第八話 明日への一歩
吸血鬼と人間の共存を図るために、必要なのは相互理解だと思うのだけれど。
人種が違うだけでさもありなん、魔物と人間が仲良くなれるのだろうか。
まあ、私は民主主義の国で生まれて、そこそこ幸せだった覚えがある。
まずは、お互いの利害を一致させるために、とことん話し合ってもらおう。
とりあえず、吸血鬼側に釘を刺しておくことから始めるか。
「……ヴァネッサ、他の吸血鬼たちを、ここに連れてきてもらっていいかしら?」
「はっ!」
正座をしていたヴァネッサは胸を張り、右手をグーにして心臓の辺りにぐっと当てる。
吸血鬼に心臓があるのかはわからないけれど。
というか、ヴァネッサ……あなた、私やイリアよりも背が低いわりに、けっこう胸が大きいじゃない。
女神様に、小さくしてもらうように願っておこう。
「ちゃんと事情を説明してね。もし、他のやつらが私に襲いかかってきたりしたら、今度は手加減しないわ」
「っん……もしあいつらが粗相をしたら、おしおきをしてもらえるということでしょうか?」
生唾を飲み込む音が聞こえるなんてこと、実際にあるのか。比喩だと思っていた。
私は、呆れたというような視線をヴァネッサに送る。
「そうね、襲ってきたやつは全員殺して……あなたは、黙殺することにしようかな」
「もくさつ?」
首を傾げて、ヴァネッサはきょとんとする。
その無邪気な表情は、とても吸血鬼とは思えない。
「無視するってことよ、あなたの存在を」
私がそう言うと、ヴァネッサは泣きそうな顔であわあわする。
ばか可愛い、抱きしめたい。
「いいから、早く行きなさい」
「はっ!」
返事をしたヴァネッサは、姿が黒い影に揺らぎ、四匹の蝙蝠になって方々に散っていった。
便利だな……それぞれに、ヴァネッサの意思が分かれているのだろうか。
そんなことを考えながら、それぞれのヴァネッサがこの城を離れたことを確認する。
「さて……イリア、ちょっとこっちに来て」
私は、広間の入り口で所在なさげに立っていたイリアを手招きする。
とてとてと小走りでこちらに来るイリアは、ヴァラドの存在が気になるようでちらちらと見ている。
「おい、何を見ている」
それに気付いたヴァラドが、イリアを威嚇する。
虚勢を張る元気があるのならば、この槍が刺さっているのって別に痛くないのかな。
ヴァラドのお腹の辺りを眺めながら、私はそんなことを考える。
「っ! いえ……」
びくっと身体を震わせて、イリアは顔を伏せる。
染みついた恐怖という感情は、簡単に拭い去れるものではないのだろう。
しかし、これが無くならないことには、本当に仲良くなったとは言えないのだ。
「ヴァラド、これからなにか喋ったら、また頭を飛ばす」
イリアを睨んでいる――ガン飛ばしているって言う方が似合うかも――ヴァラドに、私は告げた。
ヴァラドは、イリアから私に視線を移す。
「あなたたち吸血鬼は、いくら身体を散り散りにされても再生できるのかしら。もしかしたら、元に戻らないこともあるかもしれないんじゃない?」
吸血鬼は黒い影で、実体がないように見える。
しかし私には、なにかを蹴ったり殴ったりした感触が確かにあった。
ダメージがまったくないということは、考えられない。
私の言葉に、ヴァラドはぶすくっている様子だったが、おとなしく黙った。
ヴァラドが静かになったのを確認して、私はイリアに問いかける。
「イリア、あなたはどうしたい?」
「えっ?」
顔を上げて私を見たイリアは、困惑の表情を浮かべている。
もっとはっきり言わないと、伝わらなかったか。
私は、隣のオブジェを指さして、イリアに言う。
「私は、もういいと思うんだけど、イリアは、こいつをどうしたい?」
「なん――っ!」
私の言葉に対して何かを言おうとしたヴァラドを、私は向けていた手を軽く上げることで牽制する。
喋ったらダメだと、言ったでしょう。
自分の目線よりも高い位置にある私の手を、ヴァラドは苦虫を噛みつぶして睨みつける。
ギロチンの刃を見る王様は、こんな表情をしていたのかしら。
「……サナさん、どう……とは……?」
イリアの表情は、言葉の意味がわからないといったものではなかった。
待てをされているわんちゃんたちは、ぼくはご飯を食べられないんだ絶望だ、という表情は浮かべないだろう。
期待と不安が入り交じり、そわそわと待っているのではないだろうか。
いまイリアは、そんな感じだ。
「殺したいかなって思って」
やはり、私の返事を聞いても驚いた様子はなく、イリアはなにかを考えるように、自分の足もとの床を見つめている。
「ちなみに、あなたが殺さなくていいって言っても、しばらくはこの槍を抜かない。いつになるかはわからないけど、私がこの街に戻ってきたら、抜いてあげようかな」
この高慢ちきな吸血鬼が、長い時間を反省して、変わるかどうかはわからないけれど。
「あとは……ヴァネッサには、こいつが暴れたから私が殺したって言っておくことにするわ」
ヴァネッサにヴァラドの捕縛――槍でぶっ刺しているだけだけれども――の是非を問うのを忘れていたな。
すぐに私に襲いかかってきていたから、ヴァラドのことを大切に思っていることは確かだと思うが。
うーん……まあ、もしヴァラドを殺してヴァネッサが怒ったら、そのときはそのときだな、うん。
イリアは、自分の足もとに向いていた目線を、王様椅子に座るヴァラドに移す。
その瞳に宿るのは、憎悪か、憐れみか。
ヴァラドは自分の命を握っているのがイリアだと認めたようだが、私を恐れてなにも言えずにいる。
ヴァラドが目で訴えかけてきているのを、私は無視する。
命乞いでもさせてあげるべきなのだろうかとも思ったけれども、いまのイリアの気持ちで決めるべきことだろう。
ヴァラドを、イリアは真っ直ぐと見据える。
その顔には、感情が何も浮かんでいないように見えるが、心の中には様々な感情が渦巻いているのだと思う。
「じゃあ……」
イリアが重い口を開く。
私は、ヴァラドが息を呑んだことに気付いた。
「もう一度、頭を飛ばして……それでも生きていたら……もう、いいです」
笑うでもなく、ためらうでもなく、イリアは淡々と言葉を紡いだ。
ヴァラドは言葉の意味がすぐに図れなかったのか、ぽかんとしている。
「なるほど……あなた、なかなかずるいわね」
私の言葉を聞いて、イリアは一瞬だけ目を見開いてから、恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。
私は、手を振ってヴァラドの頭を黒い霧へと変貌させる。
制止の言葉を叫ぶこともできず、ヴァラドはまた喋れなくなってしまった。
手に纏わりつく影をぱっと払ってから、私はイリアに聞いてみる。
「イリア、これから吸血鬼と人間で話し合いをするのだけど、どこか大勢が座れるような部屋はないかしら?」
散らばっていく影の行方を目で追っていたイリアは、私の方に向き直り、綺麗な佇まいを見せて立つ。
「はい、こことは別に大広間があり、そこでしたら数十人分の椅子や机が準備できます」
イリアは、はっきりした声で告げる。
「ただ、普段使っている部屋ではないので、少し掃除などをする必要があります」
ふむ、これからヴァネッサが連れてくる吸血鬼たちにお話をして、人間たちに集まってもらって――だから、ちょうどいいかもしれないな。
「申し訳ないのだけれど、用意をしてもらってもいい?」
「もちろんです」
イリアはぺこりと頭を下げ、了解の意を示す。
綺麗な、凜々しさを感じる礼だった。
「ありがとう。あんまり、急ぐ必要ないからね」
私の言葉を受けたイリアは、女神のような微笑みを見せてから、ゆっくりと歩いて、広間の扉から出て行った。