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サナの人類救済の旅  作者: あおば
第二章 第一節 護られる花
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第二十七話 不気味な誘い



 イリアが、私のあげた向日葵の髪飾りを必ず着けるようになった。

 クリスマスに、彼女にアクセサリーをプレゼントした彼氏は、こんな気持ちなのだろうか。

 いや、そういうものをあげたことももらったこともないから、あくまで想像なのだけれど。

 ……まあ、いいでしょ。イリアが可愛ければ。


 その翌日、石畳の間から伸びる雑草がくすぐったいね、などとイリアと話していたときだった。


 ふいに、肌がピリッとする感覚がした。

 ヴァネッサのため、サーチを使うのを止めていたから、なにかの気配を感じたというわけではない。


「サナさん?」


 会話の途中であらぬ方向を眺め始めた私に、イリアが声をかけてくる。

 なんだろう、上手く言えないけれど……嫌な感じがする。


「なにか、ありましたか?」


 私の隣に来て、イリアは同じ方向を見る。

 地平線の先、山と山の間に、木々が生い茂っている様子がわかる。


「……ちょっと、行ってみてもいいかしら?」


「あの森ですか?」


 イリアは吸血鬼の眷属になってから、目が良くなっているらしい。

 私と同じように、地平線に並ぶ木々が見えているのだ。


 私は不気味なオーラを放つ――私の印象ではあるけれど――森を見ながら、イリアの問いに頷いた。

 すると、隣のイリアが力強く言う。


「もちろん、いいに決まっています」


 行きましょー、とイリアは石畳の街道を外れて、草むらに分け入っていく。

 膝下ぐらいの短い草ばかりだけれど、手入れをする人間も動物も、そして魔物もいないはずなので、鬱蒼(うっそう)と生い茂っている。

 イリアの後を追って草むらに入ると、私の鼻に青々とした香りが届いてきた。嫌いな香りではない。


「ふふ、あまり私から離れないようにね」


 そうは言っても、なんとなく嫌な感じはするので、イリアに寄って歩くことにしよう。他意はない。






 普通の石畳の道を歩くよりも――当たり前だが――時間をかけて、私たちは、先ほど見えた森にたどり着いた。

 吸血鬼の街、ダブルリアの南に位置していた巨大樹の森の樹よりも、細い樹が並んでいる。

 細いとは言っても、普通の、元の世界で見るような樹だ。


 だから、ただの森――なのだけれど、やはり続く違和感は収まらない。


「うーん……あんまり、変な感じはしないですけど」


 森の入り口に生えている樹の幹をぺたぺたと触りながら、イリアが言う。


「そう……なんだけどね」


 私も、はっきりと違和感の原因がわからないので、歯切れが悪くなる。

 吸血鬼の街みたいに、レベルが高い魔物がいる、とかならわかりやすいのだが。


「もう少し、行ってみますか?」


 私の方を振り返りながら、イリアは私に聞く。


「……うん! もしただの寄り道になったら、ごめんなさい」


 事前の謝罪をした私の腕を取って、イリアは私を森に引き入れた。

 さっき私の言った、離れないようにという約束を守っているのだろうが、ずいぶんと積極的な誘い方で、少しどきどきしてしまう。


「サナさんの行きたいところに、行きましょう。私たちは、そこに行きます」


 イリアは私を見上げて、微笑む。

 その笑顔は、女神に負けず劣らず魅力に溢れていた。


「私たち?」


 照れをごまかすように、私は言う。

 でも腕を組まれてしまっているので、もしかしたら心臓の鼓動が伝わっているかもしれない。


「ヴァネッサ様も、同じ気持ちです」


 イリアは、ヴァネッサに聞いてもいないはずなのに、断言する。

 あながち真実ではないと言い切れないのが、イリアの恐ろしいところだ。


「もっとも、ヴァネッサ様はサナさんについて行くしかないでしょう?」


 背後の私の影を見やりながら、イリアはくすくすと笑った。






 この森に入ってから、三十分ぐらいが経とうとしていた。

 足元は、草原と同じように生え揃った草や花によって、進みにくいものになっている。

 止まらずに歩いて来たが、振り返れば入ってきた場所がかろうじて見えるぐらいしか進めていない。

 木々はあまり密集していないため、空から陽光が木漏れ日となって差し込む。

 ともすれば絶好のハイキング日和なのだけれど、私の心は憂鬱だ。


「うーん……」


 ひとりで、入り口側を背中にしてエレベーターに乗っているようだ。


 私の悩ましさを、手を繋いでいるイリアが心配そうに見ている。

 さっきまで腕を組んでいたのだけれど、それだと背負っている荷物が共振して大きく揺れるので、手を繋ぐことにしたのだ。


 子どもみたいに、イリアは繋いだ手をぶらぶらと振る。

 その一振りごとに、私にもやもやと(まと)わり付くなにかが、嬌声(きょうせい)を上げて浄化させられていくようだ。

 もしイリアがいなければ、私は、この変な森をすべて焼き尽くして憂いの元を()っていただろう。


「女神に感謝することね……」


 ちょうど横にあった樹の幹を、ぽんぽんとたたいた。

 白みがかった樹皮は剥がれかけていて、巨大樹の森で感じたような生命の息吹は、微かにしか感じない。


「女神?」


 私のつぶやきを耳聡(みみざと)く聞きつけたイリアが、私を見上げる。

 イリアはまだ、私が女神だと思っているようだ。

 ついに教えてくれるのですか、と言いたげに目を輝かせている。


「前髪。目にかかりそうだから、切らないといけないなって」


 教えるもなにも、私は女神ではないので、伝えられることはないのだけれど。


「えー、切っちゃうんですか? 私みたいに髪留めを使いましょうよ」


 向日葵の髪留めにそっと手を添えて、イリアはそれを私に見せてくる。


「うーん……こめかみが引っ張られるの、好きじゃないのよね」


 元の世界では、おしゃれよりも動きやすさという人種だったのだ。

 いや、せっかく生まれ変わったのだから、違うことをしてみるのもいいのかもしれない。


「じゃあ、イリアが髪を整えて」


 毎日ね、と付け足すと、イリアはさっきよりもきらきらと輝く瞳を私に向けた。


「やります! 絶対に」


 やる気の炎が、イリアの(つや)やかな瞳の奥に渦巻いている。

 毎日というのは面倒くさいのではないか、そう思って言ったのだけれど、イリアにとっては逆だったようだ。


 まあ、嬉しそうなので良かった。

 繋いだ手がぐるっと一周しそうなぐらいに、イリアは元気よく歩き出した。






「……暗くなってきたから、この辺りで野営しましょう」


 三時間から四時間ぐらいは歩いていただろうか、しかし、景色の変化すらもあまりなく、草むらと白い樹がひたすらに続いていただけだった。

 ちょうど草がはげている場所があったので、そこを今夜の寝床にしようと思う。


「わかりました!」


 イリアの元気さが救いとなって、夜の闇が訪れかけた世界に唯一の輝きをもたらしていた。

 物理的にも、この場所に光を灯すのはイリアだ。

 背負っていたリュックから、イリアはろうそくとランタンを取り出す。

 ランタンは、持ち運びやすいような簡易的なものだ。


「えいっ」


 可愛いかけ声の魔法で、イリアはろうそくに火をつけた。

 それをランタンに設置すると、辺りがぼんやりと明るくなる。


 イリアがバックパックから取り出した、防水性の植物を編み込んで作られた布を、私とイリアで協力して設置して、この場の屋根とする。

 さらに、同じものを地面にも敷いて、靴を脱いでそこに上がる。ピクニックの気分だ。


 次に私は、金属製のポットに移し入れた水を魔法で熱してお湯にした。

 そして小声で、精霊さんへの感謝をつぶやく。

 最後に、私からお湯を受け取ったイリアが温かい紅茶を淹れてくれるのを、体育座りでのんびりと待った。


「――ふわぁふ……あら、変なところにいますね」


 可愛らしい欠伸(あくび)とともに、ランタンの光でつくられた私の影から、ヴァネッサがにゅっと出現した。

 私の影の上で女の子座りをしているヴァネッサは、辺りをきょろきょろと見渡している。


「おはようございます、ヴァネッサ様」


「おはよう、ヴァネッサ」


 イリアと私が朝のあいさつ――もうほとんど夜なのに――をすると、ヴァネッサはそれぞれに丁寧にあいさつを返した。


「なんか、この森がおかしいみたいです」


 私に紅茶のカップを渡してくれたイリアが、ヴァネッサにもカップを渡しながら言う。

 ヴァネッサは受け取った紅茶を一口飲んでから、もう一度辺りを見る。

 薄暗い森の逢魔が時に、ヴァネッサの瞳が(あや)しげに輝いていた。


「……確かに、見られているような、なんとなく嫌な気分がしますね」


 ヴァネッサは私の方にしかめっ面を向けて言った。

 見られている、ヴァネッサの言葉は、その可能性を否定できないものだった。

 私は、人前に立って注目を浴びるのが得意でないから、視線というものをあまり感じていたくないのだ。


「ヴァネッサは、なにか心当たりある?」


 うーん、と顎に手を当ててヴァネッサが頭をひねる。

 青みがかったツインテールが、さらりと小さな顔の横に流れた。

 イリアが淹れてくれた紅茶を嗜みながら、やっぱり可愛いなぁ、とヴァネッサの悩ましげな顔を鑑賞する。


「うーん……特には、ありません。兄様(あにさま)だったら、他の魔物にも詳しいので、なにか気付いたかもしれませんが……」


「ふむ……」


 ヴァネッサの真似をして、顎に手を当てて考えているフリをすると、ヴァネッサは不安そうな顔を浮かべる。

 ヴァラドを連れてきた方がよかったかしら、と私が思っているのではないかと不安なのだろう。

 そう思うならば、兄様だったらなんて言わなければいいのに、この吸血鬼さんは素直に言ってしまうのだ。


「ヴァネッサよりも、ヴァラドを連れてきた方がよかったかしら……」


 私の言葉を聞いて、ヴァネッサはこの世の終わりかのような表情を浮かべる。可愛い。

 ちなみに、これはただの意地悪だ。

 私は、ヴァネッサといっしょに旅を続けたい。


「サナ様っ、どうかご慈悲を……!」


 体育座りをしている私の腰に取り付いて、ヴァネッサは泣きそうな顔で私を見上げてくる。

 ……なんだか、背中がぞわぞわとする。なんだろう。


「他の魔物って言ってたけど、この森に魔物がいるの?」


「はいっ、魔物の気配を感じるので、確実に魔物はいます」


 ヴァネッサは、必死な様子で言い切った。

 私にはわからないのだけれど、魔物であるヴァネッサには、人間と魔物の気配の違いがわかるのかな。


「じゃあ、最初っから、そう言いなさいよ」


 魔物がいるということだったら、私の嫌な感じはそれが原因なのではないだろうか。

 私は紅茶のカップを下に置いてから、ヴァネッサの両頬をむにっとつまんでぐいっと引っぱる。

 お餅のように柔らかなほっぺただ。


「しゅみません。しゃにゃしゃまは、きぢゅいていると……」


 私に頬をつねられたまま、ヴァネッサは弁明した。

 多少は痛いと思うのだけれど、鼻息荒く嬉しそうである。ちょっときもちわるい。



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