るならばわたくしは構いません。ただ、殿下の婚約者様には護衛の方をつければなりません。わたくしもそうです。二人きりというわけには参りませんわ」
司教もまたマーティンを見ていたので、彼はやれやれという顔つきで結論を出した。
「王太子殿下や先の聖女様による助言は、今代聖女様にとって大きな支えとなりましょう。
おふたりがお話になるための部屋を用意致しましょう。そこへ修道女を付き添わせます。彼女たちは女神様の僕として正しく生きておりますから、聖女様方のお邪魔とならず、万が一の場合は盾ともなりましょう。
伯爵令嬢は侍女をお連れになっても結構ですよ」
「感謝いたしますわ」
ケイトはマーティンに礼を言った。その目はマーティンを値踏みしているかのようだったと、後々エイプリルは言ったものだ。
お読みいただきありがとうございます。
司教様も頼りにするマーティン司祭です。