第十話 脅迫な話し合い
思ったより、ヴァネッサが他の吸血鬼たちを連れてくるの遅いな、などと考えていたら、王様椅子の置いてある段差の下に、いくつかの跪く影が現れていた。
「サナ様、お待たせしました」
一番左手にいたヴァネッサが、顔を伏せたまま喋る。
他の影たち――七人の吸血鬼――も一様に頭を垂れている。
私に敬意を示しているのか、それともヴァラドに対してなのか。
「こいつらに状況を理解させた上で連れてくるのに、時間がかかりました」
よく見ると、ヴァネッサ以外の吸血鬼は、傷ついている者もいるようだ。
顔の周囲に、黒い影が散り散りと舞っている。
それに、ヴァネッサと反対側の右端の三人は、恐怖からなのか、跪いた身体がガクガクと震えているのを隠せていない。
ヴァネッサは、いったいどんな説明をしたのだろうか。
「とりあえず、顔を上げて」
私の言葉に、おそるおそる、吸血鬼たちは伏せていた顔を上げる。
おお……揃いも揃って、顔面偏差値が高くていらっしゃる。
ヴァラドとヴァネッサ以外は、眷属から吸血鬼になったと言っていたし、なんとなく兄妹の趣味がわかるような気がするけれども。
「なんか、そんなに畏まられていると、話しづらいわね……」
しかも、全員が芸能人みたいな美形なのだ。
ドラマの世界に迷い込んでしまったみたいだ。
「えーと……だいたいのことは、ヴァネッサから聞いていると思うけど……まず、これに不満がある者はいるかしら?」
私は、ヴァラドの腹部から出ている槍の石突に手を置いて、吸血鬼たちに問いかける。
ヴァネッサ以外の吸血鬼たちは、私の質問の意図がわからなくて、戸惑っているようだ。
「……あら? あなた、まったく慕われていないのね」
ヴァラドに声をかけながら、私は手に持った石突をぐりぐりと動かす。
ヴァラドは表情を変えないが、お腹から漏れる影は増えた気がする。
「動くな!」
そのとき、ヴァネッサが強く鋭い声をあげた。
吸血鬼の三人ほどが、立ち上がりかけた状態で静止している。
その目は赤く充血し、怒りを宿していることに疑いはない。
「サナ様……ここにいる者はみな、数百年の時を、兄様とともに過ごしています」
ヴァネッサは、静かに落ち着いて喋っている。
他の吸血鬼の怒りを鎮めるような口調だ。
「どうか……無礼をお許しいただければと思います……」
ヴァネッサの言葉を聞いて、腰を浮かしていた者たちが、ゆっくりとしゃがみ直す。
ヴァネッサは、私のことを悪の大魔王だとでも思っているのだろうか。
少し反抗の気を見せたくらいで、殺したりなんかしないのに。
あれ……そういえば、襲ってきたら殺すって言っていたっけ。
私は、ヴァラドに人質――人ではなくて鬼だから、鬼質?――としての価値があるのか確かめたかっただけなのだ。
「いいのよ。私も、ごめんなさい」
私がヴァラドに頭を下げると、ヴァラドは気にしていない、とでも言うように片手を上げることで応えた。
「あなたたちはみんな、ヴァラドを助けたい……ということでいいかしら?」
八人の吸血鬼たちを眺めながら、私は問う。
それぞれの肯き方に違いはあれど、助けたいという気持ちに違いはないようだ。
「じゃあ、人間たちと仲良くすることね」
私の言葉を聞いて、ヴァネッサ以外の七人が顔を見合わせる。
そして、ヴァネッサの隣に跪いていた、二十代半ばぐらいのお姉さんが、私に聞いてくる。
「ヴァネッサに聞いたときから疑問だったのだが、仲良くというのは、どういう状態のことを示すんだ?」
お姉さんは、クールビューティな有能秘書って感じだな。
さっきのヴァラドへの行為に対してかなり怒っていたし、いまも私への怒りが隠しきれていないようだ。
「抽象的だと、人間にとっても困るのではないか?」
「ふふ、仲良しの条件を決めないといけないなんて、子どもみたいね」
くすくすと笑う私を、お姉さんがキッと睨む。
うっすらと赤い瞳は、ルビーのような美しさで、私への熱い怒りを表している。
「エリザベート、サナ様が仲良くしろというならば、仲良くすればいいのよ」
横から、ヴァネッサが口を挟む。
このお姉さんは、エリザベートという名前らしい。
見た目の高貴さにお似合いの、なんか貴族みたいな名前だな。
「私は仲良くしないなんて、言っていないでしょ。曖昧なのが怖いって言っているの」
隣のヴァネッサに、エリザベートは小声で異議を立てる。
敬語を使っていないし、仲良しさんなのかな。
「まあ、細かいルールは、あとで人間たちと一緒に決めるようにしましょう」
「ルールを守れば、ヴァラド様を解放してくれるのか?」
エリザベートは勇んで、私に聞いてくる。
「まあ、そうね……私が世界中を回って、いつか戻ってきたときに、人間との共存が為されていたら、この槍を抜いてあげます」
「世界中を回って……?」
私の言葉の意味がわからなかったように、エリザベートは私の言葉を繰り返す。
あれ? ヴァネッサはそこまで話せていないのか。
いや、思い返してみると、ヴァネッサには人類救済の旅をすることは言っていなかったか。
「私は、魔物の支配から人間を助けるために、この街以外のところにも行きます。世界中です」
それを聞いたヴァネッサは、なにやら絶望の表情を浮かべている。
そして、他の吸血鬼たちは頭上にハテナマークを出している。
「そんなこと……なんのためにするんだ?」
エリザベートが、怪訝な顔で聞いてくる。
女神アイリとの約束だから――なのだけれど、そのまま伝えると、ややこしくなるだけだろう。
「うーん、楽しそうだからかな」
私の返事を聞いて、エリザベートは怪訝さを深めて、理解するのを諦めたようだった。
眉間に寄せていたしわをなくしている。
「それは、必ず……戻ってくるのか?」
「どうかしらね、約束はできないわ」
私はこの世界の広さを知らないし、道中で何があるかわからないし。
エリザベートは、私への怒りを深めたようだ。
せっかく眉間のしわしわがなくなっていたのに、復活させている。
「でも、あなたたちは、この約束に縋るしかないはずでしょ?」
ヴァラドを助けられるのは、現状、私だけなのだ。
吸血鬼たちは私が帰ってくるのを、指をくわえて待っているしかない。
なにも反論できなくて、エリザベートは唇を噛んで押し黙る。
「安心して、エリザベート。私がサナ様についていくから」
ヴァネッサが立ち上がり、わりと大きな胸を張って宣言する。
決定事項のように言っているが、私はそんな話はきいていないのだけれど。
「ヴァネッサが……? うーん……やむを得ない。任せたからね」
エリザベートは悩んだ末、致し方ない様子で、ヴァネッサを見上げて言う。
まあ、自分はヴァラドのそばを離れたくないから、任せるしかないのだろう。
「うむ。私が、サナ様を無事に世界一周させると誓おう」
「私はヴァネッサを連れて行くなんて一言も言っていないし、聞いていないのだけれど?」
腰に手を当てて、偉そうに頷いているヴァネッサに、私が告げる。
ヴァネッサが一緒に来てくれるのは、正直嬉しい。
イリアとヴァネッサで両手に花――品評会があれば確実に一位と二位、いや、同率一位――だったら、旅がどれだけ華やかなものになるだろうか。
ただ、得意げなヴァネッサはなんだかいじめたくなってしまうのだ。
「サナ様、私は必ず役に立ちます! 身を粉にして仕えますので、なにとぞ!」
私の足もとににゅっと現れて、ヴァネッサは綺麗な土下座を決めながら誓願する。
「へぇ、身を粉に……?」
さっき、ヴァネッサは四つに分かれて行動していた。
さすがに粉みじんの状態をコントロールすることはできないと思うけど、どのくらいまで分割できるのだろうか。
私がそんなことを考えていると、ヴァネッサはなにを勘違いしたのだろうか、恐れと蕩け
の入り交じる表情を浮かべていた。
「サナ様……私を粉々にしたら、んっ、死んでしまうかも……しれません」
妖艶な上目遣いで、ヴァネッサは私を見る。
色が多分に混入したその眼差しは、もし私が男の子だったら、一瞬で腰が砕けて二度と歩けなくなっていたことだろう。
いやぁ、危なかった危なかった。
「比喩だってわかっているわよ、ばか」
私を見上げるヴァネッサの頭を、平手でベシッとたたく。軽くね。
たたかれたおでこを押さえてもんどりを打って、ヴァネッサは恍惚の表情で床を転がる。
「じゃあ、話し合いを始めることにしましょうか」
シミュレーションの反則でイエローカードが出されそうなヴァネッサは放っておいて、私は他の吸血鬼たちに向かって言う。
「とりあえず、それぞれの眷属の中から、リーダーとなりうる人間を一人ずつ連れてきなさい」
人間は千人ぐらいいるということだったから、いくら民主主義でも直接は難しいだろう。
「話し合うための場所は、イリアが用意してくれているから、そこに集まるようにして」
イリアに準備をお願いしてから一時間ほどが経っているので、そろそろちょうどいい時間なのではないだろうか。
「ああ、そうだ。ちゃんといままでの行為への謝罪をするようにしなさい。そして、状況を説明してから、連れてくるように」
私の言葉に、意外にも吸血鬼みんな――床をうずくまるヴァネッサ以外――が素直に頷く。
吸血鬼たちはそれぞれが黒い影となって、この広間から消えていった。
「……あなたたちにも、痛いって感覚があるのね」
王様椅子のある段差から落ちていたヴァネッサに歩み寄りながら、私は喋る。
まだおでこを押さえている指のすき間から、ヴァネッサは私をちらりと見る。
「うぅ……ひどいです、これは連れて行っていただくしかありません」
……本当に、痛いのだろうか。
しくしくと泣いているようなのだけれど、どうにも嘘くさい。
「……ヴァネッサ、一緒に来てくれるの?」
バッと音がするくらい勢いよく、ヴァネッサは顔を上げる。
涙目にはなっているので、泣いていたのは嘘ではない……いや、泣こうと思えば、嘘でも泣けるからなぁ。
私がそんなことを考えていると、ヴァネッサはきらきらと潤んだ瞳で私を見つめてくる。
朝の光に照らされた新緑の若葉か、しなやかな愛が込められたエメラルドか。
ヴァネッサの碧眼が、私の視線を吸収していく。
うん、チャームをかけられちゃったら、仕方がないね。
ヴァネッサと一緒に旅をするしかあるまい。
「じゃあ、あなたも早く眷属を連れてきなさい」
ヴァネッサは嬉しそうな顔をして、胸に手を当てて敬礼する。
「はっ! 行ってまいります!」
ヴァネッサの姿が揺らいで、次の瞬間には黒い獣――チーターかオオカミみたいな――がその場に現れていた。
黒い獣は、ぐるると一度唸ってから、広間の外へと駆け出していった。