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サナの人類救済の旅  作者: あおば
第二章 第一節 護られる花
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第三十話 負けず嫌いの夕餉



「じゃあ……引き分けってところかしら」


 ヴァネッサはイリアを拘束したものの、攻撃することはできないし。

 イリアにいたっては、動くことすらままならないのだ。


「いえ、勝負の結果は、サナ様次第です」


 私次第? ヴァネッサの言葉に含まれた意味がわからなくて、私は首を傾げる。

 私の様子を見たヴァネッサは、にやりと、静かに獰猛(どうもう)な笑みを浮かべた。

 そして、ツインテールに結んでいた青みがかった長い髪を(ほど)いて――むだに色っぽい――から、ゆっくりと、イリアに覆いかぶさる。


 身体を動かせないイリアは、ヴァネッサのたわわな胸の圧力を、その貧相な胸で受けるしかない。ああ、可愛そうに。

 でも、ヴァネッサの胸があるからこそ、イリアの顔の上空に、こぶし三つ分ぐらいの距離を空けて、ヴァネッサの顔が(とど)まる。

 もし胸がなければ、イリアの初めて――たぶん、私の願望を多少なり含む――は、あっさりと不届き者に奪われていただろう。


「……ヴァネッサ様、なにを……?」


 イリアの顔の左右には、滝のようにヴァネッサの髪が流れていて、イリアは正面のヴァネッサを見るしかできない。

 そのためだろうか、イリアの問いは不安や怯えが混じり、微かに震えていた。


 ヴァネッサは、その問いには答えずに、上目遣いで私を見た。

 睫毛(まつげ)の一本一本に至るまで、美しさが散りばめられている。


「サナ様は、ここまではお許しになるのですね」


「……なるほど、その花の魔力障壁が発動するのは、エンチャントした私次第ってこと?」


 意識していたわけではないが、私は、所有者を守る効果を向日葵の花に付与した。

 イリアが発動をコントロールできないということは、それを行っているのは向日葵自身、つまり私だ。


 ヴァネッサは私を見つめたまま、こくっと頷く。

 揺れたヴァネッサの髪がイリアの首筋をくすぐったのか、イリアはびくっと身じろぎをした。


「まあ確かに、許すかどうかは置いておいて……」


 特に、押しつけられてむにっと形を変えている脂肪――魔素?――のところなんかは、許されざる領域を侵している気がするけれども。


「攻撃では、ないわよね」


 なにをされるかわからないという不安を、イリアは感じているのかもしれない。

 しかし、痛いことをされそうになったら向日葵が防いでくれるから、攻撃とはいえないだろう。


「ふふ……これは、どうでしょうか」


 ヴァネッサは私に(なま)めかしい視線を向けたまま、唇の間からちろりと真っ赤な舌先を出した。

 そして、両手を優しくイリアの顔に添えて、ぐいっとそれを真横に向かせる。

 イリアは抵抗しようとしているようだけれど、力ではヴァネッサに敵わない。


「ヴァネッサ様? ちょっと、もしかして……!」


 ヴァネッサの青い髪のベールに(つつ)まれて見えなくなっているけれども、イリアの焦った表情が目に浮かぶようだ。

 イリアの声を無視して、ヴァネッサは、色欲の象徴のような口元を、イリアの耳に向かってゆっくりと下ろしていく。


「いやです……いや……んぅっ!」


 ヴァネッサの艶めかしくうねる舌が、イリアの耳に触れそうになって、イリアは小さく悲鳴をあげる。

 その瞬間、ヴァネッサの姿が、ふぁっと夜の闇にかき消えた。

 まっさらな静寂が、辺りに響きわたる。


「……さすがに、怒られちゃったかな」


 それはダメだと向日葵が判断したのだろう、障壁が現れて、ヴァネッサは排除されてしまったようだ。


 私は、仰向けに寝転がるイリアに、慰めの言葉をかける。


「イリア、大丈夫?」


 もうヴァネッサの影による拘束は、解かれている。

 しかし、イリアは拘束されたときの姿勢のまま、息を整えるように呼吸をしていた。


「……はい……大丈夫ですぅ」


 幾ばくの後に返されたイリアの声は、少し乱れていて色が感じられるものだった。

 そしてイリアは、ゆっくりと身体を起こして、寒そうに自分の身体を抱きながら、辺りを見渡す。

 その一連の動作にも、どこか艶めかしいものが感じられた。


「サナさん、ヴァネッサ様は……?」


 乱れた黒い髪が顔にかかっていることにも構わずに、イリアは私を振り返り、ヴァネッサへの心配を口にする。

 

「危なくて消されたけど、しばらくしたら戻ってくると思うよ」


 ヴァラドも何回か頭を吹っ飛ばされても大丈夫だったし、ヴァネッサもあれぐらいでは死なないだろう。

 それに、女の子の耳を舐めようとしたら召されました、なんて吸血鬼としては末代までの恥になりそうだし。


「そうですか……――あっ!」


 ほっと安心したという表情を浮かべたイリアが、はっとなにかに気付いたように肩を跳ねさせた。

 それから、ちらっとこちらを見たイリアが、急にくしゃっと泣き顔になる。

 そんな顔も愛くるしい――ではなくて、いったいどうしたというのだろう。


「うぅ、サナさん……(もてあそ)ばれましたぁ」


 イリアは、そう言って泣きながら、私ににじり寄ってくる。


 いや、完全に嘘泣きじゃないの。


 思いながらも、私の口はイリアを(とが)めるために開くことはない。

 イリアは、座っている私のお腹に顔を埋めるように、しなだれかかってきた。


「よしよし、恐かったね」


 イリアの背中に手を回して、ぽんぽんと背中をたたく。

 すると、イリアは甘えたような声をどこかから出した。


「んぅー……ぎゅうぅ……」


 発する声と行動がリンクしているのだろうか、イリアは私の腰にがっちりと両手を回した。

 それにつられて私も、強くイリアを抱きしめる。


「はぁ……安心できます……」


 至福です、と言いたげな声を上げたイリアを見下ろすと、黒髪のすき間から綺麗な耳がのぞいていた。

 私が耳を舐めたらどうなるのだろう、花の魔力障壁は発動するのだろうか、イリアはどんな声を上げるのだろうか、好奇心がうずく。


 魔物が潜む不気味な森の中で、私は、自らの好奇心とイリアの柔らかさに負けないように、必死に理性を保つのだった。



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