【第五話】
学校にもきちんと通い、これといったトラブルもなく、私は平穏な日々を過ごしていた。だがある日、祖母が祖父にある話をしているのを聞いてしまった。ちょうどその部屋の前を通りかかった私は、わずかに開いた扉の隙間に耳を澄ます。
あの子はもう高校生になった。亡き母の面影を受け継ぎ、孫の成長を喜ばしく思うと共に妬ましい。私の娘は、百合を庇って亡くなった。百合はそのおかげで生きている。自分の娘のおかげで。なのにあの子は何も知らず、のうのうと生きている。
百合が悪い。百合が私の娘を殺したんだ。許さない。扉の奥から聞こえてきたのは私を嫌悪していたらしい祖母の声。生まれてこなかったらよかったのに。百合なんていなくなればいいのに。
そんな言葉を聞いて、この時初めて私は祖母にとっていらない子だったことに気付いた。人から嫌われるのが怖かった私は、人から嫌われないように頑張ってきた。人から必要とされる人になりたかった。ただ、それだけだったのに。
気がつくと私は家を出て、最寄り駅の方に向かっていた。どこか遠くに行きたい気分だった。気の向くままに電車を乗り継ぎ、我に返ったときには、もう見知らぬところまで来てしまっていた。
足元がおぼつかない様子でありながらも改札を抜け、人気のなさそうな路地に入り、しゃがみこんでいたのだ。
「あとは、お姉さんが知っているとおりです。結局、祖母は私のことを……」
私はそこまで話して口を閉ざす。
「手短に言うと、貴女は家出少女…ってところかしら?」
カウンターに頬杖を付き、それまで静かに私の話を聞いていたお姉さんがふと口を挟んだ。
「そういうことになりますかね……」
「それで、あんなところで呆然としていた?」
「昨日は、ネットカフェで一晩過ごしました」
「ちゃんとしたところで睡眠を取ったのは偉いと思うわ」
「本当にごめんなさい。昨日は、せっかくのご厚意を無下にしてしまって」
「気にしてないわよ、そんなこと。無事だったのならなによりよ」
「……優しいんですね」
カウンターの上に手を置いたお姉さんが真剣な眼差しで私の目を見つめる。
「ねぇ、これからどうするの?」
「それは……」
「もし行く宛てがないなら、ここで働いてみない?」
「…え?」
聞き間違いかと思ったが、お姉さんは真面目な態度を崩さない。
「もちろん住み込みよ、不自由はさせないわ。」
「で、でも、そんなに厄介になるわけにはいきません!」
「そうかしら?最近、お客さんが増えてきて妹と二人じゃ忙しいのよね。それにあなたといると、なんだか楽しそうなことが起こるような気がするわ」
ふっと表情を緩めたお姉さんは、先程とは打って変わって朗らかな表情で言葉を紡ぐ。
「……ご迷惑では?妹さんの許可ももらっていないはずです」
「つまり、遠慮してるだけで働きたくないというわけではないわよね」
「……」
確かに住むところも稼ぐところもない私にとってはこれ以上ないほどの好条件だ。否定することができない私にお姉さんは優しく声を掛ける。
「とりあえず、少しだけやってみない?もし接客や料理が嫌なら、家事を手伝ってくれるだけでも構わないわ。妹のことなら大丈夫よ。ちょっと分かりにくい子だけど」
「……分かりました。今日からお世話になります」