狂い兎の襲撃
モルモットがアレに出会ったのは数日前の事。
入学式の長話と睡魔と戦い終えた、機兵科の新入生たちは教室へ戻ってきていた。三十人の学生が慣れない教室でクラスメイト同士、挨拶を交えて雑談をしている。
「初めまして、私はスズネ=イズミ。君が黒の適性を持ってるって言う新入生?」
「もう知ってるのか。ノーサス=アマミヤだ。よろしく」
隣の席からヒューマンの女の子がノーサスに声を掛けてきた。興味津々という様子で黒い尻尾を揺らしているポニーテールの少女――スズネにノーサスは挨拶を返した。
彼女は同年代の平均より少し身長が高く、体を動かすのが好きなのか引き締まった体型をしている。言動の端々に快活さとさっぱりした雰囲気があり、机の横に掛けられた刀の形をした袋から剣道少女といった言葉が似合う。
「あっ、その話、ボクも聞きたい!ボクはエルク=シツナ」
「入学早々迷惑をかけないで下さいよ。私はリーグルード=アルナです」
エルクとエルフの少年も話に交じってきたが、金髪のエルフはスズネとエルクを少し睨んでいる。
「スズネは戦いに関わることなら、相手の迷惑を顧みず突撃する剣術バカ。エルクは小人、それでわかるでしょう? 気を付けて下さい」
入学前から友人らしいリーグは疲れた顔でため息をつく。彼の容姿はクールで知的というエルフの例に漏れてはいない。それにも関わらずどこかくたびれたサラリーマンを彷彿させる姿は、彼が苦労人であることをありありと伝える。
「リーグは頭が固いんだよね、小人にとってイタズラは厚意だよ?」
「誰のせいでこうなったと思っているのですか!」
うっすらと眉間にできた皴を解しながらエルクは叱るが、当の本人はどこ吹く風か気にする様子はない。
「アルジュナに似たんじゃない?」
「アルジュナ?」
「アルナの家が持つ機神のAIの事。十家の機神AIは生体端末でよくその辺を出歩いてるんだよ」
平然と話すスズネの暴露にノーサスは固まる。王国に伝説と謳われる守護神。その本体と言えるAIの奔放さにノーサスは言葉が見つからない。
「それで黒のマナって何ができるの?」
ノーサスが魔導具を動かせない事を知らないスズネは無邪気に尋ねる。その反対からはエルクもどうなんだとノーサスを見る。広く知られているわけではないが建国の女王と同じ適性。十家であるスズネ達が知っているのは当然であり、興味を持つのもおかしくない。
そんな無遠慮な二人にリーグは複雑な顔をする。彼も黒のマナが気になるが、初対面で聞き出すのはどうか、という真っ当な人間の常識の狭間で悩む。
「まだ何もわかってない。魔導具も動かせないから魔術科か魔導科に入るつもりだったんだけどな。なぜか機兵科に」
ノーサスは困ったように両手を上げ肩を竦めた。スズネとエルクも互いの顔を見合って首を傾げる。
「ならLAIが何か企んでいるのでしょうか――」
リーグは何かを考えるような仕草で独り言を言う。彼はノーサスが両手を上げたときに腕輪を見た。それは魔導具を使うためのマナバッテリーが組み込まれた補助具だ。それに気が付いたリーグは二人に釘をさしておくべきだったかと反省する。
なんとも言えない空気が流れて話が止まる。その時、教室の扉が開く音がした。
四人が音のした方を見ると、教師らしき獣人の男と三人の生徒が教室に入ってくるところだった。
適度に鍛えられた肉体をした中年の獣人が、生徒達に席に着くように言う。教師らしき男が教壇に立ち、その横に機兵科の制服を着た先輩が並ぶ。
「君たちの担任になった教官のアルベルト=ジークだ」
虎の獣人は力強い声で挨拶を始め、生徒達を見渡した。
学園には二種類の教師がいる。戦闘技術を教える教官と学問、知識を教える教授陣だ。
機兵科と魔術科の担任は基本として、教官が担当する。
「私は元々、西方方面軍に所属していてな。それから学園の教官枠に空きが出てこっちに転属となった。魔境暮らしについて興味があるなら、機会があったら話してやる。あまり上品な話ではないがな」
当時の笑い話を思い出し豪快に笑うアルベルトは、最前列の学生にプリントを配る。戦場での話である以上綺麗な話ではないだろう。だが、頼りがいのありそうな教官に、パイロット候補生達は安堵する。
「今配ったプリントは今後一年間の予定だ。最初の数か月はつまらん物に感じるだろうが、それを乗り越えた後は機兵の操縦関連だ。精一杯楽しむといい」
ノーサスは配られたプリントを確認する。アルベルトの言う通り、面白くなさそうな授業が最初は続く。教室に残念がる声が上がる。
緩い空気が教室に流れる。アルベルトは表情を引き締め、口を開く。
「君たちはまだまだ子供だ。だがいずれ機兵に乗る、選ばれしパイロット候補生だ」
学生達がプリントから目を離し、顔を上げる。教官の真剣な表情で教室に緊張が走る。
「戦場で戦うことになるだろう。
死線にさらされるだろう。
時間稼ぎのために死を命じられるかもしれん。私の戦友にも戦場で散った者は多くいる――」
アルベルトは言葉を切り、今は亡き戦友たちに黙祷する。彼はすぐに目を開け、候補生達を見る。彼らが真剣な眼差しに変わる様を確認すると言葉を続ける。
「しかし! それこそ諸君が今まで平和に暮らしてこられた、先人たちが成してきたことである! 諸君たちもそれに倣わなければならない。諸君の背にこそ平和がかかっている!」
獣人の男は吠えるように訴える。機兵科の学生は一般人ではない。彼らはすでに軍属である。その始まりの日を覚悟もなく終わらせてはいけない。
「だが、今の君たちは学生でもある。先人の築いた平和を謳歌しなければならない。それが次へつなぐバトンだ。三年という短い時間だが、よろしくな。アルマテサ魔導学園へようこそ」
拍手を受ける担任はばつが悪そうに頭を掻き、獣人の耳を伏せてしまう。
「今日は機兵科の先輩に学園の案内をしてもらう。案内が終わった班から現地解散。レミリエ、あとは任せるぞ」
アルベルトは今後の予定を告げると脇に避け、入れ替わりに一人の生徒が教壇に立つ。
「新入生の皆さん、初めまして。私は機兵科二年のレミリエ=シツナです」
シツナの小人に多い緑の髪を揺らし、人懐こそうな笑みを浮かべた少女は手を振りながら挨拶をした。
「これから、私達の引率で学園内を探検します! 主に機兵科にかかわる施設と生活に使う施設なので、しっかり覚えておいてください。ちなみに機兵の見学もありますよ!」
レミリエはニコッと笑い、男子達は期待に心躍らせた。安全に近くから機兵を見られる機会など滅多にない。
クラスメイトは三班に分けられ、それぞれ冒険へ出た。
ノーサス達は担当のレミリエの引率の下、学園を回りながら施設の説明を受けた。――――各科の棟に購買部、図書棟、訓練設備とシミュレーター施設etc...
一通り回った後。最後に機兵科棟と魔導科棟の間にある機兵格納庫へぞろぞろと歩いていた。クラスメイトの足取りは軽く、逆にノーサスの足取りは重かった。ノーサスは動かせるかどうかわからない、いや動かせない可能性の高い機兵に近づくことを躊躇っていた。
彼が憂鬱な気分で歩きながら当たりを見回すと、研究棟の開いた窓から目がギラギラを通り越して血走らせてこちらを見る兎耳の少女がいた。
「みぃつけたぁ」
少女の声が聞こえたわけではない。しかし、彼女の口の動きに、血走らせた目が、ノーサスに幻聴を届けた。茶色い髪と兎耳が幽鬼のようにゆらゆらと揺らめく。
ノーサスが身の危険を感じ、声を上げて駆けだそうとする直前。青い石が投げ込まれた。投げ込まれた石は魔石だった。
「だr――――」
青のマナが込められたそれは地面にぶつかり砕けると、青い粒子が噴き出し彼の周囲を満たした。
粒子に包まれた彼の体は、水中にいるかのように自由が利かない。駆けだそうとしていた彼はバランスを崩し転ぶが、音も痛みも無なかった。
周囲の温度は下がり、何か甘い匂いがした。助けを求めるために、先を行くクラスメイトに手を伸ばしたが何もできずノーサスは力尽きる。薄れゆく視界の端に、窓から飛び出す兎の悪魔が見えた所で彼は意識を手放した。
「ここまでする必要があったか?」
狂気すら感じる笑顔で這い寄る邪神の後ろから、獅子の獣人が呆れた表情で話しかけた。
「え? だって黒の適正者が他のマナにどう影響するのか見てみたいじゃん。それに、ダヴィンチの血がヤレって囁いた。ダヴィンチちゃん、わるくない」
兎の邪神は頭に乗せていた整備用のゴーグルを付ける。さらにどこからか取り出した棒で、ノーサスの反応を見るために遠くからつついた。
「レミリエとミコトに間違いなく怒られるぞ」
前者は何故そんな面白いことに誘ってくれなかったのかという無邪気な悪戯心から、後者は新入生にひどいことをするなという純粋な心配からである。
「そんなことを気にするダヴィンチちゃんではありませーん。さあ、私の研究室へ運ぶのだ助手一号」
兎は自分の手にはめられた指輪型の魔道具をノーサスに向けた。魔道具は緑の粒子を纏う風を起こし、青い粒子と薬物を吹き飛ばす。粒子がすべて吹き飛んでいったことを確認すると、兎はスキップしながら自分の研究室へ向かっていった。
「奴の被害が少年に向かうことを喜ぶべきか、学園でバカ騒ぎが起こることを嘆くべきか……」
苦労人の獣人はノーサスを肩に担ぎ、兎の後を追った。