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サナの人類救済の旅  作者: あおば
幕間 夢の続き
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あの日の記憶



 私が眠りから覚めたとき、目の前には見慣れていたはずの白い天井があった。

 普通のシーリングライトは、私がこの部屋を与えられたときからのものだし、隅の方が少し汚れているのも、いつも通りだ。


 ――あれ、私は異世界に転生させられたはずなのに。


 そう思って身体を起こして周囲を見渡すと、そこは元の世界の、私の部屋だった。

 シンプルなベッドは女の子らしくないし、ベッドの横にある勉強机にも、可愛らしい文房具が置いてあったり、なにかしらの装飾がされていたりはしない。


 この部屋が、かろうじて女の子の部屋だと判別できるのは、サイドボードの上に置かれた写真たちが理由だ。

 学校行事の集合写真とともに、友達と撮ったいくつかの写真が飾られていて、どの写真にも必ず写っているのが女の子――私だからだ。


 私は、寝ていたベッドから降りて、写真立ての中からひとつを手に取る。

 楽しそうな様子で、体操服姿の女の子や男の子が写っている。

 高校一年生の五月、体育祭のときにみんなで撮った写真だったけれど、なんだか遠い昔の出来事のように感じられた。


 そっと元の場所に写真立てを戻してから、私は部屋を出るためにドアに向かう。


 ドアノブの冷たさが手に伝わることはなく、気にせずにひねることができた。

 おかしいな、気温の低い季節には、おっかなびっくりしながら触れなければならなかったのに。


 廊下に出て、私は、向かいのお兄ちゃんの部屋のドアを開けた。

 中を覗いてみると、いつも通りに綺麗に整頓された部屋が広がっている。

 男の子の部屋は散らかっているものなんだよ、そう友達に教えてもらえるまで、私は男の子に対する間違ったイメージを持っていた。

 私にそれを植え付けたお兄ちゃんは、部屋にはいなかった。


 まあ、お兄ちゃんが部屋にいないのも、いつも通りだ。

 お兄ちゃんは、サッカーの強い高校に通っていて、その場所が少し遠い。

 だから、朝練の時間に間に合うように準備するために、同じく部活の朝練がある私より早く起きているのだ。

 おそらく、もう下の階で朝ご飯を食べ終わっている頃だろう。


 私はお兄ちゃんの部屋のドアを閉めてから、廊下を進んで、(きし)む音のしないしっかりとした階段を下りた。


 リビングの扉を開けると、お兄ちゃんと、お母さんがいた。

 お兄ちゃんはテーブルの横に立って牛乳を飲んでいて、お母さんは奥のキッチンでなにかしているようだ。

 百五十六センチと、女の子の平均よりもちょっと低めの私に対して、お兄ちゃんは百八十センチを優に超えていて、遺伝の法則とはなんぞやといった感じである。


 まだまだその法則に逆らう気概(きがい)を持っているお兄ちゃんは、ぐいっと牛乳を飲み干した。

 そして、リビングに入ってきた私に気付いて、朝の挨拶をした――ように思う。


 私は、ここで気付いた。


 ――ああ、これは夢だったのね。


 お兄ちゃんの口は動いているけれど、発せられている音は、私の耳に入ってこない。

 お母さんがキッチンに立っていて、なんの音もしないというのも、よく考えたらおかしかった。


 私は、夢を見るときに、音が聞こえないタイプの人間だった。

 これも、夢で総理大臣と(ののし)り合いの喧嘩したのよ、そう友達に報告されるまで、みんなそうだと思っていたのだ。


 お兄ちゃんが私の横を通って、リビングを出て行く。

 代わりに、お母さんがキッチンからリビングに出てきて、手に持ったお味噌汁のお椀を、テーブルに座る――お父さんの前に置いた。

 一瞬前まではそこにいなかったはずのお父さんと、その隣の椅子に座ったお母さんが、微笑ましそうに二言三言会話を交わす。

 結婚して二十年以上が経っているはずなのに、夢の中でまで仲睦(なかむつ)まじいことだ。


「ごめんね……」


 私のつぶやきが届いたのか、お母さんとお父さんが私の方を向いた。

 しかし、夢の中なのに、声を発してしまったことがいけなかったのかもしれない。

 四十代夫婦のいちゃいちゃ朝の食卓が(かすみ)のように溶けていき、やがて私の視界は真っ白な光に埋め尽くされる。


 起きなきゃいけないようだ。

 なにかに、呼ばれた気がした。






 目を開けると、そこは古ぼけた石造りの部屋だった。


 私は、その冷たい床の上に敷いた毛布に寝転がり、別の毛布に(くる)まって寝ていたようだ。

 寒いわけではなかったけれど、超絶美少女有能メイドのイリアが、私を気遣って用意してくれたので、ありがたく使わせてもらっていた。


 寒さを感じないのは、別に私の身体が強化されているからというわけではなく、もともとこの辺りの気候が温暖だからだ。

 たぶん、元の世界の気温で言えば、セ氏二十度ぐらいだろうか。

 毛布を用意したイリアも、同じように私の隣で毛布一枚で寝ている――はずなのに、そこには抜け殻となった毛布だけが残されていた。

 この殺風景な部屋に、ひとつだけある窓から外を見ると、まだ夜といっていい時間だった。


「イリア……?」


 私の小さな呼びかけは、なにもない部屋の、味気ない石の壁に当たって消えていく。


 昨日、吸血鬼の街を旅立ったばかりだった。

 イリアは、慣れない外の世界に疲れたようで、ぐっすり眠れそうです、と言って毛布に包まったのだ。

 それでも、夜中に目が覚めてしまったのだろうか。


 私たちが寝ている間、周囲の警戒をしてくれているはずのヴァネッサも、部屋の中には見当たらない。


「どこに行ったのかな……」


 サーチを使ってみると、イリアとヴァネッサが外に、一緒にいることがわかった。


 私は、私の体温が移った毛布を羽織りながら、立ち上がった。

 いくら寒くないとはいっても、もう一度温め直すのはなんとなく手間だから。

 決して、微かにイリアの香りがする毛布を手放したくなかったわけではない。決して。



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