第二十六話 向日葵の行方
「サナさん、見て! お日様の花!」
吸血鬼の街を出て、五日が経っていた。
この世界――アイピアのスケールは想像以上に大きいようで、五日間歩き通しても、周囲の景色にめぼしい変化はまったく見られなかった。
大陸には、多少歪ではあるが環状に街道が造られていて、その道なりに進んでいけば都市に着く、とイリアが描いてくれた地図を見ればわかる。
しかし、その円が大きすぎるようで、道が曲がっているとわからないぐらいだ。
私たちがいた吸血鬼の街、ダブルリアを時計の六時だと仮定して考えてみる。
そこから出発して、次の目的地である三時方向の街、コップルリアに私たちは向かっている。
いまが五時ぐらいだったらいいのだけれど、もしかしたら、まだ五時五十九分かもしれないのだ。
幸いにも、かつての文明の名残だろう、歩きやすい石畳の道と簡素な石造りの小屋が街道沿いにあるので、野営に困ることは少なかった。
そして、さらに幸いなことに、イリアが天真爛漫の純真無垢、可愛さが留まることを知らない。
こんなややもすれば退屈になってしまう道程でも、イリアを眺めていればあっという間に一日が終わるのだ。
いまもイリアは、見つけた向日葵のミニサイズのような花々を、興味深そうに観察している。
そして、私は、そのイリアの姿を後ろから、興味深く観察している。
イリアは、着慣れているからという理由で、いつものシックなメイド服を着ている。
だからこそ、モノトーンな後ろ姿と赤みを帯びた黄色の花のコントラストが、一枚の絵画のように私の視界を彩るのだ。
「サナさん?」
私が隣に来ていないことを不思議に思ったのか、イリアが振り返って私の名前を呼ぶ。
「私の知っている、向日葵に似ている花ね」
名画の鑑賞を止めて、私はてくてくと数歩進み、イリアの隣に立つ。
裸足でも不便はなかったのだが、イリアが自分の持っている靴をくれると言うので、お言葉に甘えて、私は黒い靴を履いている。
シンプルではあるけれど、シルエットが可愛いので気に入っていた。
「ひまわり?」
私の立っている側に流れる横髪を耳にかけながら、イリアは軽く首を傾げる。
流れるとは言っても、イリアの髪はまだ短い。
今までは、動きやすさを重視して、短く揃えていたのだそうだ。
サナさんぐらい伸ばそう、とはにかみながらイリアは言っていた。
逆に私は、動くのに邪魔だから切ろうかと思ったが、女神アイリが悲しむかなと、とりあえずそのままにしている。
ただ下ろしているだけだと邪魔ではあるので、イリアにもらった髪留めで一つにまとめているのだ。
毛先にいくほど鮮やかな紅にグラデーションする優美さは減ずるが、これはこれで可愛い。
「太陽の方を向く花なの。ほら、この子たちもみんな、あっちを見ているでしょ?」
進んでいた道の先、陽がのぼる上空を指さしながら、私はイリアに言う。まぶしい。
見た目だけではなく性質も、元の世界の向日葵と似ているようだ。
「本当だ、すごいです! でも、どうして太陽の方を向くんですか?」
「向日葵に限った話ではないけど、植物が生きていくためには、光が必要で――」
私は学校の授業を思い出しながら、イリアに説明する。
植物図鑑を愛読していた私は、生物が得意だったのだ。えっへん。
「光のエネルギーを利用して、植物は自分を成長させたり、活動したりしているの」
「ふーん……私、水さえあればと思ってました。お城の庭の花たちは、それで大丈夫だったから」
頷きながら熱心に聞いてくれるイリアは、良い生徒だ。
世の先生たちは、生徒が全員イリアだったら、どれほど楽だろうか。
いや、可愛すぎて授業に集中できないから、全員は違うかな。
「もちろん水も必要なんだけどね。でも、光のエネルギーが肝要なのよ」
「なるほど……だから、お日様の光をいっぱい浴びるために、一生懸命あっちを向いているんですね」
イリアは、その細い指先で小さな花びらをちょんと触る。
微かに揺れる向日葵が、イリアにお礼を言っているかのようだった。
「一人、連れて行くことにしようか」
私の言葉に、イリアは頭の上にハテナマークを浮かべている。
私は、イリアが触れた一輪を摘み取った。
イリアが花の行方をじっと見つめているのを横目に、私は摘んだ向日葵の花に魔力を流し入れて、エンチャントする。
魔力が付与された向日葵は、しばらく枯れることのない魔法の花になった……と思う、たぶん。
「ちょっと艶が増したような気がしますね」
イリアの言うとおり、向日葵の花は魔力によって生命力を溢れさせているようだ。
……さっきの授業で説明した光合成は、この世界に当てはめてみると間違いだったのかもしれないな。
私はそう思いながら、手に持った向日葵を、イリアがこめかみに着けていたヘアピンのような髪留めに付ける。
「え?」
自分の髪留めに何をされたのか、イリアはがんばって黒目を横に動かして確かめようとしている。
自分の尻尾を追いかけるわんちゃんみたいだ。
幾ばくかの後、イリアは自分の手を向日葵が付いた髪留めにそっと置いて、その存在を確認した。
「あなたが選んだ花だから、あなたが連れて行ってあげて?」
「……はい!」
人間のエゴであり、花からしたら堪ったものではない――そうかもしれないが、イリアの嬉しそうな笑顔を見たら、もう四、五輪ぐらいの向日葵が自ら手折られても不思議ではないだろう。
ニコニコしながら、イリアはくるくると喜びの舞いを披露している。
イリアが背負っているバックパックの中には、水以外の食料品や調理用品、衣類が入っていてそれなりの重量があるはずなのだけれど。
やはり、吸血鬼の眷属だから、普通の人間よりも身体能力が高いのだろうか。
ちなみに、水は重いので私が背負っている。
まあ、重いという感覚は、この世界に来てから感じていないけどね。
「サナ様……私にも、下賜していただきたい」
私の背後、少し伸びた影から、羨望を含んだ声が聞こえた。
「あら? ヴァネッサ、起きていたの?」
吸血鬼は、太陽の光に弱いため、昼間は寝ている。
ヴェネッサも、日が出ている間は私の影に入って休んでいるのだ。
「その……サナ様の魔力が……」
言いよどむ声とともに、私の影からヴァネッサの顔が目元ぐらいまで、にょきっと出てきた。
影の中にいると、ヴァネッサの透き通るような白い肌が際立つ。
「もしかして、起こしちゃった?」
「いえ……! いや……はい、サナ様の魔力、痺れました」
目を泳がせながらも、ヴァネッサは蕩けたような目線を私に送ってくる。
ちょっとエンチャントしただけだったのだが、起こしてしまったようだ。
「サナ様、私の未熟が故です。お気になさらずに、ガンガンと、魔法をお使いください」
私の申し訳なさそうな表情を見て焦ったように、ヴァネッサは言葉を紡いだ。
「でも……ゆっくり休めないと困るでしょう?」
この道中、何も考えずにサーチを使用していたから、もしかしたらヴァネッサは落ち着いて寝ることができていなかったのかもしれない。
いくら吸血鬼だとは言っても、休息が必要ないということはないだろう。
「これからは、魔法を使うのは控えめにするわね」
別にサーチを使わなくても、こんなだだっ広い草原にいれば、危険が迫っているのを目視で確認できるだろう。
私の言葉を聞いて、ヴァネッサはその碧眼を私から逸らして、言いにくそうに喋る。
「うぅー……っと、実は……サナ様の影にいる時点で、魔法を使っていようがいまいが、けっこうビリビリ感じるというか、総毛立つ思いなのです」
「え? そうなの?」
どうして、そんなライオンの檻に入るようなことをしているのか。
「影というのは魂の残滓なので……いま私は、サナ様の身体に侵入……しているようなものなのです。サナ様の魔力を、よりダイレクトに感じるのです」
ヴァネッサの顔は目元までしか出ていないけれども、その顔は恍惚としているのがわかる。
「……なんか、きもちわるいから出て行って」
影から出ているヴァネッサの小さな頭を両手で挟んで持ち、そのまま影から引き抜く。
ぽんっと飛び出たヴァネッサは、その場にへたり込んだ。
「ううっ……ひくっ、ひどいです……正直に言ったのに……」
手で涙を拭いながら、ヴァネッサはぐすぐすと私に抗議する。
泣いてる姿に、庇護欲がかき立てられるが、優しくしてはダメだ。
正直に言えば、何でも許されるわけではないだろう。
ヴァネッサが影の中にいても、私としては不快感なんてなかったのに。
「そもそも、私の影がきついなら、イリアの影に入っていればいいじゃない」
私の言葉に、ヴァネッサは首をふるふると振って応える。嫌なようだ。
「ヴァネッサ様……私の影ではご不満なのでしょうか……?」
いつの間にか踊りを止めて私の隣に来ていたイリアが、悲しそうな表情をヴァネッサに向ける。
なんとなくわかるのだけれど、イリアは本当に悲しいと思っているわけではない。
ヴァネッサの意図が他にあるのをわかっていて、からかっているのだろう。
「違うのよ、イリア。あなたの影はとても安心できる、居心地の良いものよ」
両手をあわあわと慌てさせながら、ヴァネッサはイリアを慰めようとする。
「では……どうぞ?」
自分の影に向かって、イリアは手を差し出す。
一瞬前までは悲しそうな顔をしていたのに、軽く微笑むイリアにはいたずら心が窺える。
「うぅー……」
差し出されたイリアの手と、私の顔を右往左往しながら、ヴァネッサは倦ねている。
「……まあ、そんなに私の影がいいなら、別にいいわよ」
私の助け船に、ヴァネッサは歓天喜地して意気揚々と乗り込む。
とぷんと私の影に溶け込んで、まるでそこが温泉であるかのようにため息を吐く。
「サナ様、ありがとうございます!」
嬉しそうに、本当に嬉しそうにヴァネッサは微笑む。
この笑顔が見られるなら、好きなだけ私の影にいていいと思った。
「えー……そんなにいいんですか? 私もサナさんの影に入りたいな」
しゃがんだイリアが、私の影を指でツンツンしながらそんなことを言う。
残念ながら、魔素の性質は眷属には受け継がれないらしいから、それはできないだろう。
「それは危ないわ、イリア。あなたには、この喉元に刃物が押し当てられている感覚に耐えられないでしょう。危険なのよ、サナ様の影は」
なんか……褒めているのだろうけど、愉快にはならないな。
私は、イリアに私の影の危うさを力説するヴァネッサの頭上に、火球を発生させた。
「――あぁんっ!」
その極小の高熱体は、一瞬だけ強烈に光を発してから、じゅっという音とともに消えていった。
私の影は光によって照らされて、そこにいるヴァネッサを悶絶させた。
短いあえぎ声をあげたヴァネッサは、私の影に沈んでいく。
ちらっと見えたヴァネッサの表情は、口元がだらしなく開いて、目がとろんとしていた。
「……いま、ピカッとして、むわっと熱かったです」
目をぱちぱちとさせながらイリアは立ち上がり、私に報告してくれる。
「――イリア、ヴァネッサの青い髪には、何色の花が似合うかしらね」
イリアの艶やかな黒髪だからこそ、向日葵の黄色が映えるのだ。
ヴァネッサの青みがかった髪には、どんな色が最適だろうか。
私は道の先に進みながら、イリアに聞いてみた。
「私は黄色も似合うとは思いますけど――いや、向日葵は私のものなので……白系統がいいのではないでしょうか」
私の隣に並びながら、イリアは考えながら喋る。
こんな感じで、三人で姦しく、私たちは旅を続けるのであった。




