第三十七話 歌うたいのユーサネイジア
森と草原の境界線に立つ私とイリア、黒い槍が身体の中心を貫き、立て看板みたいになっているアルラウネたち。
両者の間、草原の地面に、ヴァネッサが大の字で寝転んでいた。
私が近づくと、それに気付いたヴァネッサは、首だけ動かして私を見る。
「サナ様……申し訳ありません、こんな姿で……」
もう動けません、とヴァネッサは私に言った。
身体を動かせなくなるまで、無茶をしてくれたのだろう。
ヴァネッサの隣に屈んで、私はその頭を撫でる。
絹のような撫で心地の青みがかった髪は、いつもより艶を失っている気がした。
「ありがとう。助かったわ、ヴァネッサ」
「あぁ、勿体無いお言葉です……」
嬉しそうに、くすぐったそうに目を閉じながら、ヴァネッサはつぶやく。
「一応、森の範囲を越えたところまで捜索しましたが、アルラウネどもは、ここにいる奴らで全てです」
私はヴァネッサの撫で心地を堪能しながら、もう一度アルラウネたちに目をやる。
もし、学校中の生徒が体育館に集まったら、このぐらいの密度になるだろうか。
生徒は黒い槍で串刺しになんかされないから、よくわからないや。
「どうして、あんな拷問みたいなことを? あなたの趣味?」
ヴァネッサに聞きながら、私は、いまの疑問が自分にブーメランしてくることに思い至った。
いや、ヴァラドの件は不可抗力だったんだよ?
けっきょく、ヴァラドが平和の礎となったから丸く収まったんだし。
「アルラウネは、地面に潜ってしまうので、ああやって地面から離しているのです」
私がヴァラドに槍を刺したままなことに言及せず、ヴァネッサは答えてくれる。
なるほど、アルラウネは、植物の魔物だったわね。
三メートルぐらいにわたる柄に串刺しなので、アルラウネたちの足は宙に浮いていた。
「ということは、あなた、地面に潜んでいたアルラウネも捕まえたのね」
「はい、地面の下は影なので、言ってしまえば、私の庭です」
疲れた顔をしながらも、ヴァネッサは少し得意げに微笑んだ。
感謝の意をもっと込めるため、最後に、ぐりぐりとヴァネッサの頭を撫でる力を増す。
あぅあぅとよくわからない言葉が、ヴァネッサの口から出てきたところで、私は、ヴァネッサから手を離して立ち上がった。
「イリア、ヴァネッサの近くにいて」
そうイリアに言ってから、私は背負っていたバックパックをその場に下ろした。
イリアも森を歩き通して疲れたのだろう、私に言われたとおりに、ヴァネッサの横にしゃがみ込んだ。
イリアぁ、膝枕、して?
え、私、歩きっぱなしで、脚ぱんぱんなんですよ? 勘弁してください。
ふーん……。
な、なんですか?
別にぃ? ただ私、吸血鬼だから、よくわからないことがあるのよね。
……なにがですか?
どうしてイリアは、サナ様の――。
ヴァネッサ様っ! ほら! 私の膝、こんなにピンと伸ばしましたよ?
締まりのない顔で、ちょっと屈ん――。
お疲れなんでしょう? 私、運動したから血の巡りがよくなっちゃって。
あら、そう? 悪いわね。
ちょっ……! どうして、そんなところから……?
膝枕してもらいながらだと、こうなるでしょ? それとも、なにか文句でも?
うぅ、ぅあっ……いえ、んぁっ、あ……ありま、せん。
アルラウネたちの看板見本市と、いちゃいちゃしている――イリアの喘ぎ声を聞いて、ちょっと振り返りたかった――イリアとヴァネッサに背を向けて、私は草原と森の境界線まで歩いた。
周囲は、日没が近づいて、赤く染まり始めていた。
この森の白い樹も、その表面が夕焼けに照らされることで、燃えるような橙色に変化している。
私は、目に焼き付けるように、森の木々の一本一本を眺めていく。
そして、一通り眺め終わった後に、私は目を閉じた。
そのまま、神に祈るかのごとく――いや、祈るんだけどね――手を組んで、胸の前に掲げる。
「アイリ」
こんな風に、胸の前で手を組みやすくした、にっくき女神の名をつぶやく。
私は、あなたを楽しませることができているだろうか。
もう飽きて、この世界のことをほったらかしにしていないだろうか。
それでもいい、ただ、いまだけは私の願いに気付いてほしい。
リンクさんたちが、これからどうなるのかはわからない。
魂は消えてしまうのか、それとも私みたいに転生するのだろうか。
わからないが、せめて少しばかりの安らぎを、彼らに与えてほしい。
女神アイリに願うとともに、私は、ファイアを使い、火の精霊たちを呼び寄せた。
集まった精霊たちが、私の魔力を喰らい、沸き立ち、踊り狂うように炎の龍を形成する。
目を閉じていても、私に炎龍が纏わり付いているのがわかった。
できるだけ、苦しまないように。
一瞬で、痛みをなかったことにできるように。
耳元でパチパチと鳴っていた炎の音は、私の想いに比例して、風がうめくような轟音になり。
背後から聞こえていた、アルラウネたちの苦痛を嘆く声は、すでに遠く彼方に消え去っていた。
加減がわからなかった。
どのくらいの熱量であれば、この森を瞬時に焼き払うことができるのか。
わからない、でも、やるしかない。
「彼らに、どうか女神の導きを――」
目を開いた。
眩しさに構わず、私が纏う、白色に光り輝く炎龍を優しく撫でる。
――行きなさい。
声にする前の、私の願いを聞き入れたのか、炎龍は夕焼けの空に舞った。
私の元を離れて、ゆったりとした優雅な動きで、森の上空を旋回。
その姿が、森の入り口に立つ私からは、小さく見えるようになっていき。
そして、幾ばくの後、狙いを定めたかのように、一直線に森の地面に飛び込んだ。
その瞬間、世界を白い閃光が覆った。
さすがに目を開けていられなかった私が、次に目を開いたときに、もう森は存在していなかった。
例えるならば、海苔弁当の海苔が、私の足もとの地面から地平線まで、びっしりと敷き詰められているようだ。
森だった場所の地面は、真っ黒に変色して、ところどころ溶岩なのか、朱い火が燻っていた。
煙は、ほとんど出ていなかった。
おそらく、樹にされていた人間たちは、一瞬で死ぬことができたのではないだろうか。
「私が、殺した」
数百人、もしかしたら、もっと居たのかもしれない。
助けられなかったから、私が殺した。
私は、こんなに簡単に、大勢の人間を殺すことができるのか。
魔力が減った、という感覚もなく。
そんなわけがないのに、目の前の黒い地面から、怨嗟の合唱が染み出ているのを感じる。
その中に、リンクさんの綺麗に澄んだ歌声も交じっている気がした。
しばらく、私は、人間たちの森――だった場所――を眺めていた。
「サナさん?」
後ろの方から、イリアが私を呼ぶ声がする。
そんなに心配そうに呼ばれたら、行かなければならない。
私は、リンクさんたちの視線を振り切るように、イリアとヴァネッサの方に歩き出した。
「ヴァネッサ、ひとり下ろして」
草原の地面に座るイリアに、ヴァネッサは膝枕してもらっている。
その横を通り過ぎるとき、私はヴァネッサに声をかけた。
ヴァネッサが短い返事をすると、私たちに一番近かったオブジェの槍が、ふっと消えた。
その槍に刺さっていたアルラウネは支えを失い、ほんの一瞬だけ宙に浮いたように停止してから、どさっと草原の上に落ちる。
私は、てくてくと歩いて、そいつに近づく。
地面に落ちた衝撃で、どこか痛めたのだろうか、首や胸の部分を押さえながら、のたうちまわっていた。
しかし、私に気付いたアルラウネは、震える身体を動かして、私の方を向く。
よくわからないが、おそらく服従の姿勢なのではないかと思った。
アルラウネは、正座した状態から両手を高く上げて、そのまま身体を前に倒して地面にキスをしている。
いま気付いたけれど、さっきまであれだけ苦痛に叫いていたアルラウネたちが、粛として声もなかった。
夕暮れ時の静寂の中、私は地に這うアルラウネに声をかける。
「そんなのはいい。顔を上げなさい」
アルラウネたちが、あまりにも人間じみていたから普通に話しかけちゃったけど、言葉は通じるのかしら。
「はい……」
杞憂だったようで、アルラウネは返事をしてから、ゆっくりと顔を上げた。
声は甲高く、耳障りなノイズのようであったが、まあ聞き取れないことはない。
それに、近くで見ると、やっぱり可愛らしい顔をしていた。
服を着ていないので、樹皮を纏った身体の凹凸が見て取れるのだが、人間で言えば女の子のようであった。ちょっとえっちね。
「どうか、いの……命、だけは……!」
私が黙ったまま観察していたことで、どのように思ったのか、アルラウネは命乞いをしてきた。
殺すつもりはないけれど、簡単に安心させるのも、なんだか癪ね。
「いまさら、あと一人や二人殺したからって、なんともないのよ」
アルラウネの頭を掴んで、持ち上げる。
頭から生えていた一輪の花が、私の手のひらの下で潰れた。
私と同じぐらいの身長だったから、アルラウネは、その足の爪先が地面に着くか着かないかぐらいに浮いていた。
私に掴まれている頭が痛いのか、それともヴァネッサの槍が刺さっていたところが痛むのか、アルラウネは呻き声を上げる。
しかし、意外にも抵抗する様子を見せずに、私にされるがままだ。
ふむ……頭が悪いわけではないみたいね。




