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10代の恋20代の愛

作者: 水野貴代花

私に勇気があったら私に行動力があったら

私の15年間どんな風に変わってたかな…


「違うの茅野かやの、私あなたのこと」


ピピピ-ピピピ


 アラーム音で目を覚ました。また同じ夢をみて私は泣いた。肌寒い三月、桜のつぼみもまだかたく閉じ私こと天乃雫あまのしずくも今日で三十歳となった。今、私には二つ年上の大谷廉おおたにれんと言う彼が居る。でも私は大谷と中々結婚をしようとは思わなかった。私の見た目はサラサラの髪が肩まで伸び顔も年齢のわりには幼く見えていた。でも私には女の幸せが結婚だとはどうしても思えなかった。あの日と向き合うまでは…。


「あれこんな人居たっけ?」


黒縁メガネで四角い顔の男、よく行くお店にその人は働いて居た。

私は仕事の帰り会社の同僚に誘われて、いつものカフェに入った。同僚と向い合せに座るとしばらくしてあの黒縁メガネの男が注文を取りに来た。


「ご注文はお決まりですか」


初めて聴いたその男の声はどこかなつかしくそばにいるとなんだか居心地が良くて、この不思議な感覚に私はまどいを覚えた。


「雫ケーキセットでいいでしょ?」


「う、うん」


「じゃあこのケーキセット二つで飲み物は珈琲コーヒーでお願いします。」


「かしこまりました。」


男が注文を受け店の奥へと消えた。私はこの不思議な感覚がいったい何なのか気になり今度、男がテーブルに来た時に胸の名札をそっと見ることにした。


「お待たせしました。ケーキセットです。ご注文の品は以上でよろしかったでしょうか」


「はい」


「ではごゆっくり」


男がテーブルを離れる瞬間そっと男の胸の名札に目をやった。そこには「茅野かやの」の文字


「えっ…」


私はこの茅野という名前に身覚えがあった。

そう十五年前、高校生の時に初めて付き合った茅野健かやのたけるだったのだ。


 ドクン-ドクン-ドクン


急に鼓動こどうが高鳴り身体が震え、私はそれを茅野に気づかれないように視線をらし平静をよそおった。


「雫どうかした?なんか挙動不審きょどうふしんだよ大丈夫?」


「えっ…うん大丈夫ちょっと知り合いと似てたからおどろいただけ」


「その知り合いって元カレだったりして」


「まさか!そんなじゃないから」


同僚の元カレ発言にはおもわず茅野に聞かれたのではとあせって店の奥に目をやる。

茅野には聞かれてはいない様子にホッと息を吐いた。しかし茅野との別れ方は私たちの心に大きなしこりを残すような別れだった。あれ以来、茅野とは初めて再会した私はどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。心を駆け抜ける速さで広がるドキドキを誰かに早く聞いて欲しかった。でも今の私には心の中を全て打ち明けられるような信頼できる人が周りには居なかった。

十五年という時の流れの中で自分が周りの人とどれだけ繋がりや絆を深める事をしてこなかったのかを茅野との再会を通して自分が置かれている現実を知った。


カチ…カチ…カチ


私はケーキにホークを刺したり抜いたりホークが皿にぶつかる音だけを響かせ口にケーキを運ぶことはなかった。そんな様子に同僚の目は輝いた。


「ねえ雫いま付き合ってる彼の前はどんな男性と付き合ってたの?」


「えっ私?」


「そう雫、そう言えば雫のそういう話し今まで聞いたことなかったし聞かせて」


同僚は黒縁メガネの男が私の元カレだと気づいたようだった。それがたとえ興味本位きょうみほんいだったとしても私は自分に興味を持ち私の話を聞きたいと言ってくれることが嬉しかった。


「今の彼の前は高校生の時で…」


〈十五年前回想〉


私は十五年前を思い返していた。

茅野とは同じ高校の同級生でクラスは違っていた。私と同じクラスの清乃は茅野と同じ中学出身だったことから学校の帰りの電車はときどき茅野と一緒の席に座ったり、校内で茅野とすれ違うと挨拶を交わす程度だった。そんな茅野のことを気づけば私は目で追うようになっていた。


清乃きよのちゃん私、茅野のことを好きになっちゃったかも」


「雫ちゃん‼いいじゃん、いいよ良かったね二人はお似合いだよこれからもうアタックして行かなきゃ」


私は自分の気持ちが真っ直ぐ茅野に向かって走り出した事にハッキリ気づいた。

友達の清乃に自分の気持ちを打ち明けたその日から私は午後の授業が終わると隣のクラスへ走って行き教室の窓をガラっと開けた


「茅野~一緒に帰ろう」


「ヒューヒュー」


私は隣のクラスの窓から心のままに茅野に声を掛けていった。茅野の周りの男子が一斉にさわぎだした。

茅野の顔は一気に真っ赤になった。そんな嬉しいそうでもあり照れたような何とも言えない表情をする茅野を見るのがすごく好きだった。


「女が勇気を出して誘いに来たんだから早く返事をしてやれ」


〈バシッ〉茅野は背中を叩かれる。


「部活が早く終わって間に合ったら」


茅野のクラスのボス的存在の男子が私の勇気ある姿を見て茅野の背中を後押しした。茅野も照れながら一緒に帰る約束を口にした。


「わかった‼電車の中で待ってるね」


私は茅野との約束だけを思い学校をあとにした。同じ方向に帰る清乃とさきに電車に乗って茅野を待っていた。駅のホームは発車を合図する発車ベルが鳴り響いていた。


「ハァー間に合った」


電車が発車する寸前に茅野が汗だくで電車に乗り込んで来た。


「うそ~茅野が来てくれた」


私との約束を茅野は守ってくれたのだ。私は嬉しくて思わず火照ほてほほを両手でかくした。学校から自転車を飛ばして駅に着くのにどれほど大変だったかは茅野の額から流れ落ちる汗がそれを証明していた。


「茅野こっち」


私は手を振って茅野を呼ぶと茅野の後ろから早川はやかわも汗だくで顔をのぞかせた。早川は私と同じクラスの男子で清乃や茅野と同じ中学出身だった。

 

「早川も一緒だったんだ…」


私は一瞬がっかりした。でも茅野も早川が一緒の方が女の中に一人男で居るより気が楽かも知れないと気持ちを切りかえた。


「早川は何でこんな時間になったの?」


「俺、茅野と同じ部活だけど…」


「えっ…そうなの?ごめん知らなかった」


四人でたわいもない話しをして帰るだけですごく楽しかった。ずっとこのままこの時間が続いたらいいのにと心からそう思った。こんな日を何回か重ねて行く中で季節は五月を迎え高校生活にも少し慣れてきた頃にそれは起こった。朝の通学ラッシュの電車の中で私はある男子に呼び出された。

呼び出された車両の降車口に行くと早川が待っていた。


「何?」


「あ…あの俺と付き合ってください」


私は初めて男の子から告白された。

初めて告白してくれた相手がよりによって茅野の友達からだった。しかも車両側から告白の結果を気にしてニヤニヤとこっちを見ている男子の中に茅野の顔を見つけてしまった。


「私、好きな人がいてごめんなさい」


「そうなんだ…わかった。呼び出してごめんね」


早川は告白の結果を待つ男子の元に戻るとその目の前でくずれ落ちていた。でも私も泣きそうだった。早川が私に告白することを茅野は知っていて今それを見ていたからだ。


〈茅野は私のことが好きじゃなかったんだ〉


自分の思い込みで勝手に落ち込みながら清乃が待つ自分の席に戻った。心配そうに待っていた清乃が元気のない私を見ておもわず手をにぎる。


「雫ちゃんさっきの何だったの?」


「早川に告白された」


うそ~雫ちゃんモテるね」


「でもさ茅野それ見てたんだよ、それって茅野は私の事何とも思ってないって事だよね」


振ったのは私なのにまるで茅野に失恋して来ましたと言わんばかりの落ち込みだった。その日の夕方遅くに早川から雫に電話が掛かってくる。


天乃あまの、俺いま茅野と一緒にいるんだけど、茅野ものすごく落ち込んでてさ、今から茅野にかわるからちゃんとってやって」


「ん?どういうこと」


早川からの突然の電話に意味が分からないまま茅野が電話に出る。


「もしもし雫…」


「茅野?」


「うん」


「俺前から雫の事が好きだった…俺と付き合ってください」


私の心臓は音をたてて騒ぎ出した。その音が電話の向こうの茅野にも聞こえてしまうのではないかと思うほどだった。私は真っ赤になりながら静かに言った。


「はい、よろしくお願いいたします。」


「えっいいの?」


「うん」 


「ありがとう。じゃあまた明日な」


「うん」

 

私は電話を切ってからも興奮は治まらなかった。


〈うそ~うそじゃないよね、これ夢じゃないよね自分が好きになった人から告白されるなんてこれってキセキだ。あ~神様‼ありがとう。〉


私は胸の前で手をにぎりしめ心のそこから喜んだ。次の日の朝、今日から茅野と恋人同士になったと心浮かれていた。でも現実は朝の通学の電車は今まで通り、茅野は男子と私は清乃と一緒で片思いだった時と何一つ変わることはなかった。

ただ変わったのは早川がすごく落ち込んで私をうらめしそうに見るようになったことだった。そして帰りの電車に茅野と一緒に早川が私と乗ることはなくなった。そんな中、私にも変化があった。茅野が私のことを好きだと知る前は何でも話せ、茅野のクラスまで一緒に帰ろうと誘いに行っていたのが茅野から告白された日以来、恥ずかしくて顔もまともに見る事が出来なくなってしまったのだ。

そんなもたついた私と茅野の交際がスタートした。私は茅野と一緒に電車で帰りたい日はノートをやぶいて手紙を書いて放課後に茅野に渡して帰る、それが日常になっていた。学校からの帰りの電車は私が先に降りその二駅先ふたえきさきで茅野は降りる、いつものよう私は茅野より先に電車を降り歩道橋を渡り改札口かいさつぐちを出る、その私の後ろ姿を茅野は電車の窓を開けて身を乗り出していつも愛おしそうに見ていた。そんな茅野の姿をみていた清乃が声を掛ける。


「雫ちゃんのことずっと見てるね」


「うん‼見てる」


茅野は嬉しそうに答えた。それを次の朝、清乃から聞かされるの私はこの上なく幸せだった。でも夏休みに入って雫は茅野となかなか会えなくなっていった。夏休みが終わると茅野は学校も休みがちになっていた。そんな朝の通学の電車の中で早川が私の所にやって来た。


「茅野、もう天乃と別れたいって」


早川の言葉に私は心臓が音をたてて砕けるような痛みを初めて体験した。苦しくて人前など関係なく涙がボロボロこぼれ落ちた。


「なんで?なんで別れたいの?」


「他に好きな子ができたって」


「・・・・・」


私は言葉を失った。その後どうやって学校までたどり着いたのかは覚えていない。


〈もう好きじゃないって言われて私はどうすればいい?受け入れる以外に選択肢せんたくしはある?私何か嫌われることしたかな?付き合った途端とたんにあまりしゃべらなくなったから?わかんない、もう本当にわかんない、お願い誰か助けて〉


私は心の中でさけんだ。二、三日悩みに悩んで早川に伝言を頼んだ。


「茅野の気持ちはわかったから別れようって茅野に伝えて」


そしてそのまま茅野とは終わってしまった。

私が茅野と別れたことは、いつの間にか周りに知れ渡っていた。そのうわさを聞きつけた三年の先輩から私は直ぐに呼び出された。その現場には何故なぜか清乃も立ち会った。


「なんか急に呼び出しちゃってごめんね。天乃さん今付き合ってる人いるの?」


「いえ今はいません。」


「こいつ大谷って言うんだけど天乃さんのこと可愛い可愛いってうるさくて」


私は友達に全てしゃべらせてそのとなりれて立って居る先輩に興味きょうみはなかった。しかし清乃はちがうようだ。


「雫ちゃん優しそうな先輩だよ。付き合ったらいいよ」


清乃は小さな声で私の耳元でささやいて結構推けっこうおしてきた。私は茅野のことがまだ忘れられなくて、実際もう優しそうな人なら誰でもいいと投げやりになっていた。


「お願い、こいつと付き合ってやって、こいつ本当いい奴だから」


「そんな事言ったら可哀そうだろ」


三年生の二人の先輩の心にもない茶番劇に私は内心ウンザリしていた。でも私はその場で返事をした。


「はい、わかりました。」


私と大谷はその日から付き合うことになった。先輩は駅からバスで自宅へ帰る人だった。バス停で先輩を見送ってから私は電車で帰る日々が始まった。


「お前家、俺のとこより田舎いなかだよな」


「は?先輩のとこも相当そうとうド田舎ですけどね」


いつもどっちが田舎か本当にしょうもない小学生レベルの話をしていた。でもそこにはいつも清乃が一緒に話にくわわっていた。先輩が乗車するバスが来るまでバス停で先輩とおしゃべりをして待っていると、そこに茅野や早川たち四、五人の男子がこちらをチラチラ見ながら駅に向かう姿が私の目に飛び込んで来た。私はとっさに茅野に見つからないように身を隠した。茅野には先輩と居る所をどうしても見られたくなかった。まだ茅野のことが私は好きだったからだ。

でも私が先輩と付き合った話は茅野の耳にも早川がすでに伝えていた。そのうち茅野はだんだん学校に来なくなった。気づいたら茅野は学校を辞めていた。それは高校一年の秋が深まり始めた頃だった。

そしてあれから二年が過ぎ私も高校三年生となっていた。一年のとき付き合い出した先輩も社会人となり今も私と付き合っている。そして私たちの卒業を前に卒業アルバムの写真撮影でそれぞれの部活ごとに写真を撮ることになった。私と清乃は同じ部活に入っていたが気づけば早川も雫と同じ部活に入っていた。

その早川もやっと彼女が出来て何かれたのか卒業を前に私にこんな話を始めた。


「実はあの時、茅野が天乃と別れたいって言ったの、あれ全部嘘ぜんぶうそなんだ。茅野にも雫がお前と別れたいって嘘ついてやった」


「えぇっ!」


一瞬時が止まるほどの衝撃的しょうげきてきな事実を聞かされた。

 

〈あの時私は、茅野に嫌われたわけではなかったんだ〉


私は泣きそうだった。あの時自分が傷つくことを恐れずに、どうして茅野本人に本当に別れたいのか確認しに行かなかったのだろう、あの時もっと茅野と向き合っていればと今更いまさらながら後悔こうかいした。

でも不思議と私は早川を責める気にはなれなかった。早川にあんな嘘をつかせてしまうほどあの時私は、早川を振って傷つけてしまいでも私の頭の中は茅野のことでいっぱいだった。早川から打ち明けられた真実の中にあのとき早川が受けた心の痛みをやっと私は知ったからだった。

そんなほろ苦い十代の頃の思い出が今まさに茅野を目の前にしてよみがえって来た。

もし茅野にいつか再会出来たら、あの時嫌いで別れた訳じゃなかったって笑って話したい。

今それが現実になるチャンスが私にやってきたのだ。



 〈現在に戻る〉



「色んな誤解ごかいがあって高校の時に付き合ってた人とは別れたんだ」


「ふ~ん。そうなんだ。それがあの店員さんなわけだ」


「いやだから違うから人の話聞いてる?」


「私、雫のこと応援するよ」


鋭い同僚には全部お見通しのようだった。でも私は茅野と視線を合わせることすら出来なかった。茅野も私に気づいてるのか茅野に確かめることすら出来ないままお茶も飲み終わりその店を後にすることになった。


「ありがとうございますお会計は千七百円となります」

 

レジで思い切って茅野の顔をマジマジとみて話すチャンスをうかがってみた、でも茅野とは最後まで視線が合うことはなかった。茅野の姿から茅野は私だと気づいてると確信した。でも茅野は私の顔すら見ようともしない、これが十五年前に茅野が受けた心の傷の深さなのだと知った。

チクッと鈍い痛みが胸を突き刺す。

なんだか失恋して泣き出したいようなこの感覚に私自身、戸惑いを覚えた。家に帰ってからも視線を合わそうとしない茅野の事が気になって頭から離れなかった。そんな時、スマホにラインメッセージが届く。相手は今付き合っている大谷廉おおたにれんからだった。


「雫、今度の休みお弁当持ってどっか行かないか」


気が進まなかった、でもこの気の進まない原因が茅野との再会だとしたら大谷さんに申し訳ない。


「そうだね。行こう‼美味しいお弁当、一生懸命作るね」


そう返信した。休みの当日、私たちは少し遠出をして小高い公園でお弁当を食べることにした。周りには親子ずれやカップル達も沢山来ていて私たちもその中に自然に溶け込んでいた。


「やっぱり今日、お弁当を持って出て来て良かった~天気も良くって気持ちいい~」


「そうだな。雫は早起きしてお弁当作りで大変だったかも知れないけどほんと来て良かった」


真っ青な空に向かって両手を広げて背伸びをした。その視線の先には茅野の姿が目に飛び込んで来た。


「えっ」


一瞬何が起こったか頭の中が混乱した。

ただ目の前に茅野が居てその隣には女の人がいて小さな男の子が二人の間で楽しそうに笑ってる。


〈そっかぁ茅野、結婚してたのかそうだよね。私たちもう三十だもんね〉


その時チクッと鈍い痛みが胸にまた突き刺さった。帰りの車の中では、口数も減りぼんやりと窓の外を眺めていた。車を運転していた大谷も私の様子に気づく。


「雫どうかした?急に元気が無くなって」


「ううん大丈夫。今朝は早起きしてお弁当を作ったからそろそろ疲れて来たのかな」


咄嗟とっさにごまかしてみせた。家に帰ってベッドに寝転がって天井を見ると、いつの間にか昼間の茅野たち三人が、仲睦なかむつまじくしている光景がよみがえって来た。気が付くと目から涙があふれていた。


「もうやだ。私なんで泣いてるんだろう」


この涙の意味を一生懸命、茅野とは関係ないと自分に言い聞かせた。でもそう思えば思うほど心の中は茅野でいっぱいになっていった。私は自分の気持ちを確かめたくて次の日仕事の帰りに茅野が働く店に一人でお茶をしに行ってみた。私は高校の時と同じで私の気持ちを茅野が知らないと結構普通に茅野に接する自身があった。


「いらっしゃいませ」


運良く茅野が注文を取りに来た。


「ご注文はお決まりですか」


「それじゃ紅茶をお願いします。」


相変わらず私とは視線を合わそうとはしなかった。注文した紅茶を茅野が私のもとに運んで来る。去り際に茅野が私の耳元でささやいた。


「昨日あの公園に居たよね」


そう一言だけ残して店の奥に姿を消して行った。茅野が私に声を掛けて来てくれた…あれって私だと分かって話しかけてくれたのかな?だんだん気になってきた。


〈あ~知りたい〉


そう心の中で叫びながら激しく音をたてる胸の高鳴りと手が震えてカップを上手く口に運べない姿を茅野にだけは見られてはいけないと平静を装うのに私は必死だった。


〈でも茅野の方から声を掛けてくれたという事は、これは今日一日の中で大きな進歩だこれ以上望んだら罰が当たってしまう〉


私は心の中で喜びをかみしめながら帰ろうとレジに行くと茅野がレジをしてくれた。期待をしたけど茅野はやっぱり視線を合わせてはくれなかった。


カランカラン


私が店のドアを押して外に出ようとした瞬間ドアガラスに茅野が愛おしそうに私を見ている姿が映った。私は咄嗟に後ろを振り返った。でもそこには茅野の姿はなかった。

 

〈私の見間違い?〉


私はがっかりしている自分の姿に慌てた。


〈私、茅野のこと好きになり始めてる〉


私は自分の気持ちに気づいてしまった。でも高校生の時のように手放しで自分の気持ちを喜ぶ事は今の私には出来なかった。私には大谷廉がいて、茅野には家庭があったからだ。私は心の中で自分に言い聞かせた。


〈今ならまだ間に合う自分の動き出した気持ちも今なら封印出来る、もう茅野が働いているこの店には行く事はやめよう〉


私は心の中に自分の気持ちを封じ込め店を出た。家の帰り道が果てしなく長く感じた。

周りの景色が私の踏み出す一歩でモノクロへと変わっていくみたいだった。私は心の中で何度も唱える。


〈今日この辛さに我慢出来たら明日もきっと我慢出来る、大丈夫、大丈夫〉


そう自分に言い聞かせた。あれから一ヶ月

季節は桜が散り始める頃だった。なんとか茅野と再会する前の日常へと戻り、私の心も穏やかさを取り戻していた。もう仕事の帰りに茅野が働いている店の前を意識せずに通れるようになっていた。そんな仕事の帰り道、小さな橋を渡った道沿みちぞいいに満開の桜が風に吹かれヒラヒラと花びらを散らし、それを切なそうに見ている人がいた。その人が居る場所を通り過ぎようと差し掛かった時だった。



「雫」



その男は振り返り私に声を掛けた。それは懐かしい優しい声だった。そう、そこに居たのは茅野だった。私は声にならなかった。 一ヶ月かけて茅野と再会する前の日常に戻したのに雫と呼ばれた一瞬で十五年前のあの日に簡単に戻ってしまった。私は茅野の顔から眼が離せなかった。茅野も私を愛おしそうに真っ直ぐ見つめてきた。


「雫、会いたかった」


「私も茅野に会いたかった、ずっと言いたかったけど言えなかった」


私は思いのままを口にした。気が付くと顔は茅野の胸の中にうずまり優しく抱きしめられていた。高校一年の春に戻ったような錯覚に落ちた。目からは涙があふれて止まらなかった。そんな私の背中を茅野は小さな子をあやす様にトントンと私が落ち着くまでしてくれた。私が落ち着くと茅野は私の手を握ってゆっくり歩きだし近くの公園のベンチに座ると二人はお互いの事を話しだした。


「高校一のとき私、茅野のこと嫌いになんてなってない。あのとき茅野が私のこと嫌いになったって聞いて」


「俺もあの時、雫のこと嫌いになんてなってない。早川からあれは全部早川がついた嘘だと二年後に聞かされた。すごく腹が立って早川を一発殴って許すことにした」


「えっそうなの?茅野は早川を殴ったんだ」


早川には悪いけど茅野が自分達を別れさせた事に腹を立ててくれた事が嬉しかった。


「ねえそれで茅野はいつ結婚したの?」


「結婚はまだしてないよ。この間雫が見たのは今付き合ってる人、子持ちのバツイチだけど何だかほっとけなくて俺が守ってやりたくなって付き合いだした」


雫はチクッという鈍い胸の痛みで泣きそうになった。


「雫は?この間一緒に居た人と結婚してるの?」


「ううんしてない。する気はないの。」 


「なんで?」


「私、茅野のことがやっぱり今でも好きで他の人では無理なの。でも、だからって茅野と彼女との関係をこわす気は無いの。私もあの人を捨てることなんて出来ないから」



茅野は何も言わなくなった、どれほど時間が過ぎたのかは分からないが茅野がおもむろに口を開いた。



「俺、雫が俺が働いてる店に現れた時俺の中ではもう十五年前に戻ってた。

でもそれを雫に知られるのが恥ずかしくて視線を合わせなかった。公園で偶然、雫を見かけた時すごく嬉しかったけど隣に居た男に腹がたった。俺も雫を好きになり出したと気づいた。そして雫が店にまた来てくれた時、我慢できなくなって〈昨日あの公園に居たよね〉って話しかけた。でも雫の反応を見るのが怖くて視線をわざと合わせなかった。店を出ていく雫がたまらなく愛おしくてつい見とれてたら雫が振り返るから慌ててレジの下に隠れて頭をぶつけたよ。でも雫あの後パッタリと来なくなって…俺気づいたらいつも雫のことばかり考えてた、それで勇気を出して今日は雫を待っていたんだ」



雫は茅野と再会した時に知りたかった茅野の気持ちを今全て茅野本人から聞かされた。本当なら好きだと告白されたのも同然で嬉しいはずなのに雫の心は押しつぶされそうなほど苦しかった。


〈何も考えずに茅野の胸に飛び込んで行けたら…〉


でも雫も茅野も今の彼や彼女を見捨てることが出来なかった。私も茅野も自分のせいで相手が傷つく姿を見るのが何よりも怖かったからだ、今にも泣きだしそうな私の顔を見た茅野が口を開く。



「雫の気持ちは分かってる俺たち友達になろう、これが誰も傷つけずにすむ方法なんだろ?」



そう言って茅野は立ち上がり私の頭をクシャクシャっとなでた。そして二人はお互いの連絡先を交換して別れた。家に帰ると桜の下で茅野に抱きしめられた事を思い出していた。さっきまで一緒に居たのに又すぐに茅野に会いたくなった。


「友達だからラインくらいしてもいいよね」

 

私は何か理由が欲しかった茅野と繋がっていられる理由が。友達として友達としてなら


「友達記念第一回のラインよろしく」と送信した。茅野が既読をつけると私は飛んで喜んだ。


「既読ついた‼」


私は慌ててスマホのライン画面を元に戻してドキドキしながら茅野からの返信を待った。 

ずっと待っていても返信が来なかった。


〈この部屋電波の入りわるいのかな?〉


私は部屋中を歩き回る。


〈もしかして送る相手間違えた?〉


何度も確認しては溜め息をつく自分の姿がおかしかった。一時間後やっと茅野から返信が来た。



「返信遅くなってごめん、子供を寝かせつけてて」



これが現実だと思った。茅野に向かって行く好きという加速していく気持ちを何とか食い止めることが出来た。これで良かったのだと自分に言い聞かせた。すると茅野が続けてラインして来た。



「今日は雫に会えて嬉しかった。雫もう友達なんだから遠慮せずに店にお茶飲みに来いよ」



茅野からのラインに私は何だか取り残された気分だった。友達という名の恋人同士だと思っていたのは自分だけだった。あのとき茅野が友達になろうと言ったのは、バツイチの彼女とその子供を茅野が守っていくという覚悟の言葉だったのだとようやく気づいた。


「うん今度は友達として気楽に行かせてもらうね」


送信…。大きな溜め息が自然とこぼれた。次の日さっそく仕事帰りに茅野の働く店に寄ってみた。でも茅野の姿はなく休みのようだった。


「お店に行ったのに茅野居なくて残念」


お店の中からラインした。すると茅野から直ぐに返信が来た。


「雫ごめん、子供が熱出して母親が仕事を休めないっていうから俺が代わりに」


「そっかぁなら茅野の休みの日を教えて、その日は行かないから」


茅野から休みの日を聞きながら思う。


〈茅野とはもう会う事はやめよう〉


そう心に決めた。茅野の口から彼女や子供のことを聞くのは辛すぎたからだ。

そんな時、スマホが鳴り出した。それは大谷廉からだった。



「雫今どこ?たまには一緒に晩御飯でも食べようよ」



大谷からの電話で我に返った。

〈私には大谷さんがいる、この人を大事にしなければ〉そう心の中で言い聞かせながら大谷と電話で話す。



「今、家の近くのカフェに居るよ。晩御飯そうだね一緒に食べよう」


「わかった。それじゃ俺がそっちに行くからその店で待ってて」


そう大谷が言うと二十分後に大谷が店に現れた。満面の笑顔で真っ直ぐ私に向かって歩いて来る大谷を見て思った。



〈私は茅野が好きだ、その茅野が働いている店に別れることが出来ない大谷さんと何もなかったかのように恋人同士のふりをして私は何がしたいの?最低だ。これじゃ大谷さんにも失礼すぎる、話そう本当のことを全部話そう〉



大谷が席に着くと真っ直ぐ大谷の顔を見つめた。


「大谷さん私」


「中々感じのいい店だね。こんな店があったならもっと早く一緒に来てみれば良かったね雫」



大谷の嬉しそうな顔を見たら何も言えなくなってしまった。二人で食事をし、たわいもない話しをして店を出る。店の外で思い出したように大谷が言う



「そう言えばさっき雫、何か言おうとしてたよね何?」


「ううん何でもない、今日はご馳走様でした、また来ようね」



店の前で大谷が帰っていく後ろ姿を見送った。時々後ろを振り返る大谷に私は大きく手を振り心の中で叫ぶ。〈大谷さんごめんなさい〉そう心の中で謝りながら目からは大粒の涙が流れた。そして二週間くらい過ぎた頃、茅野からラインが届く。



「あれからぜんぜん店に来ないけどどうかした?」


「ううん最近、仕事が忙しくて中々寄れなくて今度行くね」


「そうか…わかった」



私は茅野に大谷に本当の事を話そうとしていることをどうしても言うことが出来なかった。言えばせっかく彼女や子供と三人で前に進みだした茅野を苦しめる事になるからだ。

大谷に今度こそは話そうと日曜日に会う約束をした。大谷がこの間のカフェが居心地がいいからそこで会おうと言ってきた。その日は茅野もちょうど仕事が休みの日で安心してカフェで会う事にした。

私はこわばる顔を一生懸命、笑顔にしようと頑張った。今まで私を支えてくれ一緒に居てくれた大谷に対して感謝の思いを笑顔にしたかったからだ。



「雫お待たせ」


「ううん私も今来たとこ」



大谷とのたわいもない話しを最後まで真剣に聞いた。それが今、私が大谷に対して最後に出来ることだったからだ。大谷の話は終わり私が口を開く。



「大谷さん私」


「雫、俺たち終わりにしよう」


「えっ」


驚きとともに涙があふれた。



「俺、雫がいつも他の誰かを思っていること知ってたよ。俺は雫だけを見て来たからね分かるよ。でもそれでもいいと思っていた。いつか俺を見てくれればそれでいいとずっと待っていた。だけど最近の雫すごく辛そうで好きな人がようやく目の前に現れたってわかった」


「そいつと一緒になれそうなのか?」 


 私は首を横に振る。


「何で?そいつ結婚していたの?」 

 

 私は泣きながら首を横に振る。


「じゃあなんで?」


「バツイチで子持ちの人と付き合っているから」


「そいつは雫の気持ちは知っているの?」


「うん知っている」


「それで?そいつは雫のこと好きなの?」


 私はコクンと頷いた。


「ならなんの問題もないじゃないか」


「バツイチの彼女やその子供から彼を引き離すことなんて可哀そうで出来ないよう」

 

大谷は大きく深呼吸をして私を諭すように話しだした。


「雫、何で彼をバツイチの人と別れさす事が可哀そうなの?その女の人が離婚して小さい子を抱えた生活だから?その現状を可哀そうと思う雫がその人を自分より下に見ているってことじゃないのか?彼が雫を思いながら他の人と生活して行く方がよっぽど相手に失礼だし可哀そうなことをしていると思う。雫だって俺に対して失礼な事をしてはダメだと思って今日、勇気を出して話そうと俺を呼んだのだろ?雫、自分の気持ちに素直になれ。もう俺や他の人の事を気にして自分の心を押し殺さなくていいんだ」



大谷の言葉が、今まで自分の気持ちを押し殺して生きてきた私の見えない鎖をようやく解き放ってくれた。大谷は私の事を一切責めずに私の背中を押してくれようとする姿に改めて大谷の器の大きさを知った。そして大谷だけを見てくれる素敵な人が現れますように。そう心から祈った。店を出ると最後に大谷と握手して別れた。大谷が店から離れていく後ろ姿がどんどん小さくなっていく。



「今まで支えてくれてありがとう大谷さん本当にありがとうございました。」



大谷の背に向かって何度も何度もありがとうと繰り返した。顔は涙でぐしゃぐしゃで泣き腫らし大谷が見えなくなるまで手を振り続けた。その後ゆっくりと歩き出し近くの公園のベンチに座り茅野にラインした。


「茅野ごめん私、約束破った…私たった今、彼と別れてきた」・・・送信・・・


すると茅野からすぐ返信が来た。



「今どこ?」


「茅野の店の近くの公園」


「すぐ行く‼そこで待ってて」



茅野は自転車で現れた額には汗が流れ一生懸命に飛ばして駆けつけて来た。十五年前と全く同じだった。茅野は泣き腫らした私の顔を見つけると人の目を気にすることなく私を抱きしめた。十五年前にやっと戻れた気がして安心して茅野の胸で泣いた。私が泣き止むと茅野が今度は謝って来た。



「雫ごめん俺本当は桜の下で雫を待ってた時もう彼女とは別れてた、でも雫の性格知ってたし俺が別れて雫に告白したと思ったら雫を苦しめると思って言えなかった」


「えっ…でも子供を寝かせつけてたとか子供が熱出して母親の代わりに仕事休んだって言ってなかった?」


「ああどうしてもてくれる人が急で見つからないからってお願いされて、でも彼女と別れてから、あれから指一本彼女には触れてないから‼」


「え〜そうだったんだ〜ならゆるす(笑い)」


茅野は私を見つめひたいの髪をかき分けると唇を押し当てた。そして優しくゆっくりと唇にキスをした。私は目から涙があふれた。十五年間二人は遠回りしたけど全部無駄ではなかった。全ては二人の成長の為に用意された出会いであり必要あって起こった出来事であり、試練だったと今となっては思っている。


あれから三年の月日が経ち私も茅野雫かやのしずくとなり二人の間には女の子が生まれ命名なまえあいと名付けた。そんな幸せなった私の元に一枚のハガキが届いた。


〈私たち結婚しました〉


その結婚報告の差出人は大谷廉からだった。大谷の横で幸せそうに映ってる女性はなんと茅野が付き合っていた子持ちのバツイチの女性だった。


「いつの間に⁈」


「ふふっ、でも良かったね。二人とも幸せそう」


「そうだな」


私たちはとそのハガキを見ながら人の縁ってすごいね。そう言って喜こびあった。そんな二人の間で娘の愛がニコニコと笑う。私は娘を抱きかかえると頬ずりをし夫婦で娘のほっぺにキスをした。     (完)  


お互い相思相愛な2人に別の彼や彼女が居たら?

自分の気持ちに正直で素直な人は別れて今、好きな人の所に行くかも知れない。でも自分のせいで周りが傷つく姿を見たくないという人は自分の本当の気持ちを押し殺してしまうかも知れない雫と茅野のように。

でも2人は他の人のことを思いながら付き合う事は相手に失礼だと気づいてくれて良かった。

相手の時間を自分のせいで無駄にさせてはダメだと思うから

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