第十三話 むきむきな慟哭
「あんた、どうしてここに……? いや、いったい何がどうなっているんだ?」
吸血鬼たちに、眷属の中からひとりずつを選んで連れてきてもらったのだが、その中にいたリースさんの言葉だ。
リースさんはむきむきまっちょな男性だから、絶対にヴァネッサの眷属だろう。
そう思って、ヴァネッサを見ると、ヴァネッサが私の視線に気付く。
「サナ様とお話ししたことがあると言うので、こいつを選びました」
「リースさん」
私が無礼を指摘すると、ヴァネッサは、すぐに私の意図を理解したようだ。
びしっと気をつけをして、素直な吸血鬼さんは、言い直す。
「リースさんを、選びました」
偉いわね、とヴァネッサの絹のような青髪を撫でると、ヴァネッサは猫みたいに嬉しそうに目をつむった。
私とヴァネッサを交互に見ながら、リースさんは口をぽかんと開けている。
街から出て行ったはずの私が吸血鬼の城にいて、自分を出迎えてなおかつ吸血鬼をペットのように扱っているのだから、混乱するのもわかる。
「えーと……とりあえず、みなさん座ってもらっていいですか?」
この会議室に集まった、ヴァラド以外の吸血鬼八人、それぞれの眷属代表者八人、吸血鬼の召使いだった六人、全員に声をかける。
「あら……椅子が足りないかもしれないわね」
少し余裕を持たせて二十脚を用意していたのだけれども、メイドさんたちを呼んだから足りなくなってしまったようだ。
私たちは立っています、というメイド精神を見せてくれる女の子たちに、無理やり座ってもらう。
この場に、尽くす尽くされるの関係があってはいけないのだ。
「ヴァネッサ、あとイリア。あなたたちは司会者として、私の横に来てもらっていい?」
この二人は、もう私の身内――ということに私の中では認識されている――だから、例外だ。
広間の扉を背にして、長机の短い辺に立つ私の隣に、ヴァネッサとイリアがとてとてと歩いてきて並ぶ。
これで、ちょうど全員が席に着くことができたはずだ。
吸血鬼は吸血鬼、人間は人間で座る場所が固まっているけれども、まあいい。
すべては、これからだ。
「さて、みなさんに集まってもらったのは、この街のこれからを話し合ってもらうためです」
ヴァラドがいる玉座の間ほどではないけれども、この会議室もなかなかに広い部屋だ。
お腹に力を入れないと、声が通らない。
小学校の学級会を思い出しながら、私は話を続ける。
「聞いているとは思いますが、吸血鬼たちは、人間と仲良くしようと考えるようになりました」
私の言葉に、人間たちがざわざわとする。
エリザベートをちらりと見ると、腕を組んで静かに黙っている。
あいつも胸がわりと大きいな。女神様に願っておかなければ。
「ただ、その事情を作ったのが、いちおう私なのですが……私は、この街に長くは滞在しません」
人間たちのざわざわが、ぽこぽこぽこと増大する。
驚きと不安がいり混じる表情や声を、人間たちは浮かべている。
「だから、私がいなくても仲良くしてくださーい……というのも、難しいですよね」
人間たちと吸血鬼たち、それぞれを見渡すがどちらも、どう返答すればいいかといった様子だった。
「そのためのルール作りを、行いましょう――リースさん」
「なっ……なんで、しょうか?」
突然名前を呼ばれたリースさんは、狼狽えつつも返事をする。
なぜか怯えられているのだけれど、どうしてだろう。
「敬語じゃなくていいですよ」
私が微笑むと、リースさんは困ったように笑った。
むきむきの筋肉の強ばりも、多少和らいだようだ。
「リースさん、あなたが、吸血鬼たちに望むことはなんですか?」
私の問いに、リースさんは隣に座っていた男の人――真面目な好青年って感じ――と顔を見合わせる。
「えっと……俺が望むこと、なのか? みんなで相談してはいけないのか?」
今度は反対側の隣に座っていた女の人――優しそう、髪さらさら――の方を見てから、リースさんは私に聞く。
「時間短縮です。もし異論がありそうだったら、その人にも聞きます」
私の返事を聞いたリースさんは、もう一度周りの人間たちを見る。
他の人たちが頷くのを確認して、リースさんはむきむきな腕を組みながら目を閉じて考えはじめた。
「いまの素直な気持ちが知りたいので、あまり考えすぎないように」
リースさんは、目を閉じたまま頷いてくれた。
腕を組むと、むきむきが、むきむきの二乗になるなぁと私が思っていると、リースさんはゆっくりと目を開ける。
険しい顔で、リースさんは私に向き直る。
「考えてみたが……いいか?」
私が、どうぞ、と手を差し出すと、リースさんは一呼吸置いてから、話しはじめた。
「俺は、生まれたときから……ずっとこんな状況だった。虐げられるのが、当たり前だったんだ」
リースさんは、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「だから、隣に住んでいた友達が急にいなくなっても、親が殺されて家に独りになっても……仕方ないことだと、思っていた」
リースさんの言葉には熱が加えられていき、高いエネルギーを帯びたものになっていく。
その熱は、触れたら火傷では済まないほどだ。
調停者である私は中立を保つため、感情を防火扉の手前に避難させておくとしよう。
「だが……カーリャが――娘が、殺されたと聞いたとき、初めて、世界の理不尽さを呪った……!」
リースさんの発する熱量を、エリザベートたちはどう受け取るのか。
吸血鬼たちは、実際のところの感情はわからないけれど、目を逸らさずにリースさんの話を聞いているようだ。
「俺は……ヴァラドを、ぐちゃぐちゃにして! 殺してやりたかった! 娘と同じ目にあわせて……あわせて……!」
リースさんは顔を覆い、慟哭の涙を溢れさせる。
人間たちは、リースさんの話を聞きながら、静かに泣いているのが多い。
「――では、リースさんが吸血鬼たちに望むのは死、ですか?」
私の言葉に、吸血鬼たちが色めき立つのを感じる。
隣に立つヴァネッサは、違う感情で色めき立ったようだが。
殺されるかもしれないってのに、嬉しそうに私を見るんじゃない。
「……そんなこと、できるのか……?」
顔を覆っていた手を下ろして、セミの抜け殻のようなリースさんが私に問いかけた。
私が返答しようと口を開きかけたところで、リースさんは遮って言う。
「いや、意味がない……カーリャが、帰ってくるわけでもないんだ……」
一度ぎゅっと目をつむってから、リースさんは目を開ける。
その目には、なにか強い意志の光のようなものを感じた。
「俺は、子どもたちが、理不尽に傷つけられることがないようにしてほしい」
リースさんは、吸血鬼たちを見つめて、はっきりと話した。
他の人間たちは、リースさんの発言に対して、なにかを言う気配を持っていない。
確かに、当たり前に保証されるはずの権利だけれど、リースさんたちにとっては、自然には存在していなかったのだろう。
「ふむ……では、吸血鬼たちは、今後一切人間に危害を加えることを禁止します。直接的なものはもちろん、間接的なものも同様です。間接的というのは――エリザベート、どうぞ」
話の途中だったが、エリザベートが挙手をしたので、発言を許可する。
上げた手が美しくて、私の目を引いた。
「私たちは、人間の血を吸わなければ生きていくことができないのだが……」
なるほど、危害を加えることを禁止されたら、それはイコール死、ということになるのか。
「じゃあ、吸血鬼が人間に望むことは、血を吸わせてほしい、ということ?」
私の言葉に、エリザベートは怪訝そうに眉をひそめる。
なんだ? 私は、なにも変なことを言っていないけれども。
「私たちの要望も、聞いてくれるのか?」
「当たり前でしょう。そうでなければ、話し合いではなく、一方的な勧告になってしまいます」
私は、絶対的な人類の味方、というわけではない。
しかも、明日か明後日には、この街を去るのだ。
吸血鬼側も、納得するような話し合いの結果をもたらさなければいけないだろう。
「それで? あなたたち吸血鬼は、血を吸いたい、が望みでいいかしら?」
「ちょ……ちょっと、待ってもらってもいい?」
エリザベートは、両手の指先をちょんちょんと合わせながら、なにやら考えているようだ。
美人がそわそわと慌てているのを見て、私の嗜虐心がくすぐられる。
ちょっと、いじわるしよう。
「さん、にぃ――」
「っ! えっと、えと……ヴァラド様を、解放して!」
私が三本立てた指を折りながらカウントダウンすると、エリザベートは取るものも取りあえず言った。
まあ、エリザベートの想いを考えると、その願いになるのだろうけれど。
「うーん……それはダメだから、血の提供にするわね」
私に一番の望みを却下されて、エリザベートは口を開けたまま呆然としている。
ヴァラドを質に入れておかないと、吸血鬼たちが約束を守る必要がなくなるのだから、可哀想だけれどダメだ。
でも、その妖艶とした口元をあんぐりとさせているエリザベートは、可愛かった。