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ミューレがいない世界で1人で生きていくなんて、出来そうにない。
「ミューレ・・・」
また今日も、俺は酒を大量に煽って朦朧としながら眠りにつく。
こうでもしないと、一人きりのベッドでは眠れない。
「ザンク・・・」
誰だ?誰が俺の名を呼び捨てして良いと言った?俺は魔王だ。不敬罪で罰することもできるぞ。
「ザンク、もうミューレのこと忘れた?」
「何の話だ?」
こんな夜中に誰だ?
「ザンク、今度はミューレが抱き締めて、髪を撫でて、額に口付けをあげる。」
「何の話をしている?誰だ?」
この魔王の寝込みを襲うとは、誰の差金だ?
「驚かないでね。ミューレだよ。」
「ミューレ?冗談はよせ。そのような冗談を言うと許さんぞ。」
誰がこんな悪戯を。俺の心を、もう既にボロボロの心を、更に切り裂きたいのか?
誰かの手が、俺の髪に触れた。
よしよしと撫でて、そして俺の前髪を掻き上げ、柔らかい何かが触れた。
そして、柔らかく温かい何かに抱きしめられた。
「やめてくれ・・・
俺は、ミューレ以外を愛する気はない。」
俺はそいつを押し退け、涙に濡れた目を薄く開けた。
!!!!!
「ふぅ・・・
俺はとうとう、頭をやられたようだ。成長したミューレの幻覚を見てる。それとも、君がかけた幻惑魔法か?上手いな。」
もう一度寝よう。寝て起きれば、きっといつもの1日が始まるんだ。
「ミューレ・・・ウゥ・・。」
ミューレの幻を見てしまったせいで想いが込み上げて、涙が溢れてきた。
「泣かないで、ザンク。
ミューレはここにいるよ。」
「幻でもいい・・・ミューレ、抱き締めさせてくれ。」
俺はミューレの幻を抱き締めて、昔のように髪を撫でてやり、額に口付けをすると、久しぶりにゆっくりと眠りについた。
温かくて、柔らかい感触が、腕の中にある。
シーツを捲って腕の中を見て驚愕した。
!!!!!!
「ミューレ、なのか?」
俺は腕を解くと、ひどい動揺でベッドから落ちた。
ベッドから起き上がった女をマジマジと見た。
ミューレに似ている。ミューレだと言ってもいいくらいに似ている。
でも、そんなわけはないし、少し大人で、目の色が違う。
それに、信じられない。
「ザンク、おはよう。そして、ただいま。」
「本当に、ミューレなのか?」
「そうよ。ザンク、ミューレとずっと一緒だって言った。だから、帰ってきた。
それに、精霊王に治してもらったの。
目も耳も羽根も。ほら。」
「そ、そうか。」
本当なのか?本当にミューレ?
「じゃあ、ミューレとザンクしか知らない事、言えば信じてくれる?」
「あ、あぁ・・・。」
「ザンクはミューレと海に行った。
ザンクはミューレの耳を見て、背中の羽根の跡を触って、ウンディーネだと気付いた。それで何者からも守ってやるって抱き締めてくれた。」
俺の目からポロポロと涙が溢れてくる。
止められない。
「夢じゃないのか・・・?もう・・・会えないと思ってた。」
俺はミューレを掻き抱いた。
「ザンクは、ずっと一緒って言った。」
「あぁ。ずっと一緒だ。これからはずっと一緒にいよう。
俺はミューレが好きだ。」
昔のように髪を撫でて額に口付けた。
「ミューレもザンクが好き。この45年、ずっと会いたかった。
ザンクに早く会えるように、治療頑張ったの。」
前よりもお喋りになったミューレだけど、漆黒じゃない透き通ったネイビーブルーの瞳でジッと俺を見上げる姿は、間違いなくミューレだった。
「俺も、ずっと会いたかった。
ミューレは綺麗になったな。前から可愛かったが、とても美しくなった。」
ミューレが俺の頬に触れる。
「ザンク、痩せた?それに、疲れてる?髪も変だよ。」
「ミューレがいなくて寂しくて、この45年頑張って働いたからかな。」
「無理、したの?」
「寂しさを仕事で埋めてた。でももうミューレがいるから寂しくない。髪はミューレに見られて恥ずかしくないように、ちゃんと整えるよ。」
俺はあれから髪を一度も切らなかった。手入れもしなかった。
ミューレに会えるならもっとちゃんと整えたのに・・・
ミューレはジッと俺を見つめる。
「本物、なんだな。」
「そう。私はミューレ。本物だよ。」
「ミューレ、大好きだ。」
俺はミューレの額に、瞼に、こめかみに、両頬に、鼻にも顎にも先が尖った耳にも髪にも、口付けをする。
「ザンク、擽ったい。」
「悪い。ミューレを確かめたくて、ミューレがここにいる事を、確かめたくて・・・。」
「ミューレはここにいるよ。」
「そうだな。こんな日が来るなんて・・・」
俺は神に感謝し、目を閉じて天を仰いだ。
「ミューレの本、ある?」
「あぁ、もちろんあるぞ。ただ、月日の経過と共に少し傷んでしまっているかもしれない。」
「いいよ。ザンク読んでくれる?」
「もちろんだ。」
成長した彼女を抱っこして、いつも彼女が座っていた執務室のソファに腰掛ける。
ミューレを前向きに俺の膝の上に抱いて、本棚に手を伸ばす。
「これでいいか?ミューレが1番お気に入りの物語。」
「うん。」
俺はミューレの髪を撫でて、頭頂部に口付けをし、本を読み始めた。
その本を読み終える頃に、宰相がやってきた。
「!!!ま、魔王様、まさか、ミューレ様ですか?!」
「そうだ。俺のミューレだ。戻ってきてくれたんだ。」
「そうでしたか。ミューレ様、おかえりなさいませ。ザンク様、お休みを取られますか?」
満面の笑みで宰相が休みを提案してくれた。
「あぁ。しばらく休む。45年分溜めた休みを少し使うかな。」
「それがよろしいかと。あとのことは私にお任せ下さい。」
「うむ、頼んだ。」
休みか。ミューレとどこかへ行きたいな。
いや、どこにも行かなくてもいい。ただ側にいてくれるだけでいい。
「ミューレ、俺は休みになったぞ。どこか行きたいところはないか?」
「海、ザンクと行った海に行きたい。」
「よし、行こう。おやつに紅茶の葉が練り込まれたクッキーも持って行くぞ。」
「ミューレの好きなお菓子。覚えててくれたの?」
「もちろんだ。ミューレのことは全部覚えている。」
俺はミューレを抱き抱えたまま、厨房に向かい、紅茶の葉を練り込んだクッキーを作るよう頼んだ。
あれ以来、苦しくて食べることができなかったクッキー、45年ぶりか。懐かしいな。
クッキーが出来上がるまで、ミューレを抱き締めて部屋で過ごした。
以前より伸びて腰に届くほどの長さになった髪に口付けをして、白くしなやかな手の甲にも。
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