第十四話 手を取り合う未来
吸血鬼が人間の血を吸うとき、まさに蚊のように、代わりの魔素を注入するらしい。
それによって、人間は眷属にさせられてしまうと、ヴァラドから聞いているけれども。
「実際、血を吸われるのって、デメリットあるの?」
まだぽかんとしているエリザベートを無視して、隣にいるヴァネッサに聞いてみた。
眷属になると身体能力も上がるから、そんなに悪いことでもないように思われる。
「でめりっと?」
ヴァネッサがきょとんと首を傾げる。可愛い。
「人間にとって、良くないことはあるの?」
言い直した私の言葉を聴いて、ヴァネッサは腕を組んで考える。
「うーん……一度に血を吸われすぎると、死ぬこともあります。ただ、基本的には、身体中の血液の四分の一ぐらいでお腹いっぱいになるので、私たちが殺そうと思って吸わなければ、大丈夫だと思います」
人間の血液は、体重に対して十パーセントぐらいだっただろうか。
確かに、一リットルぐらい飲んだら、お腹も満たされそうだね。
「あとは、新しい血の生成を待たずに血を吸われると、生命の危険があります。期間を何十日か空ければ、血は入れ替わっているので平気ではないでしょうか」
吸血鬼の人数に対して人間は千人もいるということを考えると、定期的にローテーションして、気をつけて血をあげれば大丈夫……なのかな。
「ふむふむ……眷属っていう状態については?」
「はっ! えーと……」
ヴァネッサは、かなり真剣に考えて話してくれている。
目を閉じて少し顎を上げている、いまのヴァネッサの表情は、キスをする三秒前といった様子で私の心をざわめかせたけれど。
「眷属は、私たちの魔素が血液の代わりをしている状態です。それ自体に害はなく、逆に魔素から魔力を得ることができます」
なるほど、だから眷属は身体能力が向上するのかな。
もし魔力で身体能力が向上するのだとしたら、私が疲れなかったり、しゅばしゅばと速く動けることにも、説明が付く。
「ただ、当たり前ですが自分の魔素なので、眷属がどこにいるのかわかります。魔素を介して眷属を操る――チャームをかけることも可能です」
ヴァネッサは、嘘をついていたりはしないだろう。
うーん……だから可愛いのだけれども、いま正直に話してしまうと、人間たちが血を提供するのをしり込みするかもしれない。
「じゃあ、吸血鬼が魔法を使わなければ、問題ないじゃない。それに、あなたたち吸血鬼は、血を飲むことで体調の変化に気づけるのでしょう? 人間にとっては、健康診断になって、いいと思う」
私は、半ば無理矢理にポジティブな要素を挙げてみたのだけれども。
実際のところ、眷属になることは人間にとって、あまり悪いことではないのではないだろうか。
これからのことを考えると、身体が強くなっていた方が、なにかと便利だし。
「お互いの要望をまとめると、吸血鬼は人間に危害を加えてはいけない。ただし、人間たちは健康である範囲内で吸血鬼に血を提供すること――」
私は、口をとがらせているエリザベートに聞いてみることにした。
意外と、子どもっぽいところがあるみたいだ。可愛い。
「エリザベート、それでいいかしら?」
「どうして私に聞くの……まあ、それでいいわ」
ふてくされたまま、エリザベートは私の言葉に同意する。
おそらく、ヴァラドのことを本当に大切に想っているのだろう。
エリザベートがルールを違えることはない、と思う。
「リースさんは、それでいいですか?」
私は、向かいのリースさんに目線を移す。
「……念のため、血を吸われるのは、大人だけに限定してほしい」
元の世界では、子どもでも血液検査とかで血を抜かれることもあっただろうから、大丈夫だとは思うけれど。
まあ、心配をするのが普通か。
「吸血鬼たちがそれで事足りるのであればいいと思いますが、その辺りの細かい話は後にしてください」
「後……? ああ、わかった」
リースさんは、とりあえずといった感じで頷いてくれた。
正直に言うと、いま私は、けっこう眠い。
吸血鬼と人間の話し合いの土台になる柱を立てたら、後を任せてお休みしたいのだ。
「先に、吸血鬼が間接的に人間を傷つける――ということの定義を話しておきたいと思います」
さっきは、エリザベートのしなやかな指先に、話を遮られたからね。
「例えば、他の魔物がこの街に襲撃に来たときに、人間が傷ついたり死んだりしたらダメです」
「なっ! 私たちに人間を守れということか?」
エリザベートが腰を浮かしかけながら、抗議の声を上げる。
「吸血鬼は、一呼吸したら約束を反故にするような種族なの? あなた、それでいいって言ったじゃない」
「いいとは……言ったけど……」
すねたように口をとがらせて、エリザベートは腰を椅子に落とす。
「まあ、人の話は最後まで聞くことね」
だまされないためには、ちゃんと契約書はすみずみまで見ないといけないのだ。
高校生になってスマートフォンを買ってもらったとき、お父さんに、それの契約書をよく読むようにと渡された。
私は適当に返事をしながら、それを受け取った。
数週間後、ちゃんと契約を守っているか、とお父さんがにやにやと聞いてきた。
もちろん、と答えてから、私は机にほっぽっていた契約書をよく読んでみた。
すると、下の方にお父さんの字で、ちゃんと勉強もすることを誓います、と書いてあった。
……まあ、意味があったのかはわからないけれど。
一年もしないうちに死んでしまうとは思わなかったから。
「えーと、他の魔物からも人間たちを守るようにって言ったかしら」
お父さんの姑息な思い出は置いておいて、話の続きをしよう。
両隣のイリアとヴァネッサが、同時に頷いた気配が伝わる。
「そのために、ある程度は人間も強くないといけないと思います」
エリザベートも他の吸血鬼たちも、私の話をちゃんと聞いてくれているようだ。偉いえらい。
「だから、吸血鬼たちは、人間を強くするあらゆる努力を惜しまないようにしてください。魔法を教える、戦いを教える、はたまた農作業を手伝う――人間の強化に繋がるものに対する協力を拒んではいけません」
私が続きを話さないことを確認してから、エリザベートはすっと美しい手を挙げた。
「はい、エリちゃん」
「なっ――勝手に愛称で呼ぶな!」
エリザベートって貴族みたいで綺麗な名前だけれど、何回も呼ぶには長い。
だから短く呼んだのだが、お気に召さなかったようだ。
いや、これは……照れているだけと見られる。
「まったく、えーと、こほん……なんだ貴様ら、見るな」
エリザベートは、人間たちと、隣にいる吸血鬼たちにも噛みつく。
「見るなって、エリちゃんが手を挙げたのだから見るでしょう」
私の指摘に対して、エリザベートは納得いかないと頬を膨らませる。
「……百歩譲って、魔法や戦いを教えるのはわかる。だが、どうして人間どもが食べるものを、私たちが育てなきゃならないんだ」
少し顔が赤くなっているエリザベートが、不機嫌そうに言う。
まあ、魔法や戦いについて納得してくれたなら、別に農業はいいんだけどね。
私の存在は、この世界ではイレギュラーだ。
もし、数十年後、私がいなくなったときに、人間たちが魔物たちよりも弱かったら、また現在の状況に逆戻りしてしまうかもしれない。
そうならないために、人間たちの能力を底上げしておくことが必要だ。
特に、この街は人類復興の拠点として、その役割を担ってもらわなければ困る。
だから、吸血鬼たちが人間に魔法や戦いを教えてくれれば助かるのだ。
「でも、農業もやってくれるなら、それはそれで……」
「ん? なんだ?」
おっと、考えが口をつぶやいてしまっていたようだ。
エリザベートは、怪訝な視線を私に向けている。
「吸血鬼も、人間も、食べなければ死んでしまうというのは同じでしょう? エリちゃん、私がこの街に戻ってきたときに、もし飢饉で街の人間が全滅していたら……?」
「それは……そういう運命だった、ということだろう。それが嫌ならば、努力して作物を育てるとかすればいいんだ」
うん、エリザベートが言っていることは間違っていない。
自然災害にしろ戦争にしろ、食糧不足は事前の準備である程度防げるだろう。
しかし、そういうことではないのだ。
「エリちゃん、私が言いたいのは、私が、どう思うのか――ということよ」
この街から人間がいなくなっていて、事実はどうあれ、私は吸血鬼を許せるだろうか。
約束通りに、ヴァラドを解放してあげられるだろうか。
エリザベートは察しがよかったようで、悔しそうに唇を噛んでいる。
「くっ……わかった、なんでも手伝うようにします」
そもそも、人間がいなくなったら吸血鬼も血が吸えなくて困るだろうに。
エリザベートは、ヴァラドを交渉の要素にされたら、断れないようだ。
「――さて、人間のみなさん」
私は人間の側に向き直り、一人ひとりの目を見ながら話す。
「いまの話のとおり、吸血鬼たちは人間のために、いろいろなことをやってくれるそうです」
異なる種族、敵対していた関係だったということを考えると、戸惑うことも多いだろうと思う。
「では、人間が吸血鬼の上に立つ存在なのか……それは、違うのではないかと、私は思います」
吸血鬼の支配を受けていたからこそ、人間たちは、対等であることの大切さを理解してくれていると信じたい。
「あなたたちが賢明で、謙虚であることを願っています」
私の言葉に、人間たちはそれぞれ頷いてくれた。
リースさんなんかは、力強く頷きすぎて首が一回りぐらい大きく隆起していた。
「――じゃあ、私はこれで。イリア、ヴァネッサ、後はよろしくね」
帰りの会が終わった瞬間に教室から姿を消すがごとく、私は踵を返して部屋を去ろうとする。
だって、眠いんだもん。
「えっ、どこに行くんだ?」
しかし、リースさん――空気が読めないむきむきの塊、早く寝かせなさいよ――が私を呼び止める。
「……人間は、夜は寝るものなんですよ」
少しのいらいらと欠伸をかみ殺しながら、私はリースさんに返事をする。
「っ! そう、か……そうだったな」
リースさんは何度か頷きながら、納得してくれたようだ。
それにしても、一瞬びくついていたけれど、私はそんなに苛立ちを表情に出していたのだろうか。
「サナさん、お休みなさい」
イリアが、綺麗で完璧な角度のおじぎを見せてくれる。
艶やかな黒髪は短いながらも、重力に従って顔の横に流れる、可愛い。
「サナ様、お休みなさいませっ」
ヴァネッサは、勢いよく小さな頭を下げる。
顔の横で結ばれた青みがかったツインテールが、その勢いを表すかのように跳ねる、可愛い。
眠気による私の不機嫌は、二人の天使によって浄化され、天に召されていった。あーめん。
「うん……みんな、仲良くしなさいね」
私は欠伸を我慢しながら微笑み、会議室の扉をぎぎっと開ける。
廊下に出た私は振り返り、扉を閉める――瞬間に、部屋の中をちらっと見て、二人の天使の姿を目に焼き付けたのだった。




