第四話 いまや吸血鬼の街
私は、地下への階段を降りる。
それは木でできているみたいで、きしむ音が少し不気味だ。
数歩階段を降りると、地下には照明が焚かれているのがわかった。
地上の閉め切った部屋よりも、明るい。
先に降りた私を、地下にいた女の人が迎える。
さっきの男の人と同じように、不安そうな顔で階段を降りきった私を見ていた。
地下の部屋は、普通の一部屋ぐらいの大きさだ。
小さなテーブルの上に、火を灯したランタンが置かれている。
「あんた、何を考えているんだ!」
地下への扉をゆっくりと閉じてから、男の人が降りてきながら私に言う。
口調は強いけれども、怒っているというより心配してくれたというような表情だ。
あと、やっぱり声を抑えて喋っている。
「リース、とりあえず座ってもらいましょうよ」
女の人はテーブルの椅子をゆっくりと引いてくれて、私に座るように促す。
ランタンの灯りに照らされた横顔は、とても美人だった。
リースと呼ばれていた男の人は、大きくため息を吐いてから他の椅子に座る。
この男の人も整った顔をしているので、美男美女でお似合いだ。
夫婦なのかな、それとも兄妹か。
「えーと……サナです」
女の人も席に座ってから、私は自己紹介をした。
元の世界の名前――笹瀬佐々菜と、一瞬迷ってしまった。
「私はミリーナ、こっちは夫のリース」
ミリーナ、と名乗った女の人は、隣に座る男の人の肩に、手を置いて言う。
ご夫婦だったか。
リースさんは、仏頂面ではあるけれど、ぺこりと頭を下げる。
「ミリーナさん、リースさん、ごめんなさい。通りに誰もいなかったから、誰かに話を聞きたくて……何かよくないことだったのですか?」
私の謝罪を聞いて、二人は顔を見合わせて不思議な顔をしている。
「あんた、もしかして……外から来たのか?」
リースさんが信じられないといった顔で、私に聞いてくる。
外っていうのは単純に、街の外っていう意味だよね……?
「はい、外から来ました」
嘘を言う理由もないので、私は正直に話す。
私の返答に対して、二人は驚いたようだった。
「あんた……人間、だよな?」
「はい、人間です」
どういう質問の意図だろうか……私の見た目は、完全に人間だ。
元の世界の私と違うのは、鮮やかな紅い髪の毛だけのはずだし、なんならリースさんとミリーナさんも奇抜な髪の色――リースさんが明るい金色で、ミリーナさんは落ち着いたピンク――をしている。
……ああ、人間たちは魔物に支配されているのだから、旅人みたいに外から来る人間なんていない、ということかな。
「どこから逃げてきたのかは知らないが、悪いことは言わない……早く、この街から出て行った方がいい」
リースさんは私を諭すように喋り、ミリーナさんも心配そうな表情を浮かべている。
「なぜですか?」
私のことを心配して言ってくれているのはわかったが、私はとぼける。
まあ、こんな小娘に、あなたたちを助けに来ました、なんて言われても信じられないだろうし。
筋肉むきむきのリースさんの方が、確実に強そうだ。
私がきょとんとしているのを見て、二人はどう思ったのだろうか、リースさんがぽつぽつと語り始めた。
ところで、他人と話して初めて気づいたが、いま喋っている言葉や聞こえてくる言葉は元の世界のものと違うようだ。
意識してみないとわからないが、異国の言語を話している。
気にしながら聞くと違和感ありありで気持ち悪いので、私は気にしないことにした。
閑話休題。
リースさんの話によると、この街は吸血鬼に支配された街らしい。
百五十年前に人間が魔物に敗北したあとで、魔物による支配地域分配が行われた。
魔物の中では高位であった吸血鬼族は、かつての商業都市である、この街を支配するようになった。
吸血鬼たちは、人間の剪定から始めた。
私の知っている吸血鬼と同じように、彼らは人間の生き血を飲みたい。
しかも、若くて健康で見た目がいい人間からでないと嫌なのだそうだ。
だから、少しでも吸血鬼たちのお眼鏡に適わない人間は、ごみのように殺されてしまったらしい。
この街にいた数万人は、いまでは千人程度に減っているのだそうだ。
「俺たちも、あと何年、生かしてもらえるかわからない」
リースさんはそう言って、隣に座るミリーナさんの肩を慰めるように抱く。
二人とも、まだ三十歳ぐらいなのに、吸血鬼族はずいぶんとこだわりが強いらしい。
「逃げたりしようと思わなかったんですか?」
聞いてから、しまった、と私は思った。
私が勝手に入ってくることができたのだから、勝手に出ることもできるだろう。
それをしないということは、できないからのはずだ。私のあほ。
しかし、二人とも、逃げるという言葉の意味がわからなかったかのように、呆気にとられている。
「……そうか、逃げるという選択肢もあるのか」
幾ばくかの沈黙の後、リースさんはつぶやく。
「俺たちは、生まれたときからこんな状況だったから、思いもしなかったな……」
リースさんの言葉を聞いて、ミリーナさんの目から涙があふれる。
嗚咽の声を抑えられないミリーナさんの背中を、リースさんは優しくさすっている。
「でも、駄目なんだ。俺たちは、外では生きていけない」
「……どうしてですか?」
確かに、急に街の外に放り出されたら生きていけるかどうか不安に思うのもわかるが、殺されるよりはまだましな気がするけれども。
「吸血鬼に血を吸われた者は、その眷属になって、その吸血鬼から離れることができなくなるんだ」
なるほど、ファンタジーだったわね、この世界は。
確かに、吸血鬼に噛まれたら吸血鬼になるって、映画とかで見たことあるかも。
あれ? ゾンビだったかな? はっきりとは覚えていない。
「吸血鬼の眷属? それになっちゃうのはわかるのですが、離れられなくなるというのは、どういう仕組みですか?」
恋人同士が離れられない、みたいなものとは当然異なる性質なのだろうけれど、なにか魔法的な要素があるのだろうか。
私の疑問に対して、リースさんは首を傾げながら答える。
「詳しく知っているわけではないのだが……吸血鬼は、自分の眷属がどこにいるのかがわかるんだ」
ふーん……サーチみたいなものなのかな。
吸血鬼から離れられないとは、逃げ出したら吸血鬼にバレちゃうよっていう意味か。
「じゃあ、この街の人たちは、みんな吸血鬼の眷属なんですか?」
「そうだな、いや、子どもたち以外は、そうだ」
一度頷いてから、リースさんは訂正してもう一度言った。
「子ども……もし、この街から逃げても、生きていけないですよね」
女神様でも知らない人間たちの集落があるとかならば話は別だが、おそらくそのような場所はないのだろう。
「眷属の儀式は、十二歳になる前に行われる。十歳を過ぎたぐらいの子どもに、外で生きていけというのは、酷だろう」
うーん、私が通ってきた巨大樹の森も、あんまり食べ物になりそうなものは多くなかったし。
リースさんの言うように、なかなかサバイバルしていくのは難しそうだ。
「それに、子どもを逃がしたとなったら、残った者たちがどうなるかわからない……俺たちは、吸血鬼の眷属になるしかないんだ」
諦めて甘受している――といった顔ではない。
リースさんの顔には、隠しきれない憤怒が見て取れていた。
「……吸血鬼は、どのくらいいるんですか?」
「九人の吸血鬼がいると、聞いてはいるが」
全員と会ったことはないから定かではない、とリースさんは付け足した。
人間が千人ぐらいだから、一人頭百人ちょっとか。
切りは悪いが、贅沢……なのかな。
「元々、数万人が暮らしていた街だから、自分たちで食べる物に困ることはない。むしろ食生活に関しては、満ち足りていると思う」
「……健康じゃないと、殺されてしまうものね」
リースさんの言葉に、ミリーナさんが自虐的に笑いながら補足する。
笑ってはいるが、その目は痛々しいほどに赤く充血している。
「っ! そう……だな……」
悔しそうに顔を歪めた後、リースさんはこらえきれなかったのか、涙を流す。
男の人が泣いてるところ、初めて見た。
いや、小さい子が公園でうぇーん、とかはいくらでもあるのだが。
私が心配そうに見てしまっていると、それに気付いたリースさんが苦笑いを浮かべた。
「……私たちには、娘がいたんだが……血を捧げる日に、たまたま体調が優れなくて……」
その先は言えないというように、リースさんは口をつぐむ。
「吸血鬼たちは全員、そのように慈悲もないのですか?」
話も通じない極悪非道なのだったら、すべて始末するのが早いだろうと思って、聞いてみた。
「どうだろうな……ただ、うちの地区が、一番犠牲者が多いようだ」
「地区……?」
ここからここまでの人間もーらいっ、じゃあ俺はこっちもらうからなぁ――みたいなことをしているのだろうか。
「この街は、東西南北のそれぞれに分かれていて、ここは南地区なんだ」
なるほど……この世界にも、東西南北があるようだ。
ということは、かなり発展した文明がある……いや、あったはずだ。
世界地図とかがあれば、この先の旅に役立ちそう。あとで探してみよう。
「……南地区を担当する吸血鬼が、特別に残忍ということですね」
吸血鬼の持つ倫理観がどんなものなのかは、知らないけれど。
とりあえず、そいつは懲らしめなければならないようだ。
「特別……まあ、そうかもしれない。南地区の、ヴァラド様とヴァネッサ様の兄妹は、吸血鬼の始祖なんだ」
「しそ?」
私は言葉を発してから、その意味を考える。
……ああ、始祖、祖先っていうことね。
豚肉にくるくる巻かれる方のシソかと一瞬思った。あれ、あまり得意でないのよね。
「純粋な吸血鬼ということだ。他の七人は、眷属から吸血鬼になったと聞いたことがある」
「吸血鬼たちのリーダーは、その兄妹ってことでいいですか?」
何でそんなことを聞くのだろう、と少し疑問に思われたようだが、リースさんは考えて答えてくれる。
「リーダー……という表現ならば、ヴァラド様がリーダーだ。人間を蹂躙するのも……積極的に行っているのは、ヴァラド様だ」
じゃあ、ヴァラドってやつを懲らしめればいいのか。
とりあえず、頭を押さえた上で、他がどうするのかを見てみよう。
「ヴァラド様のような純粋な魔物は、人間のことを、家畜としか思っていないのだろう」
悔しそうな顔で、リースさんは吐き捨てるように言った。
ミリーナさんは、赤く充血させた目を机に落としている。
その虚ろな視線は、机ではない、別の何かを見ているようだ。
「……いや、すまないな。話が長くなってしまった」
リースさんは、私が話を聞きたがったのに、なぜか謝ってきた。
家に入れてくれたのも、私を心配してのことだったし、リースさんたちは優しい人たちだ。
「そろそろ陽が沈む。急いで街を出れば大丈夫だろう」
そう言って、リースさんは席を立つ。
椅子を引く微かな音にも、ミリーナさんは反応せずに、机の一点を眺めている。
「誰も外にいないのは、吸血鬼が原因なんですか?」
私は疑問に思っていたけれど、話の中で聞けなかったことを聞いてみる。
おそらく、というか絶対そうなのだろうけど。
「……寝ているのを邪魔すると、殺されてしまうからな」
地下の入り口に向かいながら、リースさんは小声で答えてくれた。
吸血鬼は、イメージ通りに、夜行性らしい。
リースさんは、地下の部屋に入ってきたのと同じように、私が外に出るのを先導してくれた。
家の外に出た私は、家の中から心配そうに私を見ているリースさんに、大きくお辞儀をする。
顔を上げた私に、リースさんはなにかを言おうとするかのように口を開けて、けっきょくそのまま閉じた。
リースさんがゆっくりと扉を閉めるのを見届けてから、私は吸血鬼がいるであろう、街の中心部に向かって歩き始めた。