第六話 吸血鬼のオブジェ
城の中は、大きな絵画や彫刻、謎のオブジェがそこここに飾られている――私のセンスを信じるならば――趣味の悪い空間だった。
全体的に統一感がないので、肉じゃがの中にラタトゥイユをぶち込んでパクチーを散りばめたようだ。
吸血鬼に支配される前は、人間が住んでいたのだろう、甲冑や儀礼用の武器、華美な衣装なども見受けられた。
そんな混沌の空間の中、私の前を歩くイリアは、足取りが重く、ためらいを感じるような歩みだ。
私の住む城、センス悪くて友達なんて呼べない――と思っているわけではなく、ヴァラドのところに私を連れて行ってしまっていいのか、悩んでいるのだろう。
先ほどチャームを解いてみせたことで、私の力を信じられるか信じられないか、どっこいどっこいといったところか。
まあ、サーチを使えば案内してもらわなくても、ヴァラドがどこにいるのかはわかるのだけれど。
「……こちらです」
イリアは立ち止まり、ヴァラドのいる部屋に着いたことを教えてくれる。
イリアの視線を追うと、他のものに比べて、ひときわ豪華な扉が目の前に現われた。
高い天井と同じぐらいの、高い扉だ。すごく開けづらそう。
真鍮のドアハンドルに手を伸ばしかけて、イリアはその手を引っ込める。
助けを求めるように宙をさまよった視線が、私を見つける。
「……開けて、いいですか?」
「うん、ありがとう」
私の返事を聞いて、意を決したという表情を、イリアは浮かべた。
イリアのほっそりと綺麗な手がドアハンドルを掴み、力が込められる。
イリアによってゆっくりと開かれた扉の先には、まさしく玉座の間が広がっていた。
派手な装飾が施された燭台が、その存在を妖しげに主張している。
そして、そんなに遠くにある必要あるのか、と言いたくなるような広間の奥、数段の段差の上に、豪奢な椅子が置いてある。
そこに座っている男が、吸血鬼――ヴァラドなのだろう。
「……ずいぶんと、騒がしいようだったが」
イリアより先に私が数歩部屋に入ると、ヴァラドが声をかけてきた。
え、この距離で会話するの?
そう思うぐらい彼我の距離があったが、静かな広間は音が反響するので、声は届くといえば届く。
「こんばんは、吸血鬼さん。私はサナです」
ぺこりとお辞儀をして、自己紹介をする。
私の後ろでイリアが息を呑む音が聞こえたが、私は挨拶をしただけなのだけれど。
「ほう……ずいぶんと肝の据わった人間がいたものだな」
頬杖をつきながら、ヴァラドは興味深そうに私を眺める。
視力が上がっているから、私もヴァラドの顔がわかるのだが、かなりのイケメンだった。
まあ、吸血鬼って人間を誘惑してから血を吸ったりするものだったと思うから、かっこよくないとイメージと違くなっちゃうか。
でも、私のタイプではない。
チャラチャラしたやつは、好まないのだ。
「私は、話し合いをするために、ここに来ました。吸血鬼で一番偉いのは、あなたなんですよね?」
私の声が届くか届かないかの刹那に、ヴァラドの姿が影のように揺らぎ、一瞬の後に私の背後にいた。
「吸血鬼と呼ばれるのは、好きではない。俺は、血を吸うだけの魔物ではないからな」
声に怒気を孕ませながら、ヴァラドは顔を近づけてくる。
なんか健全な高校生カップルがイチャついているのにむかついて、因縁つけちゃうチンピラみたいだ。いや、そういう現場に居合わせたことはないから、完全にイメージだけど。
顔にかかる吐息が、微かに温度を持っている。
「あら、ごめんなさい。ヴァラドさん――でしたか?」
私は振り向いて、ヴァラドの顔が近かったので半歩身体を引く。
するとヴァラドは私の腰を引き寄せ、距離を詰めてくる。
……いくらイケメンだからって、近すぎるのだけれど。
「ヴァラド、様だ。卑しい人間が、親しげに俺を呼ぶんじゃない」
初対面の女の子に手を触れるなんて、それだけでぶっ飛ばしてやりたくなったが、私は話し合いに来たので、我慢する。
ヴァラドの後ろに、イリアがぎゅっと目を閉じて、手を顔の前で合わせて祈っているのが見える。
その手は、恐怖からなのだろうか、震えている。
やっぱり、この男、ぶっ飛ばしてやろうか――と、そう思ったが、私は平和的に話し合いで解決するならその方が良いと思い、我慢する。
「だが――かなり上玉な女だな。俺に仕えるというならば、許してやってもいいが」
ヴァラドは舌舐めずりをして、私の身体を舐めまわすように見る。
「気色が、悪い」
私が足払いをするように右足を蹴り上げると、ヴァラドの脚――というか下半身が黒い霧となって勢いよく散らばった。
「……ああ?」
ヴァラドは、何が起こったのかわからないというように唖然とした顔をしている。
その顔を載せた上半身が、ドサッとその場に落ちる。
上半身と下半身の境目からは、ドライアイスの煙みたいに黒い霧が流れ出ている。
おお、ちょっと加減ができなかったけど、これ、人間だったら死んでるよね。
いや、ヴァラドさん、大丈夫かな。
見た目はめちゃくちゃ痛そうだけど。
「人間がぁ……俺に、何をしたっ!」
私に対する怒りで、ヴァラドの顔は豹変していた。
目が真っ赤に膨れ上がり、鋭く尖った犬歯をむき出しにしている。
ぎゃりぎゃりと、歯が噛み合う不快な音が周囲に響く。
せっかくのイケメンが台無しだ。二枚目だったのが、五枚目ぐらいになったな。
「わからなかったかしら? 蹴っただけよ」
私は床に這いずっているヴァラドに見えるように、さっきと同じように――と思ったけどパンツが見えないように控えめに――足を振る。
「蹴った……?」
ヴァラドは私の言葉がわからなかったのか、大きく口を開けたまま固まってしまった。
あれ? この世界には、蹴るっていう攻撃が存在しなかったのだろうか。
「……ヴァラド様には、物理的な攻撃は当たらないはず……です」
いつの間にか目を開けていたイリアが、ルンバみたいな状態のヴァラドに代わり、私に教えてくれる。
「そうなの?」
私は、特別なことをしていない。
むかついたから、蹴っただけだ。
私の問いに頷きながらも、イリアは半信半疑な様子だった。
絶対的な存在であったのだろう吸血鬼が、惨めに床を転がっているのが信じられないのかもしれない。
「くっ……!」
ヴァラドが私を睨みながら、その尖った歯を食いしばる。痛そう。
すると、ヴァラドの身体が影に溶け込み、その姿を消してしまった。
私の背後に一瞬で現れたのも、影を利用していたのか。
影を通して移動しているから……影移動だな。
私は安易な名付けを頭の中でしてから、ヴァラドの方を向いた。
最初に座っていた王様椅子に、苦しげな表情で座っている。
私が吹っ飛ばしたはずの下半身も、元に戻っていた。
影の残滓なのか、黒いもやもやがいくつか漂っている。
「――っ待て!」
私が動こうとしたのを察したのだろう、ヴァラドは必死に声を張り上げる。
その声音からは、余裕というものが感じられない。
私に蹴られたことが、よほどショックだったのだろう。
「待て……お前が動いたら、イリアを殺す」
そういう脅しは、既知の間柄でするものではないだろうか。
私は、つい十分ぐらい前に初めてイリアに会ったのだけれど――アイリに似ていたので初めて会ったという感じはしなかったが。
まあ、人間同士だから、そう言えば私がためらうと思ったのかもしれない。
私が動きを止めたのを見て、ヴァラドは少し余裕を取り戻したように見えた。
「イリア! その女を殺せ!」
後ろにいるイリアが、身じろぎするのを感じる。
自分は怖いから他人にやらせようとする、その精神――まさしく悪役って感じがして、良いね!
「早く、お前の母親のようにしてやるんだよ!」
イリアが動き始めないことにも気付かずに、ヴァラドはご満悦な様子だ。
たぶん、自分がかけたチャームが解けていることがわかっていないのだろう。
「母親のように?」
「あぁ? 俺はな、女の首から吹き出る鮮血を浴びながら味わうのが好きなんだ! しかもそいつの母親は美人だったからなぁ! 娘の前で母親を味わっている状況も相まって、なかなか楽しめたぜ!」
……ああ、聞かなければよかった。
イリアに聞かせていい話では、なかった。
「イリア、ごめんなさい」
後ろにいるイリアに声をかけてから、私は壁に向かってすたすたと歩く。
「は?」
ヴァラドが口をぽかんと開けている。
あまりにも自然に私が動いたから、呆気に取られたのかもしれない。
壁に掛けてあった、私の背丈よりも長い槍――槍なのかな、なんか斧みたいな部分も付いている――を手に取る。
思ったよりも軽いので、もしかしたら本物ではなく、装飾的な武器なのかもしれない。
「趣味が――悪いのよ!」
壁際から、一瞬でヴァラドとの間合いを詰め、持っていた槍を突き刺す。
ヴァラドの腹部、椅子の背もたれを貫通し、床に槍の穂先がめり込む。
斧みたいな部分が三角形だから、こんにゃく、だいこん、ちくわのおでんみたいだ。
私が速く動いたことによる衝撃が遅れて生じて、それを受けたイリアがきゃっと小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。可愛い。
ヴァラドは、まだぽかんとしている。
やがて、ゆっくりと自分の腹部に刺さっている槍を確認する。
ヴァラドのお腹からは黒い影が漏れ出ていて、空気中に散らばり消えていく。
「ぐうぅ……! 女ぁ、俺に何をした!」
がたがたと椅子を揺らしながら、ヴァラドは喚く。
もう答えてあげることもしない。二回目だし。
私は、暴れているヴァラドの頭をがっと掴む。
危ない――噛もうとしてきた。まるで獣だな、いや、鬼だったか。
「騒ぐな。反省するまで、そうしていなさい」
私がそう叱っても、ヴァラドは喧々とやかましく、暴れるのを止めない。
「なぜぇ……影になれないぃ! 何なんだ、おぉん――なっ!」
「女、ではなく、私にはサナという名前があるんだけどね」
私の忠告は、ヴァラドには聞こえていないかもしれない。
うるさかったので、頭を掴んでいた手を振って、首ごとぶっ飛ばしたのだ。
静寂が戻ってきた広間の中、私の周囲には黒い霧がゆらゆらと舞っていた。
ふむ……私には、影移動もチャームも使えないみたいだ。
ヴァラドに槍を突き刺すとき、本当は影移動で背後に現れてみたかったのだ。
そして、私の「黙れ」という言葉に対しても、ヴァラドは従う様子は見せなかった。
やはり、イメージしたことを何でもできるというわけではなさそうだ。
「……サナさん……ヴァラド様は、死んだ……のですか?」
私が魔法について考えていると、広間の入口側から、イリアはおそるおそるといった様子で聞いてきた。
ただ、その小さな胸の前で組まれた手は、震えが止まっている。
「いや、死んでないと思うよ、ほら」
私は、ヴァラドの正面から少しずれるように立った。
吹き飛んでいた影が少しずつ集まり、輪郭を形成し始めていた。
吸血鬼というものが、どういう物質で構成されているのかはわからないけれど。
「そのうち戻るんじゃないかな――あら?」
影が戻っていく様子が、砂鉄の実験みたいだなぁと思っていたときだった。
ここ、玉座の間の扉の向こうに、高いレベルの存在を感じた。