第三十九話 女神に至る道
アルラウネのアルちゃんから、聞きたかったことは聞き終えた。用済みね。
私は、その場に立ち上がって、アルラウネたち全員に聞こえるように、お腹に力を入れて声を張る。
「あなたたちの森を、焼き払ってしまいました。罪のない植物たちが、儚い生命を散らしてしまったことは、残念でなりません」
私の言葉を、アルラウネたちは黙って聞いている。
言葉と言葉の間は、静寂に満ちていて、次の言葉を発するのに少し勇気が必要だった。
「そこで、私は、あの場所にもう一度、緑溢れる森を築きたいと思うのです」
腕を大きく振って、私の背後、森だった黒い大地を指しながら、私は言う。
アルちゃんが、座ったまま徐々に後退りしているのが視界に入った。
「今度は、人間を養分にするのはダメです。自分たちの力だけを使って、森を育ててくださいね」
私は宣言し終わると、逃げようとしているアルちゃんまで歩いて、その脚を片手で掴んだ。
それを振り払うように、アルちゃんは脚をくねらせるけれど、私に力で敵うわけがない。
「ねえ、どこに行くの?」
私が微笑みながら問いかけると、アルちゃんは逃げるのを諦めたのか、脚を動かすのを止めて、わめいてきた。
「いえ、に、逃げるなど、しませんっ。やりますっ! 森を、森を再び……!」
どこに行こうとしているのかを聞いただけなのに、なぜか焦っているようだ。
いったい、どうしたのだろう。
「やる気になってくれて、私は嬉しいわ」
まあ、いいか。
私が燃やしてしまった森を、元通りに――人間栽培は無しでね――してくれるみたいだし。
私は、アルちゃんから視線を逸らして、森だった場所を眺めた。
距離があるので定かではないけれど、炭化した木々の残りか、地面が焼け焦げた跡か、どちらにしても、ずいぶんとアツそうだ。
闇が訪れかける世界の中で、夕焼けのオレンジ色は薄れてきてしまっている。
しかし、それを封じ込めたように仄かに輝く溶岩が、代わりに夜の闇に抗っていた。
「じゃあ、さっそく頑張ってね」
満面の笑みで、私は、アルちゃんを振り向いた。
アルちゃんはめちゃくちゃキョドりながら、微笑みとともに自分に告げた私と、私が眺めていた方向を交互に見る。
「え? え?」
「善は急げ、悪は焼べよ、ってね」
なにをするにしても、スピード感が重要だったりするものだ。
アルちゃんは、それがよくわかっているみたいね。
私は、無造作にアルちゃんを投げた。
闇夜に敷かれた、漆黒のカーペットに向けて。
大きな放物線を描いているアルちゃんの、殺さないって言ったじゃん、と叫ぶ声が、私の耳に微かに届く。
「ふふ……私を嘘つきにしないように――」
頑張って踊りなさい、そう私がつぶやいたときに、アルちゃんの十秒間に及ぶ空の旅が終わった。
私の位置からだと、アルちゃんが豆粒ぐらいの大きさに見える。
地面にぶつかって大きくバウンド、反発係数が小さかったようで、数回跳ねただけで静止する。
しかし、地面に横たわったままでは、地面の熱によってアルちゃんは燃えてしまう。
案の定、小さな火がアルちゃんに点るのが小さく見えた。
急いで身体を起こして、火を消すためにそれを叩きながら、同時に足を必死に動かす。
そうよね、一所に足を置いていたら、すぐに足が燃えてしまうものね。
「ヴァネッサ、他のやつも、お願い」
アルちゃんのダンスを見ながら、私は、イリアがヴァネッサを膝枕していた場所まで歩いていた。
私のお願いに、ヴァネッサは力強く頷くことで応える。
よく見ると、さっきまでツヤに陰りがあったヴァネッサの髪は、夕闇の中でも薄く青い光を放つかのようだった。
ヴァネッサの隣で、イリアが痙攣しながら横たわっていること、と関係があるのだろうか。
「サナ様、私も行っていいですか……?」
私の背後から頭上を通って、アルラウネたちが、悲鳴を上げながら飛んでいく。
ヴァネッサが、捕らえていたアルラウネを順に、バーベキュー会場に送ってくれているのだ。
その最中に、ヴァネッサは、恥ずかしそうに、おねだりするように、両手を胸の前で軽く組みながら聞いてきた。
「いいよ……?」
なんのことだか、どこに行きたいのか、よくわからなかったけれど、私は適当に答えた。
ヴァネッサは、幸せそうな笑顔を私に見せてから、その姿をふっと闇に溶け込ませて消える。
なにかあったのかな。まあ、悪いことではなさそうだからいいか。
私はヴァネッサの行動を深く考えずに、横たわるイリアの隣に屈む。
イリアの、シックなエプロンドレスは裾がめくれて、白い太ももが――細いのに太いとは、これいかに――かなりの面積にわたり露わになっていた。
それを直す余力もないのか、イリアは身体を横にしたまま、視線だけを私に向けてきた。
「イリア、暗くなったけど、もう行きましょう」
めくれていた服をそっと整えながら、私はイリアに呼びかける。
いつもは暗くなったら移動を止めているけれど、この場所には、あまり長居したくない。
「はい、わかりました……」
囁くような小さな声で、イリアは返事をして、それから目をつぶった。
出発の理由をなにも聞かないでくれるのはありがたかったが、目を閉じたのは、なにゆえ?
「イリア……?」
「ヴァネッサ様に血を捧げたので、身体を動かす力が出ません」
イリアは目をつぶったまま、少しニヤけながら行動の理由を語った。
本当かなぁ、と疑いながらも、私はイリアに手を――触れようと思って、躊躇する。
向日葵の髪飾りの魔力障壁が発動したかのように、私の手は、イリアに近づくことができない。
たぶん、いま私は不思議な顔で、動かない自分の手を眺めているだろう。
エラーを起こした、人型のロボットみたいだ。
もしかしたら、実は、私は身体を弄られて人造人間となり、なんらかの実験のためにアイピアに落とされたのかもしれない。
どこかからモニターを介して、研究者が私の動作をチェックしているのかも。
「サナさん……?」
いつの間にか、イリアは目を開けて、私を心配そうに見ていた。
イリアの視線に気付いた私は、苦笑いを返すことしかできない。
すると、イリアの手が、私の手に向かって伸ばされた。
その手に触れるのを恐れた私が、自分の手を引くより一瞬だけ早く、イリアは私の手を掴んだ。
「サナさん、なにに、怯えているのですか?」
私の心を覗いてくるイリアの眼差しが、真っ白で、純粋無垢で、血に染まる私なんかが触れていいものではなかった。
だから、私はイリアから目を逸らしてしまう。
それが気にくわなかったのか、イリアは、掴んだ私の手を支点にして身体を起こしたようで、その後、私の顔を両手でぐいっと、自分の方に向けた。
身体を動かせないと言っていたわりには、ずいぶんと力強いことね。
それにしても、鼻先が触れそうなほどの近距離から見るイリアは、この世のものとは思えなかった。
「……私たちは、永遠に続く悪夢を見ていました」
イリアの吐息の温かさが、私の唇に届く。
「目覚めることができたのは、一条の陽光が、夢に苦しむ私たちの顔を照らしてきたからです」
もともとの水分なのか、新たに潤んだのか、イリアの瞳が、闇の中の微かな光を反射して輝く。
「どうして、太陽を憎むことができるのでしょうか」
きらきらと、光を蓄えた雫が、イリアに狭められた私の視界を、つぅと通過した。
どうして、イリアが泣くのかしら。
「太陽が、あの人を起こしてしまったと、嘆く必要なんて、ない……」
絶え間なく落ちる涙の宝石がもったいなくて、私は、それを掬い取るために手を差し伸べる。
しかし、私の指がイリアの頬に触れたとき、イリアの顔がくしゃっとゆがんだ。
「うっ……しゃなしゃん、なんで、ぐすっ……さなさんが、自分をっ、うぅ、責めなきゃ、いけない……!」
私が掬えば掬うほど、イリアの悲しみに際限がなくなっていくのか、止めどなく溢れてきてしまう。
だから、私は、涙を掬うのを止めて、目の前の心優しい女の子を抱きしめた。
私の控えめな胸の中で、声を抑えるように、イリアは泣き続ける。
「そうか……みんなの寝起きがいいと、嬉しいな……」
イリアの背中をぽんぽんとたたきながら、私は小さな声で、つぶやいた。
ふと、森があった方向を眺めると、さっきまで感じていた、恨みや辛みといった怨念は消えていて。
どちらかといえば、アルラウネたちが火を灯すように踊り狂っているので、なんだか楽しそうだった。
そのアルラウネたちよりもだいぶ手前、私たちに近いところで、一際大きな炎――遠近法的なことではなく――を上げているのがいる。
燃え上がる炎が全身を纏っていて、もう助からないのではないかと思った。
よく見ると、ヴァネッサだった。
地面の煤を両手ですくって、頭から被る。火の手が強まる。
……どこの灰かぶり姫なのかしら。
表情までは窺えないが、どうせ、恍惚に幸せそうな表情を浮かべているのだろう。
あの変態はどうでもいいとしても、アルラウネたちは、そろそろ限界かもしれない。
それに、消し炭が風に乗り、どこかに延焼してしまっても困る。
私は、アクアを使って、この辺り一帯に雨を降らせることにする。
元の世界よりも明るいはずのアイピアの夜が、私が創りだした雨雲によって、濃く抽出されたコーヒーのように黒くなった。
闇の中から唐突に現れる雨粒が、私の頬に当たって、弾けて消えていく。
「雨降ってきたから、しゅっぱーつ」
そう言ってから、抱きかかえていたイリアを、よっと持ち上げる。
きゃ、と嬉しそうな悲鳴を上げて、イリアは、私に抱きつきを返納してきた。
イリアを片手で抱えて、もう片方の手で、二人分のバックパックをまとめて提げる。
吸血鬼の街だったダブルリアから、次の目的地であるコップルリアに続く街道。
そこに戻るために、しとしとと降りはじめた雨の中、私は草原を歩いた。
「サナさん」
私の耳もとで、抱きかかえたイリアが私の名前を呼ぶ。
なぁに、と返事をすると、イリアはくすくすと笑い声を上げた。
「ふふ……私、寝起きが悪くて、まだ夢の中にいるのかもしれません」
幸せすぎるんです、とイリアは小さな声で付け加える。
私に頬を擦り寄せてきているのか、首筋にイリアの黒髪がくすぐったく当たった。
「サナさん、もっと、私を楽しませてくださいね……?」
イリアは、それきり、言葉を発しなくなる。
今日は朝から歩き回って、ヴァネッサに血を与えて、おそらく、かなり疲れていたのだろう。
次の日の朝、なんとなく歩きたかった気分の私が、歩くのを止めるときまで。
イリアの可愛い寝息は私の耳から侵入して、私の脳を、いじらしく攻め続けていた。




