第十二話 傾国のお茶会
イリアが落ち着いてから、私とイリアは隣の物置部屋から机をもう一台持ってきて、会議の準備を終えた。
会議室然とした広間には、二台の長机が縦に置かれて、そこに付随するように椅子がずらーっと並べられている。
「そういえば、ここで働いているのは、イリアだけではないんじゃない?」
吸血鬼の居住区の丘には、この城の他にも、いくつかの城があったはずだ。
サーチにも、小さいけれども、いくつかの反応が感じられる。
「はい、この城で仕えるのは私だけですが、それぞれの城にひとりずつは召使いがいます」
そうだよね、この城だけでもかなりの大きさを誇っているようなので、ひとりで管理するのは難しいと思う。
「じゃあ、吸血鬼と人間の話し合いに、参加してもらおうかな」
吸血鬼たちのそばで働いていたなら、言いたいこととかもあるだろうし。
「わかりました。では、呼んで参ります」
イリアは仕事のできるメイドさんなので、すっと礼をして、さっと部屋を出て行こうとする。
しかし、なんかさっきくっついていたせいか、私は人恋しくなってしまっていたので、イリアと離れたくない。
「ちょっと待って、一緒に行くわ」
イリアの素早い動きに先回りして、私は広間の扉を開ける。
「そんな、サナさんにお手間を取らせるわけには……」
私を止めるように、イリアはとてとてと歩み寄ってくる。
その差し出された手を取り、イリアを広間の外へと誘い出す。
「いいから、いいから」
イリアのすべすべとした手を握ったまま、私は廊下を進む。
ちらっとイリアを見ると、なにやらはにかんだ表情で俯きながら、黙って私についてきていた。
「あなたたち、その服、お揃い? 可愛いわね」
イリアと一緒に集めてきた、他の城に仕える召使いさんたちとお喋りしながら、人間の代表者たちが来るのを待つ。
よく考えたら、今まで悪かった一緒に来てくれって言われても、すんなりと、はいそうですかとはならないだろうな。
でも、必要なコミュニケーションのはずだ。
吸血鬼たちが、その絶対的な能力に頼らずに要望を伝えて、人間たちが過去の因縁を踏まえた上で信頼して受け入れる。
一朝一夕で成せることではないだろうが、一歩ずつ進めていかなければならないだろう。
私は、イリアを筆頭に、可愛い女の子たちとのお茶会を楽しんでおくこととしよう。
「イリアさんが、全員の服を作ってくれたんですよ」
メイド服の肩のところを両手でつまみ上げながら、女の子のひとりが言う。
吸血鬼たちのところで働いていたのは、イリアを除いて五人だった。
最初は、吸血鬼たちの支配がなくなったことを信じられなかったようだが、イリアが丁寧に説明してくれた――美味しい紅茶も淹れてくれた、好き――おかげで、五人は落ち着いていて、笑顔を見せてもくれている。
みんなが同じエプロンドレスを着ていたので、メイド喫茶ってこんな感じなのかしら、と思いながら、私は聞いてみたのだ。
「作ったといっても、もともと完成していたものを少し縫い合わせただけです……」
恥ずかしそうに、でも少しだけ嬉しそうにイリアは照れる。
「すごいじゃない。私、針なんて学校の授業でしか持ったことないわ」
しかも、何かを縫って作れなんて言われても、おそらく上手くできないだろう。
ミシンの使い方だって、忘却の彼方に消え去っている。
「学校……」
女の子のひとりが、思わずといった様子でつぶやく。
おとなしいのか、あまり会話に入っていない子だったから、喋ってくれて嬉しい。
「ごめんなさい、この街には、学校はなかったかしら?」
つぶやいた女の子に聞いてみると、その子は恐縮という言葉どおりに肩を縮めて喋った。
「いえ、あるにはあるんですけど、たまにしか集まらなかったですし、縫い物を教えてもらったりはしなかったので……」
吸血鬼に支配されたこの街では、教育の意義が薄かったのだろうか。
確かに、将来に希望を見いだせないのに、がんばって勉強をするかというと、しないかもしれない。
「この街の学校では、どのようなことを勉強するの?」
私の質問に、みんなが顔を見合わせる。
私みたいに、勉強したことを覚えていないというわけではなく、誰が答えようかしらといった様子だ。
けっきょく、イリアが私の方を向いた。
「小さい頃は、読み書きを勉強します」
うん、文字が読めないと他の勉強が進まないから、はじめは言語の学習からだろう。
あんまり覚えていないけれど、小学校一年生の時間割なんて、ほとんど国語だった気がする。
「それが終わったら、吸血鬼との接し方を学びます」
うん? この街ならではの教科が、いきなり現れたようだ。
「算数とか、やらないの?」
この街は商業都市だったという話だから、アイピアにお金という概念が存在しないわけではないよね。
まあ、吸血鬼に支配されてから、人間たちの貨幣制度は崩壊してしまったのかもしれない。
けれども、せめて四則計算ぐらいはやっておかないと、日常生活に支障がでるのではないだろうか。
「学校では、やりません。算数は、家で父や母に教わることはありましたが」
なるほど、たまにしか集まらないということであれば、学習の場のメインは、それぞれの家庭になるのか。
「その……吸血鬼との接し方? それが一番大切だったってことね」
イリアは、私の言葉に頷く。
他の女の子たちも、イリアの首にリンクしているのか、同じように首を動かしていた。
「実際、学校で吸血鬼学――あっ、私たちはそう呼んでいるんですけど、それを教えるようになってからは、殺される子が激減したと聞いています」
「へぇ……にんにく料理のレパートリーとか教えてくれるのかしら」
それか、とっさに両手で十字架をポーズするやり方とか、聖水の調合方法とか。
「にんにく?」
私の冗談を、イリアたちは真に受けてきょとんとする。可愛い。
なんでもない、と言うように私が手を振るのを見て、イリアは続きを話す。
「吸血鬼学では、基本的な言葉遣いやしぐさを学び、それから禁止行為の確認を行います」
「禁止行為?」
ヴァラドは吸血鬼って呼ばれて怒っていたから、そういう類いのものなのだろうか。
「うーん……例えば、ヴァラド様と接するときは、ある程度怯えているのが好ましいので、気丈に振る舞ってはいけない、とかです」
なんだそれ、そんな性癖の暴露大会みたいなことを人間たちがやっていると、ヴァラドたちは知っているのだろうか。
もし私がそんなの開催されていたら、恥ずかしくて主催者を簀巻きにして木に吊るしていると思う。
「あー、そうそう! ヴァラド様関連は、本当に面倒くさかった」
イリアの挙げた例に、他の女の子が食いつく。
クラスのギャルギャルしい子が、授業かったるーいって言うのと同じテンションだったから、少し懐かしさを感じた。
「ヴァネッサ様は、あんまり人間に興味ないみたいで。逆に、ヴァラド様はどんだけ私たちのこと好きなんだよって感じ」
「ね! 見た目がかっこよくなかったら、ただのイタいやつだったよね」
女の子たちはきゃいきゃいと、吸血鬼たちの話で盛り上がっている。
長年積み重なった鬱憤が、ずいぶんと簡単に晴らされていくのが目に見えるようだ。
「……あなたたち、意外に逞しいのね」
私のつぶやきに気付いたイリアが、恥ずかしそうに、でもいたずらっ子のように微笑んだ。
メイドたちによる、かしまし井戸端会議が一段落、いや二段落ぐらいした頃になって、この丘に続く大理石の階段に人間たちの気配を感じた。
いやぁ、けっこう時間がかかったみたいだ。
時計がないから正確な時間はわからないけれども、体感では夜十時ぐらいだろうか。
いつもだったら寝ている、というか、昨日森で寝たときは太陽が落ちてすぐだったから、私は丸一日以上起きていることになる。
どおりで、ちょっと眠いはずだ。
「イリア、みんなが来るみたいだから、出迎えてあげて」
はい、と返事をして、イリアはすっと立ち上がる。
なるほど、イリアの所作が美しいのは、ヴァラド学が難解だったおかげなのね。
イリアがゆっくりと歩いて、会議室の扉を出ていく。
「あなたたち、私の暇つぶしに付き合ってくれてありがとうね」
この子たちとお喋りしていなかったら、私はもう眠気を抑えることができなかっただろう。
私の感謝を受けた女の子たちは、同じように微笑みながら、首を振って応える。
「人間と吸血鬼の話し合いが終わったら、家に帰るといいと思うけど……あなたたち、お家は?」
私の質問に、顔を見合わせてから、ひとりがためらいがちに言う。
「私たちは……お母さんもお父さんも健在です」
その言葉や表情からは、両親を殺されたイリアに対する申し訳なさを感じた。
まあ、悪いのはヴァラドなのだから、この子たちが負い目を感じる必要は絶対にない。
「そう、じゃあ、ちゃんとお家に帰ってあげないといけないわね」
だから、私は笑顔をつくって、可愛い召使いさんたちに向けるのだった。