聖女選定の儀式
王国には聖夜と呼ばれる大切な一日がある。
かつて国難に陥った時に聖女が現れて、国を覆い尽くす邪気を払った。その際に、天から降り続く雪が一面を真っ白に染めたという故事にならい、一年の終わりに人々の安寧と国家安泰を祈る儀式を行う、その日を聖夜と呼ぶ。
過去の聖女たちはその清らかな身を神に捧げ、一生乙女であることを求められた。その地位は教皇に次ぐものであり、教会で聖女として大切に扱われ祈りを捧げる日々を過ごし、ただ穏やかにその一生を送ったと記録に残っている。
平和な御代においては、聖女とは国の平和の象徴であり、選ばれた聖女は聖夜に聖なる祈りを捧げるのである。
「って大聖堂の案内板には記してあるけれど、昔の聖女って結局恋愛は出来なかったって事よね。そんなのつまらない人生だと思うわ。それに比べたら今はねえ、聖女って何?と思わずにはいられないわ」
「しっ!声が大きいわ。司教様のお耳に入ったら大変よ」
「だってぇ、今年の聖女ってあの意地悪で我儘な公爵令嬢様に決まったのよ。形だけだとしても、心根の美しい人を選べなかったのかと思ってしまうじゃない」
エイプリルは小さく相槌を打った。全くその通りだ。たとえそれが年末恒例の慣習だとしても、聖女に選ばれるのはそういう性質をもった乙女であって欲しいと願ってしまう。
「初めから結果は決まっているのに、何も大聖堂でわざとらしい奇跡を起こしたりする必要あるの?今年の奇跡なんて茶番もいいところよ。むしろやり過ぎで笑えたわ。誰があんな嘘くさい演出を信じるのよ」
興奮している同僚を宥めるようにエイプリルは声をかけた。
「その演出の後始末がわたし達の仕事なんだから、早く片付けてしまいましょう」
床に散らばる大量の花びらだったり紙吹雪などを片付けて、2人の修道女は大聖堂を出て行った。
その際にエイプリルはこっそり振り返って女神像を見つめた。奇跡が起きたと人々が騒いだのは、女神像の瞳から真珠が溢れて、それがまるで真珠の涙を流したように見えたのだ。今年の演出は確かにお金と気合が入っておりますな、さすがは公爵家だと、立ち会った人々は奇跡そのものより公爵家の力に感嘆した。
零れ落ちた真珠の粒は全て集められ、大聖堂へ寄進された。それは娘を聖女にさせたい公爵家からの賄賂だと目されたのだ。
(彫像の涙が真珠になるだなんて、粋な計いですね、女神様。誰もが公爵家の手配だと信じていますよ)
エイプリルが小さく微笑むと、女神像の口元が小さく緩んだように見えた。
*
聖女選定に参加できるのは16歳から18歳までの乙女と決められていて、身分や出自は問わないので、犯罪者でない限りは選定を受けられる。
しかし過去に現れた本物の聖女のような、奇跡の力を持つ娘はここ100年以上現れてはいない。太平の世が続き瘴気が発生することもない時代には、聖女は生まれて来ないのかもしれない。
それでも聖女による聖夜の儀式を続けているのは、未来永劫に続く平和を願う民の気持ちと、国家繁栄を願う為政者の思惑が一致しているからに他ならない。
ただ祈りを捧げるだけなら聖女を選ばなくても良い。聖協会には沢山の聖職者がいるのだから、各々の教会で厳かに儀式を執り行えば良いのだが、やはり聖女あっての聖夜である。荘厳な儀式というより、むしろお祭りなのである。それこそが平和の証とも言えるだろう。
聖女に選ばれるという事は大層名誉な事で、多くの令嬢たちが毎年聖女選定の儀式に臨んでいた。任期は一年とされているが実際は聖夜の儀式で祈れば良いだけだ。身分は問わないが選定に臨むのはほとんどが貴族令嬢だった。
聖女に選ばれる条件はただひとつ、心清らかで健康な乙女であること。そして女神に選ばれた聖女達は、身分以上の良縁が齎される事が多かった。たとえば王族、高位貴族との婚姻だ。
それもあって、年頃の貴族令嬢たちは聖女に選ばれるために工夫をこらした。いかに女神様から愛されているかを示すためには演出が必要で、それにはお金がかかる。演出によって見せた奇跡によって聖女が決まると言われているが、真偽のほどは確かではない。そこにはいろんな思惑が絡んでいることは否めない。
今年選ばれた聖女はこの国でも有数の権力者である公爵のご令嬢だ。美しい容姿をしているが、苛烈な性格だと評判の美女だ。
昨年度は王太子殿下を巡ってライバル関係にあった伯爵令嬢が聖女に選ばれたため、随分悔しい思いをした。
聖女選定の儀式の直後に、王太子は聖女となった伯爵令嬢を婚約者とすると宣言をした。選ばれなかった公爵家からは抗議の声が上がった。毎年多額の寄付をする公爵家への忖度は働かなかったのだ。
ただ、王太子と伯爵令嬢は貴族学院でも噂になるほどの仲であり、令嬢に足りないのは身分だけだったので、聖女に選ばれた事で身分差が埋まった。
貴族の通う学院では、伯爵令嬢を虐めていた首謀者が公爵令嬢で、彼女は非情で強欲だという噂が流れていてそれは社交界にも広まっていた。
美しいが性格が悪い悪女の公爵令嬢が二度目の聖女選定儀式に臨むとあって、大聖堂内には緊張が走った。
もし今年もまた選ばれなかったら、今後の公爵家からの寄進は期待できないと大聖堂側は考えた。そうであれば何としてでも今年は公爵令嬢を聖女にしなければならない。華やかな演出を凝らして、誰が見ても公爵令嬢が相応しいと思わせるよう、儀式の最中はずっと大量の花を雪のように降らせ、令嬢に向けて一筋の光を当てるという作戦である。
若い修道女が主体となって演出を行ったのだが、演出中に予想外の出来事が起きた。公爵令嬢が女神像の前で跪き手を合わせ祈りを始めたところ、女神像の瞳から真珠がポロポロとこぼれ落ちてきたのである。聖女選定儀式に立ち会った人々は驚いた。
これはまさしく聖女の奇跡ではないか!
たとえそれが公爵家が金を積んで起こした奇跡だとしてもその光景は神秘的で美しく、今年の聖女は公爵令嬢で決まりだと、こそこそとした囁きで堂内が騒ついた。
祈っていた本人の令嬢は、自分の身体にポツポツと当たる小さな気配に何ごとかと顔を上げた。乳白色の小さな丸い珠が途切れる事なく落ちてくる。
これは真珠?まさかお父様が何か手配なさったの?そんなわけないわよね、お父様は聖女にもなれず王太子殿下に選ばれなかったお前には価値はないと仰ったのだもの。今年だってどうせわたくしは選ばれないでしょう。それでもいいわ、わたくしは家を出て女神様に仕えて生きる修道女になる。
わたくしには公爵家に思い残すことは何もないのだから。
公爵令嬢の悲壮な決意を知ってか知らずか、今年の聖女は彼女に決まった。
選定の儀式には王太子と婚約者も立ち会っていた。見事なものだと王太子は感心したが、自分の時にはなかった演出に婚約者の伯爵令嬢は爪を噛んだ。
(なんであの女の時にあんな凝った演出をするのよ。ああ、きっと公爵家の財力を使ったのね。高貴な家に生まれついたのに家族から愛されなくて、お金の力を使ってまで聖女になりたいなんて惨めなものねえ)
「ふふ」
「ん、ケイト、如何した?」
「いえ、何でも。オルタンス様ならば聖夜に本当の奇跡をおこされるかもしれませんわね。そのような力をお持ちなのだとしたら、あの方はこれからは聖女として一生この国にその御身を捧げられ人々から尊敬される事でしょう。そうなれば殿下の御代は安泰、素晴らしいことですわ」
「君は優しいな。君を虐めていたサフィーク公爵令嬢の身の振り方まで心配しているだなんて」
伯爵令嬢は王太子に優しく微笑み掛けた。
「殿下、オルタンス様とは殿下の婚約者候補として共に切磋琢磨した仲でございます。あの方の未来が聖女として光輝くことを願ってやみませんわ」
*
大聖堂の片付けを終えたエイプリルは司祭に呼ばれていた。一番若い司祭のマーティンはエイプリルの幼馴染であり、保護者でもある。年齢は10歳しか離れていないが。
「エイプリル、君は力を使ったね?使ってはいけないと私は言ったはずだが。あのような演出を望んではいなかった」
「使ってはおりませんわ。あれは女神様のご采配です。わたしたちは花びらを上から蒔いて、公爵令嬢様を狙って光をうまく当てるようにしただけです」
「その光が当たった時に、女神像が真珠の涙を流したとなれば、誰だってご令嬢が奇跡を起こして聖女に選ばれたと思うだろう」
「よろしいではありませんか。女神様のご意志なのですよ」
司祭はため息をついた。まわりに人の気配がない事を確かめると、穏やかに笑みを浮かべていた表情を一変させてエイプリルを睨んだ。
「だからと言って、やはり聖女にはそれに相応しい品格が求められるんだぜ。あの公爵令嬢にそれがあると言えるのか?」
「女神様が選ばれた、という事は巷に流れている令嬢の悪い噂って嘘なんじゃないの。女神様は全てご存じだからね。マーティンだってそう思うでしょう?」
「仮にそうだとしても、あれはやりすぎだ。どうせ女神様のお気持ちを汲んだお前がやったんだろう?
エイプリル、もしもお前が本物の聖女だとバレたら今までのような気楽な生活は出来なくなるんだぞ。ちょっとは気をつけてだな」
「はいはい、わかったよ、マーティン。気をつけるわ」
エイプリルは逃げ出した。マーティンは勤勉だが口煩いし頭が固い。だからこそ孤児から司祭にまで上り詰めたのだけど、もう少し柔軟な思考が必要だと思う。
あの真珠の涙は、女神様の祝福。わたしは何もしていない。ただほんの少しだけ光にキラキラを足しちゃったけど。
お読みいただきありがとうございました。
教会の話など全て想像なので変な箇所もあるかもしれませんが、寛大な心でお読みくださいませ。
エイプリルとマーティンは、大聖堂付属の孤児院出身です。