第二話 お試しの魔法
「あ、水の音……」
森に入ってから二時間ぐらい歩いていると、前方から水の流れる音が聞こえた。
行ってみると、これから川になっていくのだろう、小さな水の流れがあった。
喉が渇いているわけではなかったけれど、木漏れ日が反射してきらきらと輝く水面を見ていたら、手の平で水を掬って飲んでいた。
「冷たい……」
なんとなく、気力が回復したような感じがする。
よし、まだまだ進んで行くことにしよう。
私の左斜め後方から、右斜め前に進んでいくように、水は流れている。
気づかなかったけれど、ここの辺りはちょっとした山になっているのだろう。
ちょうど川の下流の方に、レベルが高い存在が集まっているようだ。
「もしかしたら、人が集まるような場所があるのかも」
人が生きていくために、水は必要不可欠だ。
元の世界でも、文明は川の近くで発生してきたのだったと、学校の授業で習った気がする。
「人間がいたら、万々歳ね」
魔物でも、話が通じるならば当たりだろう。
話が通じない、私を見たら襲いかかってくるような魔物ならば……うーん、それでもいいかもしれないな。
とにかく、私は何かしらの刺激が欲しいのだった。
「まあ、行ってみるしかないかな」
私はさらさらと流れる小川に沿って、また歩き始めた。
それから、川の幅がだんだんと広がっていくにつれて、じわじわと空が暗くなっていった。
私が初めてサーチを使用したとき、どれほど遠くの存在を感じ取ったというのだろう。
最初の段階からは近づいているが、まだまだ距離があるみたいだ。
「今日中には、着かないな……」
これ以上進むのは諦めて、ここの辺りで寝床を確保するようにしよう。
疲れないなら走ったりしようかな、とも思ったが、どんな危険があるかもわからない。
それに、別に急いでいるわけでもないから、普通に歩いていたのだ。
辺りを散策してみると、元の世界では見たことのない、ふかふかの葉っぱを持つ植物が生えていたので、それを地面に敷いて即席のベッドにした。
そして、そこら辺に落ちている枝を組み上げて、ベッドの上に屋根を作る。
「おお、なんかいい感じ」
見栄えはあまりよくないけれども、寝るという行為に問題は生じないだろう寝床ができた。
「あとは……たき火かな」
キャンプみたいなのだと、だいたい火を起こしたりしているよね。
でも、あれって、寒かったり、獣除けのためとかの火なのかな。
いまは別に寒くもないし、この世界の私は熊がでてきたときに、のんきに寝ていても大丈夫な存在だ、おそらく。
たき火は、必要ないかもしれない。
しかし、火を起こす魔法が使えるならば使ってみたいが……うーん、森の中で失敗したら、大変なことになるし。
そんなことを考えていたら、森の中はすっかり暗くなっていた。
「……暗いから、夜です。夜になったから、寝ます」
私は、誰にともなく宣言して、作った寝床にぼふんと寝転ぶ。
体力的にはまったく疲れていないが、気持ちの方は……どうだろう、わからない。
「今日は、いろいろあったからなぁ……」
気付いたら女神の部屋にいて、異世界の森を歩いて。
今日の出来事を思い返しながら目を閉じると、私はすぐに夢の世界に入っていってしまったのだった。
目覚めると、まだ薄暗かったけれども、木々の葉の間から夜明けの紫がかった空が見えていた。
「……空の色は、同じなのね」
私は早起きが得意な人間――部活の朝練にも遅刻したことがないのだ。えっへん――なので、さっそく出発するための準備を始める。
とりあえず、立つ鳥跡を濁さずだろう、昨夜作ったベッドは、できるだけ解体してきれいにしておいた。
次に、着替え――といっても服はひとつしかないのだから、そのまま着ていくしかない。
「この服……なにか特別なものなのかしら」
アイリに授かったワンピースは、昨日、草原や森の中を歩き通したにも関わらず、ひとつの汚れもついていない。
下着も同様である。
「まあ……あれでも女神様なんだから、神のご加護みたいなものがあるのかな」
私は深く考えずに、ただ、なんとなく下着は洗いたかったので川でじゃぶじゃぶとしてから、そこら辺の枝に干しておいた。
そして、ワンピースも脱いで裸になった私は、ついでに川で水浴びをして、ゆらゆらと漂うことにした。
綺麗な紅く長い髪が川面に広がり、微かに届く朝の光を反射してきらきらと輝く。
ちなみにサーチを使っているので、周囲に誰もいないことは確認している。
しかし、外で裸になるのはなんとなく抵抗があるな。
……これ、アイリは見ているのだろうか?
なんとなく身体を手で隠して、空を見上げる。
紫色から曙色に染まりゆく、綺麗なキャンバスが広がっていた。
「見てるのかな……」
つぶやいて、私は水の中にぶくぶくと隠れる。
次に水面に顔を出したとき、空の色はすっかり曙色に変わっていた。
しばらくしたら、真っ青な絵の具で塗り替えられていくのだろう。
「たき火しておけば、よかったかも」
濡れた髪を乾かしたり、下着が乾くのを待たずに済んだかもしれなかった。
「もう明るいし、川もあるから……大丈夫かな」
もし火事になったとしても、すぐにわかるし、水も近くにある。
私は、火の魔法が使えるかどうかを試してみることにした。
川縁に立って、なんとなく川の流心に向かって手をかざす。
これ、何も起こらなかったら滑稽の極みじゃないかしら。
すっぽんぽんで、かっこよさげなポーズを構えている女子高生が、ここにいる。
「ファイア」
なにか言った方が魔法使ってる感じが出るなぁ、と思って私はつぶやいた。
すると、私が手をかざしていた方向の川の水が、大きな音を立てて爆発した。
静謐だった森の空気を、私が起こした水蒸気爆発の轟音が切り裂いていく。
静かな朝を迎えようとしていた小鳥などの小動物が、一斉に動き出したのがわかる。
「……それもそうか」
弾け飛ばされた大量の水が辺りにばらばらと落ちていく中で、私はひとりごちた。
物理現象は、元の世界と同じようだ。
私が発生させた火が川の水に触れたことで、一瞬で気化したのだろう。
魔法なんていうファンタジーが存在するのに、おかしな話だ。
幸いにも、森の木々に燃え移っているようなことはなさそうだ。
不幸にも、別に濡れていなかったワンピースがびしょびしょになってしまったけれど。
しかし、一度その魔法を使うと、頭の中で回路が繋がるかのようだ。
私は、自分の周りに火球をいくつか発生させる。
それをぐるぐると回しながら、徐々にそれらを合流させて、最後は龍のように炎を形作る。
「おお、自由自在ね」
サーカスで活躍できそうと思いつつ、私はファイア――火の魔法の呼び方だ。わかりやすいのがいいでしょ――を使用して、ワンピースとパンツを乾かす。
すっぽんぽんで乾燥機の役割を担いながら、服が乾くまで、私は魔法について考えてみることにする。
先ほどの水蒸気爆発によって、ひとつの仮説を立てることができた。
それは、魔法を使用するときにイメージの具現化が行われているのではないか、ということだ。
試しに、ぽんっと火球をひとつ生み出して、川に飛び込ませてみる。
それは放物線を描きながら水面に到達し、じゅっと音を立てて消えていった。
おそらく最初にファイアを使用したときは、私が、火は熱いもの、という想像を強く持っていたから、かなり高温の炎が発生して爆発したのではないだろうか。
現に、いまの火球は水に触れても爆発するほどの熱量ではなかった。
ただ、イメージすれば何でもできる、というわけではなさそうだ。
濡れた服を一瞬で乾かすことも、寂しいから目の前に誰か出てこいという願いも、どちらも叶うことはなく、不発だった。
まあ、これから少しずつ試していくことにしよう。
それに、街に着いたら、魔法について知っている人――魔物でも可――がいるかもしれないのだ。
そんなことを考えていたら、十分も経たないうちに、私は乾いた服を着ることができた。
「よし! 行こう」
まだ木々に隠れて太陽も見えていない時間だったが、私はさっそく出発することにする。
今日中に、誰かに会うことができればいいなと思うからだ。