第九話 ファンタジーの教室
イリアが出て行ってからしばらくすると、ヴァラドの影が集まって、元の姿を作りはじめた。
しかし、回復にも限度があるという考え方は、正しいのではないだろうか。
ヴァラドが一回目に頭を失ったときよりも、時間がかかっている。
ゆっくりとゆっくりと、頭部を形成していき、ヴァラドは元のイケメンな顔を取り戻した。
「やっほー……生きてる?」
顔の前で手を振って確認すると、ヴァラドはぷいっと顔を背けた。
もしヴァラドが死んでいたら、ヴァネッサとかに聞けばいいと思っていたことがある。
しかし、せっかく生きていたのだから、ヴァラドに聞いてみることにしよう。
「ねえ、魔法について教えて」
私の言葉に対して、ヴァラドは眉間にしわを寄せて不快感を示す。
何回も頭を飛ばされているのに、反抗的な態度を取れるのが逆にすごいと思う。
「あなた、ずいぶんと長く生きているんでしょ? 私、魔法初心者だから、教えてほしいの」
「……お前が初心者? ふざけたこと言うんじゃねぇ」
ヴァラドは、不機嫌だということを隠そうともしないで言った。
「どうして? 私は、魔力が大きいだけなんだけど……」
私の言葉に、ヴァラドは、そのキリッとしたつり目で私を睨みながら答える。
「……この槍、俺がどうしても抗えないほどの魔力が込められている。こんなエンチャント、魔力が大きいだけでは、できるものではない」
ヴァラドは、自分のお腹に刺さった槍を忌々しげに眺めた。
そうなんだ……魔力を込めた覚えはない。
黙ってそこでおとなしくしていろこのくず、と思った覚えはあるけれども。
「エンチャントって、なに?」
「いい加減からかうな――って、本当に知らないのか?」
私がきょとんとしているのを見て、ヴァラドは大きくため息を吐いた。
「エンチャントっていうのは、物質に魔力を付与することで、それを単純に強化したり、なにか特異な性質を発現させたりする魔法だ」
「この槍には、その魔法がかかっているの?」
お前がやったんだろ、とでも言いたげな表情を浮かべながら、意外にもヴァラドは素直に教えてくれる。
「……何でもない槍だったら、俺が影になれば逃れられるし、そもそも刺さることがない」
「ふーん……私が、特別な槍にしたってこと? まあ、そうか。もともと、あの辺に適当に飾ってあったやつだもんね」
私がぼそぼそとつぶやく姿に、ヴァラドは怪訝な視線を向けている。
エンチャントしようなんて意識はなかったけれども、勝手に発動してしまったということかな。
「俺がどうしようもないということは、この槍には吸血鬼の始祖である俺を超える、膨大な魔力が込められている」
「……自分で吸血鬼って言うのはいいの?」
俺は血を吸うだけの魔物じゃない、って言ってなかったっけ?
「……真面目に話してやってるのに、ばかにするんじゃない」
呆れたように私に言うヴァラドに対して、私は手を合わせて謝る。
私の謝罪を横目で見たヴァラドは、説明を続ける。
「自分の持っている魔力のうち、十分の一をエンチャントするのが限界だと言われている」
確かに、自分と同じ強さの道具を作ることができたら、それはずるいことだよね。
「だから、お前の魔力は、少なくとも俺の十倍以上――そんなこと、ありえるのか……?」
自分で喋りながら、自分の言葉に懐疑心を抱いたヴァラドが、私を見つめる。
私の正体を探ろうとしているのだろうか。いや、別に正体とかはないのだけれど。
そんなに見られるのは、少し恥ずかしい。
「えーと……あなたは、どんな魔法が使えるの?」
話の矛先を私から逸らすために、質問する。
おそらく私の意図は伝わってしまったと思うが、ヴァラドは答えてくれる。
「当たり前だが、基本的なものは、できる」
「基本っていうのがわからないのだけれど……火を出したり?」
私は、自分が使えたものを例に挙げて聞いてみた。
「そうだな。精霊に働きかけるものは、上位の魔物でできないやつはいないだろう」
私は挙手をして、発言の許可を得ようとする。
「……なんだ?」
振り上げた私の手の先を見ながら、ヴァラドは疑問の声を出す。
「先生、私は精霊というものを知りません」
先生という言葉がわからなかったのか、ヴァラドは首を傾げてから、私の質問に答える。
「魔法というものは、生物が固有に持つ魔力を使用するものと、世界に充満する精霊の力を借りるものの二種類がある」
手をピースサインにしながら、ヴァラドは説明してくれる。
その姿が、お腹に槍が刺さっていながら記念写真に応じる男のようで、ちょっとコミカルだった。
いけないいけない、教えてくれているのだから。
真剣に聞かないと、先生に失礼だ。
「例えば、チャームは吸血鬼だけが使用できる魔法だ」
「そうなの? 私も使いたかったなぁ」
対象を操ることができるのだったら、魔物たちをみんな操って、仲良くさせられる――いや、そんな仮初めの平和は楽しくないな、使えなくて良かった。
「いくらお前が手練れだとしても、吸血鬼の魔力を得ることはできない」
「私は手練れじゃないけどね。ちなみに、どうやって操っていたの?」
チャームが発動して操られているとき、イリアの頭は黒いもやもやで包まれていた。
物理的に脳に作用していたのだろうか、仕組みが気になる。
「どう……? 考えて使用するわけではないから上手く言えないが、対象の血に魔力を流すんだ。そうすると、好きなように操ることができる」
「ふーん……確かに、私にはできなさそう。こう、首とかをがぶーっとしないといけないのね」
私の吸血鬼の真似は、ヴァラドに冷たい目で見られるだけだった。
「えーと……じゃあ、影移動の方は? 私にもできるかな」
「影移動? なんだ、そのダサい名前は」
ヴァラドの目の温度が、さらに冷え込んだようだ。
わかりやすい、いいネーミングだと思うのだけれど。
「あなたが影から影に移動する魔法の名前」
私がそう言うと、ヴァラドは露骨に嫌そうな顔をした。
「あれは、魔法ではなく、吸血鬼の魔素が関係している」
魔素という単語は初耳だ。
聞こうと思って私が挙手すると、ヴァラドは、わかっているから待てと言うように片手で制する。
「魔素とは、魔物の身体を構成する物質のことだ。お前ら人間や動物、植物を構成するものとは異なる物質だ」
魔物の素、ということね。
元の世界と同じだとしたら、人間とかは元素で構成されているから、確かに魔物の存在はファンタジーだ。
「魔素の特性によって、吸血鬼は影になることができる」
「じゃあ、影移動も私にはできないじゃない」
私が腕を組んでふくれっ面になるのを、ヴァラドは冷ややかに眺める。
まあ、残念ではあるけれど、イメージすれば何でもできるというわけではない理由のひとつがわかった。
「……お前には必要ないだろう。俺に槍を刺したとき、俺でさえまったく知覚できない速度だったぞ」
なにか特別なことをしてみたかったのだ。
女の子の好奇心というものを、こいつはわかっていないようだ。
「ちなみに、吸血鬼の魔素で言えば、眷属をつくるのにも用いられる」
「眷属……」
人間を眷属にしたらどこにいるのかわかる、あとは、眷属から吸血鬼になる、ぐらいだろうか、眷属について私が知っていることは。
「人間の血を飲むときに、飲んだ分だけ代わりに吸血鬼の魔素を補充する――その魔素に満たされた状態が、眷属だ」
まさに蚊がやっていることと同じね。
私はそう思ったが、これを口にするとヴァラドは絶対に怒るだろうから心に留めておく。
「お前……なにか失礼なことを考えていないか?」
目を細めて、ヴァラドは私を睨む。
「ふぇっ?」
図星を指されて、変な声が出てしまった。
ヴァラドは一頻り私を睨んでから、ため息を吐いて睨むのを止めた。
「先生、眷属は、吸血鬼の魔素を持ってしまっているから、場所を知られてしまうということですか?」
生徒の質問に、先生は鷹揚に頷くことで答える。
「あと、眷属から吸血鬼になるというのは、どのような仕組みなのでしょうか?」
授業後に質問を繰り返し、先生に休憩時間を与えない生徒のごとく、私は手を挙げ続ける。
ヴァラドは鬱陶しそうにはしているけれども、ちゃんと答えてくれる。
「体内の血液がすべて吸血鬼の魔素になったときに、たいていの人間はすぐに死ぬ。だが、まれに魔素に適合して、吸血鬼になる人間がいる」
「ふーん……それが、あなたとヴァネッサ以外の吸血鬼ってことね」
ヴァラドは、私の言葉に頷いて、一息ついてから懐かしそうに声をあげる。
「百五十年前までは、あと三十四人の吸血鬼がいたんだがな……」
そういえば、アイリが言っていたはずだ。
百五十年前は人類が優勢だった、と。
「人間に、殺されたの?」
私の顔をちらっと見て、ヴァラドはフッと鼻先で笑う。
「そんな顔で俺を見るな。俺たち――いや、俺が、人間どもを弄んでいたのは、俺が愉しいからだ。復讐なんてくだらないものではない」
私を睨むヴァラドの瞳には、怒りではなく、何らかの信念のようなものがあるように感じられた。
吸血鬼としての矜持かしらね。
「魔法の話……だったよね?」
話を戻そうとする私の言葉に、そうだな、と言うようにヴァラドは頷く。
「……ややこしいから確認したいんだけど、あなたたち魔物は、魔素で身体を構成されていて、それとは別に魔力も持っているってこと?」
私の言葉を頭の中で吟味するようにしてから、ヴァラドは頷く。
「私たち人間は、魔素を持っていなくて魔力は持っている」
「まあ、お前たちは人間だからな」
ヴァラドは、小馬鹿にしたように言い放つ。
こいつは、自分が人間にやられてしまったというのを忘れているのだろうか。
「で、魔物も人間も、精霊の力を借りられるのよね?」
「精霊たちは、魔力の選り好みはしない。魔物の魔力にも、人間の魔力にも、平等に対価を払うようだ」
精霊って、私のイメージだと可愛らしいものなのだけれど、目に見えたりしないのかな。
がんばって火をつけてる姿とか、見てみたいものだ。
「じゃあ、あなたたち魔物は、ずるいじゃない。魔素には特異な性質があるんでしょ? 人間には、それがないわ」
「ずるい……ははは、確かに、平等ではないかもしれないな」
本当に楽しそうに、ヴァラドは笑った。
くそぅ、笑顔はかっこいいな。
「だが、そういうものではないか? 俺たちがこの街を支配したときに、ほとんどの人間を殺したが、お前は生き残った人間たちに対して、ずるいやつらだと思うのか?」
「それは、思わないかな。仕方のないことだもの」
まあ、そういうことなのか。
女神アイリも、魔物の方が高スペックだ、みたいなことを言っていたし。
しかも、人間側が優勢だったときもあるのだから、けっきょくは努力なのだ。
「平等なんてものは、弱い者が縋りつく幻想だ。この世に生まれた瞬間から、争いを逃れることはできない」
そんなことを言ったら、私が一番ずるい存在なのは、間違いないことだ。
女神アイリから力を授かり、生まれる前から一等賞を五百八個もらっているようなものだから。
「俺は、自分のやってきたことを間違っているとは思わない」
私の目をまっすぐと見て、ヴァラドは言った。
強いやつだな、と私は呆れる。
信念というものを持っていると、意志あるものを惹きつけ、同時に危うい存在へと変ずる。
「じゃあ、反省はしないってこと?」
そのために、おでんみたいに串刺したようなものなのだけれど。
「いや、殺されるのは困る。だが、人間に悪いと思うことはない」
かっこ悪い台詞を、ヴァラドはさらっと言った。
……いま私は、こいつを殺すことはできないし、殺してはいけないと思った。
「あはは、まあいいか……しばらくは、そこで街の未来を見ていなさい。私がいつか、その槍を抜いたあとで、どうするか決めればいいわ」
笑うのを抑えられなかった私の言葉に、仕方ないからそうしてやろう、と言わんばかりに、ヴァラドは背もたれにふんぞり返った。
槍が刺さったままなのに、痛そうなことだ。