第一話 巨大樹の森
アイリの部屋にいたときから、どのくらい時間が経ったのかは、わからない。
もしかしたら、一瞬のことだったのかもしれない。
私が目を開けると、目の前には草原が広がっていた。
ほとんどが私の腰にも届かない長さだけれど、様々な種類の草や花が生い茂っている。
後ろを振り返ると、同じような光景が、ばーんと空と大地の境目まで続いていた。
「……大地の起伏とか、ないのかな」
なかなか、地平線までずっと同じ――永遠と草原が広がっている――なんていう地形は見られないだろう。
やっぱり、ここは違う世界なんだな、と私は思った。
「とりあえず、アイリは街があるみたいなことを言っていたから……」
見知らぬ世界に、ひとりぼっちは、なかなかに寂しい。
言葉を発してみても、当たり前だけれど虚しいだけだ。
先ほどまではアイリが一緒にいたから、家族のことなどを考えずに済んでいたが、独りになったら話は別だ。
なるべく早く、人に会ってお話をしたい。
「どっちに行けばいいの……?」
そうつぶやいても、返事をしてくれる者はいない。
世界がゲームのようなものなのだとしたら、説明をしてくれる案内人みたいなのがいてもいいのではないだろうか。
まあいいか、とりあえず適当な方向に行ってみよう。
そう思って、足を踏み出そうとしたときに気づいた。
どう言えばいいのだろうか、元の世界ではなかった感覚がする。
「気配……かな」
足を向けていたのとは反対の方向から、なにかがいるような雰囲気が感じ取れる。
上手く言えないが、その感覚にピントを合わせるように集中すると、生き物の気配がわかるようだ。
私の周囲には虫なのか小動物なのか、草原に生きる小さな存在たちを感じる。
そして、かなり遠くだから、なんとなくしかわからないけれども、大きな存在が集まっているところがあった。
「魔法みたいなもの、なのかしら」
うん、これから不思議なことは、ぜんぶ魔法だと思うことにしよう。
元の世界ではありえなかったことでも、ここでは起こりうるかもしれないのだ。
アイリは、レベルがどうこうみたいなことを言っていた。
だから、大きく感じる存在というのは、レベルが高い何か――人間で強いのはやられちゃったらしいから、たぶん魔物――がいるということなのかもしれない。
頭に入ってくる情報の多さが慣れなかったので、私は気配の魔法を止めて、大きな存在を感じた方向に歩き始めた。
「気配の魔法って名前だと、かっこ悪いよね……」
おそらく一時間ぐらい歩いているが、ずっと同じ、草原の景色が続いていた。
私は魔法のネーミングを考えながら、のんびりと歩いていた。
「ゲームとかやっていれば、そういう効果のある魔法の名前とか知っていたかもしれないのに」
小さい頃からお兄ちゃんの後を追って、外を駆けずり回っていたので、あまり室内で遊ぶということに縁がなかったのだ。
ちなみにお兄ちゃんは、サッカーでインターハイに出場するぐらいのサッカー大好き好きくんだ。
「今度の試合、観に行きたかったなぁ……」
おっと、また郷愁の念がでてしまっていた。
私は頭をゆるゆると振って、その思いを頭から追い出す。
この一時間で、私について、いろいろなことがわかったのだ。
それについて、考えることにしよう。
まず、まったく疲れない。
まあ、一時間ぐらい歩くのだったら、元の世界の私でも楽勝だったと思う。
しかし、疲れないというならば話は別だ。
歩き続けてはいるが、身体の状態はほとんど最初のままだ。
そして、こんなところを裸足で歩いていれば、どこかしら切ったり、足の裏を痛めたりしそうなものだが、それもない。
ちなみに、私が裸足なのは、アイリが靴を用意してくれなかったからである。まったくもう。
部屋の中にいた格好のまま、アイピアに降り立ったのだ。
私も考えが及んでいなかったから、仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
話を戻すが、痛みを感じないとかそういうわけではなく、どうやら草花や小石が私を傷つけるレベルに達していないように思える。
アイリが言っていたように、私の五百八というレベルは、この世界では卓越しているのかもしれない。
こぶし大ぐらいの石を見つけたときに、ちょっと自分の力を試してみた。
普通に持つことはできたのだが、少し意識して力を加えたら、その石は私の手の中でさらさらの砂になってしまった。
アイピアの石が脆いのでなければ、フライパンを曲げてどや顔しているレスラーもびっくりの怪力だ。
この力に合わせて身体がむきむきになったりしなくて、本当に良かった。
最後に、気配の魔法以外の魔法についてだけれども。
さらさらになった石を見て、怖くてまだ試していない。
もしかしたら魔法的な何かが使えるのかもしれないというのは、ゲームをよく知らない私でもわくわくするようなことだろう。
でも、力が調節できないかもしれないと考えて、とりあえず止めておくことにしたのだ。
私の好奇心が大きくなって檻をぶち壊して出てきたときに、試してみることにしよう。
「――おお、でっかい森ね」
そんなことを考えていると、地平線の先に樹が立ち並ぶように広がっているのが見えた。
ちなみに、視力も良くなっている。
元々、眼鏡やコンタクトは必要なかったのだが、さすがに地平線までよく見えるということはなかった。
サーチ――いま考えた、気配の魔法の名前だ。アイリには安易だと笑われそうだが――を使ってみると、まだかなり遠いけれども、あの森を抜けた先に大きな存在が集まっているのがわかる。
この魔法は、距離が近ければ近いほど、より正確な情報がわかるようだ。
とりあえず、あの森まで行ってみることにしよう。
森の始まるところって、なんて言えばいいんだろう。
まあ、そんなところまで、私は来たのだった。
「すっごい樹……」
草原の草や花にも見たことなさそうなものはあったのだが、この森の木々は、確実に元の世界には存在していなかったと言えるだろう。
人間が十人ぐらい手を繋がないと、ぐるっと一周することはできないだろう幹を持った樹が、この森にはごまんと生えている。
あれ? このぐらいの樹だったら、元の世界でもあるのかな。
うーん……とにかく、私は見たことがなかった。
ここは、文字通りの巨大樹の森のようだ。
太陽――太陽に似ている同じような役割のもの、と正確には言うのだろうけれど――の光は、森の地面までは届いていないため中は薄暗く、生き物の気配もあまりないようだ。
「まだ、日暮れまでは時間がありそうね」
太陽の位置を確認してみると、天頂から少し傾いているぐらいか。
まあ、この世界に夜があるのかはわからないが、すぐに暗くなったりはしないだろう。
私は、巨大樹の森に足を踏み入れていった。
入ってみてわかったが、地表にはいないが、地中にはかなりの数の生き物がいるみたいだ。
サーチを使うと、それなりにレベルが高いものもいるみたいだ。
確かに巨大樹の落ち葉は、一枚が私ぐらいの大きさで、それが幾重にも積まれて層を形成している。
ミミズにとっては、ごちそうの山、ないしはごちそうの森だろう。
ここにいるミミズが私の知っているミミズかどうかはわからないが、深く考えるのは止めておこう。
これ以上考えると、背中がぞわっとしてしまう。
にょろにょろしているのは、好きではないのだ。
あとは、たまに巨大樹が倒れているところがあり、そこは陽光が地面に届くことにより、様々な植生を持つ空間になっていた。
ジャングルみたい、というのが正しいかどうか……南国の植物園にいるかもしれない、と思うような植物が繁茂している。
巨大樹は、腐り朽ちて倒れたものや、焼け焦げた跡が見て取れるものがあった。
この世界にも、落雷や火山の噴火などがあるのかもしれない。
文字通りの大自然を、私はきょろきょろと周囲を観察して、楽しみながら進んでいくのだった。